第148話 母の頼み
死にかけた母の頼みとは……?
サイドテーブルに置いていたはずの、迷企羅大将と波夷羅大将の仏像が床に転がって光っている。
(アキラ……アキラ……。聞こえるか)
この声は、メキラだ。
「聞こえます、どこにいるんですか」
(黒百合の女神の力で呼びかけている。俺たちは重大なミスを犯した)
「どういうことです」
(お前の母親から聞いてくれ、リリーが殺されそうになっている、助けられるのはお前しかいない)
リリーが殺されそうとは、どういうことだ。彼女は王妃をしているはずだ。
「メキラ、ハイラ、どういう状況」
話を聞こうとした、その時、病室のドアが開いた。
足を引きずった、髪の長い女が、入ってきた。
点滴をかける点滴スタンドが、ガチャガチャと音を立てる。
母さん。
「……母さん」
「アキラ……、久しぶりね、会いたかった」
その息はヒューヒューと苦しそうで、久しぶりに会った母はやせ細っていた。
「アキラ聞きなさい。私はもう助からない」
「……そんな、なんで」
「いいから聞きなさい。……クラウスは21歳で死ぬ、子が三人生まれた……。みんな殺された、リリーはまだ生きている」
どういうことだ。
まだリリーの話を、母にはしていない。
入院していて、会っていなかったのだから。
「母さん、なぜ、なんでリリーのことを」
「コロナで死にかけて、何日も危険だったらしいの。その時、助ける求める声に呼ばれた……。エリンシアというメイドに、呼ばれた。彼女は、メイド長で……。リリーの失脚を狙う者たちに殺された」
「……」
どうやら、母は本当に、ラウネル王国に呼ばれたようだ。
「誰に、殺されたんです」
「クラーラ姫」
母が言うには、目を覚ますと、中世の城のような場所で、他人の姿になっていた。メイド服は血まみれで、どうやら刺されたらしい。
「……アキラじゃないわね……」
長い黒髪の女と、武将のような二人が助けてくれた。
「エリンシアの体に入っている者よ。名前は」
「私は日向森レナ、あなたたちは誰なの」
「……ヒナタモリ……。アキラの家族ね」
「アキラを知っているんですか。私はあの子の母です」
そう名乗ると、黒髪の女は困ったように首をすくめた。
「間違えた」
彼女は、アキラを呼び出すつもりだったらしい。
「まあいいわ。手伝ってほしいの」
「……なにを……?」
「私の友達を助けてほしいのよ」
まずは着替えを用意しますと、武将らしい二人が起こしてくれた。
血がついているが、傷はすでに治っているようだ。
メキラとハイラと名乗った二人が、城に連れて行ってくれた。
「ここので名前は、エリンシア。あなたの体の持ち主は死んでしまった。女王に仕えるメイドだった」
「女王様ですか」
「病気で弱っているので、世話をしてほしい。戦の最中でな」
着替えをして連れて行かれた玉座の間は、ヨーロッパの城のような、壮麗なものだった。
その玉座に、もたれるように座っていた女王がリリーだった。
やせ細って、髪も爪もボロボロだ。黒いドレスだけが、ツヤツヤとした輝きを放っている。
「女王陛下、というわりには……」
ひどい有様だ。
「リリー、寝室へ。エリンシア手伝ってくれ」
女王の寝室は、綺麗に片付けられていて、死んだエリンシアが丁寧に仕事をしていたのが伺える。窓とカーテンは締め切られ、部屋の中は暗い。
「女王陛下」
「女王陛下? ……いつもはリリー様と呼んでいるじゃない、エリンシア」
掠れた声は辛そうで、沈んだ目をやっと上げて彼女が尋ねた。
横に控えていたメキラが、
「リリー。彼女はアキラの母親です」
「なにを言ってるのよ。エリンシアは、私が結婚してから城に来たのよ」
「エリンシアは殺されました。黒百合が、アキラに助けを求めるつもりで、母親が呼ばれてしまったのです」
「やめてよ、そんな話」
急な話に、リリーは戸惑っているようだ。メキラには部屋の外に出てもらうことにした。
「リリー様。髪のお手入れをさせていただいても?」
お湯と布を用意させ、長い髪を濡らした布で拭く。爪を切り、手をマッサージする。
「私はエリンシアではありません。日向森レナといいます」
「ヒナタモリ……。アキラは、イケブクロという街に住んでいたと」
「ええ、そうですそうです。私たちは池袋に住んでいます。あのアキラとはどこで」
「黒百合に……女神に助けを求めたの。協力者を。アキラは、魔女として私を助けてくれたわ」
「魔女って。アキラは男ですよ」
「変身できるようになったのよ」
アキラが女の子に変身できるようになったこと、リリーの恋人を助けるのに協力してくれたこと。そして彼女の幸せのためにと身をひいたこと。
ぽつぽつと語られる自分が知らない息子のストーリーは、この世界で確かに人を助けて生きていたんだと教えてくれた。
「私の夫と子供は死んだわ。もう生きていても意味がない」
「……息子がそれを聞いたら、どう思いましょう」
「怒るでしょうね。あの子はとても優しかった。できるなら、もう一度会いたいわ……。私の魔女……」
骨と皮だけの手を開いて「私は名ばかりの女王」と、リリーは嘆いた。
「私はあの子の愛を利用した。その結果がこれよ」
「……あなたは誰に狙われているのですか」
「夫の双子の姉。クラーラ姫。死んだと思われていたのだけど、実は生きていたの。私がクラウスを……夫をたぶらかして、玉座を奪ったと」
「アキラがいれば、あなたは戦えるのですか」
「戦う? まだこの地獄で生きろというの」
「あなたはまだ生きているじゃありませんか」
リリーはしばらく考えた後、「アキラに会いたい」と答えた。
黒百合の女神に、アキラと話したいから元の世界に帰してと頼んだ。
そして、病院へ戻ってきた。
「アキラ。クラーラ姫は、自分を見捨てた弟とリリーを憎んでいる。でもね、リリーもクラーラを憎み、心に鍵をかけた。リリーは魔女になった。その力を使って大軍と戦っているわ。……王の器ではなかった」
「……彼女は、もともと村娘だった」
「リリーを助けなさい」
「母さん」
「あなたを産んで、初めて私は頑張れた。だけど、この世界では幸せにできずに……
、すまなかったと思うわ。でも、ラウネル王国で、リリーを助けられる」
目がかすむ。息が苦しい。
本当にやっかいな感染症だ。
「行きなさい」
「……母さん、放っておけない」
「私はもう、助からない。この世界で一人で生きるのも、向こうで一人生きるのも同じこと、それならお前の好きな人を助けなさい。クラウス王子では、リリーを幸せにできなかった」
「……」
「お母さんは、あなたの幸せを願っています。行きなさい」
がくり、と力が抜けるのがわかる。母さんと叫ぶアキラの声が、しだいに遠くなった。
「……母さん」
ナースーコールで助けを呼ぶ。運ばれていく母を見送り、看護師に促されて横になった。
どれほど眠っただろうか。
頭が痛い。
しばらくすると、激痛が喉を襲った。信じられないぐらい、熱がある。ナースコールで看護師たちが駆けつけたが、鼻になにか突っ込まれる。
大変なことが起こっている。
咳が続いて、息苦しい。これが流行りの感染症か。
熱が下がらないまま、一日、二日が過ぎた。
結局、僕は死ぬのか。まだ何も終わってない、終わらせてないというのに。
僕はリリーが、僕を選んでくれると心のどこかで期待して、選ばれなくて苦しくて苦しくて納得できなくて、ラウネルを去った。
このまま死んでしまうのか。
後悔も寂しさも、僕は僕自身さえ救うことができずに。
そんなのは許せない。
許せないのは選べなかった僕自身
高熱の中で、呼びかけた。
「黒百合の女神……我が友ティラリア……。助けて……」
誰か気づいて。
僕はここにいる。
再度、ラウネル王国へ戻ります。
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