第22話 アキラのごはん
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数日後、ゾーラが帰宅した。リリーがまだ寝ているので、代わりに話を聞いた。
修道院に連れて行くという話は誤解だった。祭事の捧げものを届けてもらうだけだったらしい。
勘違いで家出をしたことを謝ったと、ゾーラは素直に話してくれた。
母親を亡くして数年、父親も孤独だった。そんな時、たまたま入った酒場に通うようになった。
いつでも話を聞いてくれる明るい娘。食事だけですまなくなるのは時間の問題だった。
「親子で食卓を囲みたいと思う人と出会えた。日々のことを語り合いたい。いつか出て行ってしまう娘と、親子の関係を取り戻したいと思うのは私のわがままだろうか」
いずれは別の男のものになってしまう、それが娘。
こんこんと説く父と話し合っているうちに、父親の希望を叶えてあげたいと思うようになった。
お互いに孤独だったことに気づけた。 こんな形でも、本音で話せたのは良かったのだろう。
二人の再婚をようやく喜べるようになった。
リリーの店で働く許可も下りた。時々は屋敷へ帰ることと、結婚相手を真剣に探す、これは親の勧める見合いも含めてだが、この二つを条件にゾーラは店に通うことになった。
「本当は、シャーロットに恋人がいることを気づいていたの」
父親に話したら案の定反対された。それでも、自分の初恋ぐらい自分でけりをつけたかった。
「初恋は1回だけだから。母親をだしにしたのは、悪かったと思ってる」
「いつ気づいたの」
「シャーロットがつけているチョーカーに、飾りがついてるんだけど。リリーが持ってるアクセサリーのパーツじゃないの。きっと思い出があるのね」
それは気が付かなかった。
「地元に、恋人がいるみたいですよ」
「……そっかあ」
初めて見た日は、ゾーラは子供だと思っていた。
恋をすると、数日で変わるんだな。
綺麗になった。本人には黙っていよう。
「またすぐに、素敵な人があらわれますよ」
「……私が両親と、ケンカした時、味方になってくれたでしょ」
「はい」
「きっと大丈夫って言ってくれて、……とても嬉しかった。アキラ、ありがとう」
ゾーラがお礼にとご飯を作ることになった。
「リリーはラウネルの出身なんでしょ。故郷の料理が食べたいんじゃないかと思って」
ゾーラは、屋敷の料理人と、彼女の乳母だというメイドを連れてきていた。
「私は料理なんて作れないから。プロに任せることにするわ」
「それは良いですね。僕も手伝います」
料理人とメイドの指示に従い、食材の準備をさせてもらう。
本来は全部任せた方が早いのだろうが、事情を聞かされているのか、二人は親切に調理の仕方を教えてくれた。
じゃがいもの皮をむき、ふかし芋を作る。その間にりんごの皮をむき、コンポートを作った。
キャベツを大量に千切りにして弱火で煮る。本当は塩と香辛料を入れて漬けるらしいが時間がかかるので、酢と調味料を入れる。
「なんちゃってザワークラフトです。ちゃんとしたつくり方はあとで教えてあげます」と料理人は言った。
その間に、ミートパイの用意をする。
牛肉を荒く叩き、ひき肉にする。ゆで卵を用意し、ひき肉と玉ねぎを炒める。
パイ生地に、ひき肉と玉ねぎ、刻んだゆで卵とチーズを乗せて、しっかりと包む。オーブンで焼いたら完成だ。
手伝えるのはここまでで、メインディッシュを彼らが用意してくれることになっている。
「せっかくだから、お庭で食べたらどうでしょう」
とゾーラの家のメイドが提案した。テーブルを庭に出し、テーブルクロスを広げる。
真ん中に庭に咲いているバラを切って花瓶に活ける。
リリーを起こして、身支度をさせ、庭に連れ出した。
「昼ごはん? どうして外なの」
「まあまあ」
庭では、ゾーラの家の料理人とメイドが待っていた。
さあどうぞ、と椅子を引いて、彼女を座らせた。
「バラまで飾って。素敵ね。いただくわ」
まず、玉ねぎのスープと、にんじんのサラダが出てきた。
メインは、豚肩肉のローストだ。
玉ねぎをバターで炒め、水をくわえてソースにする。そこに、蜂蜜とマスタードとレモンのしぼり汁と塩とハーブを煮立て、さきほどの玉ねぎを加える。
カリッと焼いた豚肉とよく合うらしい。
黒パンとチーズ、ソーセージと、ふかし芋を添える。
「まあ……。ラウネルの料理ばかりじゃない……。どうして……?」
「ゾーラが、あなたに礼を。下ごしらえは僕とゾーラですが、仕上げはラングリッド家の料理人の彼がしてくれたので、味は保証できます」
豚ローストを一口食べると、「このソース、懐かしいわ」と、リリーはぺろりと平らげた。
デザートをゾーラが持ってきた。
「ミートパイと、ラズベリーパイよ。うまく焼けてると思うんだけど」
「……まさか、焼いたの?」
「とりあえず食べてみて」
パイをふたつとも食べてしまうまで、リリーは何も言わなかった。
「……懐かしいわ。友達が、よく作ってくれた……」
ぽろりと、瞳から涙が零れ落ちた。
僕は、リリーが泣いたのを、初めて見た。
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食べ終わると、リリーはゾーラを呼び「素敵なお昼をありがとう」と礼を言った。我儘で家出をしたゾーラが、自分に作れない料理を、人の手を借りて用意するという知恵を使ってくれたことが嬉しい。
「大人になったわね」
子供が大人として扱われるのが嬉しいことを、彼女はよく知っている。
「アキラもありがとう」
「僕はお手伝いをしただけです」
「十分よ」
この国の料理はおいしいのだけど、こってりしたソースが苦手だったのと、紅茶を運ばせてリリーは笑った。
ゾーラ宅の料理人とメイドは、皿を下げて帰っていった。
ラズベリーパイのあまりを一緒につまむ。
「アキラの国はどんな国なの」
「小さな国です。周りを海に囲まれていて……ただ、他国の文化を受け入れる性質があります。いろんな料理が食べられますよ。素材を生かした料理が多いです」
お菓子もおいしいし、自然も多くて美しい国。
母のふるさとの、りんご畑と、岩木山と、広がる田んぼの景色を思い出す。
春には桜が咲いて、桜が散ったらりんごの花が咲いて。
僕の家はゴミ屋敷寸前だったけど。
「いい国?」
「ええ。平和ですし。綺麗な国です。人の心以外は」
「そんな風には思わないわ」
「えっ」
「アキラは優しいし気が利くし、そんな子のふるさとの人の心が、汚いなんてあるはずがない。自分のふるさとを悪く言うのはおよし」
「……でも」
「君の親と、ふるさとは同一ではないわ。そうでしょう」
それはそうかも。
「わかりました」
「いい子ね」
「リリー様のふるさとはどんなところですか」
「木しかないわ」
「あー……」
「周りは森、隣町に出るのに、まあ狼や熊がうろうろしてるような田舎よ。湖のそばに白や黄色の百合の花が咲いてたわ。野いちごを取ったりしてね」
「僕の母のふるさとも、そんな感じです。狼はでませんけど、まわりはリンゴ畑ばかりで。隣町の境の川が綺麗なところです。川岸のぎりぎりまでリンゴの木が植えられていて、川にかかる橋から、岩木山って山が……見えて……」
……お母さん。
涙がふいに溢れて、僕は慌てて手の甲でぬぐった。
「泣かないで。私が悪かったわ。君は元の世界に帰りたいわよね」
「……」
そうだ、僕は帰らなければいけない。彼女の目的が果たされたら。
今は考えたくない。
「リリー様は料理されないんですか」
「作るわよ。惚れ薬まで作れるわ」
「……へえ」
「レシピを教えてあげるわ。誰にでも作れるものではないけれど」
「どこでそんなの覚えてたんですか」
「学校の図書館にレシピがあったの」
「効きました?」
「ええ。効かなかったひとは、いないわ」
そりゃすげえ。
完璧な惚れ薬が作れても必ずしも人は幸せになれないんだな。
こんなことを言ったら怒られるから絶対言わないけど。これほどの美貌があって惚れ薬があっても、それでも、うまくいかない恋があるのが。彼女はハードモードばかり選んでいるのかな。
あれおかしいな。道路が陥没して死にかけて、僕の人生の方がハードモード突入だよ。
「……山持ってた彼氏ですね」
「そうよ。もう年上はこりごりよ」
どんな人か知らないけど、ありがとう順番を譲ってくれて。
どんな恋をしてきたか、僕は正直知りたくないんだろう。
彼女がパイを口に運ぶ様子も、紅茶をかき混ぜるしぐさも、ずっと見ていたい。
「ああそうだ、忘れてたわ。セティスとかいう、人形屋。友達なの」
「友達というか、以前、パーティーでお話したことはあります。店も知ってます」
「それなら、手土産を整えて、こないだ助けてくれた礼を言ってきてちょうだい」
助けてもらったのは、あの襲撃をしてきた二人組のような気がするが、まあ、それは別の話か。
皿を片付けて、僕は店を出た。
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手土産に焼き菓子を買い整えてセティスの店を訪ねる。店に誰もいない。
カウンターに「工房にいます、御用の方はベルを鳴らしてください」とメモがあった。
チン、とベルを鳴らすと、奥からセティスが現れた。
「いらっしゃいませ。こんな格好で失礼します」
作務衣のような服の上に、エプロンをしている。
「作業中だったもので。今日はどんな御用です」
「先日、助けていただいた礼を、私の主人からです」
お礼の焼き菓子を受け取ってもらう。お茶でもどうと誘われる。
焼き菓子とコーヒー的な色合いの飲み物を出される。たんぽぽコーヒーとも違うようだ。
「おいしい……」
この世界のお菓子や飲み物はかなり甘めに作られているようだ。美味しいけど緑茶が飲みたい。
「疲れると甘いものが欲しくなる、ちょうど良かったよ。依頼品だから時間がかかってね」
「受注生産ですか?」
「そう。息子さんを亡くした方からの依頼でね」
セティスは、棚から、小さな人形を取り出してみせてくれた。
片腕と、足がない。
「これは、練習で作ったものだけど……。子供さんが、病気で、腕と足が壊死したらしい」
「……健康な姿で残したいものじゃないんですか?」
「そう聞いたんだけどね。どんな姿でも、残しておきたいって希望でね。僕はそういう人たちのための人形も作ってる」
鎮魂のための人形たち。そういう職業。
女の子にプレゼントするためだけの人形じゃないんだな。
棚の中には、よく似たデザインの女の子の人形がたくさんあった。
「……みんな顔が同じですね。モデルがいるんですか」
「僕の家族だよ。ただ、今はあまり会えないんだ」
「……悪いことを聞いてしまいました?」
結婚したとかかな。それとも病気だろうか。
ひょっとしたら療養で離れてくらしているのかもしれない。
その人形はどれも金髪で、青い目をしている。
「取り戻したい人がいる。なーんてね。今度、今日の土産の焼き菓子を買った店を教えてよ。甘いものが好きなんだ」




