傷
ゲームを終え、空人達は店を出た。辺りはすっかり暗くなり、すでに星が姿を現し始めていた。向かいのアンティーク雑貨店はすでに店を閉めており、逆に隣のレストランは今から開店準備をしている。目の前にあるやや大きめの通りは、居住地区へ向かう者とこれから商業地区に向かう者が行き交い、少し混雑した様子である。
帰るか、そう言って聖と別れ、家に向かって歩き始めた。聖はどうやら他に用事があるらしく家とは別の方に向かった。
帰り道、空人は明日のことを考えていた。
ニューフライヤー杯。空人がフライトのプロライセンスを取得してから初めての大会だ。これはフライトレースと言って、フライト機と呼ばれる戦闘機に酷似した機体でスピードを競う競技だ。ルールは簡単でスタートからゴールまでのタイムが短い者が勝利となる。
だがこの競技のミソは“レース中、レギュレーションにあった武器なら使用しても良い”というところにある。銃や剣などを使って、空中で繰り広げられるドッグファイトは圧巻だ。
ただ、本当に武器を使って殺し合っている訳ではない。光銃や光剣と呼ばれる光を使って攻撃し、攻撃を受けた側の機体がそれをセンサーで感知してダメージ判定をするのだ。当然、当たる場所によって受けるダメージが違い、当たり判定がなければダメージも受けない。
ダメージが一定量を超えた機体はそこでリタイアとなり、即座にコースアウトしなければならない。
と、ここまでがフライトレースの大まかなルールだ。
空人の父である星斗もかつてはこの大会に出ていた。平均タイム十三分四十九秒のコースを九分五十五秒でクリアした記録は未だに抜かれいていないらしい。それを超えるというのが空人の密かな目標になっていたりする。
先のネットカフェを出てから歩いて十五分ほど歩くと、ようやく居住地区に着いた。まず始めに出迎えるのが三十階建てのマンション。それに続き身長がバラバラのマンションがずらりと並んでいる。
道幅は広く車が三台ほど通れる広さだ。といっても、一般家庭ではコロニーのスペースの問題上、車の所持が禁止されている。特別に許可されているのは、病院に搬送する救急車と工事など時に荷物を運ぶ運送車くらいだ。
生まれた時からそうだったこともあるが、苦労したことは一度もなかった。電車はあるしスクーターなら免許を持っていれば使える。買い物だってネットで注文して買ったものを家まで送ってもらうので荷物の心配ものない。便利で良いと言う人もいるが、空人はそうは思っていなかった。人間ならば自分の目で見て自分で選ぶべきだ、そう考えている。地球に来る直前、技術力は今の数倍高かったらしい。覇権戦争と宇宙への大移動で技術の大半が失われ、二千年ほど前と差ほど違いはない。
地球に来る前はほぼすべてが機械化していたそうだ。基本的に物を覚えることをせず、記憶媒体に保存していて、地球をたった五時間で一周できる乗り物まであったらしい。
そんな時代がまた来て欲しい、そんな風に思っている人は少なくない。だが空人は、技術とか時代とか関係が無く、地球に行ってみたかった。仮初めの空でなく、ただ本物の青い空を飛びたかったのだ。
居住地区に入ってさらに五分ほど歩いたところに空人のマンションはあった。この辺りでは平均的の十階建てのマンションで、空人はそこの八階に住んでいる。
このマンションは住人が扉の前に立つと自動に識別して扉が開き、エレベーターホールに入れる仕組みになっていて、セキュリティはかなり厳しい。先月の工事で追加された機能が自動にエレベーターが来るというシステムだ。やり方は簡単で、住人を認識して扉が開くと登録されている住人の住んでいる階に自動で止まってくれる。もちろん、ボタンを押せば別の階に移動も出来る。
なんて無駄な機能を付けたのだろうと空人は思うのだが、意外にも空人“以外”の住人には好評らしい。
無駄に広く、無駄にデカイシャンデリアのついたエレベーターホールを抜け、エレベーターの前まで歩いて行く。そして、タイミングを見計らったように自動扉が開く。中に入ると行き先の階が「八階」に設定され、どんどん上昇していく。
この一連の動作が「お前の行動はお見通しだ!」と言われているようで、たまらなく憎らしかった。九階のボタンを押して、階段で八階まで下りようかと思ったが、たかがエレベーター相手にそこまでするのは馬鹿らしくなってやめることにした。
エレベーターを降りて、不快な気分になりながらも廊下をトボトボと歩いて自宅を目指す。家の表札が見えるとその扉の前に立った。さすがにここまでは自動じゃないが、今度は各家も自動化するという話があるらしく、本当に勘弁して欲しかった。
扉を引いて開けると、扉に着いた鈴がチリンと音を立てる。それに気がついた空人の母、海谷月が「お帰り」と声をかける。夕飯の支度をしているのか、何かを炒める音と独特の良い香りがにおってくる。リビングに入り「ただいま」と答えると、荷物を置きに自室に戻るため、リビングを抜けて廊下に出る。すると、良いにおいにそそられたのか妹の天が部屋から出てきた。空人と同じ綺麗な栗色をした髪で身長はあまり大きくない。本人も気にしているらしいが胸は小ぶりだ。こう言っては失礼だが、典型的な幼児体型である。
「あ、お兄ちゃんお帰り」
「お、ただいま」
適当に挨拶を済ませ、自室に入って荷物を置くとすぐに部屋から出た。
この家庭では夕食はみんなで作ることになっている。とは言っても、基本的には月が料理をしているので空人と天はそれのサポートといった感じだ。
元はと言えばこれは空人と天が言いだしたことである。今から八年前、空人が十歳、天が八歳の時、父親が死んで悲しんでいる母親を何とか助けてあげようと空人と天が必死に考えた何とも涙ぐましいアイディアだが、今では正直に言うと面倒に感じていたりする。
とは言え、一度言ったことに責任を持たなければならないので、こうして手伝っているのである。
夕食の支度が終わり、みんながテーブルに着いて食事を始めた。最初はごく普通の会話をしていたが、当然のごとく話は明日の大会のことへと変わっていく。
「空人、明日は応援に行くからね」
さすがに「来んなよ!」と、反抗する歳ではないので素直に頷いておく。チラリと横目で天を見る。やはり、あまり良さそうな顔はしていない。それもそのはず。天は空人がプロライセンスを取るのを一度だって賛成したことがないのだ。
父親が死んだあの日からソラは“ソラ”が嫌いになってしまった。このようなことはよくあるような話だ。「海で父親を亡くした女の子の話」なんてものはテレビで見ていても可哀想だな、くらいにしか思わない。
だが実際身内がそうなると見方は一変する。妹は毎日泣き崩れ、外に出ようともしない。理由を尋ねても「空があるから」としか言わない。天にとってはそれがたった一つの理由で最大の理由だったのだろうが、当然周りの人の理解は得がたい。今でこそ外には出られるが、当時は相当酷かった。
空人が天の嫌がる空へあえて出ようとしているのは、自分の夢である青空を飛ぶことというのもあるが、一番の理由は天に空は怖くないということを教えてあげたいからだ。天が空を否定してしまうと、空が好きだった父親まで否定しているような気がして堪らなかった。空人はそういう意味で空を好きになって欲しいのだ。といっても、空人自身父親があまり好きではない。大人になってきて、仕方がないことだと分かってはいるが「置いて行かれた」という感覚がいまだに残っている。
最初プロライセンスを取るといった時、母親に反対されるかと思ったが、意外にも二つ返事で承諾してくれた。普通なら父親が死んだ場所へ息子を向かわせるなんてことはしないのだが、さすが変人の妻は変人であった。
という訳で、空人は是非妹に見に来て欲しいのだが……今のままでは好きになってもらうどころか、見に来てくれるかどうかも怪しい。
「ホントに行っちゃうの?」
天がポツリと言葉を漏らした。おそらくそれが本音であり、今まで隠し続けていたことなのだろう。
「そりゃ行くだろうね」
なんて答えようか迷ったが、ここで重い空気を作るのは良くないと思い軽く答えた。
それをどう捉えたのか分からないが、天はごちそうさまと一言残し自分の部屋に帰ってしまった。
それからしばらくして夕食を食べ終えた空人は、天の部屋の前にいた。どうにかして励まそうと、様々な言葉を頭の中で巡らせる。だが、一つもピンと来る言葉は見つからない。
悩んでいるうちに一つの台詞が頭に浮かんだ。「大丈夫。必ず戻ってくる」。だがすぐにその考えを振り払った。それは星斗がずっと言っていた台詞だ。ここでそれを言ってしまったら同じようなことが起きてしまう、何となくそう思ってしまった。
かける言葉が一つも見つからない空人は、仕方なくお休みとだけ声をかけて自室に戻った。
「今日は寝るか」
そう言っていつもより早めの眠りについた。