第5話:薬壺の底に潜む罠
高貴妃・薛麗花の侍女となった小花は、静かに注目を集めつつあった。医官が見抜けなかった病の原因を突き止め、「香」の知識と「処置」の技術で命を救った下女──それだけでも、宮中では十分すぎる話題だった。
だが、小花は浮かれなかった。むしろ警戒していた。
──目立てば、叩かれる。特にこの後宮では。
そんなある朝。侍女仲間の一人が、青ざめた顔で駆け込んできた。
「小花……小花っ、大変よ! 尚儀局の筆頭女官様が倒れたって!」
「筆頭女官? 葉嬢様が?」
「ええ、意識を失ったままで……でも原因がまるで分からないって!」
尚儀局とは、後宮の儀礼・礼法・衣装・儀式全般を取り仕切る局。中でも葉嬢は、その厳格さと潔癖で知られ、若い侍女たちからは「鬼の葉嬢」と呼ばれていた。
小花は即座に動いた。
葉嬢は白く冷たい顔をして床に伏していた。侍女たちが気を利かせて扇を仰いでいるが、意識は戻らない。
「すでに医官は……?」
「はい、診てはいただきましたが、『脈は穏やかで、熱も毒もなし』と……何の処置もなく、戻られました」
(……それでこの状態?)
小花は、葉嬢の口元を観察し、脈を取り、爪の色、舌の裏、さらに近くに置かれた薬壺に目をやった。
(……この薬。今朝の薬湯か?)
彼女の勘が働いた。
「葉嬢は最近、どんなご病気を?」
「足腰の冷えで、お身体が固まると……それで“温補の薬湯”を毎朝飲まれていました」
小花は薬壺を手に取り、香りを嗅いだ。微かに甘く、しかしその奥に、違和感のある土臭い香りが混じっている。
「……もしや、附子が?」
「え? 附子って……毒草の?」
「附子は、本来毒ですが、加工すれば補陽の良薬。ただし、分量を誤れば、内臓を麻痺させるほど危険になります」
小花は手早く準備を整え、葉嬢の口に薄く煎じた「干姜湯」を含ませた。さらに、腎を温めるための「人参・黄耆・当帰」を配合した生薬を取り出し、足裏と背に貼り付ける。
「附子による中毒性の気逆です。完全に内臓が冷えて機能が止まりかけています。医官たちが気づかないのも無理はない……加工が甘かった」
数刻後、葉嬢はうっすらと目を開けた。
「……ここは……? おまえは……あの下女か?」
「小花と申します。どうか、ご無理をなさらず」
「……あの医官どもより、おまえのほうが……よほど頼りになるとはな……」
葉嬢は微笑みを浮かべ、再び眠りについた。
数日後。事件の余波は予想以上に広がっていた。
どうやら「附子」の処理を誤ったのは、尚薬局の新人の手違いだったようだが、発覚を恐れて黙っていたという。
尚薬局内での責任追及が始まり、後宮の薬材管理が全面見直しされることとなった。そして──
「おまえ、本当に……下女か?」
中宮の尚儀局で働く者たちの間で、小花は“影の薬師”と噂されるようになる。
高貴妃の侍女という身でありながら、薬に詳しく、行動力と直感に優れ、何より命を救う技を持つ者。
この日、小花は改めて思い知る。
──後宮は、美と権力の戦場。けれど、命と向き合える者だけが、本当に生き残れる。