第27話 盗みたいもの
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寝る支度をしてドールハウスに入ると、珍しく黒百合の女神がソファでくつろいでいた。いつも眠っていることが多いので慌てて挨拶する。
友達と食事をしてことを話すと「アキラはリリーより友達づくりが上手いみたいね」と彼女は笑った。
アルベルタの件を相談をする。
友達からのプレゼントを妹にやってしまうのはどうなのか、率直に聞いてみた。
「アルベルタが本当にあげたの」
「……さあ……それは」
「ネックレスをアルベルタの妹が持ってるって、リリーが言ってたんでしょ? 貸したのもしれないし、貸してないなら、盗んだんでしょう」
あんな可愛らしい人が盗みを働くなんて考えたくない。同じ家で暮らしていたら、宝石箱から持ち出すのは簡単かもしれないが。
「だから言ったのに。リリーが作るアイテムは、ちょっとした魔法を持つって。普通の娘が使えば、普通の娘が願うことぐらい簡単に叶うでしょうね」
「……」
「でも、君はマルギットがどうしてネックレスを持っているか本当のところは知らないでしょう。今はアルベルタの物なわけだから、持ち主に返すのが筋でしょう。直接、マルギットに言いなさいよ」
「僕からですか」
「事情を本人から聞いたらいいじゃない」
「僕は顔を知られてます。正直に話してくれるでしょうか」
「なら他人になればいいわ。女の子に変身させてあげるから」
そうだ僕は女の子に変身できたんだ。明日にしなさいと言われて、部屋に戻る。
ドールハウスの窓から、店の明かりが見える。リリーはまだ仕事をしている。
あなたの力になりたいんだけどな。
あんなに怒っていたのは、親友に裏切られたと思ったからでしょう? 先に話したほうがいいんだろうか。
ベッドに横になっても眠れない。
リリーと寝たいな。一時間ほどして僕は結局起き上がった。
工房へ戻るとリリーの姿はない。寝たのだろうか。明かりは消えている。
二階の寝室の隅で、彼女は刺繍をしていた。
「あら……。寝てなかったの?」
連日の寝不足がたたり、リリーは顔色が悪かった。
刺繍をしているのはハンカチのようだ。
「作業に飽きちゃって。ちょっと気分転換にね」
手元には見本らしい、小さいハンカチがあった。
少し古いが、名前が刺繍されていて、周りにもお花が散りばめられている。既製品みたいに、美しく、色もバランスが良い。
「これは、昔、友達がくれたの」
リリーの地元の友達、なんでも器用にこなして、しかも可愛いんだっけ。彼女の話をする時、リリーは楽しそうに話してくれる。
いつか彼女とも会ってみたい。
「とっても上手ですね」
ピンクのハンカチに名前が刺繍してある。
「これ、これはアキラの分よ。見本ほど上手ではないけど」
「僕のために?」
「ええ。練習にね」
なら、今刺している、もう一枚の途中のハンカチは、きっと、アルベルタの分だ。
派手なメイクと、人を惑わす美貌の仕立屋は、部屋の隅で、夜中に刺繍をするような女の子。
リリーのお客さんは、こんな彼女の姿は知らないだろう。辛い辛いことがあっても、きっと、誰にも知られないようにしてきたんだろう。
とても、奴隷市場を一人で焼き払って壊滅させるような魔女には、見えない。
あなたのそばにいたい。
「リリー様。少し寝てください。風邪をひきます」
「そうね。君はいつも正しいわね」
「それ、口癖なんですか。よく言ってますけど」
「指摘されたことないけど、よく言ってるならそうなんでしょうね。私の友達が、いつも完璧だったから」
「僕も、いつも正しいですか?」
彼女は手を止めて、刺繍枠を置いた。座ってと、ベッドをポンポンされる。
「君は私をいつも冷静にしてくれるから、正しいわ。私にとってはね」
抱きしめられて息が詰まる。こうやって丸め込まれて、僕はまた利用されるんだろう。
むしろそれを望んでいるのは僕の方だけど、彼女にとってはただのコミュニケーションで。
いつか僕が元の世界に帰ってしまったら、きっと忘れてしまうのだろう。
胸の奥がズキンと痛む。
彼女は僕のことなんかすぐ忘れて、僕はまたひとりぼっちに戻る。
退屈なあの世界で僕はどうやって生きたらいい。
「アキラ、もう寝ましょうか。寒いし」
「……そうですね。一緒に寝てもいいですか」
「良いわよ。おいで」
ベッドに滑り込んで、彼女の冷たい手に触れた。夜中に刺繍なんてしてるから冷えてしまっている。
「アキラの手はあったかいわね。おやすみ」
「おやすみなさい」
他に好きな人がいることを知ってる。あなたを盗み出せたらいいのに。
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翌朝、僕は黒百合の女神に変身させてもらいガーネットの姿になった。
女の子の服は足が寒い。
アルベルタの屋敷へ出向くと、彼女はダンスのレッスンに出かけていた。妹のマルギットの予定をさりげなく聞くと、
今夜はまた舞踏会に出かける予定だが、今は街の広場に出ていると教えてくれた。
フリーマーケットでもあるんだろうか。
街の噴水広場では、炊き出しが行われていた。
トマトスープを煮る匂いと、しばらくお風呂に入っていない時のようなすえた匂い。
噴水を囲むように、スープを煮る人とパンを配る人がいて、長い列ができている。服は薄汚れていて髪もバサバサのままの老若男女の群れ。明らかに、外で暮らしているだろう人たちだ。
スープを煮る鍋の横に、僕は知った顔を見つけた。
マルギットだ。いた。
なんて話かけたらいいかなと、立ち止まっていると、「君、ガーネットだよね」と声をかけられた。
振り向くと、これまたよく知っている顔が、ぽかんと口を開けていた。
「セティス!?」
「……やっぱりガーネットだ。よく会うね。ひょっとして、運命なんじゃない?」
昨日はどうも、と言いかけて止める。『アキラ』として会ったんだ。
「炊き出しっていつもやってるんですか」
「いいや、そろそろ冬になるからね、寒くなる前に食べ物を出しているんだよ」
親をなくした子供や、仕事を失った労働者のために、国が食料を出しているらしい。その群れを見守っている。
「この国の冬は長いから、子供は冬場に死んでしまうからね。ここから孤児院に保護されたり、仕事を見つけていくんだよ。まあ大人は……それなりに、仕事にありつける人もいるけど、そうでない人もいる。で、君はどうしてここに?」
「通りかかっただけです。友達に会いに行ったら、出かけてるみたいで」
セティスには用ないんだけどなあ。
ダメ元で、イケメンを利用してみることにする。
「お願いがあるの」
「あの、淡いグリーンのドレスに、アメジストのネックレスをしている子がいるでしょ。あの子とお話したいの」
「どうして」
「あのネックレス素敵。どこで買ったのか知りたいわ」
「あんな素敵なアメジストは買ってあげられないけど、まあいいよ」
私に任せてとウィンクし、セティスが、マルギットに話かけた。あっという間に彼は、マルギットを群れから連れ出した。
話のうまいイケメンはいいね、苦労しなくて。
初めましてと手を差し出す。
「こちらはガーネット、私の友達なんだ」
マルギットは、僕だとは気づいていないようだ。女の子に変身しているから当然なのだが……一度会っているのに、変な感じだな。
「突然ごめんなさい。ねえ、そのネックレス、とても綺麗。見せてもらえませんか」
「ええ、どうぞ」
「ありがとう、あ、外さなくていいですわ。私が盗賊だったら大変でしょう?」
アメジストの裏の銀花石。赤めのうに花のような結晶が浮いている。
間違いない、僕とリリーが川原で拾った石だ。
……リリーがあげたネックレスだ。
「どこで買ったの?」
「姉のものをこっそり借りたの、可愛かったから」
「……それなら、きちんと返さないと、バレちゃったら大変ですね」
盗んだのでなければいいけど。
「……そ、そうよね。当然よね」
マルギットが目をそらして、無理に笑った。戸惑うように、髪を耳にかける。
柔らかそうな金髪、アルベルタとよく似た耳の形。真珠のイヤリングが揺れた。
密告するのは気が引けるが、彼女には伝えなくてはいけないだろう。
「マルギットさん、いつまでお喋りを。まだ配給の途中だろう」
「フレデリク様」
「おや、そちらは」
軍服に革のブーツの長身の青年が、マルギットを呼んだ。
切れ長の目と、赤が入った明るい茶色の短髪の彼は、とても穏やかな笑顔で僕たちを見た。
「はじめまして。小さなお嬢様」
「……はじめまして」
「私はフレデリク。……君は、雪の妖精さんかな。マルギットさんに妹がいたとは?」
「いえ、妹じゃありません、たったいま知り合ったばかりで」
少し話しただけで、顔が火照ってしまう。
これはまずい。
ああ。わかってしまった、マルギットが盗もうとしたのは、ネックレスじゃない。
彼だ。
「……もう行こうか。マルギットさん、フレデリク殿、またお会いしましょう」
セティスに手をひかれ、僕は噴水広場から離れた。
「セティス、今日はありがとう」
「ああ。あの子、友達じゃないんだろ? 君にしてはずいぶんグイグイ言ってたけど。何かわけあり?」
「……ごめんなさい、時間が」
「待って、まだ明るいしお菓子でも食べに行こうよ」
「ちょっと用事があるの」
しかし、協力してくれたのに、さっさと帰るのは失礼だろう。
正直に何もかも話すわけにはいかない。
「……かっこいい人がいたら、姉妹でも取り合うものかな」
「よくある話だよ。うちの姉もそうだけど、だれとでも仲良くする人っているから。……ガーネット、君はああいうガッチリした奴が好みなの」
「えっ」
「すごい顔で見てたよ。真っ赤になってたし」
「そんなんじゃなくて……」
「じゃあ、私のみたいなのが好みって受け取っていいかな」
ちょっと待って、昨日は僕を口説いてたよね。
男でも女でもいいのか、いや、誰でもいいのか!?
「セティスは……どうかしら……」
「ははっ冗談だよ。そんな顔しないでよ。今度時間ある時に、お茶ぐらいはしてくれるかい」
「ええ、そのくらいなら」
その答えに満足したのか、彼は人ごみに紛れて帰っていった。
さて、アルベルタに会わなくては。




