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20 過去のかけら

大変遅くなりました……。

 取り継ぎを経て通された応接室には、ヘルヴォル卿の他にもう一人男がいた。

「これは、ケイマン卿」

 大柄なヘルヴォルと比べるといささか見劣りする細身の男に、マラウクは拝礼した。

「クレイヴランス卿。こうして公務抜きで会うのは久し振りだな。君の評判はアイセルにも届いているよ」

 男が控えめに微笑んだ。それを見てマラウクの表情も解れる。

「御歓談中のところ、申し訳ありません。失礼を承知でお取次ぎ頂きました」

 マラウクについてティティーリアも入室の挨拶をした。その姿を見とめたヘルヴォルの顔が綻ぶ。

「気にせんでいいぞマラウク。これ以上こやつの嫌味に付き合っておったら、気がおかしくなるところじゃったわい。ルイーゼ嬢、よう来てくれた。お待ちしていましたぞ。何やら今日はめでたい話があるということだが」

 酒気も手伝ってさらに陽気になった白獅子が、マラウクに催促の目配せをする。

 何杯飲んだかわからないグラスを置いて近づいてきたヘルヴォルに、ティティーリアはドレスをつまんでお辞儀をした。

「ヘルヴォル卿、本日はお招き頂きありがとうございます」

「相変わらず可憐じゃのう。マーカス、覚えておるか。噂のコレッティの従姉妹殿じゃよ」

 マーカスと呼ばれた男が品のいい微笑を浮かべる。どこかで見覚えのある顔だとティティーリアは思った。

「ヘルヴォル卿の晩餐会で以前お見受けしましたな。言葉はかわしてはおりませんが」

 運命の歯車が回り始めた晩餐会の夜――

 そう言われて記憶を探ろうとしていると、

「アイセル州領主、マーカス。ロウド・ケイマン様だ。エンリケのお父君だよ」

 マラウクがそう囁いた。

「え……お父様?」

 そうか。

 どこか見覚えがあると思ったら、エンリケの目と同じなのだ。夕陽の落ちた川面のように輝く、琥珀色の瞳。

 領主ということは晩餐の時にはヘルヴォルと椅子を並べていたはずだ。だが顔までははっきりと覚えていなかった。

「これは失礼をいたしました、ケイマン卿。お恥ずかしいことですが、あの時皆様にご挨拶するので精一杯で……お顔を拝見する余裕がございませんでした。お許しくださいませ」

 それは嘘ではない。極度の緊張感を持ってあの場に臨んだのは確かだった。

「ははは、謝らずともよいですよ。緊張されて当然だ。総督の右腕と呼ばれるコレッティ卿のお身内と聞いて、皆目の色を変えておりましたからな。視線が痛かったことでしょう」

 好感の持てる応対に思わず口元が緩む。顔のつくりはエンリケと似ていないが、人好きのする雰囲気は二人の血のつながりを感じさせる。

「先ほどアナシアと会ったそうですね。お二人水入らずのところをお邪魔したとか。まったく申し訳ない。驚かれたでしょう、あの跳ねっ返りぶりに」

「……アナシア? エンリケがお名前では?」

 本人が名乗った名とは別の呼び名に、ティティーリアは首を傾いだ。

「またその名を使いましたか。あの子の本来の名はアナシア・エリン・ケイマンと申します。“エンリケ”は七年前に死んだ、あの子の双子の兄の名でして」

 マーカスが深いため息を漏らす。

「兄の死をひどく悲しんで食事もとらなくなったあの子を見兼ねて『エンリケはお前とひとつになったんだよ』と言ったのがきっかけになってしまいましてな。それ以後『じゃあ名前を二つにする』といって、兄の名を使うように」

「エンリケとアナシアはそれはよく似た兄妹で仲がよかったですからね。ケイマン卿のお言葉で彼女は希望を取り戻すことが出来たのですよ」

 マラウクの口添えにマーカス渋い顔を振る。

「私の希望はどんどん薄れていくばかりですよ。あの頃からさらに向こう見ずな性格になりましてな。今では手がつけられません」

「でも明るくてとても素敵なお嬢様だと私は思いますわ。おきれいだし、人を引きつける魅力があります」

 家柄も鼻にかけず気さくで明朗なエンリケに、ティティーリアは心地よさを感じたことを思い出す。

「私、彼女が好きですわ」

 マーカスが驚いたように目を見開き、そして印象深い目を細めた。

「うれしいお言葉ですな。ありがとうございます。――よい方を見つけられましたなクレイヴランス卿。本当は、あのじゃじゃ馬の手綱を握っていただければと思っていたのだが」

 そう言ってマラウクとティティーリアを交互に見比べる。含みのある言葉に、マラウクが「え?」と戸惑いを帯びた声を発した。

「おい、いつまで世間話をしとる気じゃ。話というのは婚約のことなんじゃろう? すっかり噂になっておるぞ」

 しびれをきらしてヘルヴォルが割って入る。


――噂? もう?


 ついさきほどのことなのに。

 仕立て屋で騒いでいた貴婦人たちがあちこちに触れ回っている様子がティティーリアの脳裏に浮かんだ。すさまじい情報網である。

「参りましたね、もうお耳に入っているとは」

 マラウクがはにかむ。

「当然じゃろう。都一の色男がついに身を固めるとくれば、一大事にもなるわい。明日には話に尾ひれがつくぞい。ほれほれ、さっさと報告せんかい。お前の父の親友であり、騎士団統括のわしには伝える義務があろう」

 うきうきとした様子でヘルヴォルがせかしてくる。酔いも手伝って興奮状態であるために、今にも踊り出しそうな気配だ。

「はい、もちろんその報告もあるのですが」一瞬ティティーリアと目を合わせ、マラウクはヘルヴォルに向き合う。

「その前にもう一つ、ヘルヴォル卿に大事なお話が」

「なんじゃ、まじめくさって」

 顔つきを引き締めたマラウクに、ヘルヴォルが不服そうに口を曲げた。

「――では私は出ていましょう」

 マーカスが申し出た。

「どうやら込み入った用件のようだ。私は君のご子息にチェスでも付き合ってもらうことにするよ」

「……ありがとうございます、ケイマン卿」

深々と頭を下げたマラウクに、マーカスはにこやかに頷き「ではのちほど」とそれぞれに目礼をして部屋から出ていった。

「なんじゃ、マーカスには聞かれてはまずい話か? ああ、コレッティのことだろう。あやつが婚約に反対しとるんじゃな。よし、そういうことならわしが一肌脱いでやろう」

「いえ――そうではないのです。といいますか、そもそも私と彼女は実際に婚約はしておりません」

「……どういうことじゃ?」

 驚愕を宿したエメラルドの瞳に問われ、ティティーリアはマラウクを仰いだ。

「彼女はコレッティの従姉妹ではありません。ルイーゼという名も、彼がある企みのために彼女に与えた偽りの名です」

 彫刻のように整ったマラウクの横顔が、落ち着いた口調で話しだす。前で組み合わせた両手を握りしめ、ティティーリアは二人を見守った。

「彼女の本当の名はティティーリア・フロス。……二年前、殺人罪で投獄された、セイクリッド・フロスの妹です」

「……なんじゃと?」

 ヘルヴォルの顔色がみるみるうちに戻っていく。その過剰なまでの反応に、ティティーリアは不審感を覚える。

「本当です。コレッティは私を殺すために、彼女に偽りの仮面を被らせ晩餐会連れ出したのです」

「まさか……」

 魂を抜かれたように呆然として、ヘルヴォルは近くの長椅子に腰を落とした。

「ではその子は……、その子もアイリーンの血を継いでいるのか」

 アイリーン。

 知らない名前だった。母の名でも、祖母の名でもない。

「だがまさか……マーティンの娘は死んだのではなかったのか」

「……マーティン?」

 次いでヘルヴォルが口にした名に、ティティーリアはふらりと前に出た。

「それは……父の名前だわ。どうして知っているの」

 名前しか知らない父親。

 自分の知らない過去の、何かが暴かれようとしている。閉ざされた館が招くように、その扉の鍵が一つずつ目の前に現れ始めている。

「マーティン・フロス……君の父親は、元老院の議員だった」

 答えたのはマラウクだった。

「そしてラジエラ派を率いて総督府の特権政治を批判し議論の自由を説いた、反政府運動の指導者だった」

「な……に……」

 思考が止まる。血の気が一気になくなっていくような気がした。

「どういうこと……お父さんが……ラジエラ派って、どうしてあなたがそんなこと知ってるの!?」

 青い瞳を振り返る。

「……父の友人だった。短い期間だったが」

「友人……ですって?」

 さらりと告げられた重大な事実に、驚きと怒りが同時に込み上げる。

「兄さんだけでなくお父さんのことまで知っていたの? どうして今まで黙って」

「迂闊に口にすることが出来ない名だからだ」

 詰り寄るティティーリアを、厳格な響きでマラウクが遮った。

「君の父親は“反逆者”として議会から追放され、その名前も抹消されている」


――ハンギャクシャ。


 均衡が保てずにティティーリアはよろめいた。マラウクが腕を掴んで支える。


 父がラジエラ派をつくった? そして反逆者として抹消された?


 いったいどういうことなのか。

 頭の中ではおさまりきれない混乱が押し寄せる。だが何かが繋がり始める。


『父と同じ轍を踏む覚悟は出来てるって――』


 マリードの言った言葉が甦る。セイクリッドはラジエラ派と関わりがあった。そして何かをしようとしていた。もしかしてそれは――

「……兄さんは……お父さんのことを知ったから、あんな目に? いったい……お父さんは何をしたの? 政府に意見したからって……それだけでどうして名前まで消されてしまうの?」

 マラウクの上着をぎゅっと握りしめる。自分の力で立っていたいのに足が震えて出来ない。それに気づいてマラウクがもう片方の手をティティーリアの肩に添えた。

「総督に斬り付けたんじゃ」

 放心したように座っていたヘルヴォルが言った。

「総督邸に単身乗り込み、総督に怪我を負わせたんじゃ。幸い傷はたいしたことはなかったが……命を狙ったとして諮問会にかけられた」

「異端諮問会……? じゃあ」

 続きをためらったティティーリアに、ヘルヴォルがこくりと頷いた。

「ああ、永久牢獄マテイへ落された。じゃが初めに下された宣告は処刑だったんじゃ。わしとクレイヴランスが掛け合ってなんとかそれは免れたが……結局牢獄行きは止められんかった」


――ああ……。


 目の前が暗くなる。まさか、父までも永久牢獄に落とされていたなんて。

「なぜ……父はそんなことを――」

「――おそらく、エレナのことじゃろう」

「エレナ? ……お母さん?」

 膝の上に両肘をつき、組み合わせた両手にヘルヴォルは額をつけてうな垂れた。

 窓辺に寄り添う夕光が、そろそろと忍び込んでくる。ほんのりと色づき始めた部屋の中に、重いため息がひとつ溶けた。

「マーティンが事件を起こす少し前、妻のエレナが自害した。それからマーティンは荒れ出したそうじゃ。裕福な家に生まれながら元老院の一員として民のために戦おうとしていたあやつを、わしもクレイヴランスも買っておった。あれほど実直でひた向きな男に……会ったことがなかったからのう。じゃが、妻の死がやつを狂わせたんじゃな」

「まさか」ティティーリアは反論した。

「私と兄さんを引き取ってくれたおばあ様は、そんなこと言わなかった! 二人は病で死んだって……。どうして自殺なんて――牢獄送りになったなんて――そんなの嘘でしょう」

 耐えきれず、両手で顔を覆う。

 嘘だ、誰か嘘だと言ってほしい。こんな残酷な事実があるわけがない。何かの間違いだ。

 どうか嘘だと言って――

「……オレの父親がそう告げろと言ったんだ」

 悪い夢だと耳を塞ごうとしたしたティティーリアの腕を、マラウクがやんわりと止めた。

「君と兄さんをおばあ様のところに連れて行ったのは父だ」

 最後まで逃げずに聞けというように。

 言葉を見失って、ティティーリアはマラウクをただ見つめた。

「やはりな」ヘルヴォルが顔を上げた。

「クレイヴランスは何も言わんかったが……マーティンの子供が消えたと耳にはしていた。なぜクレイヴランスはわしに黙っていたんじゃ。娘が生きていることも」

「詳しいことはわかりません。……その後まもなく父は他界しましたから。その時の記憶は、残念ながら引き継いでいないんです。でも」

 掴んでいた腕を放し、マラウクは庇うようにティティーリアの前に立った。

「生きていることを隠した理由は……言わずともおわかりでしょう」

 ヘルヴォルが腰を浮かせる。そこへ軽快なノックの音が聞こえた。

「おじ様! おば様がプディングが焼けたって……あ、まだお話中だった?」

 元気よく扉を開けたのはエンリケだった。

「おお、そうか、そうか。そろそろ夕餉の時間じゃな。すぐに降りていくとしよう」

 恰幅のいい体に似合う大らかな笑みで、ヘルヴォルがその場を取り繕う。エンリケが赤い瞳をぱっと輝かせた。

「よかった。じゃあ早く来てね! ティティ、先に行って一緒に準備を手伝わない?」

 弾むような足取りで入ってくると、エンリケが飛び付くようにティティーリアの手を取った。

「ねえ、いいでしょう。マラウク! ティティを少し借りても」

「ああ、行っておいで。もう少し卿と話をしてから向うから」

 慈しみ深い微笑みでマラウクが同意する。ろくに返事も出来ぬまま、引きずられるようにしてティティーリアは部屋を出た。

「おば様のプディングって最高においしいのよ! あなたも絶対好きになるわ」

 絵画の並ぶ回廊を歩きながら、エンリケが人懐こい笑顔を向けてくる。

「そ、そうなの。楽しみだわ」

 混沌とした気分を振り払い、ティティーリアはつとめて朗らかに返した。

 明るい声に先ほどまで張りつめていた気持ちが少し緩む。だが心から楽しむことはできそうになかった。

 断片的な過去の欠片が頭の中で一つの絵になろうとしている。まだすべてではないが――少しずつ、確実に……。

「おじ様と何を話していたの? 婚約の報告?」

「え……ええそうなの」

 とっさにそう答えて思い出す。

 他の者たちの前では“マラウクの婚約者”として振る舞わねばならないのだ。衝撃的な話が続いて失念してしまうところだった。

「おじ様びっくりしてたでしょう。だってまさかマラウクが結婚相手を決めるなんて」

 隣りに並び、エンリケがティティーリアの腕に自分の腕を絡ませてくる。

「あたしも本当にびっくりしたのよ。まったくどうやって改心させたの?」

「え? ……何を?」

「へっ?」

 気の抜けた声を上げ、レンリケが足を止める。

「何って……知らないの?」

 どこか批難めいた問いかけに、ティティーリアは「いいえ」と首を横に振る。

「だってあいつ、言ってたのよ」

 エンリケの声のトーンが低まる。

「忘れられない人がいるって。その思いが消えるまで結婚はしないんだって――」



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