18.冒険再び
神宮寺の高圧的な要求を突っぱねると、今度は七海副会長が下手に出て協力してくれと頭を下げてきた。
よく刑事ドラマにある手法だ、高圧的な若い刑事がガンガンやったあとに「まあまあ」と、ベテラン刑事が宥めて自供を引き出すというアレである。
言動に安い心理学の交渉術が透けて見えて腹が立つ。
俺だって心理学の本ぐらいは読んでるぞ、バカにするなと言いたいところだが、すがりついてくるものをネガティブ禁止の街中で蹴倒すわけにもいかない。
俺に協力を懇願する七海の顔にも疲れが見える。俺の知っている七海修一は、もっと完璧で余裕に溢れた男だったはずだ。
それには少しだけ同情した、彼らが治安を保っているから瀬木たちも安全なわけで、そのために最低限のことは教えてやるか。
「分かった。俺は生徒会には入らないが、罠やモンスターの位置ぐらいは教えてやる、それでいいか」
「助かるよ真城ワタルくん、本当に助かる……」
たぶん、最後に漏らした言葉だけは七海の本音だろう。
ジェノサイド・リアリティーが開始されて九日目、完璧なリーダーを演じている七海修一も仮面が崩れ始めているのかもしれない。
街を出れない弱者にも金貨を分け与えようなんて、神宮寺は絶対言わないだろうから七海の独断なのだろう。
どれほど浮ついた偽善であっても、善意であることは確かなのだ。そして、七海は自分の決断により噴出する不満を、百二十名を超える生存者の前で完璧なリーダーを演じることで、ねじ伏せていくしかない。
よくもまあ、好き好んで重い荷物を背負うものだなと呆れる。
七海から手渡された地図は、ノートに書かれていたがボロボロだった。
「酷い地図だな、これモジャ頭が書いたのか」
「うん、御鏡竜士くんが書いてくれたものだよ、僕達の情報はこれしかなくてね……」
モジャ頭の書いた地図の罠やモンスターの位置は、大雑把すぎて下の階に行けばいくほど間違いが多くなっている。
こんなものを信じて進めば、やがて死者が続出していただろう。
俺は赤ペンで丁寧に修正してみるが、すぐ真っ赤に染まった。
何せ俺は日本で三人しかいない攻略サイトの管理人だからな。マッピング作業を始めたら、調子が乗ってきた。
「なんでこんな道がグニャグニャなんだよ、定規ぐらいあるだろうに全部書き直しだこんなもん!」
「済まない、本当に助かるよ」
詳細な情報を与えたといっても、コイツらの生存に便利なように三階の稼ぎ場なんかを書き入れてやっただけだ。
もちろん、安全な隠れエリアである庭園や、レアが取れる場所など俺が秘密にしておきたい情報は教えない。
だが金貨ぐらいはまともに稼げるようにしてやらないと、本当に餓死者が出かねないからな。
非情な俺だって、人が無駄に死んで嬉しい訳じゃない。
地図を直してやると、七海は何度もお礼を言って帰っていった。
「ふうっ……とりあえずこれで満足して、俺に関わらないでくれるといいんだけどな」
「真城くん、何が?」
俺が小さな声でつぶやいたのが聞こえたのか、耳聡い瀬木が聞き返してくる。
「いや、何でもないよ。なあ瀬木、お前街を出る気はないか?」
「どういうこと」
「地下にも安全地帯があるんだよ。街にいるよりも安全だし、そっちのほうがいいんじゃないかと思って」
「うーんと、僕はまだ街でやることもあるし、僕は僕のできることでみんなを助けてあげたいんだ」
みんなを助けたいか、そうだよな瀬木はそういう奴だった。
瀬木を匿うために、安全な庭園が使えればと思ったけど、自分だけ安全な場所に居ることを良しとする奴ではない。
「だけどさ、これは冗談抜きで言うんだが、俺は今回のことで神宮寺を敵に回してしまったと思う。街にいて本当に不都合はないか」
俺は、街やダンジョン上階の事情を知らない。
危険があるなら、俺は瀬木を縄で括ってでも庭園に連れて行く。
「そっか、真城くんが心配するのも無理もないよね。でも大丈夫だよ、生徒会指導部(SS)はそんなに強くないんだ」
「強くないとは」
生徒会を支配してるみたいな勢いだったが、それもブラフだったのか。
「配る金貨を管理してるから、一般生徒は怖がってるけど、七海くんと一緒に冒険してる一番強い人たち、例えば三上直継とかは、神宮寺くんのやり方を良く思ってないから動かないよ」
「なるほど、無双の三上か」
ジェノリアに来てから一回話しただけだが、確かにあの一本気な性格は神宮寺とソリが合いそうにない。
そう言えば、七海のパーティーを見た時に、運動部連中で固まってたな。あいつらには、神宮寺の息がかかってないのか。
「後は、九条さんの女子グループだってなかなか強いよ、僕はそっちの派閥寄りだからね。神宮寺くんを筆頭とした派閥は、金貨を管理してるから街では偉そうにしてるけど、数が多いだけで戦闘力としては辛うじて三番目かな、現段階ではそんなに無茶なこともできないよ」
「ふうん、さすがよく見てるな」
瀬木の観察力だって、バカにしたものではない。
久美子のように生徒会役員ではないのに、街の勢力図を詳らかに出来るほどにはよく見ているのだ。
「それに僕だって、もう修道士になったからね。街では強いほうだから立ち回りようもある」
「違うだろ瀬木、それを言うなら『修道女』だろ」
ずっと街で訓練を続けている瀬木は、すでに「平信徒」から「信徒長」になり、すでに三段階目の「修道女」に到達しているそうだ。
ちなみに、僧侶ランクの三段目は、性別の違いなくシスターになる。ジェノリアは、さすがよく分かっている。
「なあ瀬木、シスターの修道服とか店にあるんだけど、あれを身につけるとポーションの生成率が上がるらしいぞ」
「うーっ、それ以上言うと怒るよ」
小さな拳を握りしめて、ほっそりとした腕を振り上げてきた。おー怖い怖い。
絶対に似合うと思うのに残念。僧侶系のレア装備は、女向けのデザインが多い。いつか絶対着せてやる。
それはともかく、下位職で上がりやすい僧侶ランクとはいえ、すでに三段目に来ているのはなかなかのスピード出世といえる。
冒険に出てる連中より早いかもしれない。
この分だと、僧侶ランクを極めて上位職である司教に転職できる日も近いだろう。
中級のポーションなら確実に作れるようになっているので、街に居てもみんなの助けになっている。
瀬木は瀬木なりに、街に地歩を固めているのだ。
この分なら大丈夫かな。
俺が金を渡してやるのを素直に受取るのも、どうせ自分で使うわけじゃない。
どうせ瀬木のことだから、金に困ってる奴に分け与えてやったりしているはず。
そう察しているから、聞きはしないが。
何に金を使ってるか詳しく聞いたら「真城くんが素直じゃないから、自分が代わりに助けた」とか、的外れなことを言うに違いない。
まったくとんだお人好し、でも俺はどうしようもないことに、そんな瀬木が嫌いになれない。
瀬木が人にかける情けも無駄とはいえない。そういう繋がりは、いざというときの保険にもなる。
だから俺も、瀬木に多めに金貨を渡してやってるのだ。
瀬木が使う分が無くなったら大変だからな。
「まあいいや。腹減ったから飯でも食いに行こうぜ」
「ご飯なら、日本料理店もあるよ。真城くん、ファーストフードばっかりじゃダメだよ。栄養が偏っちゃう」
九日ぶりにジャンクフードも食べたいんだが、瀬木は割とそういうとこうるさいからなあ。
お前は俺のお母さんかとも思うんだが、毎回ファーストフードと言うのもなんなので、瀬木がオススメする日本料理店に入った。
ジェノリアの街は、食い物屋のレパートリーが無数にあり、食い物の種類がやたら充実している。もちろん食べ物の種類が豊富なことに、ゲーム的な意味は全くない。
暖簾をくぐって中に入ると、店主が脱サラして始めた蕎麦屋のような、やたら和風が強調された店内。
四人がけのテーブルの上に、俺と瀬木と久美子とウッサーで座る。
テーブルには『うどん、蕎麦、おでん、唐揚げ、餃子、たい焼き、すき焼き、天ぷら、フジヤマゲイシャ』と書かれたメニューパネルが並ぶ。
アメリカ人が知っている日本料理の名前が、乱雑に並べられた投げやりで雑多なメニュー。
なんで日本料理店に唐揚げと餃子が入ってるんだ、相変わらずのセンスだな。
フジヤマゲイシャは寒いネタだから流すとして、オカズがこれだけ揃ってるのにご飯物が一切ないのは何かの拷問かよ。
「ねえ……、『フジヤマゲイシャ』ってなんだろうね」
瀬木がみんなが触れなかった禁忌に触れてしまう。
「やめて!」「やめてください」
久美子とウッサーが声を揃えた。
何がやめてかは知らないが、避けたほうが良いというのは俺も同意見だ。
芸者のNPCでも出てきたら、また厄介なことになる。
みんなに責められて肩をすくめる瀬木は面白かったが、腹も減ってるから遊んでないで注文してしまおう。
「俺はうどんと、おでんにするか」
「真城くん、その組み合わせ変じゃない……。僕はお蕎麦にしとくけど」
瀬木は、そう呆れたように言う。
うどんとおでん、そんなにおかしいだろうか。おかずと主食でバランスは取れてる。
ウッサーは、たい焼きの注文ボタンを連打しまくり、山のように積み上げて黙々と食べている。小さい口で、大食漢なんだよなこいつ。
しかも、そうとうな甘党らしい。そんなにたい焼き食べて胸焼けしないんだろうか。
「この魚、甘くて美味しいんデス。ご主人様も食べマスか、あーんして上げマスよ」
「そうか、よかったなウッサー。俺はいらん」
ウッサーは、たい焼きを甘い魚だと思って食べているらしい。
そりゃ、アンコも知らない異世界人が見たら、こういう魚が居るのかと勘違いしてもおかしくはないか。
もちろん面倒くさいので、詳しく教えてなどやらない。
「ねえ、なんで唐揚げにレモンが付いてないのかしら。あり得ないと思うんだけど」
「知らねえよ、こんな世界なんだから、トマケチャ付いてるだけでも御の字だろ」
久美子は、レモン汁かける派らしく出てきた唐揚げを箸で突っつきながら「レモン、せめてスダチがないと味気ないわ」と、ブツブツ文句を言っている。
久美子は通を気取っているのか、レモン汁がないことへの抗議なのか、ケチャップを使わずに胡椒と塩を少量振りかけて唐揚げを食べている。
唐揚げにレモン汁なんかかけても、かけなくても変わらないと思うんだけど。
俺の舌は、大雑把すぎるのだろうか。
ちなみに俺が注文したうどんの味は、完全に豚骨ラーメンだった。
おでんはまともだったのに、どうしてなんだろう。
※※※
食事が済んだら、宿屋という流れになるのは止めようがない。
先ほど人族の激しい繁殖を目撃してしまったウッサーは、盛り上がりすぎてしまっている。
ウサ耳を折り曲げたり伸ばしたり、拳をブンブンと振るったり、何かよく分からないが興奮が大変なことになっているようだ。
これは、誤魔化しようがない。
俺はウッサーの希望を聞いて、極上のロイヤルスイートルームを貸しきってやると一応聞いてみることにした。
「なあウッサー、お前冒険が終わるまで、街に残っていてくれって頼んだら素直に従ってくれるか」
「嫌デスよ。ワタシは戦えマスし、旦那様といつも共にありマス」
そうか、素直に俺の言うことを聞くつもりはないんだな。
じゃあ、仕方ない……。
しなだれかかってくるウッサーの肩を、俺は優しく擦りながら語りかける。
我ながら歯が浮くようなセリフだが、仕方がない。
「ウッサー、今日は夫婦の初めての夜だな」
「ついに繁殖デスね!」
ほとんど泣きそうなほど碧い瞳を潤ませたウッサーは、強く強く抱きついてくる。
胸がでかすぎて、抱きしめられるとすごく苦しい。
胸も尻も、デカすぎるんだよ……。
俺はさっと跳ね除けたい気持ちを極力押し殺して。
努めて優しくウッサーの肩をゆっくりと押し返して、出来る限りの紳士的な笑顔を見せた。
なんで脱ぎ始めた。
こいつ、繁殖を急ぎすぎている。
「ハハッ、ウッサー待て待て、まだ脱ぐな。ステイステイ、繁殖は逃げないから少し落ち着きなさい」
「ワタシ、ワタシッ! 旦那様の赤ちゃんをどんどん産んで、ラビットポールができるぐらいの大家族を作りたいと思いマスので、不束者デスがよろしくお願いしマス!」
「なんだそのラビットポールってのは」
「ラビットポールというのはデスね……」
ラビッタラビット族の人気のゲームで、六十四人対六十四人で敵のポールを倒すのを目指す、サバゲーと棒倒しが混じったような競技らしい。
六十四人って、どんだけ繁殖するつもりだよ。付き合いきれない。
「さあ、お前は先に風呂に入っておいで。出来るだけ、ゆっくりと、時間をかけて、女を磨きあげて来るんだぞ。覚悟が決まったら、出てきてくれ……」
「はい、旦那様……」
俺は努めて優しく、ウッサーの長い髪も耳も手で優しく撫でさすってやる。トロンとした眼でうっとりとされるままになっている。
こんなもんで良かったのか。俺が全力で媚びたせいで、油断したウッサーは疑うことなく一人で風呂に行った。
フッ、計画通り……。
繁殖行為を餌にしたらウッサーは素直に言うことを聞くんだな。
これで良しっと。
俺はリュックサックにそそくさと荷物をまとめる。
「ワタルくん、何してるの……」
ウッサーがもう出て来たのかとゾッとしたが、久美子だった。
大きなピンク色のダブルベッドの下から顔を覗かせている。お前そんなとこで、何やってんだよ。
「お前こそどっから出て来てるんだよ、いやそれ以前として、いつからベッドの下に居た!」
そういや、こいつ忍者だったな。
潜入はお手の物というわけか。ウッサーを騙すのに必死で油断した。
「ワタルくんのことだから大丈夫だと思ったけど、万が一ってこともあるでしょう。あの性悪ウサギに押し切られて、繁殖行為が始まったら阻止しようと思って」
「そうか。お前の予想通り、俺は繁殖しないから安心しろ。そうだ久美子、俺は今日お前らと一緒の部屋の方に泊まるから、ウッサーが不満を言って暴れだしたら食い止めておいてくれないか」
「ウフフッ、了解したわ。あのエロウサギに、立場ってものを思い知らせる良いチャンスね」
ベッドの下からゴソゴソと出てきた久美子は、満面の笑みで「任せてー」と無い胸をポンと拳で叩いた。
よし、ちょっと予想外ではあったが、ウッサーの足止めに久美子が使えて一石二鳥。
俺は、荷物を背負って久美子や瀬木が泊まる部屋の方に入る。
「あっ、やっぱりこっちに来た。夫婦の営みは拒否なんだね」
瀬木は、久美子の友達のなんだっけ……おっとりとした女の子と、前髪パッツンの女の子と一緒に、ホテルのテーブルの上で大量のポーションを作っていたようだ。
作業の手を止めて、苦笑しながら俺を迎えてくれる。
「うん、今からダンジョンに戻るから、そのポーション少し貰ってもいいか」
「ポーションは、真城くんにあげようと思って作ってたんだ。中級なら確実に、上級も少しなら作れるからって……ちょっと待って、『今からダンジョンに行く』って言った? 一晩休んでから行くんじゃないの?」
せっかくの瀬木の好意なのでもらっておくか。俺は、瀬木達が作ってくれた中級クラスのカラフルなポーションをかき集めてリュックサックに詰めた。
久美子達に黙って消えるのも少しだけ気が咎めたので、ダンジョンに行くと、瀬木に伝言を頼めて良かった。
「どうせ宿屋にいても、どっちの部屋で寝るかでウッサーと久美子がうるさく揉めるパターンだろ。それなら俺は、ダンジョンの床で寝たほうがよっぽど休まる」
「いや困るよ~、そりゃ真城くんはそれでいいかもしれないけど、僕は二人にどう説明したら良いの?」
何のために金を貢いでいると思っているのだ、こんな時こそ瀬木先生の出番ではないか。
俺は瀬木の肩をポンと叩いて、笑顔で頼んだ。
「そこは瀬木があいつら二人を食い止めて、出来るだけ時間を稼いでくれ。じゃあ俺はちょっとダンジョンに行ってくるから、くれぐれもよろしく」
「うぇぇ、そんなの僕に頼まれてもあの二人を止めるとか無理! 無理だよぉぉ! 真城くん、ちょっと待って!」
待てと言われて、待つバカはいない。
さっさと全力ダッシュで逃げてしまう。
ラノベ主人公みたいなヒロインの鍔迫り合いを眺めるとか御免こうむるし、ましてウッサー相手に繁殖行為なんか出来るか! という話だ。
十六やそこいらの身空で、子持ちになるつもりはない。ジェノリアの世界に、ウサ耳の生えた俺によく似た子供がいっぱいできるとか考えたくもない。
こんなビッチだらけの所に居られるか。
俺は、ダンジョンに帰るぞ。