第14話 その先は私のもの
色濃い日々の夏休みも終わり、暦は九月に入った。
久しぶりに袖を通した制服は少しだけ窮屈に感じる。「いってきます」と眠い目を擦って、学校に向かった。
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うとうとと始業式をやり過ごし、午後の授業にそれっぽく耳を傾けて、ようやく待ちに待った放課後がやってきた。
教室を抜け出して、はやる気持ちを抑えきれず足早に屋上へ向かう。
階段を駆け上って屋上のドアを開けた瞬間、夏の名残を感じる海風が頬を撫でた。少し涼しさを帯びた風の中には、ギターを抱えていつもの場所に座る彼の姿。
「ここで会うの久々だな」
「ほんと。なんか懐かしいくらい」
私たちの出会いのきっかけになった屋上。どれも色褪せることなく、私の記憶にしっかりと刻まれている。
そして夏休みを経た今、記憶の中よりもずっと亮くんとの距離が近くなった気がした。
「そういえば、曲できたってほんと?」
「ほんと。星野先生にアドバイスもらったりして、なんとかって感じだけど」
「それでも、もう曲が作れるなんてすごいよ」
たしか「オリジナルとか作らないの?」と聞いたのは、八月が始まってすぐのことだったはず。何気なく訊ねたつもりなのに、たった一ヶ月足らずで完成させてしまうなんて、さすが亮くんだなと感心する。
「文化祭には間に合わせたくて。残りは練習とか、莉緒と合わせる期間にしたかったから」
「……聞いてみたい」
亮くんは私と過ごす時間のことまで考えてくれている。嬉しくて、ぽつりと呟くよう言葉が出た。
微笑んだ彼が小さく頷く。すうと息を吸って、弦に指を這わせはじめた。
ロックっぽい曲調。だけど、口ずさむメロディはちょっと切なげ。コード進行とかオクターブ奏法とか、以前亮くんが言っていたことは今でもよくわからないけれど──なんとなく、アジカンっぽいなと思った。
「……こんな?」
「すごい……かっこいい。それに、弾きながら歌えるなんて、やっぱりすごいよ」
「歌うっていうより、こんなイメージかなってメロディ口ずさんでただけだよ。でも、早く莉緒に歌ってほしいって頑張った」
そう言って、無邪気に笑う。
彼の笑顔にきゅんとするのは、これで何度目だろう。
そんなのもう、数えきれない。きっとこれからも、私はこの笑顔にときめいて、そのたびに彼をもっと好きになっていくんだ。
「実は……歌詞もできてたり」
「え、見たい!」
「これがさあ、めっちゃ恥ずいんだよな。感性バレるっていうか」
「でも歌詞って、そういうものでしょ」
「まあ、そうだけど。……笑わない?」
「笑わない笑わない!」
彼は「じゃあ」と気恥ずかしそうにスマホを取り出し、メモアプリを開いて見せてくれた。
書かれていたのは──純文学的で叙情的みたいな、現代文の偏差値が上がりそうなもの。
「これ、亮くんが考えたの?」
「まあ」
「亮くんっぽい」
「……さんきゅ」
わずかに頬を赤らめる亮くん。彼の髪をなびかせる海風の中に、甘い香りが混じっている気がした。
この曲はきっと、彼の“好き“がぎゅっと濃縮された曲。その中に、少しでも私が入っていたのなら──こんなに幸せなことはない。
スマホの画面を見つめながら、ふと気づく。
紡がれる言葉は、途中で終わっていた。
「これ……、一番の歌詞しかない?」
「うん。二番は、莉緒に書いてほしくて」
「……私?」
聞き返せずにはいられない。まさか自分がそんな大役を頼まれるなんて、思ってもみなかった。
「そ、共同作業っていうか。莉緒の想いもメロディに乗せてみたいなって」
「でも私、亮くんみたいな詩的センスないよ」
言いながら、心臓の音が少しだけ速くなる。
私の想い──そんなの書いたら、亮くんに気持ちがバレてしまいそうだ。
「俺だってないし。だけど、莉緒の言葉で莉緒が歌う。それを俺が弾けるって、なんか……最高の贅沢かなって」
ふっと笑った顔は、いつも以上に子どもっぽく見えた。
私たちの間を通り抜ける潮の香りがたまらなくなって、胸が騒ぎだす。
──やっぱり、好き……。
どうしようもないほどに、私は彼のことが好き。
視線を逸らして息をひとつ呑み込む。そしてこの気持ちをごまかすように、ゆっくりと口を開いた。
「……書いてみる、二番」
言葉にした瞬間、亮くんの顔がぱっと明るくなる。その笑顔に心臓がまた早鐘を打った。
せめて彼が私のことを見てくれている間だけは、彼の期待に応えたい。それにもう、気持ちなんて隠しきれないのかもしれない。
「ありがとな、莉緒」
やさしく笑う声。
名前を呼ばれただけでこんなにも心が震える人なんて──この地球上に、亮くんしかいない。
「……ね、動画撮ってもいい?」
「動画?」
「うん、ギター弾いてるところ。たくさん練習したいから」
彼の作った曲を早く覚えたい。隣で歌ってみたい。
カラオケじゃなくて、ステージに立って観客の前で歌う。それがとれほど緊張することなのか、まだ全然実感すら湧かないけれど。
亮くんが言っていた通り、最高の思い出にしたい。
「こっちも音源送りたいって思ってから大丈夫だけど、かなり恥ずいから後ろ姿な」
「……横からもダメ?」
「ダメ。それは目に焼き付けておいて」
叱るようで、甘く囁くような口調。
他の人から聞いたら「キザだな」としか思わないセリフも、亮くんというフィルターを通すだけで魔法の言葉みたいに聞こえてしまった。
亮くんは、くるりと私に背を向けた。後ろ姿なのに、胸はどんどん高鳴っていく。大きくて、ちょっと丸まった背中が愛おしい。手元ではスマホを構えながらも、目は彼から離せない。
「準備できた?」
「できた。失敗したら撮り直しな」
顔は見えないけれど、声色でどんな顔をしているのかはすぐにわかった。
──やっぱり、亮くんって子どもみたい。
そんなことを考えながら、私は録画ボタンを押した。




