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第二十一章 徴

 ガラティスは別室でパールを待っていた。 

 ガラリアまで連れて行くのはさすがにさすがにためらわれたからだ。

 ペニーノの計らいで、既に『癒しの力』はこっそりと盗み見てある。別室にいたのにもかかわらず、パールの歌声を聞いたガラティスは例に漏れずに睡魔に襲われた。 

 そして今、偶然ペニーノの元で顔を合わせた、と言う建前で、あることを確かめようとしている。

 運び込まれた王女を石のディヴァンに横たえ、シェリトリとペニーノが退出すると、侍女を呼び寄せ何やら命じた。

 壮年のその侍女は、面食いのガラティスが側に侍らすには垢抜けていなかった。美女に身の回り世話をさせ、卑猥なことを言ってからかうのが好きなガラティスがなぜ?と、ガラティスの連れの侍女を見てペニーノは疑問に思ったが、この女の用途は別にあった。魔術師だったのである。

 パールとイカロスに盛られた没薬を調合したのもこの女であり、現在はガラティスの指示でパールの意識を戻そうと呪文を唱えている。

「…四半時ほどで目覚めましょう」

 女はそう言うと静かに部屋を辞した。

 室内には眠っているパールとガラティスの二人だけが残された。

 ガラティスはパールを見下ろした。値踏みをするように、頭頂から爪先までじろじろ眺め渡した。

(貧弱な…)

 第一の感想はそれだった。

 十三になって成人してもなお、パールの身体は小さかった。食も細いが、太りやすい体質ではなく、脂肪分が少ない。豊満で艶やかな美女ばかりを見慣れたガラティスには、女らしい丸みに欠けるパールの身体は鶏ガラ(ボーンフィッシュ)のように見えたのだ。

(まるっきり、子どもではないか…)

 明らかに失望した、と思われるため息を吐いた。

(本当にあのシルヴィアの娘なのか?父親のオスカー王が醜男ならまだしも…。これではわしの後宮には据えられんな。こちらが恥をかく)

 そういう気持ちは確かにあった。

 だが、真の目的は他のところにある。

 ガラティスの心に引っかかっている伝説は、珊瑚姫なる者が宝の秘密を握っている、と言うものだ。身体のどこかにそれを証し立てる(しるし)がある。そう、語り部は言っていた。

『宝』と言うのが何なのかは漠然としている。金銀財宝であるというのが一般的だが、特別な場所や何かの力であることも考えられる。

 資源の乏しいガリアとしては金銀財宝は嬉しいが、ガラティスは『力』である可能性が高いと思っていた。 

 ガラティスは『力』が欲しい。豊かなトリトニアの領土に進出し、我がものとする『力』が。

 シェリトリの話を聞いて、パールの力が『破壊』に繋がる力、(いくさ)に役立つ力ではないかと推測したのである。

 噂の『癒しの力』だけでも、軍で使えば戦力増強に繋がる。

 それを確かめたかった。


 やがて目を覚ましたパールは不思議そうに辺りを見回した。

 見覚えはないが、見たことがあるような気がする部屋だった。先程までいたペニーノの屋敷の中なので、調度品や造りが似ていたのだ。

 そして石造りの壁と天井を背景に背負って、小太りの赤ら顔の男が自分を見下ろしている。

 目を瞬いてパールは問う。

「…どなた?…」

 よく、『だあれ?』と口にしなかったものだ。一瞬で面識のない人、との判断を下し、失礼のない言葉遣いを選んだのは、王族としての教育の賜物であり、パールに外見から読み取れる以上に聡明さがあることの証明だ。

 パールはディヴァンから起き上がり、ガラティスの前に立った。

「やっと、お目覚めのようですな、姫。お初にお目にかかる。ガラティスと申す。トリトニアの隣人、ガラリアの国王だ。よろしくお見知りおきを」

「ガラリア⁉︎」

 もちろんその名は知っている。国主の名がガラティスと言うのだということも当然心得ていた。

「私は…いつ、ガラリアに来たのでしょう?」覚えが全くない。「それにイカロス尊師はどちらに?」

「残念だが、ここはガラリアではない。ガラリアの近くではあるがまだトリトニア。トリーニだ。姫の尊師は酒に酔うてぐっすり休んでおられる」

 そのことは記憶にあった。

「シェリトリは?私はシェリトリと食卓を囲んでいたはずなのですが」

「シェリトリどのも気持ちよくなられたようだ。とうに自室に引き上げていかれた。姫も同じく酔われたのだろう?ペニーノどのに会いに来たらこのようなことになっていて驚いたわ」

「ペニーノさまと…仲良しなんですの?ガラリアの国王さまが?」

「さよう。結構馬が合うておる」

 何を思ったかガラティスは目を細め、相好を崩している。値踏みは終わった、とばかりにパールに対する感想を述べ始めた。

「なるほど、童女姫と呼ばれるけがわかったわ。なるほど幼い。十三にもなればもっと色気のひとつも滲み出ていてもよさそうなものだが」

 目を閉じて動かぬパールは病弱に映ったが、起きて動き出すとその動作にはむしろ幼さが目立った。言葉遣いこそ丁寧で品格を感じさせるものがあったが、驚きに目を瞬いたり、服の乱れに気を使い、恥じらうといった女性らしい気配りが見えなかったりするところが、大人の女性とは天と地ほども開きがあるとガラティスに思わせていた。

 褒め言葉とは絶対に受け取れぬ言葉を聞いて、さすがのパールも少し眉を顰めた。

 ガラティスは愛妾を何人も持つほどの女好きだ。成熟した艶やかな女性ばかりを大勢その後宮に従えている。その中にはパールと年の変わらぬ者もいたが、年齢は低くてもその成熟度には雲泥の差があり、目の肥えたガラティスにはパールが幼魚と何一つ変わりなく思えたのだ。彼の視線や物言いには、明らかにパールに対する侮蔑の色が表れていた。

 なぜ自分がガリア王と対峙しているのか、何もわからないままにパールはガラティスの前で尋問を受けるような格好になっていた。だが、言葉の端々からここがペニーノの屋敷であり、イカロスもいるのだということを察していたので、まだそれほどの危機感はパールにはなかった。

 幼い頃も、トリトニアに戻ってからも、オスカーという類稀な立派な王が父親として身近に存在していたのだ。仮にも王と名のつく者が非人道的な行為に及ぶなどとは露ほども考えていなかった。


「娘。名は何と言う?」

 心得てはいたが、敢えてガラティスは尋ねた。

「…パール…」反射的に答えてからパールは言い直した。他国の王には、きちんと礼儀を正さねばと正式名を名乗った。「トリトニアの王女パールティアと申します」

「フン…」

 鼻を鳴らしてガラティスは言う。どうもさっきから態度がおかしい。

「幼いと聞いてはいたが、これほどとは思わなんだ。場合によっては正妃にしてもよいかと思ったが、やめだやめだ。かと言って後宮にも入れられん。もっとも、おまえの父親が妾妃になど寄越すはずがないからな。取り敢えず調べさせてもらおうか。これからは我らのために働いてもらうことになるかもしれんぞ。覚悟しておくがいい」

(え?)

 ガラティスの言う意味がパールにはわからない。あまりに唐突だ。だが、自分がガラリアに何らかの形で必要とされているのだということはわかった。『人質』と言う言葉が思い浮かんだ。

(どうしよう?)

 パールは思った。自分を人質に取られると言うことが、父や母にどんなに迷惑を掛けることになるか、パールにも多少は想像できる。

 パールは言った。

「…いやです。帰してください。私には何の力もありません。ガラリアのお役に立てることなど何一つ…」

「女でありさえすれば、役には立つさ。男の欲望を満足させるくらいはな」

 ニヤリとガラティスは唇の端を吊り上げた。

「わしの趣味にはちと合わんが、わしの可愛い息子どもには丁度よかろうよ」

 ガラティスの言っている意味をパールは理解することができなかった。

「私は…まだ修行中の身…。何も王子様方を満足させることは…」

「ほう…。トリトニアではそういうことをわざわざ修行までさせるのか」

 大きな誤解の下、ガラティスは言った。パールの言うのは守人になるための勉強のことだったが、男と女のことなど何も知らぬパールにはガラティスの嫌味もわからない。

「面白い。どの程度まで修行したのか見せてもらおうか」

 気が変わったのか、ガラティスは身を乗り出した。

 つかつかとパールに近寄り、肩をがっしと掴んで顔を覗き込む。 

 パールの全身に悪寒が走った。

(…何…を?…)

 ガラティスは片手でパールの顎を持ち上げ、顔を上げさせた。

「よく見ればなかなかの美人ではある。おばこ娘もたまにはよかろう」

 次の瞬間、パールの目は大きく瞠かれた。

 欲望の塊がパールの唇を塞いでいた。ぬるぬるとしてたガラティスの舌がパールの口の中に割り込んでくる。

(いやっ‼︎)

 そう思った途端に、パールは侵入者に噛み付いていた。

「ぐっ…」

 ガラティスは慌てて身を引き、手で口を抑える。赤いものがじわりと海の水に溶け込んでいった。

「…貴様…」

 自分のしたことの結果を見て、パールは後退った。「よくも…わひの…」

 痛いので舌がよく回らないらしい。

「こうひてくれるわ」

 ガラティスは目を剥いてパールに飛び掛かった。

「いやあっ‼︎」

 またされる、と思うと嫌悪感が爆発した。こいつの思うようになんかさせるもんかと必死に抵抗したが、経験豊富な淫乱王にかなうはずもない。あっという間にパールは着ていたドレスを全て剥がれてしまった。


(だめ‼︎)

(見ちゃだめ‼︎)

 ―誰にも見せるんじゃないぞ―

 一平の言葉が蘇った。

 ―男と名のつく奴には、パパだってだめだぞ―

(一平ちゃん‼︎)

 悲しかった。

(誰にも見せちゃいけないって言われたのに…。お嫁さんになったら赤ちゃんができるようにしてくれるって言ったのに…)

 具体的なことなど何もわからなかったが、ガラティスがしようとしていることが自分の夢を打ち砕くものだということは感じ取れた。

 王は何かをしようとしている。自分を裸にして。その結果はきっと自分に赤ちゃんを与えてくれるだろう。この男の赤ん坊を。

(いやだ‼︎そんなのやだ‼︎パールは…パールの欲しいのは…一平ちゃんの赤ちゃんだ‼︎)

 全身を拒絶の塊にして震えるパールをガラティスは舐めるようにして見ている。髪を掴んで仰向かせ、首や頸を見た。ぐるりと回し、背中を見た。足も手も胸も、全てを調べて何かを探している。

(何を…しているの?)

 ガラティスは急につまらなくなった様子でパールを離した。

(え…⁉︎)

「つまらぬな…。ちっとも欲情せん。しかも、あると聞いていた徴もどこにもないではないか…」

(徴?)

「貴様、本当にトリトニアのパールティア王女なのだろうな。このガラティスを謀るとただでは済まさんぞ」

 ガラティスは腰の剣に手を掛け、怒った声でパールを脅した。

「あ…」

「徴がないのなら、王女だろうが癒しの力の主だろうが同じことだ。失せろ」

 ガラティスはパールにはぎ取ったドレスを投げつけると、さっさと部屋から出て行った。

(どうしたっていうの?)

 わけがわからないが、とにかく助かった。

 パールは急いでドレスを着た。


 支度を整えたところへペニーノがやってきてこう言った。

「姫さま。ガラティス王はお怒りです。一体何をなされたのか」

 狼藉を働かれたのはパールの方である。だが、それもどう言っていいかパールにはわからない。呆気に取られているのを幸いに、ペニーノはパールを言いくるめた。

「ご気分が悪くなられた姫さまを、丁度訪問なされたばかりのガラティス王自ら介抱してくだされたのに、失礼なことを申し上げたそうですな。いくら王女とは言え、言っていいこと、していいことと悪いことがありましょう。大恥をかきましたぞ。酒など出すのではありませんでしたな。これほど酒癖が悪いとは思いませんなんだ」

 ペニーノは、パールが酔っ払ってガラティスに無礼を働いたと言うのだ。

 もちろんパールにはそんな覚えはない。だが、強い酒が本人にも思わぬ事態を引き起こすことがあるとは知っている。まさかとは思うが、そんなことはない、とはパールには言い切れなかった。実際不自然に記憶が途絶えているのだ。しかし自覚がないので謝罪することにも踏み切れない。

 結局、一言の弁明も抵抗もできぬまま、パールはイカロスと共に帰城の途についた。

 ペニーノから偽りの一部始終を聞かされ、王への伝言を託されたイカロスは不承不承ながらも報告の義務を全うしなければならなかった。

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