透明な境界線
世界はすべて、数字で記述できる。
教室の入り口から僕の席までは、およそ八・五メートル。歩数にして十二歩。
三時間目のチャイムが鳴り終わるまでに要する時間は、三・八秒。
そして、僕の斜め前で騒いでいる男子三人組が作る円陣の角度は、一人あたり約百二十度。
「……完璧な正三角形だ。一ミリも本音が混じっていない、社交辞令だけの図形」
僕は筆箱の中から、使い古された分度器を取り出した。
指先でその硬い角に触れる。冷たくて、鋭いアクリル板の感触。これが僕の、世界に対する「盾」だ。
適切な距離(角度)さえ保っていれば、人は傷つかない。
僕はそれを、痛いほどの代償を払って学んだ。かつて、数字を信じず、無防備に誰かとの距離を「ゼロ」にしようとした結果、僕に残ったのは計算の合わない喪失感と、ひどく不規則な動悸だけだったから。
感情なんてものは、不確実で、あやふやで、何より恐ろしい。
だけど、分度器越しに世界を覗けば、すべては「角度」という定量的な指標に置き換わる。
怒りは鋭角。退屈は水平。
数値化してしまえば、それはもう僕を傷つける「誰かの心」ではなく、ただの「現象」になる。定量化された世界は、決して僕を裏切らない。
僕は分度器の目盛りを、窓の外から差し込む冬の光に合わせた。
入射角、三十五度。
今日も世界は、僕が設定した目盛りの中に収まっている。一ミリの狂いもなく、予測可能な日常が繰り返されるはずだった。
「ねえ、瀬戸くん。それ、何を見てるの?」
突然、右側から声がした。
心拍数が一気に跳ね上がる。脳内の計算機が、想定外の干渉にエラーを吐き出した。
ゆっくりと顔を上げると、そこには川嶋陽葵が立っていた。
彼女が僕の机に手をついた角度は、僕が死守してきたパーソナルスペースを無残に切り裂く、分度器では測りきれないほどの「乱暴な鋭角」だった。




