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いつも通りの朝  作者: えみり


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やめろ

会社を出る。


黒い影は窓枠に残ったまま。


灰色の影は梁の上で動かない。


白い顔は、今日も何も言わない。


 


「お疲れさまです」


言う。


返事はない。


 


外の空気は少し湿っている。


 


路地に入る前に、声がかかる。


 


「三上くん」


 


振り向く。


佐々木。


腕を組んで立っている。


 


「話がある」


 


嫌な予感。


 


「最近、夜うろついてるだろ」


 


「散歩です」


 


「向かいの家の前でだ」


 


黙る。


 


「猫も、あれやめろ」


 


「世話してるだけです」


 


佐々木の顔が歪む。


 


「嫌がってるだろ」


 


その言葉が刺さる。


 


「違います」


 


声が少し大きい。


 


「このままだと通報されるぞ」


 


通報。


 


一瞬、足元が揺れる。


 


「誤解です」


 


「誤解じゃない」


 


はっきり言われる。


 


喉が乾く。


 


言葉がうまく出ない。


 


視線が逸れる。


 


「……もうやめろ」


 


それ以上聞きたくない。


 


「失礼します」


 


背を向ける。


 


逃げる。


 


背中に視線が刺さる。


 


胸の奥がざわつく。


 


違う。


俺は悪くない。


 


路地に入る。


 


「たける」


 


すぐに姿が現れる。


灰色の細い体。


 


今日も警戒している。


 


近づく。


 


「お前のせいだ」


 


声が低い。


 


たけるが後ずさる。


 


「ちゃんとしろ」


 


腕を伸ばす。


 


逃げようとする。


 


掴む。


 


細い体。


 


「暴れるな」


 


強く押さえる。


 


短い鳴き声。


 


「俺が悪いみたいじゃないか」


 


たけるの爪が腕に食い込む。


 


痛み。


 


反射的に振り払う。


 


小さな体が地面に落ちる。


 


乾いた音。


 


一瞬、動かない。


 


「……」


 


呼吸。


ある。


 


でも立ち上がらない。


 


そのとき。


 


「何してるんですか」


 


凍る。


 


振り向く。


 


女の子の母。


買い物袋を持って立っている。


 


視線は、たけるへ。


そして俺へ。


 


「違います」


 


すぐ言う。


 


「暴れたから」


 


言い訳が薄い。


 


母親は近づく。


 


たけるがかすかに動く。


 


「触らないでください」


 


はっきりした声。


 


「あなた、娘にも近づいてますよね」


 


胸の奥がざらつく。


 


「誤解です」


 


それしか言えない。


 


母親はスマホを握っている。


 


通報。


 


さっきの言葉が蘇る。


 


「もう関わらないでください」


 


冷たい声。


 


たけるを抱き上げる。


 


小さな体がぐったりしている。


 


そのまま家の中へ入っていく。


 


ドアが閉まる。


 


取り残される。


 


路地に一人。


 


腕に残る引っかき傷。


 


手が震えている。


 


違う。


 


俺は守ろうとした。


 


ちゃんと。


 


ちゃんとやっているのに。


 


なのに。


 


胸の奥で、何かが音を立てて崩れる。


 


小さく。


 


でも、確実に。


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