衣替えは青春(アオハル)のプロローグ
衣替えの朝、ユイは鏡の前でいつもより長く立ち止まっていた。
クラスでいちばんおしゃれな子、というわけじゃない。普段は動きやすさ優先で、毎朝鏡の前で悩むタイプでもない。
でも、今日は違う。
衣替えをきっかけに、ちょっと気合を入れてみようと決めたのだ。
別に、誰かのために自分を変えたいとか、そんな大げさな話じゃない。
ただ、あいつに。あの鈍感な幼馴染に、よそいきの顔で、女子力ってやつを見せつけてやりたい。
ほんとは、褒められたい。
できれば「かわいい」とか「似合ってる」とか、ちゃんと言わせたい。
こんなの、たぶん毎日は続かない。
明日になったら、いつもの自分に戻っている気がする。
だからこそ、今日だけは本気だ。
髪は前日の夜から、ドライヤーで丁寧に整えた。
薄くのせた色つきリップは、誰にも言わない。気づかれたら恥ずかしくて死ぬ。
いつもの短い靴下はやめて、今日はハイソックス。
そして足元は、おろしたてのコインローファー。サドル部分の端にはネットでポチった取り外し可能な、小さなシルバーのメタル製リボンチャーム。
鏡の中の自分が、少しだけよそ行きに見えた。
「……ブレザーの下のパーカーは、襟元をかわいく見せる去年の推しアイテム。いや、寒いからだし」
誰に言うでもなくつぶやいて、玄関を出た。
角を曲がると、見慣れた背中がある。
「おはよ」
『おはよう。テスト勉強、ちゃんとやってる?』
それで来るか。
「今は、それどころじゃないの」
『なんかあった?』
「じゃ、私から問題出すね」
『は?』
「赤点にならないよう頑張ってください。観察力のテストです」
『何だそれ』
「いいから。ほら、どこが違うでしょう」
そう言いながら、ユイはくるりと回ってみせた。
カズはユイを上から下まで見て、言った。
『……冬服』
「うん、まあそう」
『あと、そのパーカー、いいな。俺にも似合いそう』
「そこじゃない!」
去年なら嬉しかったのに。
ユイは眉間に指をあてて上を向き、
目線をあえて外しながら語りかける。
「見どころは別にあるのだよ、君」
『……古いドラマの主人公か!』
『で、見どころって何だよ』
リップにも、ハイソックスにも気づいていない。
リップは気づかれたくないからそれでいい。でも、このままだと一番の見せ場まで流される。
今日は、気づかせるところまでが作戦なのだ。
「ほら、まだあるでしょ」
『まだ?』
「あるの」
ユイは半歩前に出て、片足をすっと前に出した。
「ほら。おろしたてなの」
カズの視線が、足元に落ちる。
『ランニングシューズやめて革靴にしたのか』
「革靴じゃない、ローファー! で、どう? どう?」
『どうって』
「かわいい?」
ぐいぐい行くと、カズは少しだけたじろいだ。
『え?』
よくわからない、という顔だった。
カズは足元を見たまま、しばらく黙っている。
ちゃんと見てくれている。それだけで、心臓がうるさい。
やがてカズが、一度ユイの顔を見て真剣な顔で言った。
『すごく、かわいい』
「え?」
思わず、目が丸くなる。
いま、何て言った。
一瞬だけ、胸の奥が跳ねた。
『だから、すごく、かわいい』
カズはローファーを指さした。
『この革。質感いいな』
「……は?」
『イタリア産牛革とみた』
あー……そっちか。耳まで熱くなる
「かわいい」じゃなくて、「革いい」だったか。
「カズのバカ」
ユイは苦笑いして、むきになって言い返した。
「国産だし! 神戸牛だし!……たぶん」
牛革のブランドなんて知るわけがない。
イタリアに対抗してとっさに出たのが、革ではなく高級肉の方だった。
「……私のバカ」
『シルバーのリボンも、センスがいいと思う』
「でしょ。総合得点七十点」
建て直せた。よし。
『七十点かぁ。そんなもんか』
成績が中の下のユイには高得点で、上の中のカズには低得点。
残念そうな顔が、ちょっとおかしい。
「罰として、英語のテスト範囲まとめておいて」
『七十点で赤点かよ』
そう言いながら、カズはかばんからノートを差し出した。
「え、もう用意してたの?」
『この前のテスト、やばかっただろ。感謝しろよ』
「ありがと。……カズのそういうとこ好きだよ」
『はいはい』
カズは、いつもの調子で返事をした。
……今、何言った? 私。
ひとつ遅れて、顔が熱くなる。
でも、カズは何も気づいていない。
褒めてもらえれば、それでよかったはずなのに。
そう。カズの気遣いが好きだって言っただけ。
それなら、何も問題ない。
……うん。
でも。
「好きだよ」って言えた。
そのフレーズを言えただけで、うれしい。
明日はまた、いつもの自分に戻るかもしれない。
それでも今日は、昨日より、きっと明日より、いい朝だ。




