その言葉
夕方。
帰り道。
向かいの家の前に、人影があった。
昨日すれ違った女の子。
制服姿。
鞄を胸の前で抱えている。
足が止まる。
偶然だ。
偶然。
「……こんにちは」
声をかける。
なるべく柔らかく。
彼女の肩がびくっと揺れる。
視線が泳ぐ。
「……あ、あの……」
小さな声。
俺は一歩だけ近づく。
怖がらせない距離で。
「昨日も会ったよね」
微笑む。
彼女は後ずさる。
塀に背中が触れる。
「最近、夜……」
言葉が震える。
夜?
ああ、散歩のことか。
「心配してるんだ」
先に言う。
「暗いし、危ないから」
彼女は首を振る。
強く。
「ち、違います」
違う?
何が?
「見られてるみたいで……」
胸がきゅっとなる。
見ているのは守るためだ。
「守ってるだけだよ」
優しく言う。
その瞬間。
彼女の目に、はっきりとした感情が浮かぶ。
「……怖いです」
空気が止まる。
怖い?
「え?」
「やめてください……家の前にいるの……」
後ろの家のドアが開く音。
母親らしき女性が出てくる。
警戒した目。
「どうしました?」
彼女は何も言わない。
ただ俺を見ている。
「この人が……」
そこまで言って、言葉を飲み込む。
母親の視線が俺に向く。
「何かご用ですか?」
「いえ」
すぐ答える。
「挨拶を」
「娘は受験生なので」
硬い声。
「静かにしていただけると助かります」
静かに?
俺は何もしていない。
「怖いって」
その言葉だけが、頭の中で反響する。
彼女は母親の後ろに隠れる。
さっきまで少し話してくれていたのに。
なぜ?
守っていたのに。
「もう、関わらないでください」
母親が言う。
はっきりと。
胸の奥がじわじわ熱くなる。
違う。
誤解だ。
「誤解です」
声が少し大きくなる。
彼女がびくっと震える。
怖がらせた?
守らないと。
もっと。
ちゃんと。
「帰ります」
自分で言う。
足が勝手に動く。
背中に視線が刺さる。
“怖いです”
その一言だけが、何度も何度も繰り返される。
俺は怖くない。
怖くないはずだ。
なのに。
胸の奥で、何かがひび割れる音がする。




