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第35話 契約のキス

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35



「……アキ、」

 リリーが何が言おうとしたその時、玄関が開いた。

 シャーロットが帰ってきた。

 客だ、と後ろを振り返る。


「……誰よ、こんな時に。ゾーラは屋敷に帰した?」

「ああ」


 頬と腕に傷を負ったセティスがシャーロットの後ろから、ぬっと、顔を出した。

 闇の中でもきらめいていた金の髪は、泥とほこりにまみれてくすんでいた。


「ごきげんよう、リリー・ロック」

「人形師の……。あのダイアモンドナイトの群れをよく生きて出られたこと」


 彼はリリーには答えず、僕をじっと見つめ、「ああ、やっぱり」と呟いた。


「セティス、無事で良かった」

「ガーネット。君……、アキラだろう?」

「……それは……」

 いつからバレてた? 

「その百合が彫られた時計、見覚えがある」

 ペンダントトップにしてある時計を、セティスはちゃんと見ていたらしい。

「アキラと出会ってから、君と出会った。君も魔女なのか。どっちが本当の姿なんだ?」


 他人を見るように、上から下までじろじろと観察される。

 まあそんなことはいい、とセティスは髪の土埃を払い、膝をついてリリーと向き合った。


「……あなたを探していたんです。赤い髪のリリー・ロック」

「どういうこと?」

「街で話題の美しい仕立屋、あなたが、私が探していたリリー・ロックだと確信が持てなかった。同姓同名の別人かもしれないと思って」

「セティスといったわね。何の用かしら」

「私は、この国の女王、リリー・スワンの双子の弟です」


 誰かに似ていると思っていたが……女王の弟だったのか。

 僕は、人形屋の棚に並べられた、金髪の少女の人形を思い出した。全部同じ顔だった。


「お姉さんってリリー・スワンだったんですか」


 以前、食事をした時に教えてもらった。『資質がある者が選ばれて、女王になる。この国には、王家というものが存在しない。任を解かれた女王は元の身分に戻る』と。

 リリー・スワンが選ばれた女王。  



「姉を10歳で女王にしたのは、あなたです。姉はあなたを探していました」

「……は? どういうことなの。私は過去にリリー・スワンと会ったことなんてない、誰かと間違えている」

「会っているはずなんです。本当に覚えていないんですか」


 セティスは必死に「思い出して」と繰り返すが、困惑するだけで、リリーはセティスに満足のいく答えを与えられずにいた。


「わからない、本当よ。私は隣国の田舎町育ち、どこで女王と会ったっていうの。それに女王にした覚えなんてない」

「……姉は、あなたに会うために、女王になったんです」

「そんなこと言われても」

「姉はもともと、私と同じシャルルロアの市民でした。ラウネルには病弱だった姉が療養していた温泉地がありました。そこにいたことはありませんでしたか」


 温泉はラウネル各地にあるが、リリーはそこで出会った覚えはないと眉をしかめた。


「姉と、話をしていただけませんか。決して傷つけたりしません。姉はあなたといただけなんです」

「断る」

 切りつけるような返答に彼は眉間に皺を寄せた。

「どうして……、何か姉が気に障ることをしましたか」

 仮面舞踏会でいきなりキスしましたけどね彼女。

 

「どっちにしろ、私は城へは行けないわ」

「……そうですか。ならば、力づくでも」


 セティスが杖を構えると、人形がどこからか、現れた。それはリリー・スワンの姿によく似ていた。

「私とやる気?」

「仕方ありません」

 杖の合図で、人形がまるで生きているような動きで、剣を繰り出してくる。

「!」

 リリーとセティスの間に、黒い影が割って入った。黒百合の女神、だ。

「そうはさせないわ」


 足元まで伸びる長い黒髪に闇色のドレスをまとった彼女の姿に、セティスは後ずさった。


「お人形屋さんのぼうや。この子は、私のご主人様なの。傷つけたら困るわあ」


 黒百合の女神は、手を大きく広げると、木の床から植物の蔓が伸びてセティスに向かって奔った。


「……ぐっ……!」


 蔓はセティスの全身に絡みつき、両手足を締め上げる。骨をへし折る鈍い音が響く。


「セティスといったわね。もう私たちに近づかないで。今度は生きて返さない」

「……お願いだ、リリー・ロック、姉と……会ってください」

「殺していいなら会ってあげる。シャルルロアはラウネルの王子を奪った、滅ぼされても文句言えない立場なのよ、わかってる? 女王の弟とやら」


 殺って、と黒百合の女神に指示を出す。

「リリー様、待ってください!!」

 僕は黒百合の女神の腕を掴んで、彼女の脛を蹴った。

「痛ったぁ!!」


 力が抜けたのか、蔓の締め付けが緩み、セティスの体が床に倒れこんだ。


「ガーネット……」

「リリー様、殺さないで。セティスは友達なんだ」

「シャルルロアの王弟なら敵よ。どきなさい。片付けてあげる」

「やめてください!!」

「……」


 僕の声に、黒百合の女神が手をかざして、蔓をひっこめた。ついでに元の姿に戻してもらう。


「リリー、やめておきましょう。子供ひとり放っておいても大丈夫でしょう」

 ごほごほとせき込んでいたセティスが、ようやく立ち上げった。両腕が折れたのか、ブランと下がって動かせないようだ。


「ははっ、アキラ、本当に君がガーネットだったんだね」

「……セティス、腕が……」

「かばってくれてありがとう。アキラ、君からも頼んでくれ。女王は……、姉は、私のただ一人の家族なんだ。殺さないで」

 暗殺が仕事だというリリーに通じるとは思えない。

 にこりともしない魔女を前に、セティスは膝をつこうとしない。

 

「君の都合なんて知ったこっちゃないのよ。私は未来も恋人も親友も奪われたんだから」


 未来も恋人も親友も?

 彼女の親友は村にいるんじゃないのか?



「アキラ、伏せなさい」

「えっ」


 突然玄関から入ってきた少年がセティスを殴りつけた。

「なっ……!!」

「放り出しておいて」

 冷たく言い放ったリリーに頷き、その少年がセティスを蹴りあげた。


「セティスとやら、私が説得が通じる相手だと本気で思ってた?」

「……リリー……、ロック……! 貴様っ……」


 少年がもう一度、セティスの顎を蹴り飛ばした。


「……アンタの命令に従うのはこれきりだ」

「ええそうね。ジャスパー」


 その少年の声には聞き覚えがあった。

 以前リリーを道端で襲った少年だ。見すぼらしいベストとズボンに、ナイフを腰から下げている。額に巻かれた黒布が、彼の表情を半分隠している。

「代金を払ってもらおう」

「ハイハイ、約束の金よ」

 袋に入った金貨を確かめ、その少年、ジャスパーは懐にしまい込んだ。

 城で騒ぎを起こしたのは、こいつか。城から逃げ出す時に火を放ったのも、彼なのだろう。


「妹の病気が治るといいわね」

「……」


 なんの感情も込めずに、リリーは帰りなさいと手を振った。


「あんた、この国を本当に滅ぼすつもりか」

「私は命令されているだけよ」

「オレがリリー・スワンにタレ込んだらどうする」

「勝手にしたら。女王が盗賊の言うことを信じるかしら。捕まって殺されるのがオチよ」


 気絶したセティスを抱え上げ、「仕立屋、アンタは親父の仇だ。いずれ殺してやる」と、ジャスパーは闇の中に消えていった。

 いろんなことが起きすぎて、頭がついていかない。


「アキラ、最低限の物だけこの袋に持ちなさい。街を出る」

「アルベルタは……、放っておくんですか」

「お別れを言いましょう。最後の別れになるかもしれないし」


 リリーに渡された袋に、服やペン、もらった時計や、シャーロットからもらった手袋を詰め込む。

 台所にあるパンとチーズと飲み物、りんごを詰めた。

 全部詰め終わると、リリーが何か呪文を唱えた。すると、手のひらサイズまで小さくなったので、ポケットに入れた。

 シャーロットとはラウネルで合流することになり、彼は黒猫の姿に戻っていた。

 彼があの太った黒猫だったことに僕は初めて気づいた。


 荷物を片付けながら、リリーは

「手短に話すと、ラウネルはシャルルロアの女王が操る、ダイアモンドナイトの襲撃を受けた。その時に、ラウネルの王子クラウスが誘拐されたの」

と話し出した。まるで好きなコンビニのお菓子を話すように淡々とした口調で。


「なぜあなたが、助けないといけないんですか。ラウネルにも軍はあるのでしょう」

「私が黒百合の女神の継承者だからよ。だから、敵国の女王を殺すよう、国から頼まれた」

「そうですか……。あの、クラウス王子とは、……付き合っていたんですか」

「ええ。内緒でね」

 きっと素敵な王子様なのだろう。たった一人で敵国の王を討てと言われて、承諾するくらいには。

 けっこう。

 ……僕には理解できないほどに、深く。

 

 あいして、いるんですね。


 確認したところで仕方ないこと。


「襲撃された時に、親友が死にかけた。今でも目を覚まさない」

「……」

「そういうわけで、私は国をひとつ滅ぼさなきゃいけないの。私と来ることは不幸になるかもしれないってことよ」

「そうですね。僕は幸せになれないかも。でも、あなたを幸せにできる可能性はあります」

「……」

「それなら僕は、自分を捧げる価値がある。あなたにはそれだけの価値が」


 元の世界に戻ったところで、あなたはいない。

 好きでもない男に体を売って、日銭を稼ぐなら、好きな人のそばで戦った方がいい。

 結末が彼女と他の男との結婚だとしても構わない。


「私にそんな価値が? 嬉しいわね。でも、うっかり死ぬかもしれないわよ」

「人はどうせ100年で死ぬんです。いずれ死ぬんですから、綺麗なお姉さんと戦って死にたい」

 

 明日の悲しみは明日の僕が引き受けよう。

 この人ひとりで、人なんて殺せるものか。僕が手伝わなくては。


「方法を探しまょう」

「なんですって?」

「あなたが誰かを殺さなくて済む方法を考えましょう。一人では無理かもしれませんが。僕がお役に立ちます」

「そんなことできると思ってるの」

「できないとも言い切れませんよね。僕の常識で言えば魔女だってかなり現実味のない存在です。でも、目の前に、あなたはいます。今はわからなくても、きっと何か別の策があるはずです。今よりもマシな明日があると、僕は信じたい。あなたにも信じて欲しい」


 このまま元の世界に帰ってもきっと後悔する。

 それなら、明日はきっといいことがあると、信じて動こう。リリーが誰かを殺さなくて済む明日だってあるかもしれない。

 今だって、必要以上に険しい道を、この人は歩いてる。

 僕の痛みがなんだっていうんだろう。


「僕を連れて行きなさい」

「私を助けてくれるなら」

「それがあなたの望みなら」


 最初に黒百合の女神とかわした会話と逆になったなと、ふと、向こうの世界から飛ばされてきた日を思い出した。

 決まりね、とリリーが僕を首を引き寄せて、唇を重ねた。

 リリーとの初めては血の味がした。

 彼女にとっては、きっと、なんでもないキスなのだろう。


「……ふっ」


 彼女の白い指が僕の手を取って、「行くわよ」と玄関の扉を開けた。

 薄紅色の長い髪が、夜風になびく様を、僕は少し後ろから見ていた。もう彼女に涙は見せない。



ファーストキスじゃなくても。


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