第21話 一問一答(後編)
21話後編です。
現実はそう甘くない。
我ながらとんでもないことをしてしまった。
ある貴族の邸宅で開かれた、仮面舞踏会の夜、別室でお菓子をつまんでいたリリーに、
「素敵なドレスね」
と近づいたのは、ほかならぬ、女王・リリー・スワンその人だった。仮面をつけていたって判る。
ドレスアップしたリリーの、ピンクの色の髪に触れると、
「あなた、私の知ってる子に似ているわ」
と、何の前触れもなく唇にキスをした。
僕は、その辺にあったワイングラスを、女王に投げつけてしまった。
「私の主人になにをするんですか」
「……無礼者……ッ!」
「……逃げるよッ!」
リリーに手を引かれ、部屋を駆け出した。大広間を駆け抜け、逃げる。
庭園まで走り続け、僕とリリーはバラ園の隅に座り込んだ。
仮面をつけているとはいえ、相手は女王だ。お連れの兵が僕らを探している。リリーがなにか布を取り出して、僕にかぶせた。
「なにこれ」
「周囲の色と同じ色になる魔法の布よ。……静かに」
リリーに背中から抱かれ、息を止める。
狭い空間に二人きり。背中に感じるリリーの胸は柔らかい……。この人、僕が14歳だって忘れてますよね。絶対。
「リリー様はいい香りがします」
「そう?」
「シャンプーなに使ってるんですか?」
「カモミールの入ってるやつよ」
カモミール煮ておけばだいたいなんとかなる、まあ誰も信じないから言わないけどね。お風呂に入れたり肌になったりすると、美肌になると説明される。
この世界でも化粧水とか使ってるんだな。母さんはいつも100円均一の化粧水だったけど。
リリーの胸にもたれていると、彼女がくっくっと笑い始めた。
バレるバレる。
「あはは……ッ! 女王にワインをぶっかけるとか恐れ入ったわ。アキラ、やればできるじゃない」
「……女王だって気づいてたんですか」
「まーね。でも、仮面をしていたら、気づかないふりをするのが礼儀よ。仮面舞踏会はそういうルールだから」
「だいたい、リリー様も仮面をしてるのに、誰に似てるっていうんだが」
顔だって半分しか見えない上に、わざと照明を少し落としている。誰もが正体不明の舞踏会だ。
「さあねえ」
「さあねえじゃありませんよ。だいたい、なんで簡単にキスさせるんですか!?」
「あのねー、好きでされたわけじゃないんだけど……」
「もっと危機感を持ってください。僕は……あなたのことが……」
僕に、彼女の仮面を外す勇気なんてあるはずもない。
「……心配なんですっ」
「心配……そうよね。ありがとう。君は優しいのね」
僕とリリーは、布の隙間から外を見た。もう追っ手はいないようだ。
バラ越しに星空を見上げて、黙り込んだ。
キスするタイミングを完全に逃した僕は「最近忙しいですね」と話題を替えた。僕の馬鹿。
シャルルロアの舞踏会に向けて、ゾーラのためにドレスを縫い、ダンスと剣術のレッスンに通って、店番をして、他の客のドレスを届けてと、分刻みのスケジュールをこなした。
そんな中、ゾーラの父親であるラングリッド卿もやってきた。
彼は白いジャケットをきっちりと着こみ、リリーに土産を持ってきた。髭をたくわえたその風貌は、王国の貴族らしい威厳を備えていた。
明るいエメラルドの瞳は、ゾーラとあまり似ていない。
ラングリッド夫妻とゾーラの雰囲気は最悪だった。
親子で話し合って、とリリーが部屋を貸したが、紅茶もクッキーも、誰も手つけない。
ラングリッド卿が切り出した。新しい母親がそんなに気に入らないかと、尋ねる。
「お前のお母さんを忘れたいわけじゃない。ただ、私が寂しかった時に慰めてくれた彼女を、愛することは君を傷つけることになるかい」
「私の母親は一人だけよ」
「ゾーラや。一度、妻を失ったら、もう別の誰かを愛してはいけないのかい。新しい家族を持ちたいと思うことは罪か」
「思い出を大切にして生きることはできないの? 私は母様の思い出があればいい」
「ゾーラ。私を許せないなら、止めはしない。どこにでも行くがいい。いつの日か、君も誰かに恋をするだろう。その時にきっとお父さんの気持ちをわかってもらえると思う」
結局、娘を説得できず、ラングリッド夫妻は帰っていった。
「心配してくれる家族がいるのが羨ましいよ」とリリー。当のゾーラは、「アキラの家族はどんな人たち」とケロリとしていた。
「母がいるけど、彼女は自分が一番好きだから。僕はよく殴られてた」
「私は親に殴られたことはないけど……。アキラは大変だったのね」
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それから10日ほど経っている。
「いろんな人と話してみるといいわ」
恋人を探してみようというリリーとアルベルタの提案に乗り、新作の黒いドレスをまとい、シャーロットを従えたゾーラは、仮面をしていてもよく目立った。
彼女にとって初めての舞踏会、目立たなければ意味がない。
「誰かがゾーラに気づいてくれるわ」
私のことを気づいてくれた人がいたように。
バラの花びらを唇で千切って、リリーは夜空を見上げて呟いた。
僕はどうしてバラ園に留まってしまったんだろう。
リリーを連れて帰れば良かった。僕はまだなにもできない。
大広間へ戻り、ゾーラとシャーロットを探す。すると、別の騒ぎが起こっていた。「リリー、どこにいたの!」とアルベルタがリリーを呼んだ。
「ゾーラ、こんなところで何してるんだ!」
あれは、ラングリッド卿だ。
「働きたいというから目を瞑っていたものを、……夜遊びをして」
「娘みたいな嫁もらっておいて、偉そうに言わないで!!」
「私は友人たちに新しい妻を紹介に来ていたんだ」
「せっかく舞踏会に来てるのに邪魔しないで」
まさか、仕立屋で働いていると思っていた娘が、仮面舞踏会に来ているとは思っていなかったのだろう。
「母様のことを忘れて新しい女連れて、気分いいでしょ。私が彼氏探したっていいじゃない、やってることは同じよ」
「違う」
大広間中の注目を浴びているにも関わらず、ラングリッド卿は、冷静になろうとしている。
「真剣さが違う。切実さも違う」
「……」
ラングリッド夫人が進み出て、「あなた、お待ちください」と間に割って入った。
「ゾーラ、私たちことが原因じゃなかったのね。あの、黒髪の方が好きなのね」
横目でシャーロットを盗み見るように、彼女は区切りながら聞いた。
「どうして話してくれなかったの」
「あなたがお母さんじゃないからよ」
止めなくていいのかとリリーの手を握ると、「親子の問題よ。私たちがどうこう言えることじゃない」と小声で返事があった。
「……あなたから、母親を奪うつもりはない。そんなことはできないから」
大広間の音楽は止まない。
「私は、私を大切にしてくれるラングリッド卿が大切にしている……娘のあなたを大切にしたいの。あの方が大切にしているのだから。奪いたいわけじゃなかった」
「新しい母親なんていらないわ」
「家族になりたいの。あの黒髪の方が好きならそれでもいい。帰りましょう」
「帰らない」
「ゾーラ逃げないで頂戴。私たちと向き合って欲しいの。私は、あなたを子供として扱うつもりはない。対等に話して欲しいの」
「対等ってなによ。父様はもうあなたの味方じゃない。どこが対等だっていうの! 私はひとりぼっち」
うちの母親と比べたら、だいぶまともに見える。けどそれは僕から見た状態であって、ゾーラには関係ない話なのかなあ。
いや、違う。
友達の家庭に目の前で問題が起きているのだから、手助けするべきだ。ひとりぼっちの寂しさを僕も知っている。
「ゾーラ。家に帰るんだ」
「……アキラ!? なに言ってるの」とリリー。
「人の家庭に口を出すのは違うかもしれない。でも僕は解決できる機会があるなら、ゾーラにはちゃんと、家族との問題を解決してほしい」
「なんで……。私の家の問題よ、余計なお世話よ」
「そうですね。でも、少しの間ですが、店で一緒に働いたじゃないですか。君はもう友達です」
おせっかいかもしれないけれど、どうしても放っておけない。
少なくとも、彼女の義母は、ゾーラに向き合おうとしている。
僕の周囲にいた大人たちより、よっぽどまともだ。
「ちゃんと話し合って。きっと大丈夫ですから」
「話し合いなさい。家族と向き合いなさいゾーラ。大人になるのは今よ」
リリーも口添えし、今日のところは夫妻が連れて帰ることになった。
ほんと、おせっかいねとアルベルタに笑われながら、僕らは城を出た。アルベルタが馬車で帰っていくのを見送る。
ラングリッド一家も馬車で帰らせた。
あのまま家に戻ってくれたらいいが、修道院に放り込まれるないだろうか。
そうなったら、僕とシャーロットで部屋の掃除をするだけのことだ。
僕とリリーは徒歩で帰ることにした。虫の声が聞こえる。
誰かの家の庭にイチジクの木があるのか、独特の甘い香りがした。すると、道を塞ぐように、闇の中から影が現れた。
「リリー・ロックだな」
「あら、あなたはだあれ?」
小柄な影が二つ。
一人は少年の声だ。
「……死んでもらう」
「……危ないっ!!」
風を切る短剣が、リリーの胸をかすめた。
「あらあら、殺される前に名前を聞いておこうかしら。ぼうや、名前は」
「ジャスパー」
「知らないわ。……子供は家にお帰りなさい」
酒が入っているとは言え、リリーはひょいひょいと繰り出される短剣をかわしている。
「ギルドで父の腕を切り落としたのはお前だな。おかげでうちの家族は餓死寸前だ」
「そんなことあったあ?」
「黒い布を買いに行った時でしょう。警備員を斬ってましたよ」
ああー、ハイハイと思い出したのか、リリーがポンと手を叩いた。
「そっちが弱いから悪いんでしょう。私のせいにしないでよ」
「……」
めんどくさいのか、リリーがその少年の脛を蹴り飛ばした。手を離れたナイフをすばやく奪い取る。
「こんな装備で大丈夫?」
めんどくさいから、そろそろ消えてもらおうかな。リリーが手をかざすと、アメジストの指輪が、剣に変化した。
ヤバイ、殺されるやつ。
「……そこ、なにをやっている!!」
リリーと少年の間に、何かが飛び込んできた。
小さい子供のような……、人形だ。
1メートルはない、よく見ると、フランス人形のような女の子の人形だ。その人形が、リリーと対峙していた少年を蹴りあげ、吹っ飛ばした。
お兄ちゃん、ともう一人が叫び、一緒に逃げ出した。
何者だ。
「大丈夫でしたか? お怪我は」
「ええ。助かったわ。……あなたは」
「私は……」
その時、彼が僕に気づいた。柔らかそうな金髪が揺れている。
「……セティス!?」
「君は……。リリー・ロックの店の子だったのか」
黒百合の女神の家の家具を買った、人形屋の男だ。
「以前、どこかのパーティーで話したよね」
あっ、そうか、セティスは僕が『ガーネット』だとは知らないのか。
「ええ。暴漢に襲われて、困っていたんです。助かりました。こちらは僕の主人です」
「リリー・ロック。存じております。この街では有名人ですから。私はセティスと申します」
夜道は危ないですから送りますと、セティスは先に歩き出した。
あの人形はどこに行ったんだろう。
自宅に着くと、リリーがセティスとかいう奴と知り合いなのかと聞いてきた。
「人形屋さんで職人だそうですよ。以前、黒百合の女神の家の家具を買いました」
「職人ねえ。人形を動かしてたけど」
「ワイヤーかなんかついてるんじゃないですか? 操り人形的なカンジで」
シャルルロアにも、人形劇ぐらいはあるんじゃないかな。
ただし、人を吹っ飛ばせるほどのパワーがあるかはわからないが。
「……私の国には、人形を手を使わないで動かすような操り人形はないわ」
普通のナンパ好きな職人だと思っていたが、彼は何か特別な能力を持っているのだろうか。
「あの人形師……。どうしてあんな技を使えるのかしら」




