57.脇道を通って
「上級 放散 刻限 敏捷」
俺が追加でスローの呪文をかけると同時に、古屋が超鋼の鉄鎖を投げつけた。
その攻撃は速すぎる。おそらく、弓を放つ間合いで投げたのだろうが、遠投された鎖は簡単に黒の騎士の黒死剣に叩き落されてしまう。
素人が、このクラスの敵に飛び道具ってのは効かない。
ゲームだと、かけた補助呪文は同じ集団に効いていた。
古屋にもスローの呪文が掛かっていればいいなと思いつつ、敵の喉元に思いっきり刀を突き刺す。
狭い通路だ、やれることは限られている。
ただ敵の急所を刺し貫くのみ。
微妙に手元が狂ってしまったのか、切っ先を差し込んでも黒の騎士は動き続ける。
「チッ」
クリティカルヒットしなかったからにはしょうがない。俺は、刀を一度引くと勢い良く叩き斬った。
それで前の一体は倒せたが、タイムロスだ。
続けざま、後ろからの一体が斬りかかってくる。
古屋と相対している黒の騎士がどうなったのかなど、確認している暇もない。
敵も、初級ながらスローの呪文を使っているのだろう。
集団で全員が重ねがけしているのかもしれない、動きは速い。だが、対応できないわけでもない。
両手に渾身の力を込めて、下段から眼の前の敵を斬り上げた。
俺の白刃と敵の振り下ろす剣とが擦れ合い、オレンジ色の火花が散る。
俺は、そのまま力ずくで強引に敵の抵抗を押し切った。
黒の騎士は俺を舐めていたのか、片手で剣を振るっていた。そこが間違い。
黒死剣がそのまま勢い良く跳ね上げられて、敵のガードがガラ空きになる。
ぶつかっていくように、体重を乗せて叩き斬る。
「うぉら!」
そのまま敵は後ろに押し倒す。
俺も前に踏み込んで、敵の頭に目掛けて切っ先を突き下ろす。
黒兜のスリットに突き刺さった刀から伝わる重い手応え。
ガシャリと、鎧が音を立てて崩れた。
衝撃と痛みはあるが気にする暇もなく、そのまま前へと跳ぶ。
もしかしたら、横からもう一体の攻撃があるかもしれないからだ。
振り返ってみると、古屋はまだ生きていた。
何度も何度も高速で振り下ろされる黒死剣を、腕に巻きとった超鋼の鉄鎖で辛くも受け止めているらしい。
上出来!
俺は後ろから思いっきり黒の騎士の首を斬り飛ばした。
「ヘヘッ、なんとか……生きてるゼェ」
身体中に深い切り傷を負っている古屋は、それでもアホなことを言って笑っている。まあ、大丈夫そうだな。
俺は腰のポーチから、上級のヘルスポーションのフラスコを取り出して古屋の口に放り込んでやった。
「黙って飲め……最上級 ヘルス」
次回からは、最上級でヘルスとスタミナをポーションを作って補充する。古いのは、古屋にくれてやってもいい。
そんなことを考えながら、古屋が回復する短い時間、周りを警戒しながら過ごす。
どうやら、先程の戦闘の音で新手が来るってことはないようだ。
どうも敵は思ったよりもバラけているようだ。七海達が命がけで逃げまわった甲斐もあったということか。
「お前、これからどうする?」
七海達の隠れている隠し扉がある通路や、地下六階に向かう階段はまだ遠い。
どこかの小さな部屋に隠れるか、いっそ地下八階に降りてしまったほうが安全なぐらいなのだ。
「このまま真城についていく。お前はスゲェ強いから、一緒にいれば助かる気がする」
「ハッキリ言っとくが、俺にお前を守る余裕はない。俺の目的は七海達との合流というより、七海達を探してうろついている敵の殲滅だ。俺に付いてくるほうが、危険かもしれないが?」
「どうせ、オレだけで黒の騎士とぶつかっても終わりだ。それなら、まだ真城の後ろに付いてたほうが安全に思えるゼェ」
「勝手にしやがれ」
このダンジョンに安全なんてものはねえんだよ。
そう注意してやる義理もないので言わない。俺が同行を許すってことは、そいつは死んでもいいって覚悟してるってことだ。
今のところ、古屋は囮としては役に立ってくれている。
減らず口を叩くのさえ止めてくれれば、同行していても敵殲滅の邪魔にはならない。
俺はソワソワキョロキョロしながら歩いて行く古屋を伴って、入り口の方角に向かってなるべく静かに歩いて行く。
なるべく脇道を通って行くよう気を付けているが、七海達が隠れている部屋まで行くのに、敵の団体さんに出くわさないかどうかは純然たる運だ。
そして、俺としては適度にバラけた敵とぶち当たって、敵の戦力を削ることができればベスト。
ほらもう一体来た。俺は、すかさず駆け寄って鎧と兜の隙間にスッと刀を通す。
気をつけて優しく喉を潰してやれば、鎧の崩れ方も静かになる。
だんだんと、音を立てずに敵を潰すのが上手くなってきたようにも思う。
「本当にスゲェな……」
相変わらず無駄口を叩いている古屋を注意する時間も惜しい。
通路の分かれ道に来るたびに、暗いダンジョンの通路の向こう側から、敵の気配を感じ取れないかと目を凝らす。
敵がこの先に居るか、居ないか。
いや、居るのは確かだ。その数や動向まで分かればいいのに、そんな便利なスキルは存在しない。
ただ何となく先の展開が読めるような気はしていた。
錯覚かもしれないが、次に出てくる敵の数やサイコロの目を数瞬先に予測できるゲーマーは存在する。優れたゲーマー特有の感覚。
それが、今は欲しかった。
ジェノサイド・リアリティーを狂ったように遊んでいた子供の頃、俺にはそれがあったような気がする。
死活を分ける通路選択で、勘が取り戻せれば……いや、どっちのルートもバッドエンドかもしれない。そんな嫌な予感がする。
だったら後ろに戻るか……。
ギリギリの命のやり取りのなかで、鋭利な感覚が研ぎ澄まされれば、俺は死なずに済むルートを見つけられるはずだ。
「なんてな……未来が分かれば、苦労はない。まあ、こっちか」
「おっ、おう」
古屋の奴だって殺さずに七海達のところに送ってやれれば、それに越したことはない。
どうしても助けたいってわけじゃないが、黒の騎士と二度も渡り合って生き延びた経験を積んだ戦士は貴重といえる。
だから、できればと思ったのだが。
そうは問屋が卸さないとはよく言ったものだな。
悪い予感ってのは、やっぱり的中するのだ。
前からやってくるのは四体の黒の騎士だった。
あるいは、もっと居るかも知れない。目に見えただけで四体。
一人で相手をするには明らかに、過ぎた仕事だ。
「おい古屋、全力で後ろに逃げろ。水にでも飛び込め」
「おいっ、殺るんだろ。オレは真城と戦うゼェ!」
バカがッ、どうしてこいつらはこうも死に急ぐ。
敵とこっちの戦力差も測れないのか、言い争っている暇はない。
「上級 放散 刻限 敏捷」
スローの呪文をかけてやる。
古屋は逃げるなり、戦うなり勝手にすればいい。あとはコイツの実力と運次第。サイコロでゾロ目が出れば助かるぐらいの確率だろう。
古屋を守ってやる余裕はないと言ってある。俺も、勝手に敵を殺るだけ。
孤絶を握る手に力を込めると、敵と相対した。
ありがたいのは通路が狭いこと。
目をつぶっていても、俺の渾身の一撃が当たる。敵の動きも、予測できる。
そこで、針の隙間ほどの勝機。
敵が四体であると仮定して、敵の動きが機械のごとく正確だとして、全てをクリティカルで倒せば、間に合う。
まず一撃、全力で前へと駆け敵の喉元に刃をスッと通す。
そして、刀をそのまま引かない――
崩れ落ちる鎧を、姿勢を低くしてそのまま力ずくで肩から突き崩して突入。その後ろの敵の喉元を諸共に突く。
確かな手応え。行けた、通せた。一刀で二体を貫けた。二輪刺し。
そのまま前へ。敵の集団の片翼をそのまま突き破ることができた。
その奥に敵はいない。敵は、残り二体。
その二体は、振り返って見ると古屋に殺到している。
俺はできる限りの速度で、片方の首を後ろから斬り飛ばしたが――
「クソッ」
何をやってやがる。
そこは足掻け、古屋!
超鋼の鉄鎖の守りを、古屋は完全に斬り崩されていた。やはり二体の相手は同時には無理だったのだ。
残り一体の黒の騎士の黒死剣が、古屋に振り下ろされようとしている。
「グエエッ!」
地面に仰向けに転がる古屋。もはや為す術もなく、カエルが潰されるような悲鳴を上げて、止めてくれと両手を上げる。
黒死剣が振り下ろされれば、アイツは腕ごと真っ二つに斬り殺される。
一歩、間に合わなかった。
やはり、こんな――
――なっ?
その時、古屋に黒死剣を振り下ろそうとした黒の騎士が動きを止めた。
ポンと、上に黒兜が、黒の騎士の首が弾け飛んだ。
「なんだ!?」
「間に合ったわね」
ダンジョンの薄暗い闇から姿を現したのは、銀色に輝くミスリルのクナイを握った女忍者だった。
飛び道具で、黒の騎士の首を落としてみせたのだ。
「久美子、か……」
「助か……ゼェ!」
さすがに肝が冷えたのか、軽口を叩く元気もないのか弱々しい悲鳴。
崩れ落ちた鎧を全身に浴びて、頭のすぐ近くに転がった黒死剣を目を剥きながら、古屋は硬直している。
「正統ヒロインは、ピンチのときに現れるものよ」
「どうせ隠れて、俺達がピンチになるの待ってたんだろ」
涼しい顔でクナイを油断なく構えている久美子だが、そういう演出だってやりかねないふざけた奴でもある。
見ていると、足先で崩れ落ちた黒の鎧を脇に退けている。
黒の騎士がウジャウジャ居るこの階層で、呪いのかかっている鎧を片付けているような場合じゃないわけだが。
それでも久美子は、散らかってるのが気になるようだ。
「あら失敬。ここで遭遇できたのは本当に偶然よ。私が来なかったらそこで転がってるカエルは死んでたわよね」
「九条さん、古屋です……」
「死んでたなカエル、久美子に感謝しとけ」
「真城まで酷い……でも、ありがとうございます」
「まあカエルはどうでもいいわ。ワタルくんは七海くんのグループを囮にして、黒の騎士団の戦力を削るつもりでしょう」
「お前良く分かったな」
相変わらず、俺の脳みそのなかを覗いてるんじゃないかという怖さがある。
俺の顔色を見て、また俺の思考を窺っているのを感じる。
「フフッ、ただの推理よ。私も七海くんから『遠見の水晶』を預けられているし、状況は把握してる。七海くんだって、バカじゃないんだからそのうち私達の動きに気付く頃でしょう。そして、敵だって削られていることにそのうち気付く」
「それは、そうか……」
そろそろ敵が戦力を削らていることに気がついて、まとまり出す頃か。
犠牲が最小限に抑えられている今が潮時といえる。
「私はこれまで、黒の騎士を三体は屠ったわよ」
「俺はそこに転がってる古屋が囮になってくれたおかげで七体と……さっきので四体、いや一体は久美子だからだから十体か」
戦果を誇る俺に、久美子は形の良い眉根を顰めた。
確かに俺達は大きな戦果を上げたが、完璧な隠密で行動しながらクナイで安全に狩りをした久美子に比べて、危ない綱渡りをしたと思っているのだろう。
それぐらいは、俺も久美子の気持ちを察せられる。
心配は余計なお世話だけど、でもその後に地面に転がってる古屋を睨みつけるのがよく分からない。
「古屋もさっさと起きろ。せっかく久美子と合流できたんだから、このまま一気に七海達のところにいってこの階層を離脱するぞ」
「お、分かったゼェ……」
さすがに死にかけたことで元気が無いのか、スタミナが切れてるのか、疲れた顔でよろよろと立ち上がる。
俺が上級のスタミナポーションを投げてやると、慌てて受け取って飲み干した。大丈夫そうだな。
「さてと、行くか」
「このまま敵の親玉の紅の騎士ってモンスターも、私が倒せるといいんだけど」
そういえば、久美子はまだ紅の騎士に当たってなかったな。
軽く見てるようなので言っておく。
「久美子、お前が高ランク忍者で強いのは認める。だが、紅の騎士には、お前の得意の飛び道具は通用しないぞ。隠密も軽く破られる。ケタ違いの強さだと覚悟しておけ、俺が地図に併記してやったモンスターデータは読んでるか」
「読んでるけど、どうして紅の騎士には、飛び道具が通用しないの?」
「さあな、最下層のモンスターの詳細データは謎に包まれている……というか、そこは昔のゲームだから設定がいい加減なのかもしれない。ほら上の方は最初だから設定を凝るけど、後半面倒くさくなってきて適当になるってあるだろ」
「ないわよそんなの、最後までキッチリ作りなさいよ」
優等生は、これだから困る。
「ゲームのジェノサイド・リアリティーだと、地下十六階に忽然と呪われた黒の騎士団本拠地があるって感じだから……」
「そこは全部リアルになってるんだから、何らかの理由があるはずよね」
後半は設定がいい加減で考えを止める俺に対して、久美子は納得行かないらしい。この女子は、分からないことを分からないで置いておけない質なのだ。
絶対に理由があるなんて言い出したら、なんで中世風の街にファーストフード店があるんだよって話にもなるんだけど。
「ボスがほぼ魔法攻撃を無効化したり、一切の飛び道具が通じないのは、そんな倒し方されたら面白くないからだろう」
「そんな理由はないわ。絶対何か理由があるはずよ、それが弱点になるかもしれない」
「設定がいい加減というのは、俺が勝手に言ってることだから、もしかしたら深い理由があるのかもしれない。ただ俺だって、ゲームのときのジェノサイド・リアリティーの情報は集められるだけ集めたつもりだから、現状で推理するにもデータ不足とは言い切れる」
レトロゲームマニアを舐めないで欲しい。
英語の成績が良くない俺が、英語を読めないにもかかわらずアメリカの攻略サイトを、何を書いてあるのか全部分かるぐらい必死に繰り返し読み込んだのだ。
久美子が考えつくようなことは全部考えている自信はある。その上での、分からないだ。
一番詳しいはずの俺が分からないと自信を持って断言しているのが分かると、久美子は肩を落とした。
「どっちにしろ、ゴチャゴチャ言ってる場合でもない。紅の騎士を見かけたら離脱しろ。いやお前が離脱しろってだけじゃなく、俺も即座に離脱する。分かったか?」
「分かったわ」
俺が真剣に言っているのが伝わったのか、久美子は素直に頷いてくれた。
久美子は『アリアドネの毛糸』を持っている。だから、本気で逃げれば逃げられるはず。
それはいざというときは、古屋を見捨ててでも逃げろという合図でもある。
言われている古屋は、ヘラヘラ笑っているから気がついてないだろう。
「じゃ、その方針で行く。久美子が入ったから、四体までなら狩れるだろう」
「二人とも待ってくれぇ」
地下六階の階段の方角にある、七海達が隠れている部屋に向かって再び動き出す。
その俺と久美子の後を、古屋がオドオドとついてくる。成り行きとはいえ、奇妙な即席集団ができてしまったものだ。