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第十一章 任務

「いいんだけどさ」

 キンタが言う。

尊師(せんせい)も来れないのにお姉ちゃん一人だけで来なくてもよかったんじゃないの?」

 キンタの懐疑的な言葉にパールは反論する。

「そんなことないよ。大事なお仕事なんだよ⁉︎」

「だって、大体その薬草がどれかなんてお姉ちゃんにわかるの?間違えたりしない?」

「大丈夫だよ。ちゃんと教わったんだから。実物も見たし」

 医科のヒンギス教授の要請に応えようとやって来たリリの森で、パールは周囲の海藻に目を配りながらキンタの懸念の言葉に耳を傾けていた。

「なんか皆が皆流行風邪(はやりかぜ)にやられちゃうっていうのもできすぎだよなぁ…」

「しょうがないでしょ。病気なんだから。皆なりたくてなってるわけじゃないよ」

「なんでお姉ちゃんだけ元気なわけ?」

 それはパールも不思議だった。トリトニアへ帰ってからこっち、病気で寝込むことはおろか、体調不良で講義を休むなどということは全くない。旅の間に何らかの免疫力がついたとしか思えなかった。

「キンタだって元気じゃない⁉︎」

「オレは昔からこうだよ…みんなお医師の卵のくせに、だらしないよなぁ」

 このところの流行風邪は特に強力のようだった。世間では流行しまくりで、高熱が出るのが特徴だ。そのため、熱を下げる解熱剤がたくさん入り用になり、修練所内の診療所や研究室でも品不足となっているのだった。

「パパもママも元気だよね」

 思い出しながらパールも言う。

「そういえば、王宮の中でも王族の人たちは元気だな。病に罹ってるのは下働きの人たちばかりだ」

「何か王族の血が関係してるのかなあ?」

「オレたちの身体の中に今の病を追い払う何かがあるって言うの?まさか」

「パールたちの血は特別なんだって聞いたことあるよ。優性遺伝が強いらしいの。詳しくはわかってないけど」

 難しい言葉を使う姉を、ちょっとびっくりした顔でキンタは顧みた。

「そんなことも勉強してんの?医科って」

「そうだよ。いろんなこと知ってないとお医師さまにはなれないんだって」

「お姉ちゃんさぁ、お医師になるの?」

 ふと、キンタは訊いてみた。

「皆のお役に立ちたいけど、パールの一番なりたいのは一平ちゃんのお嫁さんだから。一平ちゃんは青の剣の守人になるから、パールは一平ちゃんと一緒に青の剣を守るの。だからお医師さまになるのは無理でしょう?」

「まあ、片手間にできることじゃないよな」

 キンタとて赤の剣の守人になるための勉強に日々励んでいる。なれるかどうかは別として、子どもの今はとにかくいろいろなことを吸収するしかない。

 一平の話が出て、キンタは姉に聞いてみたかったことを思い出した。

「お姉ちゃん、奉仕精神だけでこの役引き受けたの?」

「え?」

「他にも、目的があったんじゃないの?」


「……」

 パールは目を瞬く。弟にこんなことを言われるとは思ってもいなかった。しばし絶句したが、パールはいたずらっぽい目をして舌を出した。

「わかった?」

「あたりき。何年お姉ちゃんの弟やってると思ってんだよ」

「へへぇ…」

 パールは恥ずかしそうに照れ笑いする。全く庶民的な笑顔と言葉だ。

「行き先がリリの森だったからだろう?一平がいるはずの」

「…うん…」

 あっさりとパールは認めた。

「ちょっと単純すぎない?リリの森ったって広いんだよ。会えると思ってたの?本当に?…っていうか、そんなに会いたいの? 二日前には会ってるのに?」

 恋しい人にはいつだって会いたい、という気持ちを、まだそういう相手のいないキンタには理解することができない。

「バールは一平ちゃんにはいつだって会いたいよ。それに、いってらっしゃいも言えなかったし、お約束のキスだってできないし…」

 そういうことを憚らずに言うなよな、とキンタは少々頬を染め、顔が紅潮していることを気づかれないようにと顔を背けた。

「一平ちゃんの近くに行かれるだけでもパールは嬉しいんだ。別にお仕事の邪魔する気はないし」

 ちょっと寂しそうに、それでも恋する乙女の夢見る表情でパールは言った。弟のキンタでもどきっとするくらい優しい微笑みを姉のパールは浮かべている。母に、似ていた。


「キンタは好きな人いないの?」

 唐突とも言えることを、パールは訊いてくる。

「えっ⁉︎」

 幼魚であっても人を好きになれるのだと身をもって知っているのだ。キンタは、六歳の頃から修練所に通い、交友関係も広い。同年代の女の友達だってたくさんいるのに違いない。それらの中に好ましく思う女性がいたとしてもおかしなことではない。早熟な海人としてはむしろ当然の成り行きだ。

 だがキンタの返答はパールが思ってもみなかった内容だった。

「いねーよ、そんなもん。めんどくさい」

「めんどくさい?」

 思わずパールは訊き返す。

「お姉ちゃん見てっと、女ってなんてめんどくさいんだ、って思うよ。相思相愛になった途端に『出かけないで』とか『早く帰ってこい』とか『朝晩キスしてくれ』とか…。むず痒いこと言ってんじゃねーよって感じなんだよね」

 それはまさしくパールの普段の言い種だった。キンタの言い方に悪意はないが、パールの胸にはズンと来る言葉だ。

「…それって…面倒臭いことなの?男の人には⁉︎」

 一平もそう思っているのだろうか、とパールは心配になる。

「オレはやだね。女なんかに束縛されずに自由にやりたいよ」

「…一平ちゃんも…そうなのかな⁉︎」

 しゅんとしてパールは俯く。そうして姉がしょげていてもこの弟は素っ気ない。

「さーね」

「……」

 こちらが辟易するくらい喋っていたのに急に静かになられたので、キンタは腰を浮かしてパールの様子を覗き見た。

「でもね。一平ちゃん、そんなこと言ったことないよ⁉︎」

 その途端に急に顔を上げられて、キンタは身を引く。そうしながらも言うことは言う。

「言えるわけねーじゃん。本人に向かって。傷つくのがわかってんのに」

「でも、キスしてくれたのは一平ちゃんの方からなんだよ」

 ―またか―

 別に姉の情事のことなど聞きたくはないのに、とキンタの口からはため息が漏れる。

「そんなの当たり前」

「当たり前?」

「男の甲斐性だろ?面子ってもんがあるんだよ。女の方から告白されたり求婚されたりするのはちょっと男として情けないからな」

「そうなの?」

 パールは真顔で訊いてくる。

「ああ、もう!じれってーな!

 かなりキンタは面倒臭そうである。

「…パール、しちゃった…」

「へ?」

 何のことかとキンタは耳をそばだてた。

「パールの方からしちゃった…何度も言っちゃった。大好きだって…それって…だめだった?」

 ―誰か、こいつをちゃんと教育してくれ!―

 もうやってられない、とキンタは両手(もろて)を挙げて降参した。


「もう帰っていいぞ」

「え?」

 あまりに唐突で、一平はヘル中尉の言葉を訊き返した。

「急な出動だったからな。彼女に暇乞いもできなかっただろう?兵舎には寄らなくていいからまっすぐ帰るがいい」

「隊長…」

 私的な事情だ。上官はおろか誰にもこぼしてはいなかったはずだが、と驚く。

「ぼさっとするな。調査は終了だ」

「でも…報告が…」

 任務の後には帰軍、報告がつきものだ。上官の沙汰が出て初めて任務完了となる。

「二人でするほどのものでもない。上にはオレが明朝報告しておく。必要があればおまえを呼び出しもしようが、それも明後日でよかろう」

「……」

「子どもであっても女は怖いからな。終始下手に出て怒りをやり過ごすことだ」

「隊長…」

 一平と王女が相思相愛の仲であることは軍の中でも知らぬ者とてないほどの有名な話だ。不可抗力とは言え、無断で二日も恋人の元を離れさせたことで生じる一平の立場を気遣ってくれているのだ。

 人々の間で、幼い王女がある意味わがままであるという噂は密やかに囁かれていた。国主の娘のご勘気を部下が被っては気の毒だと思ったのだろう。

 ヘル中尉は妻帯者であり、二男二女の父親でもある。きっと男女間の酢いも甘いも、そして修羅場も経験しているのに違いない。

 上官の忠告をありがたく心に留め、一平は深々と礼をした。

「礼には及ばぬ。実はオレも早く我が家へ帰りたいのだ。妻が今妊娠五ヶ月で、家の中が何かと落ち着かない」

 人伝てに聞いてはいた。

「ではそろそろ…ご出産ですか…」海人の妊娠期間は六ヶ月と短い。「楽しみですね」

「まあ、オレのところはもう男女共に二人ずついるからな。どちらでもいい分気楽かな」

「そういう…ものですか…」

「おまえも早く結婚したほうがいいぞ。子どもは多ければ多いほどいい」

「いえ、まだ… 十七にもなりませんし…」

 結婚したい女性がいるくせに、つい否定してしまうのはどういうわけだろう。

「充分ではないか。むしろ遅いくらいだ。いや、尤も無理か。お相手がまだ幼魚ではな」

「はぁ…」

「幼魚に求婚するとはつくづく奇特な奴だと言う者もいるが、身分目当ての強か者と抜かす奴もいる。本当は…どっちなのかな?」

「…自分では…物好きとも野心家であるとも思っていないのですが…」

「強いて言うなら『正直者』かな⁉︎」

 ニヤリと笑ってそう言うヘル中尉の瞳は信頼の輝きを浮かべている。

 今回の任務に一平を同行したのは、一平が彼の直属の部下であるからだけではなく、武人としての力量を高く評価しているからだった。一平と同等の位の部下はいくらでもいた。その中でも一平を選んだのは、対人のみならず、一平が妖物退治に関して、優秀な成績を上げているというのが大きな理由だった。


 トリトニア軍に身を置くようになって半年。飲み込みの早さとその大胆な武技とで一平は急速に出世中だ。数々の遠征において、妖物退治で名を挙げつつある。彼にとっては未知の生き物ばかりなのにもかかわらず、一平はその妖物の弱点を探り当てることができる。自分でも不思議だ。勘としか言いようがないのだが、実力ではある。今回の出動は、新手の妖物がどういうものかを見極めるためのものだったから、適任だと抜擢されたのだ。

 だが、功績があったからとは言え特別扱いされている一平に対してはやっかみもある。王女第一なのはいいが、女にうつつを抜かして任務を疎かにするようでは大器の器ではない。急な任務に一平がどう反応するのか、それを見るためのものでもあったのだ。

 果たして一平は見事ヘル中尉の期待に応えることができたのだ。本人には知りようもなかったが。

「それは…そうありたいものですが、なかなか綺麗事ばかりも言っていられません」

 パールに対して隠し事がいっぱいある一平には、正直を胸を張って言うことはできかねた。

「そういうところが正直者の証だと思うがな」

「お褒めいただき…痛み入ります…」

「退治の折には頼むぞ。あの分裂型、増えると厄介だからな」

 調査対象の妖物はぶよぶよしたゼリー状の物体で、体はクラゲに似ていた。生態も似ていて、植物をその体全体で包み込んで溶かし、消化するのだ。但し食べるのは魚だけではない。二メートル位のものまで丸呑みしてしまえるほど体が大きくなる。従って、海人が餌食になる可能性もある。切って捨てても分裂した数だけ増殖するので埒が明かない。小さい切れ端をサンプルとしてヘル中尉が所持している。軍の研究室に持ち帰って対処法を研究するために。

「おまえなら大丈夫だろうが、帰る道中気をつけろよ」

「はい、隊長も」

「早く行け。姫の首が伸びて妖物になってしまわないうちに」

 ろくろ首のようになったパールを想像して、一平は思わず苦笑した。

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