打開策
「どうなっちゃったの?」
桜花は涙目になりながら、隣にいる聖に向かって叫んだ。
「お、俺だってわかんないよ!」
そう、これは本当に誰にも理解できないものだった。
おそらく、空人を除くこの会場の全員が理解できないでいるだろう。いや、そうでなければいけないのだ。
天は身内に配られる特別席のチケットを使わず、あえて一般のチケットを購入して空人のレースを見ていた。
そこにはいろいろな思惑が含まれているが、それを外に出すことはしなかった。
「お母さん。お兄ちゃん大丈夫だよね?」
天がそう尋ねると返答はせず笑顔だけを見せた。
そこへ突然、空人の機体ブルースカイが墜落し始めた。会場はざわつき観客は動揺を隠せていなかった。それは天も例外ではなかった。
「お、お兄ちゃん!」
立ち上がってそう叫ぶが、すぐに母親――月が、
「大丈夫。あの子なら勝てるはずだから」
といって落ち着かせた。
なにか確信があるのか、まじない程度に言っているのか天には分からなかったが、どこか落ち着いた気分になった。
空人は必死に考えた。この最悪とも呼べる状況を打破できる最善の策を。
目の前には完璧とも呼べるブロック。残りのエネルギーは十パーセントを切っている。そして残りの距離まで絶望的だ。
ここで勝つには圧倒的な何か、すなわち誰にも思いつかないような突拍子もない策を使うしかないのだ。
凡人が考え得る策はこの目の前にいる敵、フェンリルには通用しない。
「なら――」
空人はレバーを思いっきり奥に倒した。
すると機体は見る見るうちに減速し、ついには下降――いや、落下し始めた。
もちろん空人はこうなることは分かっていた。ただでさえバランスの悪い機体が空中で急減速をすればどうなるか。そして――オートパイロット機能が使えないことも。
オートパイロット機能とは緊急時にコンピューターが自動演算を行い、安全な場所に着地する機能だ。しかし、二度の超加速により膨大な演算を行うため膨大なエネルギーを要するオートパイロット機能が使えなくなってしまっていた。
だが、それらをすべて知っているからこそ空人は“落ちた”のだ。むしろ、オートパイロット機能が働いてしまうことこそ問題なのだ。
空人は落ちる最中、両翼についた小さな翼――ウイングを動かし、機体の向きを徐々に上へ向けていく。
そして、ある地点に達した瞬間。
一気にレバーを引いた。
するとみるみるうちに上昇し、ロケットの如く飛び去り、一瞬でフェンリルを抜いた。
「おっと! 海谷選手が立て直しました。そして! 一気に一位だぁ!」
アナウンサーが見当違いな解説をしているが、気にしている余裕はなかった。
会場は何かの事故で墜落したブルースカイが運良く立て直した程度にしか思っていないだろう。だが実際のところ、空人がやってのけたことは偶然という言葉などで片付けられる代物ではなかった。
空人はすぐにフェンリルの強さを理解した。マルチモニタを使って死角を潰し、どうフェイントをかけようがすべてに対応してくるだろう。上下左右すべてを塞がれたらそれは誰も抜くことは出来ない。
だから空人は下のさらに下、“真下”から抜いたのだ。死を覚悟して一度落下し、Vの字を描くように回帰した。
そこからの勝負は圧倒的だった。前に阻むものがないブルースカイはまさしく伝説とも呼べる強さだった。
そして、当然結果はブルースカイが二位と三十秒もの差を付けて圧勝した。
「うんうん。さすが星斗さんの息子だ。他のフライヤーとは一味も二味も違う」
特別席にいた女はそう言うと、すぐにどこかへ行ってしまった。
それを見た桜花が尋ねる。
「ねぇねぇ、あの人どこかで見たことない?」
「んー、どの人?」
「あそこだよ……。あれ? いなくなっちゃった」
桜花はキョロキョロと見渡すが、先ほど見た女の影を見ることはなかった。この日は。
それ以降気にすることもなく、ただただ勝利の余韻に浸っていた。
あれから数日が経ったが空人はそれほど変化を感じることはなかった。多少チヤホヤもされはしたが一週間もしないうちに熱は冷め、いつもと変わらない生活を送っていた。
天はレースを見に来てくれていたようで、無茶をしたことを怒られたがそのあとは夏休みの小学生のようにはしゃいでいた。
これで少しは空の恐怖を克服できたのかもしれない。もしそうなのだとしたらこれほど嬉しいことはない。
しかし、それは突然狂ってしまった。
その日はいつも通り過ごしていた。
学校に行き、ダラダラと過ごしていた昼休み。嵐は突然訪れた。
教室の扉が勢いよく開け放たれると、テレビなどでよく見かける顔が現れた。
「海谷空人はいるか?」
そう言ったのは紛れもなく、女性フライヤー最速タイムを保持していてなおかつ現在の地球帰還軍の大尉を務める久瀬秋羽だった。
そして次に驚くべきセリフを放った。
「どうだ少年。一緒に本物の青い空を飛んでみないか?」