掌編―星
海谷星斗は愛用の機体――ブラックスカイに乗り、宇宙を飛んでいた。ブラックスカイはその名の通り黒一色でペイントされている戦闘機だ。その機体の色のせいで黒い空と同化していて、六つのバーニアの淡いオレンジのみが余計に目立つ。星斗のために作られたこの機体は、通常ではありえないくらいのバーニアがついている。
宇宙空間というのは無重力で抵抗がほとんど存在しない。そのため重力のある自然の空間ではありえない「等速直線運動」の理論が宇宙では自然に適用される。よって一度あるベクトルに力が作用すれば、半永久的にそのベクトルに力が作用し続けるのだ。なぜ半永久的かと言うと、いくら宇宙空間と言えども完全に真空かと言われればそうではない。ほんの僅かな酸素や目に見えない塵などが存在し多少の摩擦はある。だから永久的ではなく、半永久的なのだ。
普通の機体ならバーニアをある程度吹かしそのまま等速で飛び続け、方向転換や速度の調整以外ではほとんどバーニアを使わない。
だがこの機体は違う。左翼に二つ、右翼に二つ、尾翼に二つ、計六つのバーニアを常にフル稼働させているのだ。ただでさえ抵抗がほとんど無くスピードの調整が難しい中、常に加速し続ければ最悪の場合、戦闘区域から出て二度と帰還できなくなる恐れもある。
星斗は遊覧飛行を楽しんでいる訳ではない。これは戦争だ。
ついさっき、敵軍の機体がレーダーに感知され緊急で出撃命令が出た。それに応じブラックスカイは防衛のため出撃した。
「――敵機の数は二百五十機と確認が取れました。気をつけてください――」
人一人が入るのがやっとの狭い機内に無線で連絡が入る。
星人は耳障りに感じ、ボリュームを下げた。星斗はいつも無線に対し一切返信をしない。理由は単純。面倒だからだ。連絡の方も十五年以上星斗の相手をしているとさすがに慣れてくる。最初はうるさく言われていた星斗だが、今は大佐という立場もあり何も言われなくなった。
しばらく飛行を続けていると、突然ノイズ音がスピーカーから聞こえてきた。
「ん? 何だ?」
技術の進んだこの時代、こんなことはあり得るはずはない。だが、星斗は何かの故障だと決めつけ大して気にしなかった。これがとんでもないことに繋がるとは知らず……。
ブラックスカイ出撃から約五分。そろそろ敵機のいる戦闘区域に辿りつこうとしていた。しかし周囲には味方機は見当たらない。緊急で出撃が遅れているのだろうと思い、ただでさえスピードの出ているブラックスカイをさらに加速させる。
ゴォと音がする――というのは星斗の妄想で実際は無音だ。ここは宇宙空間。当然ながら空気は存在せず、同時に音を伝える媒介も存在しない。だから音が聞こえるはずはない。だが、空気のあるところでのフライトに慣れている星斗は、どうしても感覚が抜けず、時々聞こえないはずの音が聞こえてくるのである。別段、危ない病気とかではない。ただの職業病だ。
「戦闘区域に到達しました。装備を解除します」
機内に女性の水のようにクリアなアナウンスが入る。これは通信ではなく、あらかじめプログラムされた声だ。戦闘区域に入ると自動的に流れ、危険を知らせてくれる機能だが、星斗にとってはうるさいだけの機能だ。そもそも星斗は危険を承知でブラックスカイに乗っている。今更アナウンスされたところで意味はない。
「周囲に敵機を三機確認。直ちに迎撃してください。………………………………」
女性の綺麗なアナウンスはまだ何かを言っているが、星斗には関係がない。ただ敵を討つのみ。
星斗はブラックスカイのカメラを使い、敵の姿を探す。探すと言ってもじっと目を凝らしている訳ではない。そんなことを戦場でしていれば一撃で落される。
ブラックスカイを上昇させる。上昇と言っても宇宙に上下左右がある訳ではないが、とりあえず敵に見つかっても対処できるように常に動き続ける。
「敵機発見。攻撃を開始する」
星斗は無線で連絡するが、返信が来る気配はない。まだ故障しているのかと思い、返信を待たずに攻撃態勢に入る。
目の前に見つけたのは、ブラックスカイにとって上に向かって飛んでいる緑色の機体だ。
「宇宙滞在派の量産型か……」
星斗はポツリと言うと、愛用の黒一色の機体を急加速させる。両翼に強力な荷電粒子を纏わせ、翼を二つの剣にする。そしてそのまま宇宙滞在派の群れに真上から突っ込む。
直後、三機のうち二機が綺麗に二つに裂かれ、大破した。ブラックスカイは直進を続け、黒い空に紛れる。
これこそがブラックスカイの由来である。まるで黒い空そのもののように空を駆け巡り、溶け込む。気が付けばその姿を現し敵を両断する。そして最も恐ろしいのがその推進力。空気のあるところで飛べば一瞬で大破してしまうほどの速度を出すその機体で敵に特攻するのだ。死角からの特攻は敵からしてみれば脅威でしかない。この機体には一応銃器はを備えているが、その推進力を活かすには特攻が有効なためほとんど使用はしない。だが、その推進力は武器でもあり弱点でもある。この推進力を扱いきれなければ、ただの人間の乗ったミサイルだ。だからブラックスカイはこの世に一機しか存在せず、扱えるのは海谷星斗ただ一人。
星斗は通常では反応すらできないブラックスカイの動きをコントロールし、すぐに残りの一機の方へ向かう。ついでに両翼に纏わせた荷電粒子を切る。バーニアを六つもつけているため、エネルギーの消費が激しい。だからこういうところで節約していかないとすぐに動けなくなってしまう。
レーダーを確認しつつ、元の場所へ戻る。が、これが意外と時間がかかる。ブラックスカイは速いが故に細かい動きが出来ない。つまり、急に速度を落とすことも出来ないのだ。この機体は攻撃した後黒い空に溶け込むのではなく、ただ単にスピードの出し過ぎで敵を通り過ぎてしまうだけということは、星斗以外ほとんど誰も気が付いていない。
ようやく緑の機体が見えてくる。さっきと同様、両翼に荷電粒子を纏わせ、一気に加速する。そして、その緑の機体を一瞬にして二つに斬り裂く。
直後、緑の機体が大破する。そして、ようやく星斗は気が付く。
「囲まれている、な」
レーダーには無数に点が表示されている。言うまでもなくすべてが敵機体だ。おそらく、さっきの二機がやられた後、仲間に連絡をして応援を呼んだのだろう。だがそれにしてもたかが一機に対しこの数は多すぎる。ざっと見ても百、いや二百は超えているだろう。
「何だこの数……それにこっちの味方はどうしているんだ!」
星斗は思わず怒鳴ってしまった。……焦燥。今の星斗を表すのにピッタリの言葉だ。
「こちらの応援は期待できないな。なら一人でやるしかない」
星斗はそう言ってブラックスカイをどんどん加速させていく。エネルギーなど全く気にしない。そもそもそれを気にしながら戦える数ではない。
黒一色でペイントされた星斗専用機――ブラックスカイは、たった一機で二百を超す緑の群れに、両翼を武器にして突っ込んでいった。




