俺、嘆願する
いつの間に、だなんてテンプレな驚き方をする猶予もなく。
「動かないで」
俺の耳に聞こえてきた声は女のものだった。
高く澄み切った、しかしまったく人間味の感じられない、無機質な氷めいた声色。
「う、動けるかよ、そもそも……」
鋭利なダガーナイフが首筋に当たっているのに、変な真似をできるわけがない。
「話ちげーんだが!? 命は奪わない主義なんじゃなかったのかよ!?」
目の前にいる男に弁明を求めた。
「確かに、ウチのギルドの掟じゃコロシは御法度になってる」
いつの間にやらバンダナを頭に巻き替えていた男は、相変わらずのニヤケ面で話す。
「でもその子はギルドの一員じゃないからね。あくまでボスが雇ってる奴隷だから、ルール無視して私刑執行しちゃっても、まあお咎めはないよね」
「奴隷だぁ?」
刃を当てられたままの俺はできる限界まで首を捻って振り向いてみる。頭のてっぺんしか見えないが、なるほど、こいつは間違いなく獣人だ。光沢のある黒髪から猫の耳が生えている。
ミミのように種族固有の特質があるのかも知れない。だとしたら、音もなく背後に回りこめたのもそれが理由なんだろうか。
「動かないでって伝えた。手、滑らせちゃうかも知れないから」
猫女が抑揚のない声音でぞっとするようなことを呟いてくる。
こうなってしまったら「我、不殺に殉ず」なんてぬるいことを言ってる場合ではないが、俺が剣でどうこうしようにも、それより先に女のほうがアクションを起こせるのは自明だ。
よって大人しくするしかない。
あ、これ。
過去最大のやばさなのでは。
いくら装備で補強されているとはいえ直に頚動脈をバッサリいかれたら死ぬに決まってるだろう。
「武器を手放して」
ぐぐ、これも従うしかないか……。
ツヴァイハンダーの柄にかけていた両手の指を離す。ズガン、という重量を感じさせる鈍い音を立ててそれは地面に落ちた。
「うわ、重たいなぁ。全然持ち上がらないよ」
男がそれをひきずるように回収し、壁際に寄せた。背はともかく体型は俺とそう変わらないから、そりゃ重いだろうな。
「ロア。もう脅すのはなしにしてよ。君は自由にふるまえるかも知れないけど、アジトでコロシが起きちゃった責任を取る覚悟は俺にはないんでね」
ここで俺はようやく解放される。解放、といっても縄で手を縛られた状態で、だが。
ただどうやら俺は、殺されはしないらしい。
首筋を脅かし続けていたナイフは下ろされ、真後ろにいた猫女が男の隣に並ぶ。
鎖帷子で全身を包んだそいつは、かわいらしい顔立ちをしているくせにロボットかよってくらい無表情だった。
ミミも表情は乏しいほうだが、あっちがぽやっとしているだけなのに比べて、こいつは感情が凍りついているかのような冷たい顔つきをしている。
猫のような風貌の男と、猫そのものの耳を生やした女。
二人揃って俺を見返してきている。
「いやあ、お兄さん、怯えさせてごめんね。この子はロアっていうんだけど、何がなんでもボスの身を守ることを義務づけられてるからさ。ちょっと強硬な手段を取りがちなんだ」
がち、ってなんだよ。たまに取らないとかあるのか。
「あ、ちなみに俺の名前はユイシュンね」
「そんなことまで平気でバラすんだな、お前。名前とかトップシークレットじゃないのか?」
「教えておいたほうが話しやすいからさ」
とらえどころのない男だ。とりあえず人懐っこい性格なことだけは分かるけれども。
しばらくの沈黙の後、俺への尋問が始まる。
「目的は何」
まずロアとかいう女から質問された。
「目的って、こんなとこまで来てる時点で大体察しがつくだろ。お前らが盗んだものを取り返しに来たんだよ」
それにだ、と俺は続ける。
「別に全員ぶっ殺して無理やり取り返そうだなんてするつもりはないし、実際してこなかったぞ。びびらせて道を開けさせたただけで傷つけてはいねぇ。返してくれさえすりゃそれでよかったんだ」
「うん、それは確かだね。無事を許されたのは俺もだったし」
ユイシュンは納得したように頷いている。
「でも、あなたは失敗してる。本当だったら死んでた」
情け容赦のない言葉を浴びせてくるのは睨みを利かせるロアの側。
「ぐっ、そりゃそうなんだが……だけどな、ちょっと話を聞いてくれ」
同僚の武器の奪還はこのままだと、しかしまだ交渉材料はある。
「さっきも言ったけど、俺はお前らのリーダーに話をつけにきたんだ」
「それがダメって言ってる」
ナイフの背を叩きながらロアが警戒心を表す。物騒だからやめろ、そういう仕草。
「武器を置いていくんなら、このまま帰してあげてもいいのに」
それだけでいいってマジか。あぶねー、下手に出まくって泣きつかずに済んでよかったー。
……なんて三下みたいなことを漏らして終われるほど、今の俺はゴミクズではない。成果主義の異世界での生活を経験して、少しは考え方もマシになっている。少しは。
俺は粘り強く訴えた。
「いやお前らにとってもいい話なんだっての! マジで! ヘマやらかしておいて頼むのもなんだが、とにかく一回会わせてくれ」
命が助かったのはもう本当に恐悦至極の限りなのだが、失敗したままで帰るのはダサすぎる。
武器も失い、信用も失う。結局最悪じゃねぇか。
面の皮が厚いことは自覚しているが、ここは道理もクソもなく押し通すしかない。通りさえすれば勝算はある。残された一手で逆転を狙うしか……。
「まあ、いいんじゃないかな?」
俺の必死さが伝わったのか、ユイシュンが肯定的な態度を示してくれた。
「でも」
「ボスだって暇してそうだしさ。たまには外の人間と喋らせてあげるのもいいじゃないか。今まで俺たちのアジトにまで来るような骨のある冒険者なんていなかったしね」
うおお、ユイシュン、お前はなんて素晴らしい人格の持ち主なんだ!
いや一目見た瞬間からいい奴そうだなとは思ったんだよ、窃盗犯やってるのが惜しいくらいに。よく見たらまあまあ男前だし……と俺は心の中でユイシュンへの賛美を送り続ける。
ロアは渋り続けるが、「主人のため」という誘い文句を受けてやむなく提案を呑んだようだ。
「……来て」
招かれる。当然、両手の自由が奪われたままでだ。
しかし「来て」と言われたはいいが少し歩いただけで行き止まりが見えてくる。
「なあ、本当にこっちで合ってんのか? 宝物庫もないし……」
先導するロアが無言で指を差して示す。
指した方向は横。つまり洞窟の壁なのだが。
「ああ、そういうことか」
そこには横穴が開いており、簡単な門のような木製の設備が取りつけられていた。
よく見ると反対側の壁にも横穴が穿たれている。そこに詰めこまれた大量の物資を見る限りだと、こちらはどうやら、件の宝物庫であるらしい。
門をくぐらされる俺。
小部屋の中はインテリアが取り揃えられており、一段と豪勢な装いだった。
そこにいたのは――。
「まあ。ご来客だなんて珍しいですわ」
ふざけた格好の女だった。