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第11話:仮面の女官と、血塗られた香

 後宮に「薛玉祥」という名が戻ってきた。

 その事実は、誰にも知られぬまま、静かにだが確実に後宮の空気を変えつつあった。


 小花は、その名が記された帳面を握りしめ、香材庫の調査を進めていた。

 すべての香材に印があり、使用記録が残されるはず――それが後宮の“香の掟”。

 だがその帳面には、何度も書き直された跡がある。削られ、書き加えられ、まるで痕跡を隠そうとするかのような……


「誰かが……誰かに成り代わって、香材を持ち出している」


 香材庫の守番・老女官の話では、ひと月前から「面をつけた女官」が夜に現れるようになったという。


「顔は見えなかったが、動きが妙に重たかった。背丈も高く、声は……女というには低かった」


 ――やはり、男が女官に成りすましている。


 では、なぜ“香”を使って皇帝を陥れようとしているのか。


 それを解く鍵は、過去にあった「もう一つの毒事件」だった。


***


 小花は、文墨が幽閉されていた旧医官房を訪れた。

 そこには使われずに残された古い香札や帳面、そして埃をかぶったままの診療録が山積していた。


 その中に、奇妙な記録を見つける。


《第四十三日 御子息流産。原因不明の幻香反応。》


 記録は十年前――皇帝がまだ東宮にあった頃。

 寵愛を受けていた側妃が流産し、原因は“香”にあったとされながらも、調査は打ち切られていた。


 小花はその妃の名を確認して、目を見開いた。


薛玉雪せつ ぎょくせつ……!?」


 ――薛麗花と同族、そして薛玉祥の実姉。


 つまり、皇帝に愛された姉を、香によって失った男がいた。

 彼はその復讐のため、十年越しに後宮へ戻ってきたのだ。


***


 同じ頃、高貴妃・薛麗花の元に謎の書簡が届いていた。

 文は古風な筆で書かれていたが、確かに“血”で染められていた。


《姉を殺した男の隣で、よくも微笑めるな。薛の血に、報いを。》


 高貴妃の指が震える。


「まさか……玉祥兄上が、生きているの?」


 薛玉祥は、かつて姉の死を不審に思い、独自に調査し、禁忌を犯した。その結果、後宮から追放――表向きは流罪だったが、宮中ではすでに“死んだ者”として扱われていた。


 だが、その男が今、「香」を武器にして蘇ろうとしている。


「私が、皇帝の隣にいる限り……彼は再び牙を剥く」


***


 夜。小花は香材庫を再び訪れた。

 あえて香の補充を遅らせ、罠を張っていたのだ。


 そして――


 音もなく扉が開いた。

 入ってきたのは、濃紫の女官衣。だが、身のこなしは粗く、脚の運びが力強すぎる。

 そして、顔には白い面。


 ――仮面の女官。


 小花は息をひそめ、香壺の棚の裏からその動きを見守った。

 仮面の女官は香包を棚から取り出し、手際よく香材をすり鉢にかけ、油と混ぜている。


「……混ぜ香、しかも練香。焚き始めに心を鎮め、終盤に幻を見せる構成。皇帝の眠りを狙った毒だ……!」


 だが、その香包を棚に戻す直前、小花は決断した。


 ――飛び出す。


 「そこで何をしているのですか!」


 鋭く放たれた声に、仮面の女官はピクリと動きを止めた。


 そして、静かに仮面を外す。


 露わになったのは、女のように整った顔立ちの――だが、確かに男の顔。


「……やはり、薛玉祥……!」


 小花は口に出した。男は表情を変えず、ただ低く笑った。


「香とは、真理を暴くものだ。だが時に、それは“嘘”を生む。――姉を殺したのは、皇帝だ。私は、同じ香でその心を壊す」


「違う。あの事件は――あなたの姉君は、幻香を誰かに仕掛けられた。あなたの敵は、陛下ではありません」


「――誰だというのだ?」


「それは……まだ、証拠が足りません。でも、あなたがここで毒を仕掛ければ、姉君と同じように、真実は闇に葬られる!」


 薛玉祥の目が揺れた。


 ほんの一瞬の沈黙――だが、それがすべてだった。


 小花は静かに、彼の足元の香包に香灰を振りかける。

 それは“解香かいこう”――毒香を無効化する処理だった。


 男はただ、それを見つめたあと、囁くように言った。


「……おまえは、香を愛しているな」


「ええ。香も、香に込められた心も――裏切らせたくないんです」


 その夜、薛玉祥は自ら姿を消した。

 翌朝には後宮の裏門に“女官衣”だけが残されていた。


***


 数日後、小花は皇帝からの呼び出しを受けた。


「香の真実を追ったその目と、その手に、朕は感謝している」


 皇帝は香壺を手渡した。蓋の内側には、小さな刻印――《誠》の文字。


「それは、皇后以外に授けたことのない香。……おまえにだけは、預けたいと思った」


 小花は目を伏せる。


「わたしは、寵妃になどなれません。ただ、香を守り、命を救うために――ここにいます」


 皇帝はただ微笑み、言葉なくうなずいた。


 香の気配だけが、静かに流れていた。

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