待つ
その日は早く帰った。
会社は静かだった。
もう急ぐ仕事はない。
住宅街に、まだ夕方の光が残っている。
向かいの家の前を通り過ぎる。
止まらない。
少し先の角。
電柱の影に立つ。
待つ。
理由はある。
ちゃんと話せばいい。
誤解を解けばいい。
守るためだ。
足音が聞こえる。
制服。
小さな鞄。
彼女だ。
こちらに気づく。
一瞬で顔色が変わる。
足が止まる。
「話したい」
できるだけ穏やかに言う。
彼女は後ずさる。
「来ないでください」
はっきりした声。
胸が少し痛む。
「誤解なんだ」
一歩近づく。
彼女は角の壁に背中をつける。
「猫のことも、全部」
「触らないでください」
言葉が重なる。
その目。
もう隠していない。
恐怖。
「怖いです」
二度目。
はっきり。
逃げ場を探すように視線が揺れる。
「なんで」
思わず出る。
「守ってるだけだろ」
「守ってない」
即答。
「怖いです。やめてください」
頭の中で何かが軋む。
違う。
違う。
外が悪い。
近所が悪い。
母親が悪い。
俺じゃない。
彼女の呼吸が早い。
涙が浮かぶ。
「帰ります」
横をすり抜けようとする。
反射的に腕を掴む。
細い。
びくっと震える。
「離して」
小さい声。
でも強い。
その声が、たけると重なる。
暴れて。
逃げて。
怖がって。
だから。
「落ち着け」
もう片方の手も伸びる。
「怖くない」
自分の声が、少し遠い。
彼女が泣く。
「やめて」
その言葉が、最後に刺さる。
やめたら。
このまま外に出たら。
また怖がる。
また震える。
また奪われる。
だったら。
怖くない場所にすればいい。
外が届かない場所に。
腕に力が入る。
「大丈夫だ」
耳元で言う。
「もう怖くない」
彼女の体が抵抗する。
でも細い。
守れる。
守れるはずだ。
夕方の光が、少しずつ落ちていく。
周囲は静かだ。
とても静かだ。




