第15話 世界がダッチロール
《side B→A》
莉緒と別れたあと、アコギを音楽室に返した俺は星野先生のいる職員室へと向かった。
「文化祭、上手くいきそうか?」
屋上の鍵を受け取った先生は、椅子にもたれながら軽く笑う。
「はい、おかげさまで」
「で、ボーカルは誰なんだ?」
「秘密って言ったじゃないですか」
わざとらしく肩をすくめて返すと、先生は「はいはい」と手をひらひらさせた。けれど、その目はどこか確信めいたように細められている。
「……青春だねぇ」
そう言って、さらに深く椅子にもたれて腕を組み出した。
「俺も佐久間くらいの頃は、女子とカラオケとかライブ行ったりしてたなあ。大学時代は当時の彼女とフェスとか行ってさ、そりゃもう……」
唐突にやってくる、先生の思い出話の時間だ。
いつものように苦笑いを浮かべるが、実際のところ話を聞くのは嫌ではなかった。
昔を語る先生の瞳はいつだって、あの頃に戻った少年のそれだ。たぶん、俺と重ねて見ているところもあるのかもしれない。
「でさ、先生。やっぱりエレキ買おうかなって思ってるんですよね」
「そうなのか?」
「夏休み中ずっと触ってたから、家で触れない時間が退屈っていうか、落ち着かなそうで。エレキなら夜に弾いてもアコギよりうるさくないかなって」
「意外とうるさいぞ」
「マジっすか?」
「まあ、確かにアコギよりはうるさくないけど」
先生は眼鏡を押し上げて、どこか得意げにしている。
「わかるわかる」と同意するように頷きながら、過去の自分を思い出しているみたいだった。
「俺も手頃なエレキ調べといてやるけど、まずは親に相談だな」
「了解です」
年齢も立場も違うのに、不思議と話が通じる。その瞬間は、けっこう楽しくて嬉しかった。
──親も先生みたいに音楽に理解があればなあ。
なんて思ったりしながら帰路についた。
♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚
イヤホンをして、とぼとぼと歩く。
秋の気配が近づいている海沿いの風は、街が赤黄色に染まり始めるための息吹きのようにも思えた。
──莉緒、どんな詞書くんだろう。
明るい彼女のことだから、詞もそのままストレートに表現しそうだ。
でも、ふとしたときに見せる大人びた表情や、歌っているときの言葉に魂を宿したような繊細な息づかい──そういう、もうひとつの彼女の顔がきっと詞のどこかに滲むんだろう。それを聴ける日が、たまらなく待ち遠しい。
──そういえば、俺が書いたやつ送ってなかったな。
見せるだけ見せて二番を書いてほしいなんて頼んだくせに、肝心なことを忘れていた。
まあ、送らなくても困らないだろう。けど、詞には韻を踏むまではいかなくても、流れやリズムがある。前半の雰囲気がわかったほうが書きやすいんじゃないだろうか。
なんて思ったのは、きっと建前だ。
本当は見てほしかった。
あの詞には、莉緒を想う気持ちを詰めたから。
自作のラブソングを送りつける痛い奴みたいだけど──その“痛さ“も、今なら少しわかる気がした。
信号が赤になって、待っている間に歌詞を載せたメッセージを送る。
──はやっ。
すぐに既読がついた。
嬉しくて、勝手に頬が緩む。
──明日また屋上に誘おうかな。
莉緒と二人きりで会えるのは、週に一度の屋上だけ。二人の秘密の時間は週に一回と、すでに小さなルールになっていた。
特別感があって、それでもよかったけれど。今はもう、もの足りない。文化祭の日に告白しようと決めたのに、今にも口を滑らせてしまいそうなほどだ。
──莉緒、「好き」って言ったらどんな反応するかな。
困った顔で遠回しに断りを入れるのだろうか。それとも、あの明るい笑顔を見せてくれるのだろか。
やがて、横断歩道の信号が青に変わる。
相変わらず、莉緒のことになると子どもみたいなことを考えてしまう。
ひとつ息をついて、前に歩き出した。
いつもと同じ帰り道。同じ音楽アプリで曲を聴いて、同じ歩幅で歩いていたのに──何をかけ違えたのだろう。
気づいたときには、爆音のクラクションを鳴らした車が目の前にあった。
──え……。
そう思うよりも早く、脳内では走馬灯が流れていた。
屋上の風景、歌う姿、夏休み、明るい笑顔──彼女とのすべてが一瞬で頭を駆け巡る。
──莉緒……。
硬直した身体。時間が止まったかのように思えたのは、あながち間違いじゃなかったのかもしれない。
激痛なんて言葉では言い表せないくらい熱いものが身体を貫いて──俺の意識は、そこで止まった。
♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚
──亮くん……! 亮くん……!!
学校が終わってすぐ。
私はアルコールの匂いが漂う殺風景な廊下を、駆け抜けるような早足で歩いていた。
彼に会うのが許されたのは、事故に遭った三日後のこと。信号無視した車に轢かれたと聞いたとき、全身の血の気が一瞬で引いたのを今でも覚えている。
緊張と不安と、彼にまた会える喜びを抱えて、控えめに病室のドアを開けた。
「わるいな、わざわざ来てくれて」
亮くんは質素なベッドの上で、少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。
「見た目ほど重症じゃなくてさ、軽い脳震盪と骨折。あと数日で退院できるらいしいわ」
あははと何事もなかったかのように笑ってみせた。
けれど、その瞳はどこか遠くを見ている。
頭と右腕にぐるぐると包帯を巻いた、その人は──。
「見舞い、ありがとな。……綾瀬」
私のことを、綾瀬と呼んだ。




