25.炎の回廊
地下八階に降り立つと、そこは灼熱地獄だった。
ところどころに、赤々とした溶岩が流れだして、上を歩くとダメージを受ける。
「こうしてリアルで見ると凄い光景だな。地下水のエリアの下がこれって、上の水が沸騰して蒸発しないもんかね」
そういう魔法なのだろうか。
あるいは、水が上に溜まってることで上階への影響がシャットアウトされてるとかもあるのかな。
そういえば、上の水はちょっと生ぬるいような気もしたな。
適度な温水のおかげで、ピラニアとかが繁殖しているのか。
「どうせだったら、ワニも飼えばいいのにな。ついでにバナナの木も植えるといい」
俺はのんきなことを言いながら、溶岩の上を平然と歩いて進む。
歩くたびにジュッと嫌な音を立てるが、ダメージはない。『水精霊のブーツ』を履いているからだ。
普通に装備としても高性能なのだが、このレアブーツの一番の効果が炎の回廊のダメージを無力化するということである。
ブーツを付けている部分だけは、炎の攻撃に対して無敵になる。
『水精霊のブーツ』で踏むと、そこだけ溶岩が冷え固まって黒い岩となっている。
時間が経てば、戻ってしまうのだろうがこんな感じでずっと行ける。
この地下八階層は溶岩の吹き溜まりが邪魔をして、避けるとジグザグ道を延々と歩かされるのだが、こうやって直進できればかなりの近道ができる。
七海の集団と競争状態になっているので、このアドバンテージはかなりありがたい。
「ウオオオォォォ!」
いきなり、そんな雄叫びを上げた火だるまの男たちが、向こうから溶岩の上をジュッジュッと肉が焼ける嫌な音をさせながら突っ走ってくる。
ちょっとビビるが、炎の塊ではなくただ身体を炎上させている人間で、さほど強い敵ではないはず。
「ファイヤーファイター!」
そういう名前のモンスターである。
ただ身体が炎に焼かれている男が飛びついてくるというだけなのだが……実物を見るとめっちゃ怖い。
「ウオオオォォォ!」
「わけわかんねんだよ、死ねッ!」
俺は『孤絶』を振り回して斬り続けた。斬り伏せれば、拍子抜けするほど簡単に断ち切れる敵。
こいつらの攻撃は、ただ叫びながら駆け込んでこっちに飛びついてくるだけ、意味がわからないから不気味で怖い。
なんか行動がゾンビに似ている。
しかも、地下四階みたいにジワジワ来るゾンビじゃなくて、全力疾走してくるタイプのモンスターだ。
「ウオオオォォォ!」
「クソッ! 死ねッ!」
武器すら持たず、自分の命を度外視して訳の分からない自焼攻撃を仕掛けてくる。まったく気狂い染みている。
特に怖いものはない俺だけど、こういう系統の生物なのに反生物的な動きをするモンスターだけは苦手だ。
例えば、頭がなくてどっちが前か後ろかも分からない蜘蛛とか。
昆虫は嫌いではないのだが、何を考えて生きているのか意味がわからない動きをする生物は、なんか気持ち悪く感じる。
これは逆に、恐怖症を治す良い機会とも言える。
俺は、呼吸を整えてことさら心を静めるように努める。むしろどんどん来いという覚悟で、火だるまになりつつ突っ走ってくる男たちを当たるを幸いに斬り続けた。
勢い良く突っ込んでくるものだから、叩き斬ってやった腕や足やが俺の身体に激しくぶつかってきたりするが、その衝撃にも気持ち悪さにも耐える。
こういう攻撃に、生理的な嫌悪感を覚えてしまえば、それが隙となるかもしれない。
小さな隙がその先、致命的にもなりかねないのだ。
不動心、どんな意表をついた攻撃にも怯えない心を持たなければならない。
「ウアアアァァァ!」
「ハッ、それだけかよ!」
斬れば死ぬ。
この手の人型の敵であれば、刀で首を断ち切るか心の臓を一突きすれば呆気無く死ぬのだ。
その単純な事実を、その単純な働きを、身体に覚え込ませることで恐怖は消える。
立ち向かってくる敵は殺す、思うより速く敵を殺す。
気がつけば、辺りは燃え爛れた肉の山と化していた。
罪人が炎に焼かれる灼熱地獄と言うものがあれば、まさにこういう光景であろう。
「さしずめ、俺は地獄の鬼というところか」
床が溶岩なので、膝は付けない。俺は壁に背中を押し付けたままで息を整えて、ポーションでヘルスとスタミナを回復した。
「よしっ」
次に行く。この階層は、ボスの部屋まで危険な敵は出てこない。精神の鍛錬も兼ねて、出来る限り休憩は挟まずに進むことにした。
俺は、武器を『孤絶』から霊刀、怨刹丸に持ち帰る。
予想通り進んで行った先に現れたのは、炎精霊であった。
一つ上の階に居た水精霊の親戚のようなモンスターだが、こいつらは炎の蜥蜴のような形をしている。
サラマンダーってやつだろうか。
気をつけないといけないのは、こいつらも精霊で魔法でしか殺せないということだ。
「フォーフォー」
妙な叫び声と共に、炎精霊は口から炎球を吐き出す。下級の大きさだが、一気に二発飛んできた。
「やはり無詠唱か、羨ましいな」
俺は、飛んできた炎球を避けつつ走り、懐に入り込むと自分も左手をかざして炎球の呪文を叫んだ。
「下級 炎 飛翔!」
眼の前で、同ランクの炎球がぶつかり合って相殺される。
敵は一回に二発撃つので、一発は当たってしまうのだが、それは『減術師の外套』で受けて、怨刹丸を振る。
二回振るったところで、炎精霊の姿が煙となって掻き消えた。
霊体は、殺したという確かな手応えがないのが寂しい。
「その代わり魔術師との戦いの訓練にはなるな」
重い野太刀を振る速度はかなり向上したと思うが、無詠唱のスピードにはついて行けない。
だからこそ、魔法を撃ちあう訓練はもっと必要だ。死なない程度に、炎球を受けるのは対炎防御を上げる鍛錬にもなる。
「おっ、もう二体来たか」
角を曲がったところに現れた二体の炎精霊に向かって、俺は下級の炎球をなるべく連射しながら、走りこんで斬り刻んでいく。
一つ潰して飛んでくる炎球は三つ。
辛くも避けた炎球がジリッと前髪を焦がすが、それを気にせずに一体に向かって霊刀を振るって、掻き消す。
がっ…その間に、もう一体からの二連発の炎球をまともに浴びてしまう。
「グッ、慣れないとなっ!」
魔法の直撃を受けても、動揺してはいけない。そんなことで隙ができてしまえば、そこを突かれて殺られる。
揺るぎない心、揺るぎない精神こそが、対魔法防御を高めてくれる。
不動心だ。
身体に激しい衝撃を受けながら、俺は力の限り怨刹丸を振るって、二体目の炎精霊を掻き消した。
耐熱性があり、魔法のダメージを軽減してくれる『減術師の外套』を着ているのだし、その下は鎖帷子も身に着けている。
激しい爆発の衝撃に心揺らされないように気をつけて、二体目を斬り刻む。
素早くポーションで、ヘルスとスタミナを回復して、俺は焼け爛れた炎の回廊を進み、炎精霊を見つけては殺し続けた。
「おっと」
また新たな敵が遠目に見えた。
俺は素早く、霊刀を仕舞って背中から『孤絶』を引き抜く。
現れたのは、フレイム・フェイス。
オーガに似ているが、それは身体だけで顔がデカイ。
その直径一メートルほどのデカく醜い顔が、火の玉のように激しく燃え盛っている。
妖怪じみたデカイ顔の下半分がパカっと割れる。口を開けたようだ。
「ふげぎゃ、ぶげりゃ」
意味不明な叫びとともに、フレイム・フェイスの大きな口から、ボォォと炎球が吐き出されてきた。
「ぬぅ!」
辛くもよけたが、爆風がすごい。
中級よりも強く感じる。上級ほどではないだろうが、強烈な爆炎。これは、炎球に見えるだけで炎のブレスなのかもしれない。
さて、どう殺すか。
あの炎球はまともに浴びたくない。
中級か、上級の炎球をこちらからも撃てば相殺できるはずだが、ここまで休みなく来たので、マナがもう心許ない。
自分のマナ総量が見えないというのは、恐ろしいものだ。
魔法を必要としたときにマナが足りなければ、それだけで死に繋がりかねないのがダンジョン。
「ならば、こういうのはどうだ」
俺は飛んできた、大きな炎球を勢い良く蹴りあげた。
ジュッと音を立てて消し飛ぶ。
いける、『水精霊のブーツ』は飛んでくる炎球にも効果がある。
俺は、駆け込むと思いっきりフレイム・フェイスの顔を蹴りあげた。
サッカーボールを蹴るような気分だった、バランスを崩したフレイム・フェイスはドゴッと音を立てて転倒する。
身体の三分の一以上が顔だから、バランスが悪いんだろう。
手足をばたつかせる無様な姿には思わず笑いを誘われるが、俺は構わずデカい頭に思いっきり『孤絶』を振り落とした。
まるでスイカ割りのように、スパっと大きな頭が割れて、ビシャっと赤い血が飛び散った。
頭を割られたフレイム・フェイスは、ピクピクと手足を痙攣させていたが程なくして動かなくなった。
「なんだ、他愛もない」
結局のところ、この階のモンスターは炎球さえ上手く対処できればこの程度なのだ。
マナも尽きかけているから、見た目より弱いのは助かる。
俺はスイカ割りの要領で、フレイム・フェイスの顔を蹴りあげては、頭を叩き斬って回った。
すでに炎の回廊をまっすぐと突っ切ってゴールは近い。この分だと、ボスの部屋まではすぐだな。
敵はあらかた片付けたし、さすがに気疲れした。ボスに備えて、少し休憩を入れてマナを回復させるか。
そう思った矢先、俺は戦慄した。
ガシャンと音を立てて、炎の回廊を黒い鎧を着た大柄の騎士が歩いてくる。
黒の騎士。この地下八階では、出てくるわけもない強力なモンスター。
一瞬、炎の回廊の熱さのせいで幻覚を見たのかと思った。すぐに『侵攻』であると気がついた。
黒の騎士は、地下十階のボスである。
いや、扉の守護者であるボスが『侵攻』するわけがない。十四階層以降に存在する一般モンスターのほうだろう。
しかし、地下十四階から地下八階に『侵攻』など、通常あり得るはずがない。しかし考えるのは後だ、眼の前の現実に対処する。
そう思考した矢先、俺は思わず硬直してしまった。あれほど、意表を突かれた程度で「隙を作るな」と自分に言い聞かせていたにもかかわらず。
黒の騎士の向こう側から、同じ黒鋼の全身鎧を着た騎士がもう一人現れたからだ。
「あり得ない……」
一気に、二体の『侵攻』は、絶対にあり得ない。
なぜならそれは、ゲームバランスの崩壊を意味するからだ。
どんな強大な敵でも一体ならば良い。一体ならば、用心さえしておけば後ろに逃げ道はある。
それはゲームとして公平といえる範囲だ。
だが二体が『侵攻』してくれば、ランクの遥かに高いモンスターに囲まれる危険性ができる。
ジェノサイド・リアリティーが持つ、危ういバランスで保たれる秩序。
その秩序を破壊しかねないモンスターが、黒い鎧兜のスリットの奥から覗く殺意に満ちた眼で、俺を睨みつけている。
黒の騎士は、動きが固まった俺に向けて抜剣すると、見えない糸に操られるような機械的な動きで禍々しい黒死剣を振り下ろした。