第42話 条件
探し物はなんですか
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「私がかつて、人間に与えたエメラルドがある。ひとつはここに、もうひとつは人間が持っている。それを返してもらってこい」
「人間って……。誰のことよ」
「昔、奴隷女に与えた。その娘は、王になったが、それから会っていない」
「え、それだけで探せっていうの?」
曖昧な探し物に、思わず黒百合の女神と目を合わせた。
だいたい、その女王になった娘って誰のことだ。
どのくらい昔なのかと聞くと、覚えていないと彼女は首を横に振った。
それだけで探し出せるとは思えない。
「探して持ってきてくれたなら、助けてやろう」
やるのか? やらないのか? と、ベリロスは斧を持ち上げて返答を待っている。
「……やる」
答えたのは、シャーロットだ。
「……ベリロス、あんたも神様なら、約束は守ってもらう」
「いいだろう」
シャーロットがアゼナに「お母さん、必ず、エメラルドを探し出してみせる」と約束した。
「シャーロット、あんたは猫なのよ、どうやって……」
「リリーがいるなら大丈夫だ」
「えっ」
「オレはリリーに従う。トレニアを助けるまでは、お前がオレの主人だ」
話がまとまってしまい、ベリロスが「持ってくるまで、眠らせておいてあげる」とトレニアを元のサイズに戻すと、彼女は鉢植えの花に吸い込まれて消えてしまった。
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「というわけで、私とシャーロットは、消えた王子と、遠い昔に消えたエメラルドを探すために旅に出たの」
「……ほぼっていうか、ノーヒントじゃないですか」
「いやあ参ったわよ、どこにあるか誰が持っているのかもわからないんだから。ははっ……」
魚の骨を湖に捨て、焚き火に水をかけて、灰を踏んだ。
鮮やかなピンク色の髪をなびかせ、メイクを直したリリーが「さあそろそろ行きましょう」と右手を差し出した。
僕はその手を取って立ち上がると、荷物を肩に背負った。
「ここからはそう遠くないわ」
秋の森は静かで、遠くに鳥の鳴き声が聞こえる。
「子供のころは、森でよく迷子になったわ。いつもおばあちゃんが探してくれた」
「……お祖母さんは」
「亡くなったわ。女神の力を私がもらってしまったから。普通の人間の寿命を越えていたからね」
リリーも、僕と同じ、肉親に縁が薄いようだ。
母さんは僕の心配をしてくれているのだろうか。必ず帰ると誓ったが、その気持ちは最近薄れてきている。
僕は存外、薄情なのかもしれない。
ひとりぼっちだと嘆いたリリーのそばにいたい。
「生き物は必ず死ぬ。わかってはいるのだけど。こうして君と歩いていると、まだ生きていたいと思うの」
「……リリー様」
足元の枯れ草が靴の下で音を立てる。
たった一人で王子様を探す魔女と手をつないで歩く、僕が生きている現実を、大地を踏みしめるたびに受け入れている。
これは夢でも幻想でもない。
今の僕の旅は、リリーの夢が叶うまでは終わらないんだ。僕が生きてるうちに、この旅は終わるのだろうか。
まだ生きていたい。リリーと一緒に。
「この森にはトレニアと過ごした記憶があるの。そのへんの木陰から、ひょっこり出てくるんじゃないかって。いつも助けてくれた彼女の声が聞こえてくる気がするの」
彼女の手は少しだけ震えていた。
「……アキラ、君といると、トレニアを思い出すの」
「……大切な親友なんですよね」
でも僕はトレニアじゃない、親友にはきっとなれない。
「トレニアを目覚めさせるわ、絶対に。そうすればクラウス探しも進展する……。探し続けたあの子を取り戻してやる」
リリーにとっては、この愛だけが真実なのだろう。僕の想いなんか関係ないことだ。
いいよ、気にしない。
利用してもらって構わない。どうせ一度は死にかけた身だ。
涙声に気づかないふりをして、僕は彼女の手を握り返した。
しばらく森を進むと、ぽっかりと視界が開けた。
「……城だ」
「ここは私の元カレの城」
城の塔が見えた。
荒れ果てた庭の一角はバラ園になっている。深紅の薔薇しか植えていないようだ。
窓はたくさんあるが、幾重にも絡まった蔦が、びっしりと城壁を覆っている。
「ここ、人が住んでいるようには見えないんですが。無人ですよね」
「ええ、廃墟よ。生きてる人は住んでないわ」
「……『生きてる人』はって」
「前に話したと思うけど、山持ってる彼氏がいるって話したでしょう。彼、幽霊だったの」
幽霊って本当にいるんだ。
……いるんだ!?
「森で迷った私を助けてくれたの。こっそり会ってた」
「リリー様、彼氏を友達に紹介したりとか、家族に話したりしないんですね」
「いやっ、バレたくないじゃない」
家族バレは気にして、幽霊であることは気にしなかったのだろうか。
女の子ってわかんないなー……。
柵に囲まれた城には入れないようだ。
「死人とは結ばれなかったの」
「その方を選ばなかったのはどうして……」
「まだこの世界にいたかったから。ノア様っていって、どちゃくそ美少年だった」
「どちゃくそ」
だから、何語だよ。
「今は、彼、人柱やってるから。まあ神様みたいなものよ」
人柱やってるって、現在進行形なのか。
元カレがどんな奴なのか顔だけでも見たかったが、窓の向こうに人影を見出すことはできなかった。
「具体的に、人柱って……」
「敵がこの国に侵入しないように結界を張って守っているの。永遠に。国境の砦にシャルルロアの兵士はほとんどいなかったでしょう。敵国の人間は入れないからよ」
敵国の人間は入れない、というのは、ラウネルの国に対して敵意を持っているという意味なんだろうか。
それなら、セティスが言っていたように、リリーが女王と会って敵意がないことを示せばいいのではないだろうか。
ラウネルの王子を返してもらうのが先だが。
「私の世界は村とこの森と、ノア様だけだった。彼と出会ってなければ、私は死ぬまで村で暮らしていたでしょうね」
この森はリリーのすべてだったのだろう。
彼女は村を出て、森を抜けて王子様と出会った。
永遠を得た王子様と出会ったのに、彼女の夢の形とは違ったということなのだろうか。
すべてを置いてきた故郷へ志半ばで戻るというのは、辛くないのだろうか。
森の道は途中から川に沿い、僕は足の裏の痛みをこらえて、リリーの歩幅に合わせた。
木々の間から差し込む光がだんだん弱くなっていく。
もうすぐ着くからね、と背中をさすられる。
日が急に隠れ、森の上を灰色の雲が覆った。
ぽつぽつと雨が零れだす。体が冷えて、吐きそうだ。
急ぐわよと、リリーは足を速め一気に森を駆け抜けた。
「アキラ、着いたわ。ラウネルの村よ」




