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第30話 収穫祭とガーネット

今回はそんなに暗くないよ


 リリーが飛び出してからしばらく経ち、眠れない僕は一階でスープを飲んでいた。コンコンとドアを叩く音がした。

「リリー・ロック殿のお宅はこちらですか。お手紙を預かっております」

 アルベルタの屋敷の小者だった。シャーロットと、コートを持ってくるように手紙には書かれている。

 指の傷を隠すために、シャーロットがくれた手袋を嵌めた。

 手間賃を渡し、馬車に乗せてもらう。



 屋敷の前でリリーは凍えていた。

「こっちこっち」

 白い月の下の彼女は、青ざめて人形のように見えた。

 コートを着せて、アルベルタが帰宅するのを待った。屋敷の中で待ったらどうかと勧められたが、丁重に断った。


 どれくらい待ったのだろう。月が傾き始めた。


 以前リリーからもらった時計を見ると、2時間以上は経っているような気がする。多少日本とは時間の流れが違うようなので、正確なところはわからない。


「……帰りましょう。この様子じゃ、アルベルタは今夜戻らないわ」

「リリー様」

「アルベルタが収穫を終えたなら、もうどうすることもできないわ。責めてるんじゃないのよ。どんな結果になろうと、私が提案したことだし、アルベルタは受け入れたんだから」


 最悪の結果を僕は何故か予想したが、口に出すのは憚られた。僕がもっと話していれば、結果は違ったかもしれないと思うことが怖かったからだ。





 翌朝。

 陽気なメロディに目を覚ます。街は朝から、祭りのパレードと、肉を焼く香ばしい香りに包まれていた。

 

 リリーも今朝は早起きをして、ヘアメイクを済ませていた。

 鮮やかな薄紅色の髪を結いあげ、腰のくびれが目立つシンプルなワンピースを着ている。


 ゾーラが「さあ祭りですよ! 準備準備!」と台所で張り切っている。

 シャーロットが手伝って、レタスをちぎったりドレッシングを混ぜたりしている。


 僕は肉屋から鹿肉を受け取りに、市場へ向かった。

 市場は買い出しをする大勢の客と商人たちの呼び込みの声で空気が震えるほどだった。

 大量の酒瓶をつんだ荷車が横を駆け抜けていった。


 噴水の広場に、女神を模した木の像が並べられていて、その周りは切り花で飾られている。

 いつもよりの華やかな街を見ながら、僕は昨夜の慌てて家を飛び出したリリーの後ろ姿を思い出していた。


 アルベルタは、あの軍人に惚れ薬を使ったのだろうか……。



 この国の女神というのが、女王を決めていると、セティスは話していた。

 人間とそこまで近い神というのは、話をしてくれるものなのだろうか。


 どうかアルベルタが幸せになっていますようにと、僕は祈った。

 祭りだというのに、胃の中がむかむかする。得体のしれない不快感を、僕は首を振って誤魔化した。


 日が高く昇り、リリーが庭で肉を焼き始めた。

 塊の肉を焼いて切り分けるのは、家の主人の仕事なのだという。

 サラダやチーズ、片付けなければならない賞味期限間近の塩漬けの肉、ワインとジュースをテーブルに並べる。


「他国の私たちには関係ない神ではあるけれど。乾杯しましょう。さあグラスは持った? 乾杯」とリリーがグラスを掲げた。みんなで乾杯し、一息に飲み干す。


 祭りの間だけでも、楽しまないと。

 そんな彼女の言葉に、僕は頷いた。



 肉とチーズを延々と焼いて食べるを繰り返していると、剣術道場のアッキーとダンス教室のエディがやってきた。


「ようリリー、招待してくれてありがとう」

「シャーロット、今日もかっこいいね、今夜どうだい?」

「なにをだ」

 エディーは来るなり、シャーロットの隣を陣取り、持参した酒を開けた。

 

「いらっしゃい、来てくれて嬉しいわ。好きに食べて、鹿肉もあるから適当に焼けたやつから食べてて」

「ああー、いいね。アキラも食ってるか?」

「はい、いただいてます」


 肉の焦げる香りに誘われるように、近隣の娘たちが入れ替わり立ち代わり、酒や果物を持ってくる。


 たいていがシャーロット狙いだったが、中には、エディとアッキーに声をかける勇者もちらほらいた。


 なるほど、合理的に恋人を探せるイベントなのか。

 シャーロットに近づく娘たちには、ゾーラが積極的ににんにくや焦げた肉や玉ねぎを食べさせていた。いやがらせかな。

 



 そんな中、アルベルタの屋敷の者が、手紙を持ってきた。読み終えると、「……おめでとうと伝えて」とリリーは答え、帰した。


「どうされたんですか」

「アルベルタの婚約が、決まったそうよ」

 後日きちんとお礼に行くと手紙には書かれている。そして、明日に迫ったシャルルロア城の舞踏会の招待状が添えられていた。

 

「いいじゃん、明日はいよいよシャルルロア城だな」とアッキー。

「アキラ、レッスンを思い出して、楽しんできて。お城で踊れるなんてめったにないからね」とエディーは笑い、グラスをあおった。

 

 リリーが残りの肉を一気に焼いて、近隣の娘たちに食べさせると、「今日はお開き」と伝えて家に帰した。

 ゾーラが残った食材を、紙に包んでアッキーとエディに土産として持たせた。

 

 街ではまだ香ばしい肉の焼ける匂いと、酒を飲んで楽しそうな人々の笑い声が響いている。

 日が暮れる前にリリーは家の中に入ってしまった。




「アキラ、おいで」


 鏡の前に立たさると、いつの間にかすぐ後ろに黒百合の女神が立っていた。

「お願い」

「わかったわ」

 黒百合の女神が指をパチンと鳴らすと、僕はガーネットの姿になっていた。


「これを着てみて」

「……これは……」


 黒蝶絹のドレス。ゾーラの物とはデザインが違うが、胸元が大きく開いている。

 絹の光沢と、ボリュームのある後ろのスカートの膨らみが、売り物にしているいつものドレスとは違い、迫力と貫禄が違う。

 レースや装飾の無いシンプルな美しさは、一見、喪服のようにも見えた。



「この日のために用意しておいたのよ」



 言われたとおり着てみたが、胸元のボリュームが足りないせいで、ぺらんとめくれそうになる。

 調整するから、とリリーは針と糸も何も使わず、呪文を唱えた。すると、詰めたかのように、ぴったりのサイズになった。


「私とお揃いよ」

「……ええ!?」

「明日はガーネットとして舞踏会に出てもらうわ。城に入るまでが大変だけと、中に入れば酒とお香で、誰も他人のことなんて気にしないわ。君が本物の女の子かどうかなんてバレないから平気よ」

「そういう問題じゃ!! 僕はあなたと踊りたかったのに」

「アキラ、遊びに行くんじゃないのよ。これは仕事」


 日が傾いた部屋で、彼女は一度も笑顔を見せず、「明日に備えて早く寝なさい」とだけいい、背を向けた。





 翌日、昼まで寝ていた僕らは、鳴り響く鐘の音で目を覚ました。


「うっせぇ……」


 今まで起きてる時にも聞いていたはずなのに、寝起きだと異常に気に障る。

 肉を食べ過ぎたせいで、胃がむかむかする。

 空気を入れ替えようと窓を開けると、城からハープの音が聞こえてきた。


「……女王のハープだ」


 聞くなと言われているから慌てて窓を閉める。

 街の人たちは、あのハープを聴くと自然と手を止めて立ち止まる。

 そして、音が止むと、元の仕事に戻るように、自然と動き出す。

 女王の能力なんだろうか。



「アキラ。支度をするから来なさいって」

「あ……、はい」

 ゾーラも今日はメイド服ではなく、黒のドレスを着ている。簡単にパンと果物の昼食を済ませる。

 

 おはようとリリーは微笑み、自分の部屋に僕を招き入れた。

「脱ぎなさい」

「えっ」

「はやくなさい」

「……はい」


 真新しい女性物の下着が用意されていた。僕は一糸まとわぬ姿から、リリーと同じドレスに着替えた。彼女の細い指の感触を体中に感じて、触れられた部分が熱を持った。

 他人に触られたことなんて、初めてじゃないのに、ひどく緊張する。

 銀色の髪をツインテールにしてリボンをつけられる。


「アキラはくせっ毛なのに、変身すると、まっすぐになるのね」

 白粉をぱたぱたとはたかれて、口紅が塗られる。

 まつ毛を、ビューラーでぎゅっと上げられる。たちまち、鏡の中の僕は、会ったこともない美少女に変身していった。

 

「ほら……素敵」

「ほんとですか」

「ええ、もちろんよ」

 くっと顎を上げられる。

「食べちゃいたいくらい」

「リリー様になら構いません」

「ふふ、そうね。たくさん声をかけられると思うけど、今日だけは、あなたは私の妹よ。誰と踊ってもいいけど、決して大広間から出ては駄目よ。わかった」

「はい」

「戻ってくる時は、いつもの私で戻るから、私の名前は誰にも言っちゃだめよ。わかった」

「……はい?」





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