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第29話 惚れ薬と紅色

大変お待たせ致しました!

年を越す前に29話投下します

29


 収穫祭の2日前の真夜中に、リリーが帰ってきた。

 革の袋になにか入っている。血の匂いがする。

「見ない方がいいわ。私はこれを交換してくるから、朝になったら、肉屋さんに行って、鹿肉を受け取ってきてくれる」

「わかりました。鹿が捕れたんですね」

「ええ。肉屋さんに預けてきたから」

「こんな夜中にですか」

「彼らの朝は早いから、処理してくれるわ」

 そういうものなのかな。

「リリー様、着替えてください。疲れてるでしょう」

「ありがとう。でも、これからすることがあるのよ」


 台所に入ってこないでねと、僕は寝るように言われ、部屋に戻るしかなかった。

 惚れ薬の作り方を、見たかったのに。


 彼女は案の定、台所でガタガタと作業をしていた。

 見るなと言われたから見はしなかった。ドールハウスの、自分の部屋の窓をこっそりと外し、作業の様子をうかがう。


 オレンジか何かを絞る音と、液体を混ぜる音がするだけで、火は使っていないようだ。

 もっとも、彼女は魔女なのだから魔法を使っているかもしれないが。


 怪しげな惚れ薬を、真夜中に作る。魔女以外の何物でもないなあ。


 その薬を手に入れたら、あなたは僕のものになってくれますか。


 馬鹿らしいとは思えない。リリーが作るドレスやネックレスは魔法を持っている。

 人を輝かせる魅力を引き出すのがリリーの魔力だというのなら、彼女が本気を出して作った惚れ薬が効かないわけがない。

 アルベルタの恋がうまくいったら、妹はどうなるんだろう。

 そんなことを考えているうちに僕は眠ってしまった。





 翌朝、リリーに叩き起こされる。

「手伝いなさい」

 朝食を適当に済まし、工房が入ると、リリーは見たことのないドレスを縫っていた。

「……みどりとか、珍しいですね」

「私のじゃないわ。アルベルタの分よ。やっぱり作り直したの。これから私が指示した場所に、ビーズをつけなさい」


 夜が明けるまでにこれを仕立てたのだろうか。

 花の模様が胸元に施されている。アクセントとして、アメジストを加工したビーズを縫い付けていく。

 リリーの目の下のくまがひどい。

「寝ました?」

「寝てない。間に合わないからね」

「……マルギットさんのことですけど、街で会ったんです。ネックレスはアルベルタさんから借りただけだと話してました」

「アルベルタは、盗まれたって言ってたわ」

 どちらが正しいのかはどうでもいいのよとリリーは手を止めない。

「私はあの子の友達だから手を貸すだけよ」

「……惚れ薬って本当に効くんですか」

「私はそう信じてるわ。効かなかったことはなかったから」


 ちょっと待て。

 『効かなかったことはない』ということは、複数回、試してますよね。1回2回じゃないってことですよね。


「何回か使ったんですか!?」

「……あー……。個人的なことはちょっと」

「いつ頃の話です?」

「2年前」

「彼氏さんは、いま、いくつですか」

「2つ下」

「ほほう。じゃあ、15歳と13歳の時ってことですよね。13歳の子供に、惚れ薬を飲ませたんですか」

「大丈夫、改良に改良を重ねて、酒は抜いてあるし、もう絶対安心なやつだから。自然派の材料に切り替えたから」

「改良って! 今まで何人にも試したってことですか」

「……いやっ、人に飲ませるものだし」

「そういうことじゃなくて!」

「私の惚れ薬は完璧なの。幽霊だって惚れさせられるわ」

「……何言ってるんですか、幽霊が惚れ薬飲めるわけないじゃないですか」

「なんでそう言い切れるのよ」

「だってそうでしょう」

「会ったこともないのに?」

「じゃあ、あなたはあるんですか幽霊と会ったこと」

「ええ、あるわ」


 言い切られて口を閉じる。少しも笑っていない彼女の眼を見れば、嘘や冗談でないことはすぐにわかる。



「自分の目で見ないと信じないわよね。私は実際に会ったことがあるから、知ってるのよ。魂が触れ合えば恋だってできる。たとえ相手が幽霊でもね」

「……へえ……。その彼は、どうなったんですか」

「うまくいかなかったからね、話し合いの結果、お別れしたわ」

「信じられません」

「別にいいわよ。君が信じようと信じまいと、どうだっていいわ」


 そうですよね。それはリリーの過去の話。

 僕がなにか言う権利なんてない。


「そうですね、僕は蚊帳の外だ。好きにすればいい」

「ちょっと、どこに行く気? まだ仕事は終わってないわ」

「あなたがすればいいじゃありませんか。友達のドレスなんだから」

 僕の態度に業を煮やしたリリーがドレスを取り上げた。

「そうね。私がやるわ。どこにでもお行き」

「あっ……っ!」

「痛っ」


 彼女がドレスを持ち上げた拍子に、針が抜けて、指に刺さってしまった。


「大丈夫ですか!?」

「平気よ」

「血が出てます」

 指をちゅっと吸って血を舐めると、リリーはふっと目をそらした。

「……なにしてるのよ」

「あっ、そのっ……すみません」



 僕はなんてことを。

 勝手に焼きもちをやいた挙句に、勝手に指を吸うなんて。


「……アキラ」

「……」

「もうこんなことをしちゃダメよ」

 あなたは僕のものにはならないから? そんなことを言っちゃ駄目だ、嫌われる。

 本当はもっとその肌に触れたい。

 僕が他の人にされてきたようなことを、したい。

「出過ぎた真似をしました。申し訳ありません」


 そんなことが言いたいんじゃないのに。

 

「ここに来てから、少しは自分の意見で動くようになったよね。いいことだわ」

「……」

「でもおいたが過ぎたわね」


 すっと、リリーの手が、首の後ろに打ち込まれ、視界が暗くなった。

 シャーロットを呼ぶリリーの声が遠くに聞こえた。



---


「おい、大丈夫か」

 いつの間にかベッドに寝かされていた。シャーロットが運んでくれたらしい。

「リリー様は」

「リリーなら出かけた。急に倒れるなんて疲れてたのか」

「いえ、そういうわけでは……、あっ、出かけたのはいつ頃ですか」

「昼前ぐらいだ。もうだいぶ経ってる……、おい、顔色悪いぞ」

 何か伝え忘れているような気がする。

 そうだ、自分の疑問を優先させて、喧嘩してしまったんだ。


「シャーロット、急いでアルベルタの家に連れてってください」

「店どーすんだ。それに具合悪そうだ」

「僕のことはいいんです、早く!」

 今までリリーは僕に眠らせる呪文を使ったことはあったが、気絶させるなんてことはなかったはずだ。

 



 嫌な予感がする。

 



 アルベルタの屋敷に着くと、無作法を承知で階段を駆け上がる。アルベルタの部屋をノックし「リリー様、来てるんでしょう!? 開けますよ」と叫んだ。

 中に入ると、今朝リリーが仕上げたドレスと、以前贈ったネックレスをつけたアルベルタの唇を、リリーの白い指が拭っていた。

「アキラ? どうしたの」

「……いえ……。その」

「私は納品に来ただけよ。ねえアルベルタ?」

「……」

 アルベルタの返事はない、そのかわりに、リリーの左手をぎゅっと握っている。

 なにか、おかしい。

 しかしその違和感の原因がわからない。


 淡いミントグリーンのドレスは、アルベルタの金色の巻き毛とよく合っている。

 胸元を飾るアメジストのネックレスと、ドレスに装飾として使った石は同じ色で、太陽の光を浴びてキラキラときらめている。

 それなのに、彼女の表情はどこか虚ろだ。

 

「アキラ。あなたにも新しい服を用意してあげるわ。シャルルロア城の舞踏会で、踊るのよ」

「え……」

「さあ帰るわよ。用意をしなきゃ。じゃあ、アルベルタ、約束を守ってね」

「……ええ、リリー……。また、ね」


 リリーに腕を引っ張られて、部屋を出る。振り返ると、アルベルタの目はとろける様に細められていた。

 誰かに恋をしているような、そんな顔を、僕は知っているはずだ。


 帰りの馬車の中で、リリーは僕と目を合わせなかった。

 すっかり片付いた台所を見て、僕はリリーが作ったはずの惚れ薬がないことに気が付いた。

 あれは、アルベルタが使うはずではなかったのだろうか。

「リリー様、夕食はどうしましょうか」

「あるものでいいわよ。今日は朝から働いたから疲れたわ」

「リリー様。僕が市場で買ってきたオレンジが全部なくなっているようですけど、食べたんですか」

「……」

 惚れ薬を作ってくれと、アルベルタは縋り付いて頼んでいた。

 

 どうして、アルベルタに飲ませた?


「ジュースを作って、アルベルタに持っていっただけよ。それがどうかしたの」

「シャルルロア城の舞踏会で、踊るって言ってましたね。どういうことですか。収穫祭って、町中で焼肉やる日だって、ゾーラから聞きましたよ」

「私が頼んだのよ。新作のドレスを間に合わせるかわりに、それなりの対価をもらうって。貴族と軍人しか入れない、シャルルロア城の収穫祭の夜の舞踏会へ参加させてって。同伴者が必要なのよ。アルベルタには、どうしても彼氏を作ってもらわないといけないの」

「それだけですか」

「ええ。それだけよ。最初はゾーラの紹介だけでいけると思ったんだけど、彼女の家の紹介状だけでは駄目らしいのよ。もう一組の知り合いも必要なんだって」


 同伴者が必要。

 フレデリクを落とす必要がある。

 それはわかる。アルベルタとフレデリク、リリーと僕。ゾーラとシャーロット。

 貴族のゾーラの紹介と、軍人のフレデリクの紹介が必要ってことか。


「そのために、軍人を落とさせようって腹ですか」

「そうよ。アルベルタの望みでもある」

「自分の目的のために友達を利用するんですか」

「なにか問題がある? アルベルタだって彼が欲しいんだからいいのよ」

「リリー様、お話していないことが。アルベルタの妹も、彼を狙ってるんです」


 ガシャン、とワイングラスを落としてリリーは立ち尽くした。


「姉妹の間で争いが起こっても知りませんよ」

「どうしてもっと早く話さなかったの」

「……どうしてって……」

「アルベルタは知っているの」

「それはわかりません。僕は街中で会っている、マルギットとフレデリクを見ただけです」


 舌打ちをして、リリーは部屋を飛び出した。

 僕はもっと早く話すべきだったんじゃないかと問いかける自分の声を聴いたが、素直に頷く気にはなれなかった。

 

 リリーは自分の目的のため、まずアルベルタに惚れ薬を飲ませた。彼女がリリーの言うことをきくように、だ。帰り間際に見たアルベルタのとろけるような視線は、リリーに注がれていた。

 

 僕は、あなたがわからない。

 そこまでして果たさなければならない目的、探している少年は、シャルルロア城にいるのか。





 

 惚れ薬と甘い囁きで、人を操る、あなたは、それで幸せになれるんですか。

 


「……」


 包丁を自分の指に滑らせる。流れた血は鮮やかな赤で、もっと斬りつけたくなった。

 

 そんなことできないくせに。


 もう日が暮れる。

 リリーが落としたワイングラスのかけらを素手で拾い集めた。 

 無意識のうちに破片が指を傷つけるように探しながら。


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