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第三章 求婚

 パールが目を覚ますとそこは王宮だった。

 一瞬訳がわからずきょとんとしたが、すぐに思い出した。

(ああ、帰ってきたんだ…)

 毎日すぐ隣で自分を守るように眠っていた一平の姿が見えなかった。

(そうだ。お部屋が違うんだっけ)

 パールは跳ね起きて、一平の休んでいるはずの部屋へ飛んで行った。

 が、部屋の中は、がらんとしていた。人の気配も休んだ形跡もない。

(一平ちゃん⁉︎)

「一平どのは昨夜のうちに立ち去りましたよ」

 母のシルヴィアが背後からそう言った。

( え?)

「あなたには会わずに行くけれど、よろしくと言い残して」

(うそ…)

 昨夜のお別れの話が脳裏に蘇る。

(だって、パール言ったもん。行かないでって。一平ちゃんが行くんならパールも一緒に行くって。一平ちゃんだってそれでいいって…)

 ―言ってない!―

 一平はパールの頼みに言葉で返事をしていないということにパールは気がついた。一方的にキスしたパールを強く抱き締めてくれたが、それだけだ。それだけで嬉しくて、安心して、そのままパールは眠ってしまったのだった。

(だめ‼︎)

 パールは飛び出していた。猛スピードで鰭を動かし、王宮の外に出て一平を探した。が、彼の姿はどこにもない。

(一平ちゃん…)

(どうして?)

(行っちゃやだよ。行かないでよ。パールを置いて行かないで…)

 ―一平ちゃん‼︎―

 気がつくと、涙がパールの顔を洗っていた。そこはトリトニア王宮に設けられているパールの部屋。小さい頃から眠る時に使っていたアコヤガイの寝台の上だった。


 ―夢…―

 悲しい出来事が、夢だとわかってほっとした。

 が、再び不安がパールの胸を過る。

 夢の中と同じように、パールは跳ね起きて一平のいる部屋へ向かった。

 そっと帳を開けて中を盗み見る。

 夢で見たのと同じような寝台に一平が部屋着で寝転がっていた。

 矢も盾もたまらずに、パールは寝台に忍び寄った。

(…よかった…ちゃんと、いてくれた…)

 それまでも時々していたように、うっとりと一平の寝顔を眺め始めた。枕にしている貝の肉の端っこにこてんと頭を乗せ、間近に彼の顔を見る。

(…なんて素敵な人なんだろう…)

 パールを守るため、夜も周りに神経を張り巡らせて、ぐっすり眠ったことなどなかったはずだった。ちょっとでも変化があるとすぐに目を覚まして警戒体制をとってくれるのはありがたかったが、ゆっくり見つめている暇のないのがバールにとっては不満だった。

 でも、今は安心したのだろう。外敵からの攻撃を気にしないで済む分、ゆっくりと、三年ぶりの深い眠りに、彼は落ちているのだ。

(ありがとう…一平ちゃん…)

「一平ちゃん…だぁい好き…」

 小声で呟くと、パールはそっと平の頬に唇を寄せた。

「ん…」

 呻き声と共に、一平の頬がビクッと動いた。

 パールは慌てて飛び退くが立ち去りはしない。勿体ないとばかりにすぐ近くで一平の起きるのを見守っている。

 パチっと目が開いた。

 一平の視界に大きくパールの顔が広がり、彼は何度か瞬きする。

「おはよう、一平ちゃん」

 幸せいっぱいの顔をして、パールが笑う。

 一平もいつもの調子を取り戻して言った。

「おはよう、パール」

「お寝坊だね。ご飯は七時(ななとき)からだよ。支度しなくっちゃ」

「あ…ああ…」 

 そうだ。昨夜眠りについたのは明け方近かったんだ、と一平は思い出した。

 夜のうちに旅立つつもりで挨拶に行った先で、王に引き止められたばかりか大変な提案までされてしまい、取り敢えず一日先延ばしにしてもらったのだった。部屋に戻っても興奮していたのと考えをまとめるのとで、なかなか寝付けなかったのだ。

 そんなこととは知らないパールは、古巣に帰ってきたせいか、一平が不案内なのを気にしていろいろ世話を焼こうとしている。

「…これからは、パールが起こしに来てあげるね。もう夜中見張りなんかしなくていいんだからね」

 パールはパールなりに今までずっと気を遣っていたのだ。自分だけ寝て悪いと思いながらも、そうしなければ一平が安心しないだろうこと、パールが起きていても、結局は一平も落ち着かないのだと言うことを感じ取って、彼の言うことに従っていたのだ。

 パールは身嗜みを整えようと起き上がった一平のそばにやってきて言った。

「おはようのキス、していい?」

「え?」

 昨日キスした時あまり嬉しそうな様子をしなかったので、パールは一応断った。

「やだって言わないと、やっちゃうよ」

 驚いている間にバールの唇はやってきた。ふんわりと柔らかいものが触れて、一平の心を温めてゆく。

七時(ななとき)までに、食堂に来るんだよ」

 何事もなかったかのようにそう言って、パールは部屋から出て行った。

 魂を抜かれたようになって、一平は思った。

(まいったな。これしきのことで、朝立ちかよ…)


 食卓は国王一家と一平の五人で囲まれた。

 パールにはニ歳年下の弟がいる。太い眉に父親に似た釣り上がり気味の大きな猫目を持つ、やんちゃそうな少年だ。名をキンタ・ロックと言う。

 その名を初めて聞いた時、一平は思わず吹き出しそうになった。浮かんだのはもちろん『まさかり山の金太郎』である。

 太い眉とやんちゃそうな表情は金太郎のイメージとそう変わらないが、髪の色は黒くないし、おかっぱでもない。逆立つオレンジの髪は父王よりボサボサで、燃え上がる炎を連想させた。見た目はあまりパールと似たところはない。

 が、話をするうちに一平はキンタとパールはやはり似ていると思うようになった。歯に布着せない話し方と性格の素直さに二人は相通ずるものがあった。

 一番似ているのは声である。もう少しすれば太い大人の声になるのだろうが、声変わり前のキンタの声はまだ高く、目を瞑って聞いていれば、内容によってはパールが話しているのと勘違いしそうなほどよく似ていた。

 国王一家の席は、年功序列で時計回りに設けられている。客人の一平は王の右隣。円卓なので、一平の右隣はキンタになる。

 出された食べ物は王宮だから豪華、といったものでもなかった。

 海の中では火は使えないので煮たり焼いたりはできない。みな生だが、切り分け方、盛り付け方に工夫が凝らされていた。主食は海藻だったので、止めておかないとひらひらと流れて行ってしまうために、逆さにした壺のようなものに収められていた。魚は卓上に据えつけられた何本もの串に刺してある。

 食事中はしーんと静かであるのかと思っていたらそうでもなかった。王妃のシルヴィアはおとなしやかな中にも明るくて、あれやこれやと話を持ちかけたり、給仕に気を遣ったりしているし、オスカー王も家族の前では厳格という仮面を取り払っている。何より、娘とこうして顔を合わせていられるのが嬉しくてたまらぬ様子で終始ニコニコとしていた。

 時折、意味ありげな視線を一平の方に向ける。

(どうだ?この生活がおぬしの返事次第で手に入るのだぞ)

(色よい返事を期待しているぞ)

 そういう秋波がビシバシ飛んでくる。

(食事が終わったら、早速話さなくちゃならないな)

 そう思わざるを得なかった。


 一平はパールを王宮の中庭に連れ出した。

「話ってなあに?一平ちゃん」

「……」

「ん?」

 小首を傾げて尋ねる様子が子犬のように愛くるしい。一平は口を開いた。

「パール…。トリトニアの宝剣のこと、知ってるか?」

「宝剣?」

 パールの鸚鵡返しにいつものように頷いてやる。

「赤の剣と白の剣と青の剣のこと?」

「そうだ」

「…知ってるよ。赤の剣はパパとママが守ってるもん」

 パールは赤の剣の守人の娘だ。知らないわけがない。

「知ってることを詳しく聞かせてくれないか?」

「いいよ。でも、誰に聞いたの?宝剣のこと…」

「王さまだよ」

「へえ」

 なんでパパが一平ちゃんにそんなことを?と思ったが、パールにとってそれは大した問題ではなかった。一平にはいろいろなことを教わったが、パールの方が彼に教えてあげられることなどそうはなかったので、それが嬉しくてすぐパールは語り出した。

「あのね、赤の剣って言うのはね…」

 赤は帝、白は知、青は武を司るトリトニアの平和の象徴であり、それぞれの剣は守人夫妻によって守られているとパールは言った。昨夜王の言った通りだ。

「パールは見たことがあるのかい?パパとママの守る赤の剣を?」

「うん、あるよ」

「触ったこととかも?」

「触っちゃいけないんだ。守人以外の人が触ると恐ろしいことが起こるんだって」

「恐ろしいこと?」

「うん」

「その剣に触れると死んじゃうとか?」

「わかんない。触った人パール知らないから」

(何か神秘の力でもあるんだろうか?一体何でできているんだろう?この宮殿は石造りで金属っぽいものはあまり見当たらないが…)

 パールに追求しても無駄だろうと、一平は別の質問に入った。

「白の剣ってのは誰が持ってるんだい?」

「ウートじいさまだよ。それと奥方様のゼアンダ様」

「ウートじいさま?」

 …と言うと、年寄りなのだろうか。

「うん。ほら、昨日パパたちに会った時にパパの椅子の横に白髭のおじいさんが立ってたでしょ。あの人だよ」

 うっすらと一平にも記憶があった。顔までは覚えていないが。

「それから青の剣はね、強戦士ミカエラ様とソーダ姫」

「え?」

「ミカエラ様はトリトニアで一番強い武将って言われてるんだよ。誰もミカエラ様には勝てないんだって」

(なんだ、そんな凄い人がもう既に守人としているんじゃないか)

 からかわれたのかな?と一平は思った。

(王さまはボクとパールが思い合っているのに感づいて、ボクを止めようとしただけなのか?)

 それとも任期切れの日でも近づいているのだろうか?

(それに強戦士だって?そんな人の後釜にボクなんかがなれるはずないじゃないか。見込み違いもいいとこだよ)

「青の剣の守人になるには修行と試験が必要なんだそうだな」

「うん。青の剣だけじゃないよ。赤の剣も白の剣もそうなんだ。いつ宣旨が降りるかわからないから、なりたい人のためにいつも修練所が設けられているの」

「宣旨って?」

「守人交代の時期になると、大神官様にお告げが下されるの。それから次の守人を決めるための試験が行われるんだって」

「そのお告げのことを宣旨って言うのか?」

「うん。それと試験の合格者は剣に触れるの。トリトン神とピピア女神さまに守人と認められれば、剣に触ることができるんだって。それ以外は結界に阻まれて近寄ることもできないんだよ。剣に触れられることも宣旨が降りたって言うの」


 さすがは王宮生まれ。幼くとも重要な事は小さいうちから教え込まれたらしい。

「どうしてそんなこと聞くの?」

「うん…」

 一平は口ごもった。何と言って話そうかうんざりするほど考えたのに、いざとなると思うように言葉が出てこない。

「あのな、パール…」

「…ん?」

「…ボクのこと…す…」

 どもってしまった。やはり照れくさい。

「ス?」

(えい。度胸を決めろ、一平‼︎一気に言うんだ)

 自分を励まし、一平は言った。

「…好きか?…」

 パールは一瞬キョトンとしたが、すぐに答えた。

「うん…。大好き」

 それはこれまで何度もパールが一平に対し口にしてきた言葉だった。だが一平は幼いパールの言葉を重く考えたことはない。自分のパールに対する『好き』との自分に対する『好き』とは、種類やレベルがまるで違うように思えていたからだ。

 パールの口調はいつもと同じだったが、今は一平には微妙に意味が違って聞こえた。

「その…、好きって言うのはだな…。お魚が好きとか、真珠が好きとかいう好きとは違ってだな…」

 確認しようとムキになればなるほど『好き』ばかり連発している自分がたまらなく恥ずかしかった。しかし、言えば言うほど泥沼に嵌り込んでいく。

「パールのパパがパールのママを好きなように…パールのママがパールのパパを好きなように好きかって聞いてるんだぞ」

(あああ…もう…)

「うん…」

 パールの答えは至ってシンプルで素直だ。

 パールには一平の言う意味なんか説明されなくたってわかっているのだ。

「パールがキスしたいの一平ちゃんだけだもん。もう、パパともママともおはようのキスもおやすみのキスもしないよ。一平ちゃんとだけする」

(そんなにキス、キス言わないでくれ。照れるじゃないか)

「それは…その…ボクと…結婚してもいいってことか?」

「違うよ」

(あ?)

 気抜けした。どういうことだ?

「一平ちゃんのお嫁さんになりたいってことだよ」

(パール…)

「どう…違うんだ⁇⁇」

 理解不能で思わず尋ねた。

 パールはちょっと膨れっ面をして言った。

「してもいいんじゃなくてしたいの!」

 そして一平に背を向けた。


(パール…)

 パールの剣幕に一瞬一平はたじろいだが、顔がだんだん緩んでくる。目尻も下がり、目を細めた優しい表情で、彼はパールの後ろ姿を見つめた。

 細い肩がちょっと拗ね、ちょっと焦ったそうに上下している。

(何か言わなければ…)

 だが、焦れば焦るほど、気の利いたセリフが浮かんでこない。

「パール…」

 結局名前を呼ぶくらいしかなかった。ちょっと不服そうな顔したパールが振り返る。

 たまらなく可愛い。愛おしい。抱き締めたい。

 次の瞬間、一平の腕の中にはパールがいた。

 どうやったのか、何をしたのかまるきり覚えていなかった。

 でも、大きな体躯にパールのか細い身体はすっぽりと包み込まれていた。

「…するぞ…」

「?」

「キスするぞ…。今までのみたいなやつじゃない。大人のキスするぞ」

 パールがしきりに瞬きする。それすらも一平にはたまらない。

 一平は覚悟を決めた。パールはこれからも自分が守る。他の男になんか指一本触れさせない。自分のするべき事はパールを守ることだ。他の何でもない。ボクはパールを守りたい。

 パールを怖がらせないようにそっと、一平は口づけた。優しくゆっくりと押し当てた後、そっと分け入ろうとした。

 その瞬間、パールがびくっとしたのがわかった。

 ―まだ早い―

 パールに大人のキスはまだ早い。急がせてはいけない。ボクのわがままでパールを壊したくない。

 一平はパールを求めるのをやめて言った。

「この先は…お嫁さんになってからだ…」

 ―何のこと?―と、パールの瞳が問うている。

 一平は彼女を再び抱き締めることでごまかした。

 そして一平は思い出した。大事なことを聞き忘れていた。

「王さまが…ボクに青の剣の守人試験を受けろと言うんだ。パールと一緒に…」

「青の…守人…⁉︎」

「一緒に…守ってくれるか?まだいつのことになるかはわからないが…」

 一平の中でパールを守ることは、トリトニアを守ることと繋がっていた。苦難の道だろうが、パールがいるなら頑張れそうな気がした。パールとならばやり遂げられそうだった。

「…お別れの話はもうなしだね?」

 心配そうにパールが尋ねる。

 一平はドキッとして目を瞠ったが、しっかりと頷いた。

「もうなしだ。永遠にね…」

 パールの目が輝いた。その一言が聞きたかった。

「なら、いいよ。パールも一平ちゃんと守人になる」

 今度こそ、一平は心底微笑んだ。

 王に返事に行こうと手を引く一平にパールは言った。

「ねぇ、一平ちゃん。一平ちゃんはパールのこと好きなの?」

 パールは一言も聞いていないのだった。一平から面と向かって好きだと。

(ああいうことしたんだからわかってくれよ。言わなくてもさ…)

 この子どもっぽさはいつになったら抜けるのだろうと、一平は頭を抱えた。

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