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俺、奇想する

「とりあえず一日だけ待っててくれよ」


 ジイさんにそう言い残して郊外を離れた俺が向かったのは、露天市場だ。


 真面目くさった町の中にあってとりわけダーティーなこの場所には、一般には流通しない商品がゴロゴロと転がっている。


 それが掘り出し物なのか、はたまたただのガラクタなのかは別にして。


 潔癖に生きていたらまずお目にかかれないような品々がズラッと並ぶ様は壮観である。


 俺は数ある露店の中から、布をぐるぐる巻きにした帽子に縛った裾以外が膨らんだ服という、砂漠の王子様みたいな格好をした男を探す。


 そいつは簡単に見つかった。


 目で追うよりも、粘膜を突くような香辛料の匂いを辿るほうが早い。


「やあ、いらっしゃい。また見る顔だね」


 商人はうさんくさいとさえ感じるほどの過剰に愛想のいい笑顔で接客する。


 店を冷やかしている客は俺の他にいなかった。


 スパイスやハーブなんていう、用途がマニアックな割に高額な嗜好品ばかりを店頭に並べているんだから、そんなもんなのだろう。


 ただ今日は特に朝から客入りが悪いと、商人は苦笑いして愚痴をこぼした。


「司書選を近日中に控えているからね……ああ、お客さんはまだご存知なかったかな?」

「知ってるよ。ビザールが解雇されたことだろ」


 むしろ大きく関わってすらいる。


「これは失礼。嫌でも耳にすることだしね、それも当然か。やれ辞任の真相だの、やれ次の司書は誰がふさわしいかだの……今朝はそんな話ばかり聞こえてくるよ」

「人間って奴はどいつもこいつもゴシップが大好物だからな。でもなんで司書選が近いと客足が遠のくんだ?」

「簡単な話さ。新しい司書が決定されたら、祝儀の意味を込めて商業ギルド全体で値下げセールを敢行することになっているからだよ」

「へえ」


 王立図書館の司書交代というのは、どうやら俺が思っている以上に一大行事のようだ。


 町中がその話題一色なのも合点がいくな。


「王都からの使節団や他地方から来てくれる人も増えるからかき入れ時でもあるんだよね。ただし、それまでは住民の貯蓄傾向が進むから消費が落ちるんだ」

「ふーん。買い控えってことか」

「でも僕たち露店商にはデメリットしかないけどね。値段云々で売上が大きく変わるようなものはこのマーケットにはほとんどないんだから」

「まあ、そりゃそうだな」


 大特価になったからって、たとえば隣の露店で売っている意味不明なサイズの弦楽器を買おうだなんて微塵も思わないし。


 不景気な話だとは思うが、しかし俺がどうこう口を挟めるようなことではない。


 一人の客として来た目的を説く。


「探しているハーブがあるんだ。フレシアルバっていうんだけどさ」

「ああ、それならうちでも取り扱っているよ。在庫は然程ないけど、それで構わないなら」

「おっ! マジか!」


 ボッタクリ商品を大量に扱っているんだから、輸入品のひとつやふたつくらい置いていても不思議ではないと考えたが、ドンピシャだったらしい。


 商人は包み紙をほどいて、中身の乾燥ハーブを俺に紹介する。


 この指が三本もあればつまめる程度の分量で1600Gの値段が付けられているんだから、まったくアコギな商売だ。


「フレシアルバは爽快感のある香りが特徴だ。このまま吸引するだけでも心身をリラックスさせるはたらきがあるよ」

「爽快感ねぇ」


 ちょっと嗅いだところ、安物の芳香剤みたいにしか思えないけど。


 ただ効果が本物であることは即座に判明した。ほんの少し吸っただけでもうっかり魂を手放してしまいそうになるくらい、全身から気持ちよく力が抜けていく感覚に襲われる。


 あまり長く嗅いでいると逆に危ねぇな、これ。


「もしやとは思ったけどこんなにあっさり見つかるとは……どこで入手したんだ? この近くじゃ採れないんだろ?」

「遠征中の行商から仕入れたんだよ。露天市場と各地を旅歩く行商人が密な関係にあることは、まあ言わなくてもなんとなく伝わるよね」


 それは理解できる。


 転生直後の町にいた頃、珍しい装備品は大体行商経由で手に入れていたし。


 それにしても、あのジイさんが本の中でしか見たことのない代物を単なる商人が仕入れられているとは。よほど情報に敏感でないとこうはいくまい。


「けど妙な注文だね。これは料理やお茶に使うものじゃない。どちらかというと薬用ハーブだ。煎じて飲めば痛みに対して鈍感になれるけど、日常でそうそう必要になるような用途じゃないよ」

「薬でいいんだよ……実はな」


 事情を話す。


「そうか、ビザール卿が……療養中とはうかがっていたけど、そこまで深刻な病魔に侵されていたのか」

「まあ精神的には年寄りとは思えないくらい元気だけどな」


 今にも折れてしまいそうな腕で、ホクトの耳触りたさに俺の手首をきつく握ってきた時のことを思い出す。


 あのバイタリティはどう考えても老衰したジジイのそれではない。


「だけど、変だね」

「なにがだ?」

「今朝服用していたのも鎮痛剤で、お客さんにお使いを頼んだのも痛み止めだ。病気を治すことは諦めてしまったのかな」


 それは俺も引っかかりはした。


 しかし。


「もうどうしようもないって自分でも分かってるんだろ。もし打つ手があるんならジイさんだってそうしてるさ」


 多分だが、ネコスケに買いに行かせていた薬も例の副作用付きの鎮痛剤なんだろうし。


「どうしようもない、なんていうのは、どうにかしようとしてからでないと出てこない言葉だよ」


 商人はそれでもまだ疑問が晴れていないらしく、口元を手で覆って考えこんでいる。


 接客中の嘘のようにニコニコとした顔はどこにもない。


 思考している間の商人の目は、宝とゴミが入り混じった闇市には似つかわしくない、整然とした知性に満ちている。


 俺はこの鋭い眼差しを見ているだけでこいつの本分がキレ者であると分かった。


 思えばネコスケの行方を言い当てたのもこいつだしな。その時もこんな冷静沈着な表情を張りつかせていた。


「今は手元にないけれど、たとえばセリールディアという貴重なハーブには万病に効くという伝承が残っている。『知者の長』ともいえる司書を長年務めておられたビザール卿ともあろうお方がその存在を知らない道理がない。どうしてこれを探すように頼まなかったのかな?」

「そりゃお前……そこまでレアなものは望み薄だからだろ」

「どうだろう。場所をウィクライフに限るなら、入手難度にそれほど差はないけどね。結局はどこかから運ばれてくることを祈るしかないんだから」


 商人は含みのある言い方しかしてこない。


「な、なんだよ。きっぱりと言ってくれよ」

「うん。おそらくだけど……ビザール卿は既に、セリールディアを含めてありとあらゆる特効薬を試している。そしてどれもダメだったんじゃないかな」


 ありえる話ではある。


 すべて試した上で諦観に至ったのだとしたら、自然な成り行きだろう。


 だが商人の怪訝はそこで終わりではなかった。


「どの薬も効かないほど珍しく、鎮痛剤に頼らないといけないほど重い病なのに、何年もゆっくりと時間をかけて進行している……少し奇妙じゃないかな?」

「は? おいおい、すぐ死なないとおかしいみたいに言うなよ。ドキッとするじゃねぇか」

「ごめん。でもどうしても気になってしまってね。それにビザール卿は元気なんだよね? これだけの難病にもかかわらず」

「そりゃもう、病人とは思えないくらいに……」


 俺はそこでふと、今までなんの問題もなく受け入れられていたことが急激に不自然に感じてきた。


 強烈に死を意識させられる衰弱した体に、その外見から想像できない健康的な人格。


 俺はそのギャップを「そういう人物」の一言で片付けていた。


 病を気力で抑えつけているのだと。


 しかし商人との会話を経た今、改めて考えてみると、ビザールの外面と内面の乖離が途端にありえなく思えてくる。


 それはまるで、肉体だけが精神を置き去りにして死んでいっているかのような……。


「ビザール卿がかかっているのは本当に病気なのかな?」


 商人は根底からひっくり返すようなことを平然と口にした。


 それはちょうど、今まさに俺の頭をよぎり始めていたことと一致していた。

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