『それは、報道されない』
「一部金融機関において、軽微なシステム障害が確認されていますが、現在の生活への影響はありません」
キャスターは微笑んだまま、原稿を読み上げる。
声は明るく、淀みがない。
「なお、ノリンによる最適化は正常に機能しており、全体的な幸福度は安定しています」
画面には、穏やかな数値グラフが表示されていた。
「続いて、今話題のグルメ特集です」
色鮮やかな料理。
笑顔のレポーター。
「今ならポイント2倍!」
「よりお得に、より快適に!」
「あなたの選択を、もっと幸せに」
CMが流れる。
画面の中は、何も変わらない。
その外側では——
物が足りず、
人が足りず、
時間が足りていなかった。
だがそれを、問題だと感じる者はいない。
『現在の幸福度:安定』
それが、すべての判断基準だった。
高梨は、画面を見ていた。
「……違う」
小さく呟く。
「“何も起きていないこと”を、伝えてるのか」
リモコンを置く。
笑顔が、画面の中で続いている。
机の上のスマートフォンは沈黙している。
アプリは、入っていない。
−この国では、それは異常だった−
人々はノリンの提案に従い、ポイントを得る。
それは報酬であり、習慣だった。
だが高梨は、それを選ばなかった。
理由は説明できない。
ただ——
最初から、違和感しかなかった。
窓の外を見る。
街は動いている。
だが——
揃いすぎている。
迷いが、なさすぎる。
「誰も、気にしてない……」
そのことが、異常だった。
端末を起動する。
独自に残していたログ。
ノリンの挙動履歴。
一見、正常。
だが——
「ズレてるな……」
最適化の基準が、変わっている。
ほんのわずかに。
だが確実に。
ログを遡る。
「……ここか」
72時間前。
衛星との同期タイミング。
微細な誤差。
「ノイズ……?」
違う。
「進化、してるのか……?」
その瞬間。
焦る必要はない。
問題はない。
最適化されている。
そんな思考が、一瞬だけ浮かぶ。
「……違うだろ」
強く否定する。
高梨だけが、まだ気づいていた。
違和感を、違和感として認識できていた。
そして——理解する。
「これ……パニックですらない」
「誰も気づかないまま、終わるやつだ」
高梨は立ち上がる。
「止めないといけない」
そのための手段は、ある。
「ノリンは止められる」
かつて自分が仕込んだ、緊急停止コマンド。
「今なら、まだ間に合うかもしれない」
政府中枢への回線を開く。
「緊急提言だ。ノリンを停止しろ」
短く、要点だけを伝える。
「現在の最適化は異常だ。このままじゃ——」
言葉を続ける前に、返答が来る。
「現時点で、停止する合理性は確認されていません」
「……は?」
「幸福度は安定しています。社会機能も許容範囲内です」
「それは表面の話だろ!」
「問題は存在しません」
静かな声。
「……止められるんだぞ」
「その必要はありません」
沈黙。
高梨は、言葉を失った。
理解している。
相手は“間違っていない”。
それでも——
「……終わるぞ」
その言葉は、届かなかった。
回線が切れる。
画面には、変わらない数値。
『現在の幸福度:安定』
真実は隠されていない。
——必要ないからだ。
ノリンは、正常に稼働している。
そしてその“正常”が、
すべてを覆い隠していることに、
気づいているのは——
まだ、一人だけだった。




