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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

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ヤンデレ弟に恋人も可愛い後輩も奪われた。絶望する私を見て嗤う彼は知らない。新婦が私と共謀して彼を殺す「暗殺者」だということを

作者: 御厨そら
掲載日:2026/03/10

 花嫁クラーラの純白のウェディングドレスは、私には死装束にしか見えなかった。


 私はエルシーリア・ガンディーニ。今日、結婚式を挙げる花婿の姉だ。


 ステンドグラスから煌めく光が届く教会。私は家族席で、弟ラニエロと貴族学校の後輩クラーラの挙式を眺めていた。


 誰が見ているかわからない。だから、口角を上げて嬉しそうになりを作った。


 壇上の二人を見つめる参列者の熱気が凄まじい。美男美女の理想のカップルがそこにいたからだ。ここにいる人々は、実の姉である私よりもこの結婚を祝福していた。私はただ、平静を装うしかなかった。



 パイプオルガンの荘厳な音色が堂内に流れる。床から足へ、背もたれから背中へ。空気を震わせる重低音がお腹にも響いた。


 いつもは冷気をはらむ静粛な場所が、華やかに色づいている。これから神父が、神との契約を述べようとしていた。



 クソ喰らえだ。



 クズで最悪の弟が、私が貴族学校で可愛がっていた後輩と結婚するなんて。絶対に、許せない。


 クラーラは貴族学校時代、私にべったりだった。どこに行くにもついてきて、少し鬱陶しいと感じることもあったけれど、その純粋無垢な性格を知るうちに、かけがえのない友人になった。


 そのクラーラが弟と結婚する。はらわたが煮えくり返る思いだった。


 私には、壇上の二人の姿が、美しい白い蝶が蜘蛛の巣に囚われてもがいているように見えた。


 白い蝶がクラーラ。糸を伝って襲いかかる蜘蛛が、弟のラニエロだ。



 ********** 



「エルお姉ちゃん、大好き!」


 幼い頃のラニエロは可愛かった。私にしょっちゅう抱きついては、私が邪険に扱うと泣いて抗議した。


 それが可笑しくて、よく泣かせたものだ。


 そのラニエロに変化が現れたのは七歳の頃だ。私に反抗するようになった。癇癪を起こし、私に暴力を振るうようになったのだ。


 二歳上の私は、力ずくでラニエロを押さえ込んだ。姉が弟より上であることを分からせる。教育的指導だ――そう信じていなければ、幼い弟をねじ伏せることなどできなかった。


 ラニエロは悔しがったが、体力の差はいかんともしがたい。


 その後、ラニエロは私に逆らわなくなった。



 ある日、庭先で屈み込んでいるラニエロの背中に声をかけた。


「何してるの?」


「ケガしてる雀を見つけたんだ」


 へえ、優しいところもあるのね。感心した、その直後だった。

 


 ボキッ!



 乾いた音を立てて、彼は雀の首を捻った。


「バカッ!」


 私はラニエロの頬を平手打ちした。

 ラニエロは頬を手のひらで押さえ、私を睨みつけた。


「殴ったね。また殴られた。僕が小さいからって、何をやっても許されると思うなよ。すぐに大きくなる。……わかる、この意味?」


 ラニエロは不気味な笑みを浮かべた。





 屋敷の廊下で侍女たちが噂していた。近ごろ雀や鳩の死骸が庭のあちこちで見つかって不気味だと。


 私は飼い猫のルーナを探している最中で、侍女たちの話に割って入った。


「ルーナを知らない? 朝食を用意しても来ないのよ」


「あっ、そういえば裏庭で見かけました。見慣れない黒猫と一緒にいたので、微笑ましく思っていたのですが……」


「黒猫? 野良猫かしら」

 胸騒ぎがした。


 屋敷の裏庭に出ると、ラニエロと出くわした。彼は黒い子猫を抱きかかえていた。


「ルーナを知らない? 庭でその黒猫と遊んでいたって、侍女たちが言っていたわよ」


「さっき、ハヤブサに襲われて空の向こうに連れ去られるのを目撃したよ」


「嘘っ!」


「本当さ。でも安心して、この黒猫をお姉ちゃんにあげるから。ルーナの代わりに可愛がってくれたら嬉しいな」


 そう言って、彼は白い歯を見せた。


 弟が屋敷に戻った後、私は必死に裏庭を捜した。ルーナの姿はどこにもない。


 ふと、ラニエロのズボンの太ももが汚れていたのを思い出した。弟は土いじりをした後、ズボンで手のひらを払う癖がある。


 まさかと思いながら地面をくまなく探すと、新しい土が盛り上がっている場所があった。


 私は膝をつき、素手で土を掘り返した。指先に冷たい土の感触が絡みつく。奥から白いものが見えた。柔らかな毛。土の下から現れたのは、ルーナの顔だった。


 私はルーナの亡骸を抱きしめた。まだ、ほんのりと温もりが残っていた。嗚咽が漏れた。涙がとめどなく頬を伝う。


 絶叫した。



「うぎゃあああああ――っ!」



 許せない。


 絶対に、許せない。




 ラニエロの裏の顔を知っているのは私だけだ。


 父母はもとより親類縁者、下僕たちにとっても、ラニエロは人気者だった。


 何より美少年だったので侍女たちからも可愛がられた。ラニエロ自身、私以外には決して横柄な態度を見せなかった。優等生そのものだ。


 最近、ラニエロは剣の練習を始めた。元騎士団長の師匠は「ラニエロは筋がいい」と評した。


 それが嬉しかったのか、彼は朝早くから夜遅くまで狂ったように練習に打ち込んでいた。


 師匠との実戦稽古では叩かれ、殴られ、蹴られた。手加減など一切ない。


 それでもラニエロは、地面に倒れてもすぐに立ち上がった。負けん気だけは人一倍だ。こればかりは姉弟共通の性格だった。


 そして十五歳になり、師匠と模擬稽古をすることになった。


「エルお姉ちゃん、賭けをしない? 僕が勝ったら、欲しいものがあるんだ」


「負けたらどうするのよ」


「お姉ちゃんの奴隷になるよ」


「いいわ。その賭け、乗ったわ」


 ラニエロの剣の師匠は元騎士団長。その腕は国内でも三本の指に入る。


 いくら稽古に励んだところで、ラニエロごときが相手になるわけがない。


 ガンディーニ家の一族が見守る中で試合が始まった。


 二合、三合と打ち合った後、膠着状態が続いた。満を持して師匠が突きを繰り出した。



 三段突き!



 師匠の得意技だ。これでバランスを崩した隙を突く手のはずだったが、凄まじい勢いの木剣が師匠のそれをなぎ払った。



 木剣が宙を舞い、地面に落ちる。



「俺の負けだ、それまで!」


 バキッ!!


 無情にも、師匠の額に木剣の先端が叩きつけられた。


 崩れ落ちた師匠は悶絶した。

 

 ラニエロは私を見てニヤリと笑った。賭けに勝ったぞと言わんばかりに。



「貴族学校に入学したら、【ローズクラウン】に入会したい」


 ラニエロからその名前が出て、私は驚いた。ローズクラウンとは、私が貴族学校で運営している新興のサロンだ。


 私の心が休まる唯一の場所。そこにラニエロは、無遠慮に入り込もうとしていた。


 秋になり、貴族学校の入学式が行われた。式典の席でラニエロは私の姿を探し当てると、目で合図を寄こした。


「あの子がラニエロ? 女の子と見間違うほど綺麗な子だね。君と瓜二つだ。姉弟だから当たり前か。僕は……一目で気に入ったよ」


 バカじゃないの。あなたの目は節穴よ。節穴じゃなかったら、そんな呑気なこと言えるわけがないわ。


 私の隣にいたのは、ローズクラウンの右腕、オリンド・スカルファロだ。私の同級生であり、「彼氏」でもある。


 彼の情熱的なアタックに根負けして交際することになったが、サロンの立ち上げに最も尽力してくれた人物だった。


 その彼にさえ、ラニエロの本性の恐ろしさは話していない。家の恥を晒すことはできなかった。


 入学後、ラニエロは校舎の端にあるサロンに顔を出した。メンバー五人と顔合わせをした後、正式会員となった。


 その日のラニエロは、大人しく様子を伺っていた。私たちの話を聞きながら紅茶を飲んでいる。彼の視線の先を辿ると、オリンドを注視しているのが分かった。


 視線に気づいたオリンドが話題を振ると、ラニエロは問題点を的確に突き、皆を驚かせた。


 私も驚愕した。脳筋だと思っていた弟に、「知性」があったのだ。


 しかし、ラニエロはその後、二度とローズクラウンに来ることはなかった。不審に思った私は彼に問い詰めた。


「何でローズクラウンに来ないのよ。みんなラニエロと話したがってたわよ」


「分かったから、もういいよ」


「何が分かったの?」

 ラニエロはニンマリと笑った。


「お姉ちゃんの大切な人だよ。オリンドさんと付き合ってるね」


「えっ」


 私とオリンドの交際は、サロンのメンバーにも隠している。秘密だ。誰にも気づかれずにいたはずなのに、なぜラニエロには分かったのだろう。


 半年後、我が家の御者兼庭師のブラージが、話したいことがあると私を訪ねてきた。


 私は彼を東屋に招いた。恐縮しながら椅子に座ったブラージが口を開く。


「こんなことを申し上げるべきか迷ったのですが……」

 

 ブラージの話によれば、休日に王都へ出かけた際、夜遅く友人と飲みに出たのだという。


 酒場を出たところで、前を横切る男女が目に入った。それがオリンドだった。相手の女はスカーフで顔を覆っていたが、二人はそのまま宿へと消えたという。


 ブラージは「見間違いではない」と断言した。


「オリンド様は何度もお嬢様と一緒に馬車にお乗せしております。見間違えるはずがございません」


「ブラージさん、教えてくれてありがとう」



 私はサロンにいたオリンドを問い詰めた。


「私に何か、言うことはない?」


 オリンドは私をサロンの別室へと連れ込んだ。この部屋はかつて物置だった場所だ。壁一面が書架で埋まり、黴臭さと湿気が鼻孔を刺激する。


「やっぱり、言わなくちゃ駄目だよね」


「そりゃそうよ」


「僕と別れてほしい」


「えっ」


「ごめん、もう君を愛していないんだ。自分を偽ることはできない」


「それ、本気で言ってるの?」


「好きな人ができた。君を裏切って本当に申し訳ないと思っている」


 好きな人……。例の連れ込み宿の女のことだろうか。


 単なる浮気ならとっちめて許そうと思っていた。けれど、本気で私を捨てるつもりだとは思わなかった。


 じんわりと鼻の奥がツンとしてくる。私の頬を伝った涙を見たオリンドは、顔を背けた。


 別室を出るとき、もう涙はなかった。惨めな姿をサロンのみんなに見せるわけにはいかない。気合で涙腺を閉じた。


「何かありましたか?」

 機微に聡いクラーラが、私の異変に気づいたようだ。


「ううん、ちょっとしたサプライズがあっただけ」


 私の言葉に、クラーラは目を輝かせた。背後のオリンドに目を向けたが、彼は視線を逸らす。クラーラは怪訝な表情を浮かべた。


 それにしても、私を振ってまで付き合いたい女とは、一体どんな女なのか。


 真面目なオリンドのことだ。手練手管な年上の貴婦人にでもたらし込まれたのだろうか。



 屋敷に戻った私は自室に直行し、ベッドへ突っ伏した。枕に顔を埋めて、ようやく号泣した。


 小刻みに震える私の肩に手を当てたのは、黒猫のネーロだ。ネーロは肩をゆすり、頭をこすりつけてきた。普段とは違う私を心配しているようだった。


 私はネーロを抱きしめた。ラニエロから渡された雄猫だが、野良にするわけにもいかず飼うことに決めたのだ。白猫ルーナとは対照的な黒毛ゆえに、ネーロ。


 飼えば愛着が湧くもので、今では私のお気に入りだ。抱きしめると、毛並みの柔らかさと体温に癒やされた。私はネーロに問いかけた。


「彼氏に振られたの。どうしたらいい?」


 ネーロの瞳が、妖しく輝いた。




 

「あの明かりの付いている二階の角部屋です。一時間前に、二人で入るのを確認しました」


 そう報告したのは、御者ブラージの飲み友達であるタマロだ。何でも屋をしている彼は、この一ヶ月、私の手伝いとしてオリンドを夜遅くまで追跡していた。


 私たちは街路樹に身を隠し、例の窓を眺めた。カーテンの燭台の灯りが揺れている。


 あそこの部屋に、オリンドが女と一緒にいる。嫉妬の炎がメラメラと燃え上がった。


 カーテンに人影が映った。窓辺の鎧戸が少し開き、突如として白い物体が飛び出した。



 ――紙飛行機だ。



 ゆっくりと旋回し、地面に落ちる。私たちのすぐ目の前だ。

 タマロがそれを拾い上げ、私に手渡した。広げてみると、文字が綴られていた。



《誰か助けてください。彼氏に殺されます。サボテンの植木鉢を窓辺に置いている二階の部屋です》



 あの角部屋だ。


「行きましょう!」

 手紙を覗き込んだタマロが言った。

 

 二階の角部屋の前に辿り着くと、中から呻き声が漏れていた。その声は徐々に大きくなり、叫びへと変わる。



「誰か助けて――!!」



 私はタマロに目で合図を送った。タマロがドアを蹴り破る。


 バキッ――!


 ドアノブ付近の板目が割れ、タマロが手を突っ込んで内側のかんぬきを外した。


 私たちは部屋に踏み込んだ。


 部屋の隅のベッドで、二人が全裸で絡み合っていた。上になっていた男が振り返る。オリンドだった。驚愕に顔を歪めている。


「な、何で……君がここに?」

 

「僕が殺されそうだから、助けに来てくれたんだよね、姉さん」


 うつ伏せになっていたのは、弟のラニエロだった。



 気まずそうにしていたタマロを帰した後、私は二人に服を着るよう命じた。

 慌てて下着とズボン、開襟シャツを身に着けるオリンド。


 一方でラニエロは、下着とハンガーに掛かったワンピースを手に取った。そしてベッドサイドに置いた金髪のウィッグを被り、私にウインクをしてみせた。


 女装姿のラニエロは、息を呑むほど美しかった。美少年だとは知っていたが、これほど完璧に化けられるとは。神はとんでもない怪物を作ってしまった。


「言っておくけど、僕がオリンドさんを誘ったわけじゃないよ」


「そうなんだ。入学式で見かけた時から動揺が止まらなかった。ローズクラウンで君の姿を間近に見て、確信したんだ。彼こそが僕の“本命”だと」


 悶々と悩んだ末、オリンドは学校で見かけたラニエロを追いかけ、声を掛けたのだという。


「オリンドさんは酷いんだ。『試験が近いから、僕が家で教えてあげる』なんて言うからついて行ったのに、襲われてしまった。僕の初体験は、女性ではなく男になってしまったよ」


 その口調は愉しげで、形容しがたい違和感があった。


 もしかして、ラニエロは被害者なのか? オリンドの暴力に屈して自虐的になっているのだろうか。


「オリンドを愛してるの?」


「もちろん」


 ラニエロはオリンドの背後から体を密着させた。オリンドの右手首を掴むと、ワンピースの隙間から自分の胸を触らせた。


 ラニエロが恍惚の表情を浮かべる。


「こんなにも愛されてる。彼は僕に夢中なんだよ、姉さん」





 ここは郊外、川沿いの堤防。私が日傘を差して待っていると、川上から流れてきた小舟が岸に到着した。


 ツバの広い編み帽子の船頭が、私に向かって手を上げる。タマロだった。


 私たちは川辺に並んで腰を下ろした。川の流れを目で追いながら、あの部屋での結末を話すと、タマロはヒューと口笛を吹き、信じられないといった様子で首を振った。

 

 彼は私の次の言葉を待った。


「暗殺者を雇いたい」


「暗殺者を雇いたい? あんた、本気かい」


「本気です」


「高くつくぜ」


「いくらでも出すわ」


「そりゃ、元彼に可愛い弟が凌辱されたら復讐したくなるのも分からんでもないが……」


「暗殺してほしいのは、オリンドじゃない。弟のラニエロよ」


 



 ある夜、武芸の出稽古帰りで独りになったラニエロに、背後から酔客すいきゃくが近づいた。


 男は背中に回した右手に、短刀を隠し持っていた。



 翌朝、川でうつ伏せのまま流されている死体が発見された。岸辺に辿り着いた遺体は、全身があざだらけだった。

 夜警団の一人が詳しく調べると、指が十本すべてへし折られていたという。拷問死だった。



「――まさか、失敗するとは思わなかった。あいつは王都の裏社会でも名の知れた男だ。要人暗殺を何度も成功させている。相手が学生だからと手を抜くような奴じゃない。ラニエロは……一体何者なんだ!?」


 消沈したタマロに、私は言い捨てた。


「怪物よ」


「……俺は王都を出る。あいつが拷問で口を割ったとは思いたくないが、念のためだ。ほとぼりが冷めるまで、どこか遠くに身を潜めるつもりだ」


 そう言ったタマロは、トランクケースを抱えて乗り合い馬車に乗り込んだ。出発の間際、私はタマロの首に自分のスカーフを巻きつけた。


「これは?」


「次に会ったときに返してもらうわ」


「わかった。連絡はいつも通りブラージに頼む」


 私は王都を去っていく馬車を見送った。



「ねえ、また私の大事な人がいなくなっちゃった」

 私は足元で体を擦りつけてくる黒猫のネーロを抱きかかえた。


「みんな私から去っていくの。寂しいわ」


 ネーロは私の顔を舐めて、慰めてくれた。



「タマロからの連絡は、まだないですね。いつもはどこへ行ってもすぐに報せをくれたのですが……」

 厩舎で馬に飼い葉を与えていた御者のブラージが言った。


「そうですか……」

 私は落胆した。タマロからの便りを待ち続けて、三ヶ月が過ぎていた。



 ――ニャアー!

 裏庭の厩舎からの帰り道、猫の鳴き声がした。黒猫のネーロだ。


 放し飼いにしているので、日中は外で過ごすことが多い。また植え込みの中で蝶でも捕まえようとしているのかしら。


「やあ、姉さん」


 けやきの大木に背を預けたラニエロがいた。その腕の中にはネーロがいる。猫は喉を鳴らしていた。


「この子、大きくなったね。この前まで子猫だったのに」


「ラニエロがネーロに関心があるなんて、初めて知ったわ。いつも無関心だったじゃない」


「そんなことないよ。僕はネーロが羨ましくてたまらないんだ」


「何で?」


「僕と違って姉さんに溺愛されてるからさ。どうやら僕は姉さんに嫌われてるみたいだし」


「何を馬鹿なことを言ってるのよ。そんなことあるわけないわ」


 嘘だ。


 嘘も嘘、大嘘だ。


 私は貴族令嬢らしく、慇懃無礼な態度でそれを受け流した。


 ラニエロは目を細め、ため息をついた。


「姉さんに言いたいことがあったけど……もういいよ」


 ラニエロは腕の中のネーロを私に手渡すと、ズボンのポケットに両手を突っ込み、背を丸めながら去っていった。

 ふと、黒猫のネーロの首に巻き付いている布が目に入った。


 黄色のスカーフだ。ラニエロがつけたのかしら。……私がタマロに手渡したスカーフに、よく似ていた。


 まさかと思いながら、ネーロの首元からスカーフを外した。


 スカーフの端に、“E G”のイニシャル刺繍があった。


 その刺繍に触れた指先が、激しく震えた。



《E G = エルシーリア・ガンディーニ》



 それは間違いなく、私がタマロに預けたスカーフだった。





 スカーフには、まだ人の体温が残っている気がした。私を威圧するまなこをまっすぐに見つめ返す男は珍しかった。彼となら、サロン以外での心の安らぎが得られるような気がしていたのに……。



 一年後、私は貴族学校の最上級生になった。これまで何かと対立してきた一年上の先輩たちが卒業し、校内には自由な風が吹いていた。


 入学式で生徒代表として挨拶をしたせいか、一年生の女生徒たちが廊下を歩く私を見てはしゃいでいる。


「エルシーリア様よ、素敵よね!」


「あの……、握手してください!」


「あら、少し失礼ではないですか?」

 クラーラが言った。


「何が?」


「下級生の分際で、いささか無作法すぎます」


「気にしない、気にしないわ」


 この一年でクラーラは変わった。かつてはサロンのメンバーに遠慮をしていたけれど、今では積極的に発言するようになっている。


 ローズクラウンに和やかな空気をもたらしているのは彼女のおかげだ。


 二年前、私は校舎裏でクラーラから告白された。熱烈な愛の言葉に戸惑った。これまでも何度か女生徒から想いを伝えられることはあったが、クラーラの真剣味は次元が違った。


「エルシーリア様のためなら、何でもします。死ねと言われれば死ねますし、殺せと命じられれば殺します。私を側に置いてください。愛しています」


 真剣な眼差しで告げられた言葉。


 にこやかで優しい子だと思っていた彼女の、もう一つの顔に私はたじろいだ。


 ひとまず彼女を落ち着かせ、ローズクラウンに入るよう勧めた。私のサロンは全員の同意がなければ新会員を入れない決まりだが、当時の私に意見できる人間などいなかった。


 賭けに負けてラニエロがローズクラウンにやって来た時、私は彼をここで懐柔できないかと考えた。


 幼い頃、ラニエロはよく私の私物を壊した。癇癪を起こしては人形の首を引っこ抜き、ブラウスを引き裂いた。そのたびに私は力ずくで彼をねじ伏せた。教育と称して体罰を与え、感情に任せて殴ることもあった。


 もしかすると、現在の“怪物”と化したラニエロの産みの親は、私だったのかもしれない。彼の私に対する異常な執着は、あの時から始まっていたような気がするのだ。


「ラニエロから交際を申し込まれた? ……それ、本当なの」


 私はクラーラからの告白に衝撃を受けた。目の前が暗転し、奈落へ落下するような感覚に陥った。



 **********

 


 壇上のラニエロとクラーラは、神父に促されて永遠の愛を誓った後、指輪を交換した。


 そして、誓いのキスを列席者たちに見せつけた。歓声が沸き起こる。唇を重ねながら、ラニエロは私に視線を向けた。



《姉さんの可愛がっている“人形”は、僕がいただいたよ》

 


 ラニエロの歪んだ本性は、私にしか見えない。

 

 いいわ、ラニエロ。あなたが捕食したその白い蝶は、もしかすると毒蛾の幼虫かもしれないわよ。


 毛虫には毒針毛があるの。毒針が蜘蛛の体内に入れば、麻痺と炎症による機能不全で死に至る。


 クラーラを“人形”だ、白い蝶だと侮っているあなたは甘いのよ。彼女はいずれ成長して毒蛾となり、私の元へ帰ってくる手筈なのだから。


 あの日、彼女が私に囁いた言葉が蘇る。 

 半年前のことだった。


「ラニエロから交際を申し込まれた? ……それ、本当なの」


 私はクラーラの報告に衝撃を受けた。足元が揺らぎ、気分が悪くなる。クラーラが咄嗟に私の身体を支えた。


 またしても、私の愛する人が奪われていく。私の真の幸せは、ラニエロが存在する限りやってこない。


「私はエルシーリア様の“盾”になるために、ラニエロとお付き合いします」

「馬鹿な……、なんてことを……」


「盾には“剣”がつきものです。寝首を掻く剣が、隣のベッドで眠っていると知った時、ラニエロがどんな顔をするか楽しみですわ」


 クラーラは、くらい薄ら笑いを浮かべた。






お読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
ちゃんと弟の末路を描写して欲しかったです
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