表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Re:海辺の君と青に溶けるような恋をする  作者: 葉南子@アンソロ発売中!
最終章 まだ見ぬ未来へ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/21

第17話 つまりエンドじゃなくてリスタート


 五分くらい泣いていただろうか。

 やっと呼吸が整ってきたくらいのころ、私はぺこりと頭を下げて謝罪した。


「本当にすみません……。みっともなく泣いてしまって……」


 先生は小さく首を横に振りながら、「そんなことない。気にするな」と声をかけてくれた。


「これ以上話を続けていても……綾瀬には、つらい思いをさせるだけかもしれない」

「それでも……聞きます。聞きたいんです」

「そうか」


 短く頷いた先生の声色が、少しだけ硬くなった。


「佐久間の親とも話をしたんだ。だけど、脳に損傷や異常は見られないし、経過も良好だという診断が下ったみたいだ」

「異常が……ない?」


 私は先生の言葉を素直に呑み込めなかった。

 

「そんなわけないです……! 記憶がなくなってるのに、そんなのおかしいです!」


 身を乗り出して、声を荒げていた。自分でも驚くほど感情的になっていることに気づく。

 目の前で戸惑うような先生の表情を見て、はっと我に返った。


「……すみません」


 先生はまた首を横に振る。それから目を伏せて、言葉を探すようにしてから口を開いた。


「綾瀬の気持ちもわかる。俺だって信じられないし、ショックだった。でも……医者がそう判断した以上、俺たちにできることはないんだ」

「亮くんの親とか、病院の先生には……話したんですか?」

「いや、余計な混乱を与えたくなくて、今はまだ。それに、本当にギター以外のことはちゃんと覚えている。生活に支障もない。佐久間にだって……無理に思い出させようとすれば、かえって混乱して苦しめることになるかもしれない。だから、黙っていようと思ったんだ」


 先生の言うことは、きっと正しいのだろう。

 だけど、一つだけ訂正するのなら。亮くんはギターのことだけじゃなくて──私のことも忘れてしまっている。

 ぐずっと、引っ込んだはずの涙がまつ毛の手前まで迫り上がっていた。


 しばらく沈黙が落ちたあと、先生がゆっくり口を開く。

 

「綾瀬と佐久間は……どんな関係だったんだ?」

「え……」


 思いがけない問いに、息を呑む。

 先生の声は優しかった。責めるでも、詮索するでもなく、ただ知ろうとしている響き。

 

 ──先生だけが、わかってくれるのかもしれない。


 私のことを忘れてしまった亮くんのことも、その痛みも。

 痛みを分かち合える誰かが、この世界に一人でもいてくれる。それだけで、ほんの少しだけ呼吸が楽になった気がした。


「友だち……でした」


 声が上擦った。

 本当は“友だち“よりも近くて、“恋人“というには遠い人。だけど、今は「友だち」以外の言葉が浮かばなかった。


 それから私は、屋上で出会ったあの日のことから話し始めた。

 雨粒がポツポツと降り始めたように、少しずつ言葉を紡ぐ。やがて、それは水たまりのようにあふれ──涙に変わっていった。


 彼が私の歌声を好きだと言ってくれたこと。

 そうして、音と歌を合わせたこと。

 莉緒と呼んでくれたこと。

 花火を見たこと。

 約束を交わしたこと──。

 

 一つひとつを思い出すたび胸が軋んで、歪んでいく。それでも、捨てられない。忘れたくない。


「佐久間は……綾瀬のこと大切に想っていたと思う」


 先生の言葉には優しさが宿っていて、同情や慰めのような、その場しのぎの類ではなかった。


「それこそ、佐久間の記憶がなくなった辺りからかな。ギターへの熱も、音楽への情熱も、そして誰かを想う気持ちも……」


 言葉が途切れ、先生は少し間を置いてから続ける。


「たぶん事故に遭う瞬間……佐久間は自分の人生の中で、一番大切なものを思い出していたんじゃないかな。それが轢かれた衝撃で消えてしまった。いや、衝撃や痛みを忘れるために、奥底に眠らせた……そんな感じがするんだ」


 そんなことがあるのだろうか。

 だけど先生の言葉は、妙な説得力があった。

 それは、私がそう思いたかったからかもしれない。なぜなら、他に説明がつかないのだから。


「……綾瀬は、文化祭どうしたい?」

「どうしたいって言われても……。亮くんがいないんじゃ……」


 たった一人で、ステージになんて立てるわけない。

 たとえマイクの前に立ったとしても、隣に彼のギターの音がなければ歌うことなんて──できるはずがない。


「音源は?」

「ギターを弾いてる動画ならありますけど……」


 先生は自分の中で何かの答えを出したように、小さく、でも力強く頷いた。


「俺は、綾瀬にはステージに立ってほしい」

「……無理です」

「だよな」


 先生は苦笑したけれど、その笑みにはどこか諦めきれない色が浮かんでいた。


「オープニングアクトで頼んでたから、もともと持ち曲は一曲だけなんだ。その一曲が、佐久間が作ったオリジナル曲の予定だった」

「……はい」

「せっかく仕上げた曲を披露せずに終わらせるなんて、もったいないと思わないか?」

「でも、亮くん……忘れてるんですよ?」


 自分で言っていて、つらくなる。その現実を一番認めたくないのは、他の誰よりも私自身だ。


「綾瀬にも思い出の曲ってあるだろ? あの曲を聴くと、あのときを思い出す、みたいな」


 先生の言葉に、ふと日常の断片が浮かんだ。

 米津玄師の『パプリカ』を聴けば、小学生のときに踊った体育館の匂いがよみがえる。Adoの『私は最強』を聴けば、中学のカラオケで笑い転げた放課後が思い出される。


「色濃く記憶に残ってる曲ってさ、不思議と忘れないんだよな。それどころか、あの頃の景色や匂いや感情まで、鮮明に残ってるんだ」


 たしかに、先生の言う通りだと思った。音楽には時間を越えて心を揺さぶる何かがある。記憶よりも深い場所に触れて──世界線すら超えてしまう何かが、あるような気がする。

 先生は「つまり……」と言葉を区切り、眼鏡の奥の瞳をこちらに向けた。

 

「綾瀬が歌えば……もしかしたら、思い出すかもしれない。自分が初めて作った曲、それも大切な人と一緒に。そんなの、忘れるはずないと思わないか?」


 先生の微笑みと言葉が、胸にあたたかく染みていく。凍りついていた心が、少しだけ動いた気がした。


 ──そうかもしれない……。


 暗闇の中で見つけた光は頼りないほどか細くて、今にも消えてしまいそうだったけれど。それを「希望」と呼ぶのには、じゅうぶんすぎるほどの光だった。


「……はい。私も、そう思います」

 

 小さく息を呑み込む。ぎゅっと膝の上で拳を握りながら、私は顔を上げた。

 そんな私を見た先生は安堵したように微笑み、ゆるく息を吐いた。


「俺も、初めて作った曲は今でも覚えてるんだ。青くさくて、だけどあの頃の自分じゃないと作れない曲だった。好きなバンドのパクリみたいな曲作ったっけ」


 そう話しだした先生は目尻にしわを寄せて、懐かしそうに笑っている。

 眼鏡の奥にある瞳が少しだけ幼く見えて、音楽の話をしているときの亮くんと重なった。


 ──いつか亮くんも、こんなふうに笑う日が来るのかな。


 大人になって、あの頃の音や景色を懐かしむように一緒に話せたら──そんな未来を願う気持ちが、キャンドルの灯のように胸にともった。


 ♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚


「ありがとうございました。なんか、すっきりした気がします」

「俺も。正直、本当にショックだったんだ。だけど、綾瀬と話していたら……奇跡が起こるかもしれないって思えた。こちらこそ、ありがとう」


 二人で軽く頭を下げ合う。

 会議室に案内されたときの重たい空気は、霧が晴れたように消えていた。

 

「文化祭も全力でサポートするから、困ったことがあれば何でも言ってほしい」

「はい、ありがとうございます」

「絶対に、俺が責任を持って佐久間を会場に連れていくからな。約束する」


 教師としてではなく、ひとりの大人としての誠実さを感じさせる言葉だった。

 だから私も単なるお礼の言葉ではなく、ひとりの音楽好きな人へ向けた感謝の言葉を紡いだ。

 

「先生……アジカンって、かっこいいですよね」


 一瞬だけ、先生が目を見開いた。どうして私がそのバンドを知っているのか──その理由をすぐに悟ったのだろう。

 それから腕を組んで、誇らしげに微笑んだ。


「だろ」


 軽やかな響き。先生がこんなふうに笑っている顔は、初めて見たかもしれない。


 ──あの人の笑顔を、もう一度見たい。


 好きなことを語る亮くんが、私は大好きだった。また、あの笑顔に会えるかもしれない。もしそれが叶うなら──。


 家に帰ると、私はすぐに机に向かった。

 亮くんから送られたメッセージを紙に書き写して、じっくりと目で追う。

 記したのは、彼が作詞した歌詞の一番。彼の想いが、ぎっしり詰まった詞。

 その想いに応えるように、私は感情のままペンを走らせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ