81.立つ鳥跡を濁さず
疲れが溜まっていたせいか、妙な夢を見たような気がする。
ログハウスのベッドの上で目を覚ますと、目の前に和葉の顔があったので俺は驚いて声を上げそうになった。
目をつぶって寝息を立てているところを見ると、まだ眠っているらしい。
「ひゅっぴー、ひゅっぴー」
「みょ、妙な寝息だな……」
笛を吹いてるみたいだ。まあいい。
俺に強く抱きついている和葉の腕をゆっくりと離して、起き上がる。
むにゃむにゃ言いながら、和葉は俺の腹に抱きついてきた。
和葉は、寝相があんまりよくないな。寝てるのを起こすのも悪いけど、どいてくれ。
ベッドの下を何気なしに見ると、就寝前まで、俺の横に寝るのはどっちだと争っていた久美子とウッサーが。
床の上で折り重なるようにして眠っているので、笑ってしまう。
仲がいいことじゃないか。
いつの間にこうなったんだろうな。こいつらも寝相がよろしくない。
それにしても、みんなよく寝ている。こいつら和み過ぎだ、ここだって一応は、ダンジョンなんだけどな。
もうすぐゲームクリアだ、ここも引き払うからこうしてみんなで飯を食って、寝るのは今日が最後だ。
しつこい和葉の手を離して、身を起こして不意に扉の前を見て、俺はまた驚いた。
アリアドネが、扉の前の椅子に座り込んでいる。
硬い木の椅子に、背筋をピンと伸ばしたまま微動だにしない。
目こそつぶってはいるが、両の手にエクスカリバーの柄を握りしめたままだ。
これ、寝相なんてレベルじゃないぞ。
この状態で寝ているとは、考えにくい。もう起きてるんじゃないか。
「おい、アリアドネ。もしかして、起きてる?」
「……いえ、眠ってはいます」
起きてるんじゃねえか。
金髪、妖精めいた長い耳。瞼をゆっくりと開くとその瞳は碧眼。
その相貌は、早朝の薄暗がりのなかでも、本当に生きた人間かと疑問に思うほどに整って見える。
「もしかして、不寝番をしたのか?」
俺がそう聞くと、アリアドネの碧い瞳が、早朝の薄暗がりの中でキラリと光った。
「いえ、ちゃんと寝ておりました。お声をかけていただいだ瞬間に目覚めました」
アリアドネは金色の前髪をかきあげて、さっと手櫛で髪を整える。
その顔色は、悪くないので、徹夜したわけではないのだろう。
「寝ていたにしても、随分と無理な体勢で寝てたんだな。ちゃんと布団で寝ないと、疲れが取れないぞ」
「妾は、硬い椅子か床の上でないと……とっさに起き上がれる場所でないと、落ち着いて眠れないのです」
聞けばダンジョンの冒険者だったときも、紅の騎士になってしまった頃に、ずっとそうしていたから癖になってしまったのだという。
俺もダンジョンの中では、硬い床で眠っているからわからないこともない。
しかし、ちゃんと柔らかい布団を用意してやってもそうしているというのか。
「そうか……」
内心で、こいつ凄いと舌を巻く。
生産系スキルをマックスまで育て上げた和葉が創りだした、『庭園』の弛緩した空気にも全く流されていない。
俺よりも、はるかに常在戦場の構えができている。
そうか、生まれながらの騎士とは、こういうものか。
これが、ジェノサイド・リアリティーの実戦で鍛えられた士道か。
俺のにわか武士道では、到達できない高みがあるようだ。
それが少し口惜しい。
俺の顔色を見て、不興を買ったと思ったのか、またアリアドネが俺の足元にすがりついてきた。
「何か、ご主人様をご不快にさせるような真似をしましたでしょうか。この下賎な端女めが」
「いや、いいよ。いちいち跪くな!」
せっかくカッコイイんだから、カッコイイままでいろよ。
アリアドネの厳しい生き様を見て、気合が入っただけだ。別に、不快になったわけじゃない。
さて、いよいよジェノサイド・リアリティーのクリアに向けて動き出すときだ。
最後の朝食を取って、我らが『庭園』ともお別れだ。
「なんだか、寂しいね」
最後のご飯も終わって、しなくてもいいログハウスの清掃と後片付けを終えた和葉が、そんなことを言っていた。
飛ぶ鳥跡を濁さず。和葉なりの、気持ちの切り替え方なのだろう。
俺も、名残惜しい気はしている。
ここのほんのつかの間の生活は、俺にとってもこれまでの陰鬱な人生より、よっぽど長くて実りあるものだった。
「和葉だって、家には帰りたいだろ?」
「私はもうここが家だと思ってたよ。なんだか今更帰るとか、変な感じがする」
元から帰る場所なんてない俺はともかく、お前達は家族のもとに帰らなきゃダメだろ。
和葉は、まだ高校生なんだからと言おうとしたが……臭いセリフだと思って止めた。
こんなセリフは、訳知り顔の大人が言うことだろう。
和葉の事情も何も知らないのに勝手なことを言って、また泣かれても嫌だし。
ダンジョンに篭って、もう日常に帰りたくないと思っていた俺が。
日常に帰れなんて、言えた義理でもないだろう?
「生きてる人間は、同じ場所にずっとは留まれないってことだろ。ゲームでも、人生でも、そういうもんだろ?」
「うん、真城くん。私は大丈夫だよ。真城くんが居てくれれば、私はどこでも大丈夫」
なんだかその言葉が、危うくて怖いんだけどな。
現実世界に戻ったとしても、俺はもう元の日常に帰るつもりも、学校に行くつもりもないんだぞ。
俺は、ここで覚悟を得たから、もう絶対に状況には流されないつもりだ。
どこに行っても、同じというのは俺もそうだった。
俺はどこでも、俺だけのジェノサイド・リアリティーを続ける。
だから、日常に戻る七海や和葉達とは、お別れになるに違いない。
それは今言うことではないと思っていたから、黙っておいた。
そもそも、一学年の百人以上が死亡したままで帰ったら、きっと学校どころじゃなくなるかもしれない。
まっ、帰ったあとのゴタゴタなんぞは、帰ってから考えればいいことだ。
帰れれるかどうかも分からんのに、心配してもしょうがない。
傍らでは、リュックサックにドラゴンステーキをパンパンに詰め込めるだけ詰め込んでいるウッサーがいる。
そんなにいらねえだろ。
まあ、残していってももったいないのか。
ウッサーはそれこそ、食料さえあればどこでも生きられれるみたいだし、もうクリアだと考えている俺のほうが甘いってこともあり得るか。
地下十七階以降は、泉も少なくなり食料があまり手に入らなくなる。
牢獄に囚われていたとき、ウッサーは乾き、飢えていた。
食いしん坊だと笑っていたが、食べられるときに食べておくのは正しい。
念の為に、水と食料を出来る限り確保しておくのは、冒険者として大事な資質なのだろう。
「ウッサーは和葉の護衛に付いてやってくれ。地下四階で下から降りてくる、七海達と合流すればいい」
「分かったデスよ」
うん、いい返事だ。
物分りのいい嫁は大好きだな。
「久美子は、街に戻って瀬木達を下まで降ろすのを手伝ってやれ。もう向こうも動き出してるかもしれないが、俺達は先に地下十七階、十八階を綺麗に掃除しておくから、どちらにしろみんな下で合流できる」
「分かったわ、またアリアドネだけ連れて行くのね」
久美子も一応は言うことを聞いてくれるが、揶揄されてる感じがする。
アリアドネを特別扱いするのかと言われても、こいつは生徒達から恨まれてるから、俺が連れてくしかないだろう。
あっ、それが庇っている。
特別扱いしてるってことになるのか。
深く考えないでおこう。割り振りは決まった。
七海達が六十一人で降りてくるのと、俺達のモンスターの大清掃、どっちが早く済むだろうかな。
集団が大人数になればなるほど、移動は大変になるはずだ。
計画通りにいけば、俺の攻略のほうが早い。
どう考えても、もう攻略の障害は残ってないはずなのだが、こういうのこそ悪いフラグというものだろう。
念の為に、七海達が最下層に来る前に、攻略をさっさと済ませておきたい。
「じゃあ、真城くん元気で!」
「ああ、和葉。下で会おう。七海に会ったらよろしく頼む」
強い連中はともかく、和葉を危険に晒すわけにはいかない。俺達が先に、危険を排除しておくべきだ。
そのために、アリアドネは使う。良し、頭を切り替えて攻略スタートだ。
「じゃ、アリアドネ。地下十六階の入り口まで二人で飛ぶぞ、残しているのは黒の騎士一体だけだったな?」
「はい、ご主人様。ボスの部屋に一体です」
アリアドネと二人で地下十六階のボスの部屋に飛ぶ。
黒の騎士団総本部のボスの部屋で、紅の騎士の代わりにボスをやらされていた黒の騎士は、むしろ哀れであった。
ボスの役をやらされているからといって、強くなるわけでもなく。
俺が孤絶を一振りするだけで、首を斬り払われて死んだ。
さて、地下十七階の攻略か。
寡黙なアリアドネは聞かないと答えないから、いちいち確認しないといけない。
「アリアドネ、確認しておくが。お前は、地下十七階と地下十八階は、ボス以外は殺ってないんだな?」
「御意です。妾はモンスター扱いであったため、ボス以外倒す必要もなければ、倒す時間の猶予もなかったのです」
「そりゃそうだな、時間がなかったのは分かる」
「ご主人様のお手を煩わせる結果となり、心よりの謝罪をいたします」
いや、俺としては、強いモンスターを倒せるのは嬉しいのだ。
むしろ、ボスを先に殺られてしまったほうが残念なぐらいなんだが。
「おい、いちいち土下座するな。足にまとわりつくんじゃねえぇ!」
「どうも申し訳ございません、どうかご不快であれば、この使えぬ端女の身体に罰をおあえたください……」
アリアドネは強い罪悪感のせいか、変な感じになってきてる。
だらりと床に身体を伏せて足にまとわり付く。さっきまでのビシッとした騎士の誇りはどこへ行ったんだよ。
不快なのは足にまとわりつくからだと、蹴って離したら。
なんか、ちょっと喜んでないかこいつ……。
これはもう、それで頬を染められると手も足も出ない。
こいつも、どうにかならんものかな。
「ええいっ、もういい。さっさとクリアしてしまえばいいんだ」
「攻略であれば、是非妾にお任せ下さい。ご主人様に、我が剣を捧げることができれば本望です」
御託はいい。
さっさと始めるから、起き上がれ。
「じゃあ、まず地下十七階のモンスターを全滅させるから、手伝え」
「御意!」
俺に命令されると、アリアドネは元気に立ち上がって、エクスカリバーの柄を握りしめた。
彼女には、ご主人様と言われて傅かれているものの、俺より良い武器を持った下僕を連れているというのも皮肉なものだ。
俺は、また武器を聖銀の長剣から、孤絶に持ち替えている。
やはり、俺にはコイツがよく似合う。
エクスカリバーと取り替えてやると言われても、俺はやはり孤絶を使いたい。
職業というのは、やはり本人の適性を見て決められているのかもしれない。
「アリアドネ、せっかくだから俺とお前どっちが多く倒せるか競争しよう」
「御意! ご主人様には遠く及ばないなれど、妾の力をお見せします」
どれだけ早く殺れるか勝負。
面白い、やっぱりダンジョン攻略はこうでないとな。
野太刀と長剣を煌めかせて、俺とアリアドネは地下十七階層へと足を踏み入れた。