4. これが本物の戦場だ
「…………ヴェル、兄?」
視界の端で、ヴェベールの足から血しぶきが舞い上がったのが見えた。
ヴェベールは苦痛に顔を歪ませ、刀で体を支えながらその場に膝をついた。
その時彼は撃たれた方向をギロッと睨んだが、犯人は見当たらない様子。
どうやら流れ弾が当たってしまったようだった。
「――うっ!?」
ヴェベールに気を取られている間に、死にかけの敵兵の刃があと数ミリで届こうとしていた。
アデルは咄嗟に注意を目の前に戻したが、そろそろ限界だった。
相手の剣が近すぎるせいで、しっかりと刀に力が入らない。
(まずい……このままだと死ぬ!
どうする……どうすればいい!
俺は……俺は…………!)
アデルの頭は真っ白になりかけていた。
その時、ヴェベールがゆっくりと立ち上がった。
そして太ももの怪我など一切気にせず、アデルに向かって走り出す。
「あ゙あ゙ぁぁぁぁぁぁ!!!」
ヴェベールの顔はとても険しく、根性で何とか動いている様子だった。
彼は刀を構えると、アデルを襲う兵士の頭を突き刺した。
そして、敵と一緒にその場に倒れこんだ。
「ヴェル兄! しっかりしろ!!」
アデルは覆いかぶさってきた敵兵を突き飛ばし、横に転がっているヴェベールを揺さぶった。
意識はあるものの、相当無理したようで激痛に耐えるので精一杯のようだった。
その間も、撃たれた太ももからは大量の血が流れ出ている。
それを見てアデルは、思わずパニックを起こしてしまった。
「あ……あぁ……」
何も考えられない。
色んなことが頭をかけ巡って爆発しそうだ。
アデルは頭を抱えて叫ぼうとした。
だがヴェベールがそんな彼の額にデコピンをして、何とか発狂を止めた。
気づくと、ヴェベールは自分で応急処置を始めていた。
軍服のベルトを取り、傷の上の部分できつく締め上げて止血をする。
その時彼は低く唸ったが、力を緩めることは一切しなかった。
それでも血が止まらなかったので、今度は上着を脱いで傷口の上に被せた。
そして、同じように強く巻き付ける。
「づっ――!! はぁ……はぁ……
アデル……近くのテントまで、運んでくれ……」
アデルは固まってしまっていた。
仕方なくヴェベールは強めにアデルの名前を呼ぶと、はっと我に返ったかのように驚いていた。
そしてアデルは慌てて敵が張った一番近いテントまでヴェベールを引きずり、奥の方に座らせた。
縛った軍服は、大量の血を吸って赤くなっていた。
どうやら相当の深手のようで、すぐに治療しないとまずいのは明白だった。
その証拠に、ヴェベールの顔が白くなっている。
「……はぁ……はぁ……無事……? アデル……」
「俺のことはいい! それより、早くその怪我を……!」
だがどうやって?
いったい何に手を付ければいい?
そもそも応急処置もできなかった自分が、対処できるのか?
「アデル……アデル!」
気が付くと、アデルは無理やりヴェベールの目を見させられていた。
彼はわずかに震えていて汗だくだが、目つきは鋭かった。
そんな彼の顔を、アデルは見たことがなかった。
「いいか……? オレもまだ新米、だけど……これが、戦争というものだ!
敵の根性、応急処置の仕方、精神を落ち着かせる方法……
それらは全部……軍学校で教わるものだ……!
だからお前には、早すぎるんだよ……!」
「――っ」
ぐうの音も出なかった。
実際入学したときから、「敵が絶命するまで油断するな」とか「心を落ち着かせろ」と何度も教わってきた。
でも強い自分には縁のないことだと、ずっと聞き流していた。
それがこの結果だ。
へまをして、大切な人を傷つけ、何もできない……
アデルは初めて、自分は弱いのだと自覚した。
でも、そんなことは今気にしている場合ではない。
ヴェベールを助けないと。
彼を失うことの方が、アデルにとっては耐えられないことだった。
(……! そうだ、ここは敵の拠点。
ならば医療用テントがあるはずだ!)
アデルは震える足を無理矢理押さえ込んで、ゆっくりと立ち上がった。
そして腰にさした刀を握り、きょとんとしているヴェベールに覚悟を決めた顔を見せた。
「医療キットを探してくる」
「っ!? 馬鹿、よせ!」
ヴェベールの制止は虚しく、アデルは反転してテントを出てしまった。
その時のアデルは、ジャンが感じたことがないほどの心の強さがあった気がした。
覚悟を決めたのはいいものの、一体どこを探せばいいのか見当もつかない。
時間を掛ければそのうち見つかるだろうが、残念ながらそんな悠長にしていられない。
早くしないと、ヴェベールは死ぬ。
周囲には、まだ敵兵の姿がちらほらあった。
セルジュはもう既に通り過ぎたというものの、この場では小競り合いが続いている。
これにかけるしかなかった。
アデルは刀を抜き、一番近くにいた敵に襲い掛かった。
「医療器具はどこだ!?」
「……!? 敵に教える奴がいると思うか!?」
やむを得ず、アデルは相手の武器を弾き飛ばして心臓を突き刺した。
相手が崩れて動かないのを確認するや否や、再び近くの敵に刀を振り下ろす。
「医療用テントはどっちだ!?」
「知らない!」
アデルは再び、敵兵を両断した。
……殺しというのは、こんなに重たいものだったのか。
そう考えざるを得なかった。
さっきまでは戦うのが楽しくて仕方がなかった。
でも今は違う。
敵を斬る度に感じる感触が、あまりにも気持ち悪い。
時々立ち止まり、吐き気を我慢することを強いられるほど。
だが殺さないと、先程の二の舞いになってしまう。
そのためどんなに嫌でも、敵を屠る手を止めてはいけない。
どんなに精神を抉られようとも。
そうして何人斬り殺したのか分からなくなった頃、怯えて蹲る敵を見つけた。
返り血を浴び続けたアデルがゆっくり近づくと、相手は短い悲鳴を上げた。
「ひっ!? 来るな……!
俺には3歳の娘と1歳の息子がいるんだ!
頼む、見逃してくれ!」
アデルは真顔のまま、松明の灯りに照らされて光る刀をちらつかせながら近づいていく。
そして相手の目の前に立つと、刃を心臓の方に向けた。
敵兵は失神しかけていた。
「……医療キットは?」
「み、右を曲がってすぐに医療用テントがある!
どうか命だけは……命だけは!」
欲しい情報を得た直後、アデルは興味を失ったように刀を引っ込めた。
そして必死に懇願する相手の存在を忘れて、指し示された方向へと走っていった。
残されたのは、助かったことに呆然としている情けない兵士だけだった。




