51.剣聖へのランクアップ
俺は、驚きのあまり心臓が止まりそうになった。
地下十一階から、地下一階への転移。いつも通り、目立たないように一階の安全地帯に飛んだのだが、その直後ロングの黒髪をなびかせた少女が、闇の中から出現した。
全身を包む赤いエフェクトが見えたから隠れていたわけではなく。
久美子は俺と同じようにこの場に転移してきたようだ。
「お前、どうやってここが分かった!」
「ワタルくんが考えることなんて、私にはお見通しよ」
久美子のことだ。
俺がここに飛ぶと予想していたのは十分にあり得る。しかしそれなら、待ち構えているはずだ。偶然、ほぼ同時刻に飛んでくるなんて、ありえない。だとすると思い当たる可能性は……。
「お前もしかして、もしかして俺を付けていたのか!」
「フフッ、どうかしらね」
久美子が含んだ笑いを浮かべる。
こいつ……いつから俺を付けていた。ほぼ同時に転移したんだから、地下十一階に久美子は居たのだ。
俺が、十一階の扉の前で感じた嫌な予感って、扉の向こう側じゃなくて、久美子の後ろからの視線だったんじゃないか?
同じ上級職、忍者である久美子はすでに俺のワンランク上をいっている。こいつが本気で隠密して息を潜めたら、隠密暴きの魔法でもかけない限りは察知できない。
俺が猪人間どもと死闘を繰り広げていたとき、こいつはずっと後ろから見てたんじゃないか。
そう思うと俺は全身の血が凍った。付いてくるとかこないとか、これはもうそういうレベルじゃねえぞ!
「久美子、お前……付いてくるなよ!」
「何よ、私は付いて行ってなんかいないわよ」
「だってお前!」
「ワタルくんと一緒のように、勝手にソロプレイしてるだけよ。たまたまその前をワタルくんが歩いてただけ。ああそうだ、ワタルくんが出現させた宝箱全部開けてアイテム回収しておいたから、欲しいのある?」
じゃらっと、無限収納のリュックサックから大量の宝石や金貨とともに、アイテム類を取り出す久美子。
後から付け回しているくせに、こいつの理屈には反論しずらい。
俺に付いてくると言い張っても、転移されて逃げられると分かっているから俺の行動を先読みして付け始めたのだ。
しかも、俺と同じソロプレイをしているだけという格好まで付けている。
「いらない……」
お前の勝手にしろという言葉が口をついて出そうになって、慌てて黙った。
勝手にされたら、こいつは何をやるか分からない怖さがある。むしろ、俺の眼の届く範囲で監視したほうが良いのか。
いや、それをやったら久美子の思うがままになる……ではどうすれば。
「そうじゃあ、とりあえず私がもらっておくわね。欲しいものがあったらいつでも言ってね」
「アイテムはいらないから、俺を付け回すのはやめろよ」
「じゃあ、いつも見てるわね……」
クスクスと笑いながら、久美子は再び闇に姿を隠した。
久美子の隠密は、俺のランクでは見破れない。何のホラーゲームなんだよこれは!
ランクアップだ……。
俺の希望は、もうランクアップしかない。
久美子と同列の上級職になれば、隠密は崩せる。
俺は、相変わらずダンジョンの出入口の前で立って「何者だ!」と、誰何してくる生徒会執行部(SS)を無視して、信託所へと急いだ。
信託所の御影石に、祈るような気持ちで手を添える。
『剣豪から剣聖にランクアップしますか? YES/NO』
「良し、イエスだ」
良かった、あと少しでランクアップという俺の予感は間違って居なかったらしい。
「久美子残念だったな、これで俺を付け回すことは……むっ?」
そう思って、振り返ると後ろにいる久美子の気配と一緒に、もう一つの気配があるのが感知できた。
俺は、隠密外しの投げナイフを投擲する。
「ぐっ!」
「お前は……確か笛吹ってやつだったか。性懲りもなく、神宮寺に命じられて俺の監視かよ」
笛吹大輝という執行部の高レベル盗賊、まさかご自慢の隠密が見破られると思っていなかったのか。
しどろもどろになって、とんでもないことを言い始めた。
「違う! ……僕はお前に、個人的興味があっただけだ」
「やめろ、その言い訳はなんか怖い!」
ダンジョンの人の出入りは執行部が監視してるから、そこから付けてきたのは分かっているのだ。
笛吹は、どうせ俺が街に来たら、ステータスを探れとでも命じてられているのだろう。
こそこそせず神宮寺本人がくれば、基礎ステータスぐらい見せてやるのに。
それを部下に命じて、相手に悟られずに情報収集しようとする辺りが気に食わないので見せてやらない。
さすがに、咄嗟の言い訳が無茶苦茶すぎると自分でも感じたのか、眼をキョロキョロさせた笛吹はそのまま脱兎のごとく逃げていった。
開き直られて、「お前のことが好きだったんだよ!」とかやられるよりはよっぽどマシなので放っておく。
街の中はネガティブ行為禁止なので、下手に絡まれると困ったことになる。
まとわりつかれたら、そっちのほうが面倒だ。人の好意というものは、悪意よりもよっぽど怖い。
「久美子も、いい加減にバレバレの隠密はやめておけ」
「つまんないわね、もうバレるようになっちゃったのね」
久美子は、隠密を解いて出現する。
こいつには、もう絶対ランクが負けないようにしなければならない。
『真城ワタル(しんじょうわたる) 年齢:十六歳 職業:剣聖 戦士ランク:中級師範 軽業師ランク:中級師範 僧侶ランク:専門家 魔術師ランク:下級師範』
御影石に表示された基礎ステータスにさっと眼を走らせる。
剣聖へのランクアップなど、本来なら厳かな思いで迎える一大イベントなのに、ストーカー連中のおかげで台無しだ。
この短時間に、ランクのほうも下支えができてるので満足。
本来なら、十分単独クリアを狙えるランク。だが、まだまだ戦闘経験値を積むつもりではいる。
あの紅の騎士とも、タイマン張れる能力値になっているといえるが、ランクだけの戦いではなくなっている。
向こうもどんな方法で戦力強化を図っているか分かったものではない。
俺のついでという感じで、久美子も何気なく信託所の御影石を弄っている。
動きが止まったので、俺は慌てて覗きこんだ。
「おい……お前まさか、またランクアップしたわけじゃないだろうな!」
「してないわよ、あんまり変わってないけど」
『九条久美子 年齢:十六歳 職業:隠密 戦士ランク:下級師範 軽業師ランク:中級師範 僧侶ランク:専門家 魔術師ランク:専門家』
良かった剣聖と同列である隠密のままか。
基礎ステータスは、まだ俺のほうが強いが、さすがに久美子も単独プレイしているだけあって成長のバランスが良い。
そのうえで、猛烈に追い上げてきている。
なんで、死闘を繰り広げた俺の後を付いてきただけの久美子が、こんなにランクアップしているのか。
ランクの上がり方の計算式から行くと絶対におかしいように思うが、素質の違いなのか。
それは久美子も訓練を怠っていないということなのだろうが、能力値でもピッタリと後ろを付かれていると思うと薄気味悪い。
「俺は、買い物に行く」
「あっ、待ってよ!」
もののついでだ。『庭園』の和葉のところに、消耗品を買って持って行ってやつことにしよう。
ジェノサイド・リアリティーの街には本当に多彩なショップがある。薬局や、雑貨屋だけならまだしも、ファーストフード店まであるゲームっていうのは珍しいのではないだろうか。
しかも、そのほとんどがゲーム上では全く効果がないときているのだから、遊び心にしてもやり過ぎの感がある。
現代文明でしか生産されない生活用品が手に入るのは助かるのだが、街の製品はどこから生まれてきたのかは気になる。
説明としては魔法でということになるのだが、このダンジョンの創造主はどうやって西暦1989年当時の地球の文明の知識を得たのだ。
街が中世風であるだけで、ウッサーたちの文明が中世レベルだと決まったわけでもない。
俺達転移者ではないウッサー達は、街に溢れるアメリカの(あるいは日本の)製品を見て、どういう理解をしているんだろう。
「久美子、そういやウッサーはどうした」
「デカチチウサギなら、貴方の言いつけ通り、木崎晶と一緒に弱小集団の護衛についてるわよ。あの子、なりは兎だけど中身は犬かもね」
「どういう意味だ」
「私は、あんな従順な女にはなれないってこと。ワタルくんを信頼はしても、信用はしないわよ。私が見てないと危なっかしいもの」
「好き勝手言ってくれる……おっと、安全カミソリを買っておかないと」
「それ、ワタルくんが囲ってるあの女、七海副会長の幼馴染とかいう竜胆和葉に買ってるのよね。ワタルくん髭なんか剃らないでしょ」
注文のボタンを押してホイホイとリュックサックに放り込んでいた俺は、チラッと視線を走らせる。
相変わらず鋭いなと思うのだが、なんか久美子の表情は不満そうだ。
「そうだよ。あの分だとなんでも自分で作ってしまいそうだが、生活用品はあったほうが良いだろうから。そうだ久美子、女の子ってどういうものがいるんだ」
なんで焦ってるのか自分でも分からないが、機嫌が悪そうに口を尖らせる久美子に向かって誤魔化すように俺は聞いた。
実際、女の子の日用品に何がいるか分からないってこともあるんだけど。
「だいたい今ワタルくんが買ってるので正解よ。強いてあげるならハンドクリームとか、ヘアスプレーは?」
「なるほど、気が付かなかった」
ジェノリアの街は、こんなものまで売ってるんだな。
なるほどダンジョンで、やたら髪型を綺麗に整えているお嬢様方もいたがこういうものがあるからか。自分が使わないものというのは、目の前にあっても気が付かないものだ。
「でもワタルくんは気が付く方よ。生理用品も買ってあげるとか、凄いわよね」
「口に出して言うなよ……女にはいるものだろうが!」
「そこまで気付く男が凄いっていってるの。揶揄してるわけじゃなくて、ワタルくんはちゃんと気遣いができる男よね。普段はやろうとしないだけで」
「褒めてるつもりかもしれんが、その私は貴方のことを分かってるって口振りは癪に障るんだけどな」
「少なくとも、ワタルくんよりはワタルくんのことを分かってるつもりよ」
「ほぉ、いつも見てるからか?」
久美子は俺の気を引くのが上手い。
女の繰り言ならスルーしようかと思ったが、耳を傾けざるを得ないところがある。
「それは冗談だから、混ぜっ返さないでよ。私が言いたいのは、あの竜胆って女がワタルくんを堕落させてるかもしれないってこと」
「俺が堕落だと、聞き捨てならないな」
「ええ、聞き捨ててもらっては困るわ。例えば、これを見てよ」
久美子はゴソッと、雑貨屋のテーブルの上にリュックサックから大きな肉塊を取り出した。
綺麗に切り分けられた肉は、初めて見るのもなのに俺はにはお馴染みに見えた。
「これは、狂牛の肉か。それと、こっちは猪神の肉だな」
「よく見分けが付くわね。暇があったから取っておいたのよ」
見た目は似ているが、枯れ草色の毛が生えている狂牛の皮と、金色の毛が生えている猪神の皮では色が違う。ゲーム通りの色合いだ。
どちらも、食べられる肉である。久美子がいつの間に狩ったのか考えて、すぐに思いついた。猪人間の騎兵を殺したときに、討ち漏らした狂牛だ。
討ち漏らしたのをあとで狩ろうと思っていたのに、居なくなったなと少し気になっていたのだ。
すぐ忘れてしまったが、久美子が本当に俺を付けていたという証明である。
「俺が取り逃がした狂牛を狩ったか」
「これって食べられる肉でしょう。しかも栄養価が高い食料だって、自分でそう地図の説明に書き入れてたわよね。それなのに、あんな小さなお弁当で満足して獲らなかったのは甘くない?」
「そうは言われても」
「前のワタルくんなら絶対獲ってたわよ。ワイルドさが失われている!」
俺が和葉の料理にこだわるのは、料理スキルによる能力値のプラス補正があるからだ。
別に美味いものを食べたいから……というわけではないはずだ。
しかしそうか、食材をそこで獲らなかったのは『庭園』にいけば、いつでも食い物があるだろうと言う甘えがあるとはいえる。
なるほど、久美子の指摘も、まんざら口からでまかせではないか。
「だから、私もそこに連れてってよ。竜胆和葉を囲ってるところ」
「久美子にしては安い煽りだ」
和葉を警戒して不快感を剥き出しにしている久美子を連れて行っては、余計なトラブルになりかねない。
ただでさえあそこは俺のとっておきだから、他人を入れたくない。
「場所の秘密なら守れるわよ。私ほど秘密を守れる人間もいない」
「そうは言っても……」
久美子の言うことは、確かにその通りだろう。
有能な完全主義者である久美子は、迂闊さがない。久美子は俺を信用できないと言ったが、俺は少なくとも久美子の能力を信用している。
もちろん、能力を信じるだけで信頼はしないけどな。
俺は、誰も信頼したりはしない。
「ワタルくんをよくみている私がそう言ってるのよ。竜胆和葉って女は、ワタルくんを鈍らせてる」
その久美子の意見は、俺が内心でちょっと感じていたことだけに胸に突き刺ささった。
こいつがそう言うのだから、そうなのだろう。俺は鈍くなっていたか。
「竜胆が使う便利なスキルには、そういうデメリットがあるかもしれないと言うことか」
「そういうことになるのかしら。役に立つのは分かるけど、気が付かないうちに便利さに溺れてしまう、その可能性は否定できないわね。だから、私が見て危険がないか確かめたいとそう言ってるの」
挑発するように、久美子は微笑みかけてくる。
料理スキル補正は、まだ被験者が少ない、効果を確かめるために久美子も利用したほうがいいか。
和葉の作る料理に強い効果があるのは確かなのだ、いっそ久美子にも食べさせたほうが安全になるだろう。
下階層を一人でうろつくのはやめろと言える立場ではない。だが……。
「じゃあ、竜胆がお前を連れて行っても良いと言ったら、連れてってやってもいい」
「そう、じゃあそれでいいわ」
あっけなく頷いたものだ。
和葉は引きこもり状態になっている。ほとんど知りもしない久美子を連れて行くと言って了承するわけがない。
自分の意志ではなく和葉の意向を断る道具に使おうと、俺は『遠見の水晶』を取り出して和葉に呼びかけた。
「……真城くん!」
「おう、竜胆。居てくれたか」
俺は手短に、久美子がそっちに行きたいと説明した。
「九条さんって、生徒会の?」
「そうだ、その久美子だ。七海と同じ生徒会だから、というか有名人だから名前ぐらいは知っているだろうと思うが」
「ふうん、いいよ」
「えっ、良いって連れて行っても良いってことか。嫌なら断ってもいいんだぞ」
ちょっと思案げに俯いて俺から目線をそらせた和葉は、「九条久美子さんを連れてきてもいいよ、私もちょっと会って話してみたいから……」ともう一度つぶやくと、唇を硬く閉じた。
うーん、あんまり喜んではいないようだが本人が良いというものはしょうがない。
通信を切ると、久美子に『庭園』までついてきてもいいと告げた。
俺達の会話を聞いていたのか、久美子は曰くありげに微笑んでいる。
なんだ、含みがあるなら言えよ。
心理学の本をたくさん読んだ俺だが、女の表情から気持ちを読み取るスキルはない。
「まあいいや、それじゃ」
俺が久美子に移動を促そうとしたとき、「うわあああ!」と大きな声が聞こえた。
ドタドタドタと、サムライブレードを振り回した剣士が、砂煙を上げて駆け寄ってくる。
その特徴的なモジャ頭は、御鏡竜士だ。
久しぶりに見かけたのに、スッと名前が出てくる。
忘れたくともこいつのジャガイモみたいなコミカルな顔は、なかなか忘れられるものではない。
益荒男の鎧を着て、黒いマントを纏っている。割りといい装備してるな、こいつも侍だったのか、それとも俺に対抗してクラスチェンジしたのか。
「いたー、真城ワタルぅぅ!」
「いたが悪いか」
なんか、こいつも面倒な予感する。
どうせ、同じ侍になったから孤絶を寄越せとか、またイチャモン付けてきそうだ。
まあ、こいつが何を言ってきても無視するだけだが。
「お前、委員長とやったのかよ!」
「はぁ、委員長って誰だよ」
予想外の角度からイチャモン付けてきやがった。
いや、委員長ってマジで誰だよ。やったってなにを?
「うあああん、バカやろ、このやろぉぉ! とぼけるのもいい加減にしろ。クラスの委員長ちゃんと言えば、竜胆和葉タンだよぉぉ!」
「ああそうか。いや待て、竜胆が付いてた役職は確か級長だろ……」
「そんな呼び方どっちでもいいんだよ!」
「いや、俺もそれはどっちでもいいと思うけど……」
御鏡自体は、何を喚いてても子供がダダを捏ねているだけだと思ってスルーできるが。
なんか言い方がいちいち、気に触ってしょうがない。わざとやってんのか。
「それより、やったのかって聞いてんだ。神宮寺くんから聞いて知ってるんだぞ。僕が助けようとしてた和葉タンをどっかに連れてったのはお前だって」
「それは、確かに保護したのは俺だが」
そうか、俺はすっかり忘れていたが御鏡竜士も同じF組だったな。
級長としての和葉を知っていてもまったくおかしくはない。
「ああっ、考えたら気が狂いそうだけど、これはもう和葉タンがやられたわ! やられたに決まってるぅぅ!」
「だからさっきからなんだ、やったって何をだ」
「高校生の男女がやったっていえば、セックスしかないだろ!」
「……」
あまりのことに、俺は絶句した。
ギリッと何かが強くこすれる音がしたので横を見ると、久美子が強く拳を握りしめて唇をわなわなと震わせていた。うわー。
「クソォォォ、やっぱりセ、セ、セックスしやがったあぁ! ウサ子だけに飽きたらず、僕の和葉タンともやりやがったんだ!」
「いや、どっちもやってないから」
あと、いつ和葉がお前のになった。
俺はいいけど、七海修一に聞かれたら普通に殺されるぞ。
「なんでいっつもお前は僕の狙ってた子ばっかり……鬼か、鬼畜なのかぁぁ!」
「……」
自分で決めつけて感極まったのか涙まで流しているモジャ頭は、聞く耳持たねえ。
あーあ、やっぱりこいつ、アホなんだなと俺は思った。