第二十二章 訊問
パールが戻ったので来るようにとオスカーに呼び出され、一平は立ち上がった。軍議の最中であったが、異例の呼び出しに何事かとそわそわと部屋を出た。
オスカーより事情を聞き、パールの元へ足を向け直す。イカロスの報告の真偽を直接パールに問い質すよう要請されたのだ。パールが一番心を許している一平が訊くのが最善だ、との判断からだ。
「パール、入るぞ」
声を掛けてから、パールの部屋の帳を掻き分けた。
アコヤガイの寝台からパールの起き上がる姿が見えた。
「…一平ちゃん…」
パールが両手を差し伸べて向かってくる。一平は駆け寄ってパールを抱き締めた。
「おかえり。ご苦労だったな。なんだか大変なことになってるんだって?」
「…ごめんなさい…」
自分の失態を、一平はもう知っている。怒っているだろうか?また心配をかけてしまった。一平に申し訳なくて、パールは謝罪の言葉を口にしていた。
「オレに謝らなくてもいい。イカロス尊師の言うことは本当なのか?」
「……」
どう言ったらいいのかパールにはわからない。何しろ記憶がないのだから。それよりも一平との約束を破ってしまったことが心苦しかった。覚えのないことで非難されるのは辛かったが、実際に自分の身に起こったことの衝撃の方がパールには大事だった。
だが、正直に言うのもためらわれた。
「…オレには…言えないのか?」
その様子を見て一平が言った。少し寂しそうな音色がパールの心に突き刺さる。
少し収まってきた悲しみが再び湧き上がってきて、涙が溢れそうになった。
(泣いたりしちゃだめだ。もう大人なんだもん)
一人では堪えられそうもなかった。パールは一平の腰を引き寄せて、その胸に顔を寄せた。涙を見られまいと。
「…パール?…」
「…シェリトリに会ったの。サクサおじいさんのおうちで」
やっとのことでパールは言った。
「シェリトリだって?それじゃ…」
「パール、まだ謝ってなかったから…。シェリトリのおうちに行ってお話ししたの。そうしたらペニーノさまがご馳走を振る舞ってくれて…。パール、デザートだって言われて食べたんだけど、強いお酒が入ってたみたい。酔っ払って、ちょうどそこに来たガラリアの王様に失礼なことをしちゃったみたいなの。パールって…酒乱だったのかなあ⁉︎」
「デザートってなんだ?」
「青っぽい海藻。丸く膨らんでて、中に甘い汁が入ってるの」
「ポクリだな、それは。ガラリアの産物だ」僻地へも出かけることが多くなっていた一平にはすぐにわかった。口にしたこともある。「だが、酒っ気はないぞ。いくら食べたって酔っ払うことなんかない」
「そうなの?」
「当たり前だ。ガラリアでは離乳食によく利用するそうだ。赤ん坊に酒なんか禁物だろう?」
「うん…。でも…ペニーノさまはパールが前後不覚に酔っ払ったって言ったよ。パール何も覚えてないから。酔っ払うと記憶を失うものでしょう?」
次第に一平は険しい顔つきになっていた。
「どうしたの?一平ちゃん」
「…おまえ…嵌められたな…」
「え?」
「多分…おまえは一滴も酒なんか飲んでない。薬を盛られたんだ。多分そのポクリに仕込まれていたんだろう」
パールが純真なのをいいことに、あることないこと吹き込んで、こちらに非があるように見せかけたのだ。そう一平は結論づけた。
だが、一体何のために?
理由は一つしか思いつかない。
恨みだ。シェリトリと言えば、それしかない。
だが、なぜそこにガラリアが絡んでくるのかが解せなかった。
(ペニーノたちはガラリアとグルなのか?)
ガラリアはトリトニアをよく思っていないという噂を、一平は耳にしていた。
もしも今の自分の考えが当たっていたとしたら、これはまずいことになるぞと一平は思った。ペニーノの携わったのは要衝の建設なのである。昨日や今日の付き合いではなかったとしたら物見処が気象観測所などではないことや、内部の構造などの情報がガラリア側に漏れている可能性がある。王女を捕らえて人質として使えば、ガラリアの有利に事を運ぶことができるのだ。
だがガラティスはパールを人質にはしなかった。不始末をしでかしたように工作して、トリトニアに送り付けてきた。
(一体、何が目的だ⁉︎)
一平はもう少し詳しく尋ねる。
「ガラリア王に失礼なことを言ったとして、だ。…おまえがそんなことをするとはオレには信じられないが…。ガラティス王が怒ったのは間違いないんだな?」
コクリと頷いて、パールは答える。
「うん」
「おまえには心当たりがあるのか?ガラティス王が憤慨した理由に」
パールはペニーノ邸であったことを辿った。
「パールに…ガラリアの役に立ってもらいたいって言うから…いやです、帰してください、って言ったの。でも聞いてもらえなくて…。しまいにパール、ガラリアの王さまに噛みついちゃったの」
一平は目を丸くした。パールの口から聞かなければ信じられないような成り行きだ。余程のことがあったのだろうが、本人の口から聞いても一平には信じられない気持ちの方が強かった。
「それでよく…帰してもらえたな…」
まさか無理矢理キスされて舌に噛み付いたとまでは一平は考えない。呆れると同時に、ますます腑に落ちなくなる。
「うん。…でも…すごく怒ってた。怒って…ガラリアの王様、パールのこと…」
裸に剥かれたことが口から出そうになったが、すんでのところで押し黙った。
「どうしたんだ?」
一平が先を促すが、この先は一平との約束を破ったという話になる。それが怖かった。
「パール?」
パールがあまり言いたそうでないのは一平にも感じられた。だがこのままあやふやにしておいて済む問題ではない。確かめなければならない。いくらパールが辛くても…。
「あのね…。もう用はないって…追い返されたの…」
一足飛びに結果まで行ってしまった。
一平が惑乱した表情になる。都合の悪いことを端折られてしまった気がする。
「パール…。頼むからもう少し詳しく説明してくれ」
パールは肩を落として俯いた。やはり言わなければならないのだと覚悟した。
「…パールのどこにも…徴がないからいらないんだって…」
「徴って…なんの?」
「…わかんない…」
パールの様子はあまりにも心許なげだ。
「パールのどこにその徴があると言うんだ、そいつは?」
「わかんない…。どこにもないって…言っただけ…」
「どこにもって…」
(なんだって?)
一平の柳眉が跳ねた。
(まさか…)
一平はパールの顔を見る。
パールがやけにおどおどしている。
「調べられたのか?身体を…」
視線の合わないままパールがびくっとする。
「……」
追求したいがしたくなくもあった。パールの返事を聞くまでの時間が途方もなく長く思えた。
やっとのことでパールが小さく頷いた時、一平の頭の中は真っ白になった。
「誰が…やったんだ…」
そう問う一平の声は掠れていた。理性が怒りをやっとのことで抑えていた。
「ガラティス…王…」
カッと身体が熱くなる。燃えるような熱さだった。パールの裸を見た時とはまた違う。焼け付くような嫉妬の炎だ。
(許せねぇ…)
一平の拳が震えていた。
(あの、エロ親父…)
ガラティスの醜聞は一平の耳にも届いていた。呆れる話でもあり、パールの事しか頭にない一平はそんな噂などどうでもよかったので気にも留めていなかった。だが、最愛のパールにその毒牙が向けられたとあっては話は別だ。
一平が怒っているのを感じ取り、パールは恐る恐る呼んでみる。
「…一平ちゃん…⁉︎」
一平には聞こえていないらしい。己の概念の中にどっぷりと浸かり込んでいる。滅多にないことであった。
それはそうだろう。欲してやまぬものを、パールの幼さゆえに思いやり、手を出すことをひたすら抑え続けてきたのだ。パールが大人の女性として目覚めてくれる時まで何があっても待とうと、苦しい決心を自らに強いている一平にとって、このことは天敵が現れたにも等しい出来事だった。
この純粋無垢なパールに対し、一体どんな奴がそんな酷いことをしでかすことができるのか。パールに無理強いすることなど全く考えられもしない一平だった。
そのパールにガラティスは…。
(何をした?)
(オレのパールに何をした?)
脂切ったガラティスの巨体に撫で回されて悲鳴をあげるパールのか細い姿が目に見えるような気がした。
(嘘だっ⁉︎)
一平は必死で想像を振り払った。
頭を激しく振り乱す一平を心配し、再びパールが呼び掛ける。
「一平ちゃん…」
はっと、一平は現実に引き戻された。
パールは今ここにいる。たとえ何があったとしても、解放されて自分のそばにいるのだ。
「パール‼︎」
息も絶えよとばかりに、一平はパールを抱き締めた。その頬に、額に、唇に、頸やに喉元に、狂おしく唇を押し付ける。
(誰にも渡すもんか…。パールはオレだけのものだ…。パールがキスを許してくれる男は世界中でただ一人、オレだけなんだから…)
(嫌だ。耐えられない…。おまえが…他の男に…それもあんな淫乱のスケベ爺いにいいようにされるなんて…)
今、一平の異性の箍は外れていた。
種を残そうとする生物の本能が、今一平を抑圧から解放していた。
(パール…。パール…パール…)
抱き締めて、何度も口づけを繰り返す。
こんな一平は初めてだった。パールは自分の要望をむき出しにする一平を変なのと思いながら、それが少しも嫌でないことに驚いていた。
頬や額にはあるが、頸や喉元になど一平がキスしたことはかつて一度もなかったのだ。一平の唇が触れる度、パールの身体に快い電流が走り抜ける。
(気持ちいい…)
と、パールは思った。
思ったことは素直に言葉や態度に出てしまうのがパールの常だった。
「ん…」
今までパールの口から聞いたこともないような陶酔の響きを聞いて、一平の下腹部が熱く滾る。
「あ…」
こんな声を聞いて、我慢できるわけがない。
パールも気づかないうちに、それは行われた。気がつくとパールは、一平の前にその未成熟の胸を晒していた。
一平が見ている。たまらなく愛しい目で。
その視線がどこに注がれているのか気づいた時、バールに突如として羞恥心が芽生えた。意識していないのに、両腕が胸を隠した。
おや、と一平は思った。この反応は今までにないことだ。
(でも、かまうもんか)
今、一平は本能に突き動かされていた。この娘を手に入れるためには、こんなことで躊躇っていてはいけない。一平はそっとパールの手首を掴んで隠されたものを見出そうとした。
が、思ったようにはいかなかった。軽く動かせると思っていたパールの腕は、思いの外強く抵抗していた。
一平はパールの顔に目を向け直した。
パールはきつく目を瞑り、眉間には皺まで寄せて必死に何かを堪えている。そう思ってみると、一平の掌の中で、パールの手は微かに震えていた。
一平は急に萎えた。
パールの手を離し、代わりにそっと抱き寄せた。
「…ごめん…」
悔しかった。
パールを怯えさせている自分が情けなかった。
(あんなに…偉そうなこと、言ったくせに…)
一平になら見せてもいいのかと聞かれた時、とっとけと言い放った自分が恨めしかった。
どうしてあんなこと言ってしまったんだろう。どうして、決心したのにこんなことしてしまったんだろう。
こんな自分をパールはどう思っただろうか?
もう嫌いになってしまったかもしれない。
そうなってしまっても仕方なかった。あのガラティスのしたのと同じことを、今自分はしようとしていたのだから…。
(何がエロ親父だ。何が淫乱王だ。自分の方がよっぽど節操がなくて嘘つきじゃないか)
自己嫌悪で一平はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「どうして謝るの?」
パールが訊いた。
「え?」
「一平ちゃんとの約束破ったのパールなのに、どうして一平ちゃんが謝るの?」
「だって…そりゃ…」
約束とはなんだろう、と頭の片隅で思いながらも、口の端には言い訳の事しか上らない。
「?」
パールはその純真な眼差しでまっすぐ一平を見る。
「…嫌だったろ?おまえ…今の…」
―オレがしたこと―とは口に出して言えなかった。
パールはほんのちょっとだけ頬を染めて言った。
「ううん…ちっとも…。気持ち…よかったよ…」
そう言って、一層赤くなった。
(あれ?こいつはいつもにないパターンだぞ。パールが赤くなるなんて…)
「一平ちゃんならいいよ。パールに何しても…」
再びかあっと熱くなった。何をするつもりだったのか考えると、とても平静ではいられない。しかもまだパールは上半身裸だった。
「あいつ…バールの裸見たけど、何もしなかったよ。パール、あいつの赤ちゃんを生まされちゃうのかと思って嫌だったけど、でも、キスしただけで何もしなかったよ」
(なん…だって?)
「きっと…パールのこと、全然好きじゃなかったからだね。だから、ドキドキしなかったんだね…よかった。好きになってもらわなくて…」
(それはガラティスが手を出さなかったということか?あのガラティスが?)
信じられないと同時にほっとしていた。それではまだパールはまだ生娘のままなのだ。
だが待てよ、と思う。
キスはされたのだ。やっぱり許せない。
「パールね…。噛みついてやったの…。だって、あいつ、パールの口の中に変なもの入れてきて、やだったんだもん」
そういうことか、と一平は苦笑した。ざまあみろと思う反面、複雑な気持ちになる。
(変なもの…かあ…)
さっきそういうキスをしないでよかったと、胸を撫で下ろした。
「もう…見せてもいいの?まだお嫁さんになってないよ?」
パールが訊いてくる。
一平は焦った。だめだと言いながら、脱がしたのは自分なのだ。
一平はパールのドレスを引き上げて言った。
「嫌がることをして、すまなかった…」
(嫌じゃないのに…)
パールはそう思ったが、口ではそう言わなかった。なぜだかわからない。代わりに一平の胸にこてん、と頭を乗せた。
恥じらう顔も愛らしいと一平は思った。
(やっぱりまだ待とう…。パールは逃げて行きやしない。それに…)
ガラティスに噛み付くなんてなかなかやるじゃないか、と一平は胸のすっとする思いでパールを見つめた。
ハッと一平は思い出した。
まだ軍議の途中だった。
(まずい!)
わけのわからない逡巡を持て余し、一平の胸に寄り掛かることで平静を保とうとしていたパールは、一平の気配の変化に顔を上げた。
困ったような顔をして、一平は告げた。
「パール…。まだ軍議が残ってるんだ。ごめん…」
―では、大事な軍議を放り出して飛んできてくれたのか―とパールは理解した。
「夕餉には戻れると思う。…また後でな…」
(また後で何をするつもりなんだ。このばか…)
一平は自分で自分を叱咤した。
そそくさと部屋を出ていく一平の後ろ姿を、パールは名残惜しそうに見送った。
パールはそっと自分の頬に手をやった。なんだかまだ熱い。まだどきどきしている。彼がキスした全ての場所で何かが呼んでいた。そこに再び一平が触れてくれることをパールの身体は望んでいた。
(何なんだろう…この気持ち…)
バールは無性に一平にキスしたいと思った。
オスカー王への報告はすぐさま為された。
非常に言いにくいことではあったが、他の者に代弁を頼む方がもっとやりにくい。一平は意を決してペニーノ邸での一部始終を言葉を選びつつ語った。
オスカーはパールが薬を盛られたらしいと聞いても眉ひとつ動かさなかったが、ガラティス自ら娘の身体を調べたと聞くや、「何だと⁉︎」と一声叫んで悪鬼の如き形相になった。
飄々とした、いたずらっけのある面ばかり見せられてきた一平はかなり驚いたが、ああ、やはり、と納得させられる部分も大きかった。十五にしてトリトン神に王と見定められるだけの器量と気迫を垣間見、さすがはオスカー王だと感服した。
シルヴィア王妃に既に済んだことゆえ落ち着かれませ、パールはこうして無事に戻って来たのだし、と宥められるオスカーは、レース直前で緊張のあまり荒い鼻息を発する競走馬を思い起こさせた。
冷静さを取り戻すと、オスカーは問題点を整理した。偽りで塗り固めた事実の裏にあるものを探り当てなければならない。
ガラリアが一体何を企んでいるのか。真の望みは何なのか。また、ペニーノに叛心ありと断言してよいものか、だ。
手掛かりはある。ガラティスがパールの上に探していた『徴』なるものだ
オスカーには心当たりはなかったが、手を尽くして調べさせること。ガラリアとの外交は取り敢えずは表面は穏やかに進めること。ペニーノを問い糺し、場合によっては追放等の処分を下すこと。この三点が肝要だ。
そしてこれらのことは、極秘裡に進めなければならない。大っぴらになれば、王女であるパールの尊厳が傷つけられるからである。一平を含むごく一部の口の堅い人たちで対応しなければならなかった。
国の存亡に関わる大事を胸に秘めて軍議に戻ったのに、同僚たちはお気楽なものだった。一平は散々ひやかされたのだ。一平がなぜ王に呼び出されて行ったのかは皆に知れていたから。
それに、いくら一平が隠そうとしても、勇者の名が轟き渡っている一平の行動は、逐一誰かに興味と関心を持って見られてしまう。ついでに噂になる。噂に尾鰭はつきものだが、一平がパールのことを自分の命を捧げても惜しくはないほど恋い焦がれているということは、いつの間にか周知の事実となっていた。
また、身近な人間は一平が王女のパールにとっても必要で、トリトニアには欠くべからざる人材なのだということも熟知し始めている。
一平が会議場を飛び出して行った時、―実際、彼はかなり動揺しているのを隠しきれなかった―仲間たちは何事かとざわめいたが、王直々の指示ゆえ軍事を優先させるような真似はしなかった。上司であるプリウスなどは「仕方がないな。まあ、やることをやったらすぐ戻ってくるだろうさ」などと寛容な言葉を吐いていた。
「やることってなんだ?」
「決まってんだろ。このボケ」
他の将校たちも、軽口を叩き合い、ひとしきり場内はワイワイと楽しそうな雰囲気になっていたのだ。
そんなこととは露知らず、やることもできなかった一平は息を切らして会議場に戻って散々な目に遭った。
「パールティア姫はご無事にお帰りか?とか「例の力はどんな病を直されたのだ?」とか言う質問ならいいのだが、「姫もさぞ寂しかっただろう。二十日近くも王宮を離れて。おぬしに会いたくてさぞかし枕を濡らされたことだろうな」とか、「キスのひとつもしてやった?」とか、暗に勘繰られる質問は願い下げだった。
親しい者ともなると、会議の終わった後でも蒸し返してきて、「あんまり我慢すると身体によくないぞ」とか、「思い切ってやっちゃえよ。女なんて口ではやだやだ言いながら、心の中ではそれを待ってたりするもんなんだぞ」などと余計なアドバイスをしてくれる。
幼魚のうちは皆微笑ましく見てくれていたのだが、なまじ成人してしまってからはこういうお節介が後を絶たない。いっそのことさっさと形だけでも結婚してしまえたら、こんな冷やかしもなくなるのだろうかと考えてしまう。
(…気持ちよかったって…パールは言った。…オレの聞き間違いじゃないんだろうか?)
―ん…―
パールの甘ったるい声が耳から離れない。
(あれは…確かに今までとは違ってた…。オレのするままに任せてたけど…胸を隠すなんて初めてだ…)
(嫌だったのか?やっぱり)
ザザかシルヴィアにでも何か教えられたのだろうか、とも思ったが、すぐ打ち消した。たとえそうだとしても、ああいう場でそういう技巧を使える娘じゃない。多分…。
(どっちなんだ?)
女って奴は本当に訳がわからない。
そうやって散々悩んだ一平を次に出迎えたパールに、彼は更に度肝を抜かれた。
食事にやってきた一平を見つけたパールは、そそくさと泳ぎ寄り、一平の唇を求めてきたのだ。
いつもそうだが、パールは一平に考える間を与えない。そうしたいと思ったら考えもなしにしてしまうのだ。
食堂には国王夫妻もいた。キンタも席に着こうとしていた。給仕のために女官たちも何人かいたのに、パールは憚りもなく口づけてきたのである。
「さっき…一平ちゃんが行っちゃってから…ずうっと…したかったの…」
一平の首っ玉にぶら下がり、パールが囁く。
わわっと、一平は慌てふためいた。飛び上がりたいほど嬉しいが、穴に入りたいほど恥ずかしい。パールの息が耳にかかって、思わずぞくっと震えてしまった。抱き締めて熱いキスを返したい。けれど皆の視線が波のように押し寄せてくる。
一平はなるべく平静を装おうとして自分でも思ってもみなかった行動に出た。
パールを抱き上げると食卓まで連れて行き、着席させた。
「お待たせしてすみません」
目の前に座る王に向かって言った。決して悪びれず、媚びもせず。
このことで一平の株が上がった事は言うまでもない。
オスカーは静かに頷いて給仕を始める合図を出した。
この先トリトニアを襲う脅威を予感させるものなど何もない、平和な光景であった。
(トリトニアの伝説 第5部 トリトニア交響曲 完)
拙い作品を読んでいただきありがとうございました。
「トリトニア交響曲」は、海洋ファンタジー「トリトニアの伝説」の第五部です。
望みが叶って無事成人できたパールでしたが、パールの持つ力は陰謀を呼び込むほどの脅威の力のようです。
ラブラブ真っ最中の二人なのに、逆に一平の苦悩は尽きません。ゴールインまでの道のりはまだまだ遠そうです。
第六部は「王宮円舞曲」です。
しばらく準備期間をいただきます。
その間、ショートストーリーをニ、三お届けするつもりです。
本編の連載は12月初旬に再開できればと思っております。
またお会いできますように。




