修也
消灯時間のせいで明かりは洗面台のみで細かいものまでは見えにくい中、就寝前の歯磨きをする修也がひとり。
その鏡から見える容姿は以前と変わって右半分が猫耳のような癖毛と薄い緑色の髪の毛に変化していた。
「まるで苗木みたいだ……彼女が何かしてくれたんだろうけど」
水で猫耳のような部分をぺたりと倒しても、低反発枕のように元の形へ戻っていく。
何度目かのため息を吐き、洗面所から暗い廊下を歩いていく。
いくつかある個室の扉を開けるとベッドに座っている芹に声をかけるが返事はない。それでも修也は彼女の側にある背もたれのある椅子に腰掛けて今度は声をかけることもなく本に目を通す。
互いに声はない。諦めている訳ではない。ただ前にあった事が彼女を傷つけた事を修也は知っているので、向こうが声をかけるまでは待つようにしているのだ。
そんな生活を日南休たちがいなくなってからずっと続けている。
「しゅー……」
「芹…!?どうした?何があった?」
彼女に触れないようにしつつも近づいて微かに聞こえる声に耳を傾ける。
「……」
「まだちょっと辛いんだ…分かったよ、また話せそうだった言って欲しい」
修也は再び椅子に座って芹が次の言葉を発するまで待ち続けた。
日が上り霧がかかった街に光が灯す。今日もまた日を跨いでしまった。修也自身に眠気はなく、あるのは少しもやがかかった感覚だけだ。
芹の声をそのもやで聞き逃さないように顔を洗いに個室の外に出るとインがあくびをしながら廊下を歩いていた。
「おはよう」
「ぬわあああ……ん?修也君か今日もお早いね」
「まあ。芹がいち早く元気になれるようにサポートしないといけないから」
「けど芹ちゃんが起きる代わりに君が倒れたら意味ないじゃないか。眠くないっていっても負荷は掛かってるんだから睡眠とりなよ?あと2個ぐらいベッドは個室内にある訳だしさ」
インの心配する気持ちは充分に伝わってくるが、今の修也にそれを受ける気はない。
「……全部を自分のせいと思って引きずると、キュウのようになるよ。引きずり過ぎた結果巨大人工浮島に対して敵対するっていう無謀な行動に出ることになった訳だし」
「それは別の白銀さんで、おいらたちが知ってるのじゃない」
「けど共通してる部分もある」
窓のない暗い廊下を足音を立てずに修也に近づいてくる。
「彼らも、ボクたちが知ってるキュウも力の意味を理解してなかった。その力を自覚しないまま自分の行動は正しいと思い込んで行動した結果幼なじみに全てを奪われた。まあその先の結果は違うけどね」
「変わったのは自覚をしたから?」
「それはわからない。運良く自覚をしきれてなくても成り立ってるだけかもしれないし」
「おいらも自覚はなかった。そこは子供だったと思う」
「みんな自分の力のことなんて自覚しきれてなんていないよ。僕自身自覚できた理由は窓原のおかげだし」
インは壁に寄りかかりポケットに手を入れると飴を取り出してそれを口に放り投げる。
「いる?」
「いいよ。ありがと」
ころころと口の中を転がして修也に視線を向けると、話すことの内容切り替えた。
「いつまでここに残る?ボクたちが消される可能性最近上がりつつあるよ」
現在進行形で修也たちへの物資の供給は減る一方だ。働いていないのだから働かざる者食うべからずということわざの通り減らされるのは当然だが、働く手段を奪われた状況でそれを言われるのは中々に酷だ。
「……ここを出る手段でも見つけた?」
「キュウの時みたいな方法でもいいけどそれは完全に動ける前提だ。芹ちゃんや刹那さんを連れての脱出は無理だ。窓原を呼んでというのもあるだろうけど、ここにだって医者はいるから外で治療したいと言ってもその人にやらせろってなるだろうね」
「誰かを抱き込んで船に乗せてもらうとか?乗ってしまえば窓原さんがいるわけで」
抱き込むとなるとインがいても問題ない人間でかつ港の人間を確保しないといけない。
ここは巨大人工浮島の人間を嫌っている以上、インを助けるような人間がいるのだろうか。イン側の人間はいるかもしれないが、元々人数が少ないのにその上で協力してくれる人がいるかが怪しい。
「最悪ボクを引き合いに出さなければ便宜を払ってくれる人はいるかもしれない」
「……」
他力本願でさえ出来るか厳しい現状がふたりの口を重くする。いけそうな話が出来たらと修也は言うとインに手を振り手洗い場に消えていく。
「ボクという存在がいつもみんなの首を絞める。窓原の時も、普通の人間として生きれる可能性のあった日本でも、ボクは常に過去のせいで他の人を巻き込んでる……」
壁に頭を寄りかからせ軽くぶつけて自分への恨みをぶつける。
「やっぱり僕は道具だから普通の生活を送っちゃダメなのか?今みたいに誰かに監視される生活しか」
———方法は用意できるかも知れない———
脳内に声が響く。思考内通信だ。インは右耳に手を当てて声に集中する。
「この声キュウ……いや口調が違う……別の人格?」
巨大人工浮島に行った方ならもう少し子供の様な声だしそれ以前にここ最近は思考内通信を使わない。
繋がった以上無視は難しいのでしょうがないとその声に返答する。
「どういう目的で?ここの中だったらわざわざ思考内通信を使う必要はないと思うけど」
———悪いね。今下に着いたんだけど先に声をかけておきたくて。君だって遊ぶ時集合場所に着いたら連絡入れるでしょ?———
「……煽りと見た方がいいのかな?」
———ごめんごめんって煽ってないから———
もし変なことを言われたら修也たちに危険が及ぶ可能性がある。インは声の主にこちら側から向かうと言って下の階に向かう。
2階と3階の踊り場の所で日南休と顔を合わす。
「ここなら思考内通信は必要ないでしょ。どんな方法で?それを行う為にこちらがやることは?」
『俺自身ここに居たく無くなってね。ここを出るついでに君たちを外に出したくて』
「そうして君へのメリットは?ボクに君の欲しい物を渡せるとは思えない」
『巨大人工浮島を崩す人材を内側からも欲しいんだ。いくら君の人脈が全盛期と比べて少なくてもそれでも少なくない』
「いくらボクの派閥でも自分の国がなくなるなんてこと了承出来る人がいると思う?ボクならいくら上の命令でも返ってくるものがないものの指示には従わない」
『君はお願いする立場だ。1人じゃ逃げることも生きることも出来ない』
まだコピー体があれば復活は出来るだろう。だがそれはインと呼べるかどうか分からない。窓原と共に戦争に参加していた時の記憶は確かに持っているが、あの時の人格が保持されているかは怪しい。
あくまでも第三者の視点で引き継ぐ様な感じだ。実感は無いしあの時の自分はそう考えたけど、今は嫌だなと感じることもある。
日南休からはそれを見切られているのだろう。だからそう言ったのだ。
「……」
『君に選択肢があるのかい?』
「選択肢が無いと分かってるなら最初からそういう行動すればいい。何故ボクに選択肢を渡す様な言い方を?」
『ご想像にお任せするよ。俺はただ従えと命令してるんだ』
「キュウ。君は巨大人工浮島潰す気ないね?」
命令という割には強く押し付けてこない。それにわざわざ1人で来る必要もない。大人数で脅しでもなんでもいいから無理矢理インたちを連れていけばいい。それでも従わないのなら日本であったことを芹や刹那に再びすればなんの問題もない。
人道的な意味では問題があるが、圧倒的な戦力差があるのだからそんなことにこだわっていられる状況じゃない。
『そんなことあるわけがない。俺をこんなにも傷つけておいて謝罪のひとつもない。あるのは彼女への憎しみだけだ』
「にしては殺意が少ない様に見えるけど?もしかして君は殺意が持ちづらいのかい?極東連合の基地をあんな無残にも出来る人間なのに?」
『……っ』
「君の殺意はボクのやりたくないという感情に負ける位のものなのかい?じゃあそんな程度ならやめてしまえ。いずれ命をかけることになるだろうここの人たちに申し訳ないと思わないのか!」
『うるさい!』
喉に手を当て声帯機をナイフへと変形させると、日南休は踊り場の壁を蹴り一気に3階へと飛び込んでインへとそのナイフを突き出した。