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第十三章 異変

「やはり、ビバークするしかないだろうな」

 辺りを見回し、一平は言った。

「ビバーク⁉︎」

 パールは何度も経験があるが、キンタは初めてだ。

すっかり暗くなってしまった。森のはずれならともかく、ここまで来てしまったら迂闊に動かないほうがいい」

 王宮では王子と王女の帰りが遅いと心配しているだろうが、今は伝達手段もない。だが、これ以上の危険も犯せない。

「一平にはここがどの辺かわかるの?」

「大体はな。結構ソルト山に近いぞ。ここは」

 一平たちの調査は妖物の多いと言われるソルト山方面から始められていた。

「そもそも何だってこんな奥までやってきたんだ。同じリリの森でも、薬草採りならもっと人里近くでもできるだろうに」

「逆方向に進んじゃったのかなあ。帰り道で」

 キンタは、記憶を辿るがわからない。

「おそらくそのようだな。だが、幸運だった。よく出会えたものだ。逆に、正道を戻っていれば、オレに会うことはなかっただろう。それはそれでよかったかもしれないが、おかげで件の妖物の生息地も見つけたしな」

「あれ…何さ?一平は知ってるの?」

 ぶよぶよした気味の悪い感触を思い出して、キンタは顔を顰めた。

「最近になって襲われたという報告が二、三来ている。オレはその調査に来たんだ。いずれ掃討作戦が組まれれば先頭切って指揮して来なければならないだろう」

「あんなのがいっぱいいるの?」

 バールも嫌そうに言う。

「おまえたちも見ただろうが、こちらから近寄らなければ害はない。原始的な体の造りで、分裂して増えるのは厄介だが、一所(ひとところ)からほとんど動くことができないようだからな。物珍しく綺麗だからといって、迂闊に触ろうとしないことだ。国中に周知するのがまず一番にしなければならないことだという結論をオレたちは出した。明日にもオレの上官が上奏するはずだ」

「…遅いよ…」

 既に手を出してガブリとやられたキンタは口を尖らせた。

「パールが一緒でよかったね」

 にこっと笑いかけるパールは実に無邪気で可愛らしい。

「パールは動く万能薬だからな」

 一平も面白そうに言う。

「何?それ」

「はは…」

 パールの追求を笑いでごまかし、一平は腰を上げた。

「しばらく、ここでじっとしててくれ。休める場所を探してくる」

「え?ここじゃいけないの?」

 キンタはてっきりこの場所でビバークするものと思っていた。

「少し開けすぎている。森の中に限らないが、休む時は無防備になりがちだ。隠れるようにして眠ったほうがいい。適当な場所が近くになければ仕方ないが…」

「じゃあ、オレも行くよ」

「いや、おまえはバールと待っていてくれ。少し体調が悪そうだから、ついていてやって欲しいんだ」

 言われて初めてキンタは気がついた。姉の様子の変化に。

「お姉ちゃん、具合悪いの?さっきまであんなに元気だったのに」

「平気だよお、一平ちゃん」

 少し眠くはあるが、病ではないとパールは自分で思っていた。

「だめだ。キンタに施術をしたんだろう?その前には、朝早くから労働に明け暮れていたそうじゃないか。オレの聞いた限りでは、癒しの歌が途切れたのは何分でもなかったぞ。眠らなければ身体が保たないじゃないか、おまえは」

 そういうものなのかと、キンタは合点した。

「一人にしたらすぐ昏睡状態になるに決まっている。おまえに見張っていて欲しいんだ」

 真顔で一平は頼んでいる。キンタは請け合った。


 ほどもなく、一平は手ごろな洞窟を見つけてきた。中には小魚が住んでいたが、大柄な海人の出現に慌てて棲家を逃げ出した。ウニとヒトデにもお引っ越し願って、ふんだんにある海藻を使って寝床を設えた。

「ふーん。ここがお二人の新居ですか…」

 一足先に洞窟に足を踏み入れ、キンタは中を眺め回した。すぐ後ろでは一平が眠ってしまったパールを横抱きにして運び入れている。

「何を軽口を叩いている。遊んでないで荷物を運んできてくれ」

「はいはい…」

 パールは泥のように眠りこけていた。気丈にしていたが、かなり無理をしていたのだ。思いもかけず一平に会えて興奮したことも身体の中を逆に目覚めさせてしまい、疲れさせてしまった。

 だが、一平にはもう一つ気になることがあった。パールが決して穏やかに眠っているようには見えないことだ。時々小さな唸り声を上げている。

 久しく床を共にしていないので、近頃のパールの睡眠がどういう状態なのか一平は把握していない。だが、旅の間にもこういうことは頻繁にはなかった。よほど具合が悪い時にしか、唸ったり寝汗をかいたりはしなかったのだ。

 即席の寝床の上にパールを横たえる。深い眠りに落ちているとばかり思っていたが、パールはうっすらと目を開けた。

「ん…」

「すまん、起こしたか」

 そっと運んだつもりだったが、注意が足りなかったかと一平は顧みた。

「一平ちゃん…」

「なんだ」

「…痛い…」

「何?」

「お腹が痛い…」

 パールの訴えに、一平は眉を顰める。

「どういうふうに…痛いんだ?何か変なものでも食べたのか?」

 パールはううん、と首を振る。

 丸一日一緒のキンタはピンピンしているので、これは見当はずれと言えるだろう。

 それではなんだ?パールの身に一体何が起きている?

「お腹って…どの辺だ?」

 尋ねながら、一平はパールのスマートな下半身を見下ろした。光によって明るいレモン色に見えることもある草色の細かい鱗が、イルカの下半身そっくりに流線形を描くボディーを覆っている。細く括れた先端には、厚みの割りにしなやかに動く尾鰭が放射状の筋とともに広がり、優雅なゆらめきを醸し出す。だが、今は海流の動きに僅かに揺らめくのみで、萎れた花が流れているかのように元気がない。

 お腹と言われてもどこからどこまでがお腹なのか一平にはわからない。正確に知ろうとしたこともなかった。医術を学んだパールであれば手を翳して、心眼で身体の中を見ることもできようが、生憎と一平には備わっていない技術だ。排泄だってどこからするものか不思議に思わないではなかったが、尋ねる事は憚られたし、盗み見するわけにもいかなかったので、未だに謎のままである。

 どの辺りが痛いのか訊いたところで判断のしようもないのだが、訊かずにはいられなかった。大切な人が苦しんでいるのをそのままにしておけるような薄情さや楽天性は一平は持ち合わせていない。大儀そうな様子の下、パールは答えた。

「ここ…」

 人が普通に手を下ろして手首の辺りに当たる、いわゆる下腹部の辺りをパールは差し示した。だが、すぐに「あ…」と小さな叫び声を上げ、腰を折って尾鰭を抱え込んだ。また新たな痛みに襲われたらしい。

「パール‼︎」

 一平は慌ててパールの上半身を支えて覗き込む。パールは冷や汗を吹き出させていた。呻き声を上げ続け、痛みを堪えている。


「キンタ‼︎」

 一平は自分よりは長年と共に暮らしたパールの弟に助けを求めた。

「こういうことは前にもあったのか?何か聞いてはいないか?それとも初めて…突発性のものなのか?」

「…知らないよ。覚えてる限りじゃ、ないよ。それにオレ子どもだったし…」

 キンタも戸惑っている。実際、ふっと倒れることは頻繁でも、床に就いている姉のそばに付き添っていることはほとんど許されず、重症で苦しんでいる姿など見たことはなかったのだ。

 キンタの答えからは、現状に対するヒントは見出せなかった。家族であるというだけでお医師でもないキンタにそれを求めるのは無理があったかもしれない。だが一平は今、藁にも縋る思いでいた。

 一平にしろ、腹痛を伴う病気について何も知らないわけではない。但し、彼の知識はすべて地上においてのことで、海人の状況には当て嵌まらないことが多いのだ。

(まさか…腸捻転とか、内臓出血とか…一刻を争う病気じゃないだろうな…)

 昼間は元気だったはずなので、余計心配だ。

 一平が厳しい顔で思案していると、パールが深いため息を発した。

「…大丈夫か⁉︎」

 大丈夫なわけないだろう、と思いながらも、他に言葉が出てこない。

「…おさまった…の…。でも…すごく痛かった…」

「原因が…わかるか?」

 本人なら或いは…と一平は望みをパールに繋いだ。

「あのね…。違うかも…しれないんだけど…」

 珍しく歯切れが悪い。容体が悪いせいだと思うが、いつものストレートなパールではない。

 黙ってその先を促す。

「最初は…ちょっと似てたの。この間の時と」

「この間⁉︎」

「十二歳の変態の時」

 ハッ、と一平は目を瞠った。

「でも痛みは比べ物にならなかった…これがしばらく間を置いて何回か続いて…間隔が短くなって…。大変態が起こる時は、そうなんだって…」

「……」

「だから…」

 遠くを見るように話していたパールが目を伏せた。握った手を口元にやり、恥ずかしそうに呟く。

「パール…大人になるのかもしれない…」

 居並ぶ二人の男子には言葉がなかった。

 戸惑いは大きい。さっきの比ではない。むしろ病気の方が冷静でいられるかも、と思ったくらいだ。

 パールの独白をあんぐりと聞くだけで対応できない二人にこれ以上心配をかけまいと思ったのか、パールは言葉を継いだ。

「多分…病気じゃないから…。大丈夫だから…。心配…しないで…」

「あ…。ああ…」

 何とも間抜けな返事しかできない自分に一平は呆れた。

 隣でキンタが一平の服をツンツンと引っ張っている。

 何だ、と横を見ると、少年は真っ赤になって俯いたまま、一平を少し離れた所へと誘う仕草をしている。

 パールが目を閉じて静かに休んでいるようなのを見届けて、一平はキンタの誘いに乗った。


「どうした?⁉︎」

 内緒の話か、それでなくとも大声で喋らない方がいいだろう。一平は小声で尋ねた。

「…まずいよ、一平…」

「まずい?何が?」

「…お姉ちゃんの言うことが本当だったら、オレたちこんな所にいたらいけないんだ」

「…どういう…ことだ?」

「大変態っていうのは…一人で迎えるものなんだよ。女は特に」

「一人で?」

「一平はさ。地上で育ったから知らないかもしんないけど。それにオレたち男はこの側鰭(そくひれ)がなくなるだけだから割と楽なんだけど。女はさ、大変なんだよ」

 さもあろう。さっきのパールの様子を見ただけでも、それは頷ける。

「何しろ『大変態』だからさ。あの尾っぽが二本の足に変化するんだよ⁉︎それも一晩で一気に。凄く痛くて苦しいらしい。それこそ子どもを産む時みたいに」

 それは経験したことはないがよく耳にする話だ。出産を経験した女性は、あの痛みだけはもう二度と経験したくないと一度は思うらしい。地上人との共通点を見出し、一平は内心少しほっとしたした。

「でもそれを耐えないと一人前にはなれないんだ。それもたった一人で乗り越えないと認めてもらえない。普通は、女親が気づいて当人を隔離するんだ」

 キンタが問題にしていることがようやく一平にも飲み込めた。要は自分たちがパールの変態時にそばにいてはいけないしきたりがトリトニアにはあるということなのだ。

 だが…。

「隔離といっても…。ここは狭いし、外は危険だ。他には誰もいないのだし、よしんばオレたちが外で過ごしたとしても、あまり意味はないのじゃないか?」

「だから、どうしよう、って言ってるんだよ、オレ

は」

 キンタは焦れったそうに眉を顰めた。だがパールの様子を気遣わしげに見やり、一平は言う。

「あの痛みがもっと激しくなるのなら…オレは心配だ。逆に、ああいう状態の幼魚をたった一人にして一晩過ごさせることの方に疑問を感じるが。もしも万が一何かあった場合に、どう対処できると言うんだ」

「そんなこと、オレに言われても…」

 キンタはトリトニアでのごく一般的な風習、しきたりに則って説明したに過ぎない。責められたり問い詰められたりするのは不本意だ。

「選択の余地はないだろう。オレはパールについている」

「でも‼︎」

 妙に食い下がるキンタに、野放図に育っているようでも常識人ではないかと、一平は意外な感想を抱いた。

 キンタにその先を促す目を向けたが、彼は言い渋った。

「何か言いにくいことでもあるのか?」

「その…誰もいないからばれることはないとは…思うんだけど…。まずいんだよ。男が一緒にいると。…誤解されちゃうんだよ」

「誤解?」

「………」

「いいから言え」

 促されてキンタは深いため息を吐いた。

「…通じたって…思われちゃうんだよ。成人した途端に、その…男と…。不名誉だろ⁉︎そんなこと。女にとっちゃ」


 キンタの言いたいことをようやっと理解して、一平はどんぐり眼になった。

「……」

「一平とお姉ちゃんは公認の仲だけどさ。でもまずいよ、やっぱ。まがりなりにもお姉ちゃんはトリトニアの王女だし。下手すりゃ国の醜聞になっちゃうもん」

「ちょっと待て…。それは…オレのせいになるのか?何もしていなくても⁉︎」

「下手すりゃオレもだよ」

「おまえはまだ幼魚だろう」

「加担はできるよ、どうとでも」

「………」

 この年で恐ろしいことを言う。一平は二の句が継げない。考えもまとまらなくなってきた。

「……どうすれば…いいんだ⁉︎⁉︎」

「オレの方が聞きたい。でも…誰か証人を連れてくるとか、オレたちがここを去って王宮に戻って、朝皆と迎えに来るとか…できないかな?」

「パールを連れて帰る、という手もあるぞ」

「だめだよ。大変態が始まったらなるべくその場から動かさないようにしないと。危険に変ずることも稀にだけどあるんだ。ここから王宮までは結構あるし」

 制約は思った以上に多い。今までの変態とはえらい違いだ。一平はない知恵を必死に絞った。

「誰かを呼んでくるにしろ、オレたちが戻るにしろ、あの状態のパールを置いていかなければならないことに変わりはない。あんな無防備で身動きもままならないパールを。かと言って、夜の森を子どものおまえ一人出すわけにはいかないし、おまえたち二人を残すのも危険だ。やはり、大変態が終わるまでここで見守るしかないだろう」

「そう…だよね…」

 一平の判断にキンタも頷く。どの案にも問題があり、状況は八方塞がりだった。

 束の間の安らかな寝息なのだろう。パールの静かな寝息に時折混じる小さな声だけが、洞窟の夜のしじまを破っていた。

 

(痛いよ…。痛い…。こんなに痛いんなら、大人になんかならなくたっていいよ…)

 身体が裂けるような痛みだった。一平とキンタがそばにいることも忘れてしまうほど、パールは経験したことのない痛みに驚き、怯えていた。

 パールが苦しみ出してから一時余り。痛みの間隔は四半時おきぐらいに起こるようになっていた。そして同じくらいの時間、苦しみ続ける。

 トリトニアにおける時間の観念の表現は一時(いっとき)が約一時間、半時が三十分、四半時は十五分ほどだ。一平は知らなかったが、パールの今の状態は、地上における出産時の陣痛の間隔に近かった。発作と言ってもよいだろう。

「これが一晩中続くなんて…」

 ぼそっとキンタが言った。

「こんなに痛がってるのに…まだ、この何倍も、この苦しみが続くのか?」

 一平も眉間に縦皺を寄せる。小さな身体で痛みに耐えるパールが痛々しい。

 今まで何度もパールの変態を目にしてきた。が、それまでの変態は痛みらしい痛みなどほとんどなく、一晩眠っていさえすれば自然と始まって終わっていった。初めてそのことを知った時には朝起きるまでパールの身に変態が起こっているということにまるで気がつかなかったくらいだ。今のパールの様子はそれとは比べ物にならない。

 少なくとも四時(よんとき)かかるとは聞いていた。無事一人で朝を迎えられて初めて認められると言うことも今日知った。だが目の前で大切な人が苦しんでいるのを為す術もなく、一晩木偶の坊のようにしていなければならないというのは精神的にまいる。

「パール…。しっかりしろ。頑張るんだ。オレがそばについているから…」

 片手でパールの手を握り締め、背中を摩ってやるくらいしか一平にはしてやれることがない。

 その顔はパールと同じ苦しみを味わっているかのように歪んでいた。何もしてやれないもどかしさに、一平は苛まれていた。


 そんな一平を見て、キンタは思う。

(一平…ほんとにお姉ちゃんのこと好きなんだな。オレから見たって年よりガキなのに、何でなんだ?)

 十三にもなるのにてんで幼くて無邪気なパールのことを、正直言ってキンタは呆れていた。

 パールの行方が知れなくなったのは三年半ほど前、当時キンタはまだ七歳の幼魚であった。成長が早いのが海人の傾向とは言え、七歳は七歳であり、キンタは未熟な少年でしかなかった。

 王宮の中では王家の一員としての教育が施されてはいたが、所詮は王子とは言え年下、姉より先に教えてもらえることは数少ない。が、パールが行方知れずになってからは、皆の期待は一身にキンタの上に注がれた。トリトニアの知識、教養は、申し分なく幼い王子に対して送り込まれた。生来の生きのよさが時折その吸収を阻みはしたが、留守をしていたパールよりは遥かに多くの情報を受けて育ってきた。

 三年経ってパールが無事帰還した時には、同等、或いはそれ以上に大人への階段を登っていた。当然、キンタの目には、かつて親近感と憧れの塊だったパールは彼よりも年下にさえ見える守ってやらねばならぬか弱い存在に映っていたのだ。パールを連れて戻った勇者が見るからに逞しい体躯と精悍な顔をしているので、余計パールが小さく見えたのかもしれない。

 成人の時を間近に控えているはずの姉は、キンタの知る限りの周りの女性たちと比べても明らかに幼かった。いなくなった時の純真さをそのままに、身体だけ少し大きくなった―そういう印象が強い。

 この、何事にも揺るがずに七つの海を渡ってきた屈強そうな男が、なぜこうまでこの姉に執心するのか、キンタには不可解で仕方がない。

 確かに可愛らしい少女ではある。天使の微笑み、と称してもいいくらいの愛嬌のある笑顔は人を魅了する。素直な性格は全く嫌味がない。が、大人になりかけという雰囲気はまるでない。困ったことがあれば人前でも声を上げて泣くし、言葉遣いだってまるっきり幼児だ。後でわかったことだが、一平にだけは平気でわがままを言う。

 自分だったら絶対に恋人にしないタイプだ、とキンタは思っていた。幼い恋人なんか持ったらロリータ・コンプレックスだと思われたって弁解できないじゃないか。


 一平は姉のどこがいいのだろう?なぜ、遥かな長い道のりを、自分の身の危険も顧みず、姉の保護者としてここまでやってきたのだろう?聞けば一平は半分は地上人で、それまではずっと地上で暮らしていたのだと言う。十三年間慣れ親しんだ土地を離れて未知の海の世界へ彼を飛び込ませたものは一体何だったのか…。

 ―パールがいたからこそ―

 そう、一平は言うが、姉のパールに自分の生活を捨てさせるほどの魅力が備わっているとは、キンタにはどうしても思えなかった。

 一平の武勇伝は伝え聞いている。キンタから見ても、申し分のない立派な男だ。

 腕は立つし性格は潔いし、勘がよいので驚異的なスピードで知識をものにしている。女が一目でのぼせ上がりそうな爽やかな容貌でもある。きっとどこでも引く手数多だったに違いない。そんな一平がなぜ、よりにもよってあのパールを?

 海を渡っている間に情が移ったとしたって、せいぜい妹みたいな存在ぐらいにしかなり得ないんじゃないだろうか。ここトリトニアには、一平の年に見合うような成人の美女だっていっぱいいるのに目もくれやしない。

 それどころか、一平はいずれパールを妻にと父王に願い出ていると言う。まだ肉体的にも精神的にも大人になっていないパールのことをひたすら思い、待ち続けていると言う。

 トリトニアの男で十六と言えば、早い者はもう二児の父親ぐらいにはなっている。パールが大人になるのを待ってなんかいたら、あっという間におじんになっちまうと、これまた一平の辛抱強さにも感心を通り越して呆れてしまっていた。

 でも、二人の様子を見ていると横槍を入れる気持ちは失せてしまう。一平はパールに対して優しくて温かい大きな目で見守っている感じだし、パールはパールで一平には全幅の信頼を置いて甘えきっているのが手に取るようにわかる。二人でいると、他の者が一緒にいてさえ、とても幸せそうなのだ。

 が、今この二人は全然幸せそうじゃなかった。これ以上の不幸があってたまるかといった様子で、自分たちではどうすることもできない敵と戦っている。幼魚が成人になるためのステップだとは言え、想像していた以上の大変さに、身も心も弱りきっている。

 この調子では一平はパールのそばから離れそうもない。それはまずいとの焦燥感に悩まされながらも、キンタには決定的な打開策が見つけられない。

(一体、どうすりゃいいんだよ…)

 キンタは二人を見つめ、呆然と佇むしかなかった。


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