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6 晩餐会

 扉を抜けた途端、華やかな音楽と喧騒に抱かれた。

「コレッティ卿、ようこそお越し下さいました」

 大広間の入り口で巻き髪のかつらをつけた召使らしき男が、ゲオルグに深々と頭を垂れ、

「当家主人は奥におります」と中へと促した。 

 いくつも連なるシャンデリアに照らされた大広間内は人で溢れ返っていた。グラスを重ねる音、笑い声、ざわめきさえもどこか高貴な響きに聞こえる。優雅な音楽(ワルツ)に合わせて中心部で踊る貴婦人達のドレスの裾が、パラソルのように鮮やかに翻る。まるで幻想を見ているような陶酔感がティティーリアに押し寄せた。

 ゲオルグが広間の中へと歩き出す。我に返り、ティティーリアは足を踏み出そうとした。だがその時、突然目の前で人の波がさあっと左右に分かれた。


――えっ・・・・・・?


 風に薙ぎ払われたように、広間の騒がしさが止んだ。ゲオルグは開かれた道を、鷹揚と歩んでいく。それを迎える人々は上品な一礼を繰り出し、ゲオルグに表敬を示していく。

 ――これが七州領主家当主の威厳というものなのだろうか。

 装いは他の紳士に卓越したところはなくとも、ゲオルグの存在感は広間内で圧倒的であった。その後姿に威圧されそうになっていたティティーリアは、慌ててその後を追った。


――顎を引き、背筋を伸ばす。足取りは羽毛が舞うように軽やかに。教えられたことを一つ一つ思い出しながら歩みを進めていく。


 人々の目が自分に注がれているのをティティーリアは感じた。緊張感に煽られながら、薄紅の薔薇を思わせる唇をきゅっと引き結び、ぐっと顔を持ち上げる。


「サンジャック・コレッティ! よく来たな。おい皆の衆、珍しく出不精な男が現れたぞ」

 広間の奥の壁には白薔薇の紋章の描かれた大きな青い軍旗が掲げられている。その下に並ぶ七脚の椅子の内、中央の椅子から、恰幅のいい男が金の酒盃を掲げて立ち上がった。

 豊かな口髭も髪も霜が降りたような白さながら、深い緑色の双眸は気概に満ちて以前の勇猛さを漂わせている。腰に帯びているのは、七領主家の当主が受け継ぐ家紋の彫られた飾り剣――その紋は「黄水仙」。ルピシエール州領主家の家紋である。

「ヘルヴォル卿、ご無沙汰しております。――皆様方も」

 帽子を取り左腕を胸の前で折り男に向かって騎士の敬礼をすると、次いでゲオルグは同じ並びに座る三人の賓客達に辞儀を送った。

 居並ぶ壮年の男達はユレイヒト連邦国七州のうち、リングルフ、アイセル、ヘイダースの現領主達だ。男達は各々に立ち上がり、ゲオルグと目礼を交わす。

「本日は、我々の為にこのような立派な晩餐会を催して頂き、大変恐縮しております。左右両騎士団を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。しかしながら近頃不義理を致しておりました故……ご尊顔を拝しお詫びをと、こうして駆けつけて参りました」

 典型的な謝辞を並べるゲオルグに、ヘルヴォルは豪快に笑声を上げた。

「はははは、お前がそのように殊勝なものか! 退陣し、おいぼれた姿を嘲笑いに来たのであろう?」

「とんでもございません。嘗て「白獅子」と謳われた名誉騎士であるヘルヴォル卿に対し、思いつくのは称賛ばかりでございます。今も昔も、私にとっては敬うべき師ですから」

「はっはっ。その師から、左翼騎士団ヴェストリの主導を掠め取っていきおったくせによく言うわ。――まあよいそれよりも、後ろの美しいご婦人を紹介してはくれぬかな?」

 ヘルヴォルに目配せをされ、「ああ――」とゲオルグが振り返る。

錚々たる顔ぶれを眺めていたティティーリアは、無数の針のごとく突き刺さる視線の中、振り返った男の口元が一瞬不敵な薄笑い浮かべたのを見た。

「紹介が遅れました。私の母方の従姉妹に当たります、ルイーゼ・エレディア・ケルナーでございます。ちょうど昨日サンジャックから私を訪ねて来たところで――今年社交界に出たばかりですが、帝都のご婦人達の品位に触れる良い機会だと思いましてね。連れて参りました。ルイーゼ、ご挨拶を」


――さあ、行くのよ。


 自分の声に背を押され、ティティーリアはゲオルグの隣りに進み出た。そしてバッスル仕様のドレスの裾を軽く摘むと深く腰を落とした。

「お目にかかれて光栄にございます。ヘルヴォル卿、ご領主の皆様」

 透き通った声を響かせふわりと微笑めば、男達の顔付きが和らいだ。

「これはこれは」

 僅かに目を瞠り、ヘルヴォルが感嘆の声を漏らす。他の領主達からも溜め息が零れた。

 花びらの様にアンダードレスを重ねて丸みを出したデコルテのドレスは深い赤。開いた胸ぐりや袖口にあしらわれた純白のレースと、細い首元を飾る真珠の首飾りの淡い光沢が、妖艶な真紅に白百合のような清らかさを与えている。同じく真珠の髪飾りで軽く留め下ろした蜂蜜色の髪はゆるやかな曲線を描いて流れ、少女の柔らかい線を引き立てる。

 数多の貴婦人達が霞むほど一際輝くその一輪の花は、会場に溜め息の嵐を起こし、牙を取った白獅子の顔を見事に綻ばせた。

「これは美しいお嬢さんだ。今まで出し惜しみしておったな、コレッティ。今晩の注目の的になるぞ。是非我が愚息と一曲……と言いたいところだが、あの馬鹿は一体どこへ行ったのだ。まあよい。今宵集いしは、我が国の信望厚い騎士団の精鋭達だ。レディへの奉仕はしっかり心得ておる。共に存分に愉しんで行かれるがよい、ルイーゼ嬢」

「ありがとうございます」

 少々酒気を帯びて満悦そうなヘルヴォルを仰ぎ、ティティーリアはもう一度膝を折り一礼した。

「さあ、音楽を! 今夜は皆官服を脱いでおるのだ、思う存分羽目を外せよう。まだ一人花形騎士の姿が見えんが、仕方あるまい。飲み明かそうではないか!」

 ヘルヴォルの掛け声に、楽隊が軽快な舞曲を奏で始める。優雅な喧騒が舞い戻った。

「遅れるとはまったく無礼な奴だが、クレイヴランスは来るようだな」

 鼻で嗤い、周囲の音に紛れ込ませるようにゲオルグが声を低める。

 七領主の為に用意された青い天鵞絨ビロード張りの椅子は、ゲオルグの分を含め三脚が空いている。そのうち右端の一脚には、美しい細工の施された青銀色の鞘におさまった剣が立て掛けてあった。

「あの剣は?」

「あれは総督の剣だ。我々騎士は申し出を辞さねばならぬ場合、己の剣を代わりに立てる。いつものことだ。総督が晩餐会にお出ましになることなど滅多にない。クレイヴランスの席は、その隣りだ」

 心中を読んだように、ゲオルグが顎の先で差し示す。右から二番目の空席をティティーリアは見つめた。


――あそこに座る男を私は――


 顔はまだ知らない。肖像を見せてやろうと言われたが、情が沸くのを怖れてやめておいた。知っているのは、ファラット州現領主で、七領主の中では最年少の若い男であること。総督家に次ぐ権威のある家柄であること。ゲオルグが指揮官を務める左翼騎士団ヴェストリと対をなす右翼騎士団アウストリの指揮官であるということ。そんな表面的な情報だけだ。

「では、俺は狸どもの酒の相手をするとしよう。お前は暫しこの雰囲気を楽しんでいろ」

 ゲオルグの薄い唇に愉悦が滲む。どうすれば、とティティーリアが問いかけようとした時、突然後ろから腕を引かれた。

「コレッティ卿、麗しの従姉妹様のお相手はわたくし共が」

 振り向けば、右目の下に星形のつけぼくろ(ムーシュ)のある、面長の若い女がいつの間にかそこに立っていた。

「これはエミーレ嬢。よかったなルイーゼ。ご婦人方のお仲間に入れてもらいなさい」

 紳士の顔を見せたゲオルグに女は嫣然と微笑むと、強引にティティーリアの腕を絡め取り歩き出す。


――えっ、な、なに?


 腕を引かれるまま人込みを抜け、辿り着いたのは数人の婦人達の座るテーブルだった。

「皆様、連れてきましてよ。ルイーゼ様を」

 面長の女の高揚した声に、婦人達はお喋りをやめ、一斉にティティーリアを見た。

 派手に着飾った女達だった。豪華な刺繍の施されたサテンや、リボンやレースをふんだんに使ったドレスに首元や指には煌びやかな宝石類。髪は目が回りそうなほどきつい螺旋状の巻き髪だったり、後頭部を高く盛り上げた束髪だったりと手の込んだ装いである。一端静まった女達は隅々までティティーリアを観察し、そして揃って相好を崩した。

「まあ、あなたがコレッティ侯爵の。なんてかわいらしいんでしょう。まるで天使のよう」

「本当に。入って来られた時から、殿方は釘づけでしたわよ。見て、なんて美しい金の髪。肌なんてまるで真珠の粉をはたいたようよ」

「さすがコレッティ卿のお身内ね。昨日お噂を聞いて、お会いできるのを楽しみにしていましたのよ」

 次々に飛んでくる賛辞に、ティティーリアは呆気にとられかけたがなんとか笑顔を取り繕った。ティティーリアを引っ張ってきた面長の女が、馴れ馴れしく腕を絡めてくる。

「ご紹介いたしますわ、ルイーゼ様。左から、ゲント伯爵令嬢アデル様、モンティシージョ子爵夫人ユージェニー様、そのお隣りが第五騎兵団長夫人の……」

 感心するほどの早口で女は婦人らの名前を挙げていく。名前は一度で覚えるのも貴婦人の嗜みらしいが、左から右に抜けていく状態では無理な話だ。とりあえずやり過ごす為に、ティティーリアは投げ掛けられる質問だけに集中することにした。

「ご生家はサンジャック州に?」

「ええ、ずっと田舎の方ですの。こんな華やかな晩餐会には縁のない。ですから従兄弟にお願いして帝都に招いてもらったんです」

「社交界にはいつから?」

「十六になった今年の春ですわ。まだまだ慣れなくて」

 用意された答えを並べ恥らう素振りを見せれば、婦人達は口元に手を添え鈴声を転がす。

 表情が引き攣りそうだった。コルセットを着けるのは娼館で慣れているはずなのに、なんだかやけに息苦しい。

「その愛らしいお姿ならば殿方は放っておかなくってよ。でも運がよろしいわ、今夜の晩餐会は特別なんですのよ。双翼騎士団の騎士たちが一堂に会する機会など滅多にありませんもの。これもヘルヴォル卿のお人柄だわ」

 伯爵令嬢と呼ばれた黒髪のリングレットの若い女が、葡萄酒の入ったグラスを赤い唇に傾ける。

「特に貞節が重んじられている右翼騎士団は舞踏会よりも遠征にご熱心だから。わたくし、今夜はマラウク様のご麗姿を楽しみにして参りましたの」

「マラウク様はいらっしゃるの?」

 うっかりその名を口に乗せてしまったティティーリアを、令嬢が驚いた様子で見上げた。

「あら、アウストリの花形騎士の評判はそちらにも聞こえていらっしゃるのね。もしかしてルイーゼ様もマラウク様がお好きなのかしら?」

 グラスを唇から離した瞬間、伯爵令嬢の瞳がきらりと挑戦的に光ったように見えた。

「まあ、それは大変。恋敵は多いですわよ。二十二の若さながら名門クレイヴランス家の当主にして右翼騎士団をまとめあげる辣腕、加えて太陽の煌めきさえ霞むほどの美男。国中の女性の憧れの的といっても過言はありませんもの。今夜あの方のお相手に選ばれる方は、本当に幸運ですわね」

 羽扇をはためかせながら、令嬢の隣の女が切れ長の双眸で同席する婦人達を牽制するようにぐるりと眺め回した。僅かにその場が殺気だったのを感じて、ティティーリアは指輪をはめた右手を左手で隠すように握った。


――儚い夢ね。


 今夜はその高貴な騎士の最後の晩餐だというのに。

「あれほど高潔な殿方は他にはいませんわ。近頃では総督様も娼館遊びをするとの噂ですもの。娼婦なんて汚らわしい――女の恥ですわ。駆逐すべき存在よ」

 令嬢の尖りのある言葉に、ティティーリアの鼓動がびくりと跳ねた。

「さあ、お座りになってお話しませんこと? あら、お顔色が悪いですわよ、ルイーゼ様」

 ムーシュの女に顔を覗き込まれ、ティティーリアは慌てて笑顔を引き摺り出したが、


「ちょっと気分が……少し庭で涼んできますわ」

 そう言ってその場を離れた。

 

 


 “汚らわしい”


 それは娼婦の身の上では、聞き慣れた言葉だった。

 金持ちの私宴に呼ばれるたび、買い物で隣街に出るたび、蔑む視線を浴び、背中から時には正面から人々に罵られた。


――もう慣れたはずだったのに。


 あの生活から離れても、結局囚われているのだ。華々しいあの場所では余計に劣等感に飲み込まれそうになった。

 傷つかぬよう、感情を表に出さぬよう心に鍵をしてきたはずだった。


 でも――閉じ込めても閉じ込めても時々、弱い自分に出会う。


 中庭をぐるりと囲むように延びる回廊で、ティティーリアは立ち止まった。

 月影がしっとりと石膏石の柱を包み、大理石の床に細長い影を浮き上がらせている。大広間の音楽が途切れ途切れに耳に届くだけで、辺りは夜の閑寂に満たされていた。

 真紅のスカートを握りしめていた手をティティーリアは離した。


――こんなんじゃ、兄様を救えない……。


 中庭の噴水がサラサラと心地のよい水音をたてて噴き上がる。月光が溶け込み、流れる水がきらきらと輝く。


――もっと強く……ならなきゃ。


 自分で決めたことだ。何もかも。逃れることは許されない。

 緑の芝生の広がる中庭へティティーリアは降りた。夜風に当たってもう一度あの場所へ戻らねばならない。

 噴水の前に立ち、深呼吸をして夜空を見上げる。弾けとんだ星の欠片のような噴水の飛沫を浴びながら、ティティーリアは目を閉じた。その時だった。



「――覚悟を決めろ、クレイヴランス」



 どこからか響いてきた声に、ティティーリアははっと両目を開いた。


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