幼馴染の落ちぶれ吸血鬼令嬢が俺の部屋を訪ねてきた件について
気がつくと夜になっていた。
夕飯のあと、ベッドの上でだらだらとスマホを弄っていたのが悪かったのだろう。時計を見ると、すでに深夜0時だ。
「どうもマズイなあ」
ため息をつきながら、身を起こす。
冬休みに入ってから、生活が不規則になっている。
いや、不規則なだけならいいが、自堕落極まりない生活はなんとかしないと――と、毎日の決意を新たにしながら、風呂に入る準備をしていると。
こん、こん。
と、部屋の窓ガラスを叩く音。
はて、と眉をひそめる。
万年カーテンのかかった窓のほうから聞こえたのは、人の意思を感じさせるノック音。
だけど、冷静に考えるとあり得ない。
なにしろ俺の部屋があるのは二階なのだ。
こんこん、こんこん、と、ノックは続く。
まじ怖い。
できればそっとしておきたい。
だけど、あいにくここは俺の寝室だ。
放っておけば、一晩中でもノック音は続くかもしれない。
――仕方ない。
覚悟を決めると、そっとカーテンに手をかけた、瞬間。
「――信慈さん?」
窓の向こうから、声が聞こえてきた。
俺の名を呼ぶその声には、耳に覚えのあるものだった。
「逢月……真姫?」
カーテンを開く。
その、むこうに居たのは。
「ふえーん。信慈さぁーん」
クラスの女王様、逢月真姫の、変わり果てた姿だった。
◆
逢月真姫。
逢月グループのドン、逢月竜公の孫娘。
金髪碧眼の独日クォーターで、高慢、高飛車、女王様な、夜須学園高等部二年生だ。
なんの腐れ縁か、小学校の時からずっと同じクラス。
おかげで多少は会話できる間柄だが、そんな性格なので、それほど親しくはない。
お供を引き連れて、クラスで、学校で、社会で、我がままにふるまう様を、何度も見てきたものだけれど。
……なんというか、今の変わり果てた姿を見ると嘘みたいだ。
窓の外の少女を見ながら、頭をかく。
こんな、真冬に凍える子犬のような表情、間違ってもするような奴じゃなかったんだけど。
「逢月さん、どうしたの」
「しっ、信慈さん信慈さん! お願いですっ! 開けてくださいましー!」
ちょと引くくらい、必死に訴えかけて来る真姫。
その勢いに押されて、思わず窓のカギに手をかけて――気づく。
――ここ、二階だよな。
自分の家だ。建物の構造はわかっている。
窓の外には、足をかける場所なんかない。
逢月真姫は、いったいどうして窓の外に立っていられるのか。
恐る恐る、彼女の足元を覗き込み――悲鳴を呑みこんだ。
逢月真姫の体を支えるものは、なにもない。
なにも、一切。空中に浮いた状態で、彼女は俺と対面している。。
その事実に気づいて、俺は、あらためて問う。
「逢月さん……どうしたんだ」
「信慈さん……わたくし、わたくし……」
涙目になる真姫。
彼女の瞳は、こんなに赤かっただろうか。
「こんなになっちゃいましたの」
わずかに開かれた口から、真っ白い歯が垣間見える。
長く、尖った犬歯は、まるで牙のようだ。
ホラー映画の、吸血鬼のように。
◆
「開けてくださいましー」
窓越しに真姫が懇願するが、素直にうなずけるはずがない。
「待て、逢月。とりあえず、事情を聞かせてくれるか?」
俺がそう言うと、真姫はお預けをくった犬のような表情になる。
「寒いんですの。寒いんですの。信慈さん知ってらっしゃるかしら? 人間、寒いと本当に気持ちが沈んできますの。なんというか、人間じゃなくなってしまっても寒いのは寒いんですのよー!」
かりかりと窓ガラスをひっ掻く少女に、深いため息をつく。
「わかった。わかったから。いまちょっと十字架取ってくるから待っててくれ」
「ちょ、信慈さん? 退治? 退治する気ですの!?」
「いや、退治しようとまでは思ってないけど……まあ、安全に確証が持てない以上、護身用ということで」
「みんな! みんな口実を設けて席をはずすんですのよ! それでもう出てきませんの! ふえーん。もう凍える寒さの中で待ちぼうけを食らうのはたくさんですわー!」
――なんというか、これに騙されるようじゃ終わってるよな。
頭をかきながら戻ってきて、窓の鍵を開く――ふりをする。
目を輝かせた真姫は、みごとに釣られて空中でつんのめった。
「しっ、信慈さん!?」
「冗談だ」
窓を開く。
ぱあっと顔を輝かせて、少女は部屋の中に転がり込んで来た。
「ああー。あったかい。あったかいですわー!」
「……はあ、ちょっと待て。温かいコーヒーを淹れて来てやる」
落ちぶれ放題に落ちぶれたご令嬢をあきれて見ながら、俺は台所に向かいかけ。
「あ、あの、信慈さん?」
と、呼びとめられる。
振り返ると、真姫はもじもじしながら、なにやら言いにくそうな様子。
「なんだ?」
「わたくし……お腹がすきましたの」
くうくうと、お腹が鳴る。
血を吸いたい……ようには見えない。
どっちかというと「ごはんたべたい」だ。
「……カップラーメンでも作ってくるよ」
ため息交じりの俺の言葉に、真姫は目を輝かせた。
◆
「おいしい、おいしいですわー! ……ああ、あったかい!」
深夜にカップラーメンをかっ込むお嬢様。
目尻からは涙がこぼれている。以前は「そんな貧乏くさいもの食べませんわ」なんて言ってたのに。
なんというか、ここまで落ちぶれたくないなあ、と思いながら、十字架片手に少女の様子をうかがう。
「なあ、逢月さん。あんた逢月グループの御令嬢だよな」
「はい。そうですけれど?」
ムチャクチャ素直だ。
いつもなら「なんでそんなこと、民草風情に教えてやらねばなりませんの? おーほっほっほ!」とか言う場面なのに。
「なんで路頭に迷ってるんだ?」
尋ねると、真姫はしょぼーんと肩を落とした。
「う……っく、お、追い出されましたの……お爺様に……一族の恥さらしだって言われて……」
「……まあ、元気出せ」
ぽん、と肩に手を置いて、励ます。
「ぎゃわわですわーっ!?」
肩から煙を吹いて悶絶する真姫。
「……すまん。手に十字架持ってたの忘れてた」
「し、死ぬかと思いましたわーっ!」
謝ったが、真姫は猛抗議してくる。当たり前か。
しかし、本当に十字架、効くんだな。
感心しながら、質問を続ける。
「それで、逢月さん。家を追い出されたってのはわかったけど、なんで俺なんだ? ほかに仲いい奴……すまん」
取り巻きこそ多かったものの、そういえば彼女に友達っぽい人がいたかと思い返せば、まったく思い当たらない。
「なんで気まずそうに目をそむけますの!? わたくしにもお友達は居ますわ! 事情を話しても、みんなお家に入れてくれませんでしたけれど!」
「いや、事情を話したからこそ、だと思うが……なんで吸血鬼なんかに」
なんか、当たり前のように吸血鬼とか言ってるが、荒唐無稽もいいところだ。
まあ、ふよふよ空を飛んだり、十字架食らって煙を上げてる以上、そこを信じないわけにもいかないけれど。
「それは、わたくしが大人になったので、吸血鬼としての力に目覚めたから、ですわ!」
俺の問いに、金髪をかき上げ、胸を反らして答える真姫。
たゆん、と、魅惑的な音が鳴った気がするが、気のせいだろう。
「……おいちょっと待て」
と、胸に気を取られていて、気づくのが遅れた。
真姫は言った。「吸血鬼としての力に“目覚めた”」と。
「ひょっとして、吸血鬼に血を吸われたとかじゃなく、逢月さんは元から……」
「ええ。わたくしたち逢月一族は、古くから続く、吸血鬼の祖の血族ですの」
たゆん。
真姫は当然、とでも言うように、あっさりさっぱり答えた。
「まじか。あの逢月グループのトップが……」
ちょっとどころじゃない衝撃だ。
この町は逢月グループのお座敷町だ。
いうなれば町全体が吸血鬼に支配されているようなものである。
まあ、それを言うなら日本経済の実に2パーセントが吸血鬼の手に握られているという事実のほうが、怖い気がするけど。
「――っと、待て。じゃあなんで追い出されたんだ? 吸血鬼になったのがきっかけじゃないのか?」
尋ねると、とたんに真姫が泣き顔になる。
「吸血鬼として成人したのはいいのですけれども、その……わたくし、お爺様の決めた人間の血を飲むのが、生理的に受け付けなくて……それで、一族の恥さらしだって……下僕を作ってくるまで戻ってくるなって……」
「待て。話が不穏になって来たぞ」
「最初は、一人ででも立派に生きていきますわ! と意気込んでたんですが、この冬に一人でサバイバルするのも本当に無理って感じで……条件に合う方を探しながら、ふらふらと」
「ちょっと待て」
聞き逃せない言葉を聞いて、真姫を止める。
「なんですの?」
「俺の記憶が確かなら、吸血鬼を増やすには条件があったはずだ」
「はい。ひとつは相手の血を吸うこと。もうひとつは、そ、その……」
ごにょごにょと言いながら、顔を真っ赤にする真姫。
まあ、それで察しはつく。
「相手が処女か童貞であること、だな?」
「は、はひぃ……」
ゆで上がったような顔で、真姫はかろうじて返事する。
かわいいなこいつ。だが許せん。
俺は怒りを胸に、真姫に問いただす。
「なら、こういうことだな。逢月。お前は俺が童貞だと確信を持っている、と」
「は、はひ」
怒りが伝わったのだろうか。怯えたように肩をすくめる真姫。
「なんでだ? 俺らくらいの年なら、そのへん卒業しててもおかしくないとは思わなかったのか?」
「いえ。信慈さんはど、童貞ですわ」
たゆん。
俺の言葉にも、なぜか真姫は譲らない。
「なぜだ」
「なぜならば、信慈さん。あなたには、心に決めた異性がいるからですっ!」
むふー、と自信たっぷりに断言する真姫。
「ふふふ。それが誰かはわたくしあえて言わないでおいて差し上げますわ! でも、その恋が叶っていない以上、あなたが、その、ど、童貞なのはあきらかなのですわ!」
たゆん。
胸を張って、真姫はどうだとばかりにドヤ顔をキメる。
そんな彼女を、あらためて、見る。
俺は、なんというか、ものすごく残念な娘を見るような、そんな表情になってると思う。
「……え? ど、どうしましたの信慈さん」
「いや、逢月、それ、たぶん中学の時の修学旅行の話を覚えてくれてるんだと思うけど」
夜中にみんなで好きな人を言いあう、みたいなお定まりの事をやったわけだが、結末もまた、お定まりというべきか。
壮絶なばらし合いの結果、全員の意中の人間が、学校中に知れ渡るという惨劇が起こってしまった。
で、まあ、その相手というのが、いま目の前に居る逢月真姫だったりするのだが……
「え? 違いますの?」
「いや、お前あのときものすごい勢いで振ってくれたじゃないか」
それはもう、きれいさっぱりと。高飛車全開で。
まあ、おかげでほのかな恋心も見事に吹っ飛んだけど。
真姫は、しばらくぽかんと口を開けて。
「……え?」
「え? え? え?」と涙目になって混乱し始めた。
「じ、じゃあ信慈さんには、つき合ってる方が居たりしますの?」
「いや、居ないけど……」
「じゃあ信慈さんはちゃんと童貞ですのね!」
胸をなで下ろす真姫。
なんかむかつくな。
「なら問題ありませんわ! 信慈さん、吸血鬼になってわたくしの下僕になって下さいまし!」
「なんでだよ! 嫌だよ!」
がばっと抱きついて来る真姫に、十字架を押しつける。
「ぎゃあああですわーっ!」
額から煙を上げ、ごろごろと転がる少女。
「ひどい! ひどいですわーっ!」
「いや、血を吸って吸血鬼にしようとするお前の方が、なんぼかひどいと思うんだが」
これで非難されるのは理不尽である。
「だいたいお前、血を吸うのが苦手なんじゃなかったのかよ」
「それは……信慈さんなら、いいかなって……」
「なんでだよ。嫌だよ。お断りだよ」
「なんでですのー!? わたくしも吸血鬼ですのよ!? わたくしとおなじ存在になれるなんて幸せなことだと思いませんの!?」
ぎゃわー、と突っかかって来る少女。
おお、ちょっといつもの真姫っぽい。
「いや、だって、太陽の光浴びると死んじゃうんだろ?」
「ちょっと焦げましたわ!」
「十字架にも弱いんだろ?」
「火傷しますわ!」
「招待されないと、人の家に入れないんだろ?」
「凍え死にするかと思いましたわ!」
「白木の杭で心臓穿たれると死んじゃうんだろ?」
「それふつうの人でも死んじゃいますわ!」
「不便じゃん」
「わ・た・く・し・と、一緒ですのよ!」
「そのために人間やめたくないし……」
真姫がどんどん涙目になっていく。
なんか悪いことしてる気になって来たが、俺は悪くない。
「だめですの?」
「お前キャラ変わりすぎだろう」
「今回のことで十回くらい心折られたんですの……」
思いっきり遠い目になる真姫。
まあ、いろいろあったのだろう。
俺はあえて追求しないことにした。
聞いても同情以外なにも出来ないだろうし。
息をつきながら、コーヒーをひと口飲んで、俺は眉をひそめた。
長話をしていたせいで、コーヒーはすっかり冷めてしまっている。
「さて、逢月さん、これからどうする?」
「そ、その、どうしてもだめですの?」
再三断っているにもかかわらず、真姫の勧誘は執拗だ。
「いや、そりゃ人生終了させたくないし」
「たしかに、人生の墓場とは申しますけれど……」
「ん? ……とにかく、客間に泊まれるよう親に頼むから、しばらくはうちに泊まるといいよ。今後のことはゆっくり考えればいい」
「ど、同棲ですの!?」
「違うからね? 親も居るからね?」
「公認! 公認ですのね!」
「いや、逢月さん、テンションおかしくない?」
「大丈夫ですわ! わたくし負けません! きっと振り向かせて見せますわ!」
「……さっきから気になってたんだけど、下僕にするとかって、逢月さんの一族のなかで、結婚的な意味ない?」
「そそそそんなことはありませんわ! でもわたくしきっと信慈さんを下僕にして見せますわ!」
があっと勢い任せに叫ぶ逢月真姫。
まあ、普通につき合うんだったら望む所かもしれないけど、さすがに吸血鬼は勘弁してほしい。
だから、せいぜい俺の出来る範囲で、この落ちぶれたお嬢様を助けてやろう。そんなことを思いながら。
「見ていなさいお爺様! わたくしの運命はわたくしが切り開いて見せますわ―っ!」
両手を振り上げ、月に向かって吠える残念なお嬢様の後姿を見つめた。
たゆん。