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 次の日寝坊して少し遅めに学校に行くと、栗生が久しぶりに学校に来ていた。窓の外を見てアンニュイな表情を浮かべる彼女に、昨日のエキセントリックな雰囲気はない。僕は彼女が親し気に話してくれると思い、気安く「おはよう」と声をかけてみたが、反応は鈍くいつもの塩対応に戻ってしまっていた。他のクラスメイトにも話しかけないところを見ると、彼女は学校ではこのキャラクターを押し通す気らしい。僕はそんな彼女を不快には思わず、むしろ自分だけが彼女を知っているという優越感を感じた。

 学校が終わると彼女は怒涛のメッセージを僕に寄越した。「ねえ、今日はどこ行くの? 」

と親し気な文字で書かれ、明らかに教室内での態度と違うグイグイくる感じに僕は戸惑ったけれど、一旦深呼吸して「どこでもいいけど」と返事をした。このまま返事がこなかったら今日は彼女とは関わらず家に帰ろうと思った。

 校門前に行くと栗生が僕を待っていた。彼女は空を仰ぎながらひとりで何かをぶつぶつと呟き、僕のことなんかこれっぽっちも考えていない風だった。たぶん常人には理解できない楽しい妄想の世界があるのだろう。声をかけるのもためらわれたが、彼女の前を通らないと家に帰れない。そーっと彼女の横を通り過ぎようとしたら、まるでタコが獲物を捕まえるように僕は栗生にがっしりとその身を拘束されてしまっていた。

「何で逃げるのさ」

「いや、栗生さんが楽しそうに考え事してたみたいだから、邪魔しちゃ悪いかなと思って」

 栗生は納得いかない様子だったけど、僕はそんな彼女をなだめて気持ちを落ち着かせた。

「じゃ、今日は街を散策しよう。きっと素敵なペニスに出会えるかもしれない」

 およそ女子高校生のセリフとは思えない。周りに聞いている人がいないだけ幸いだ。こんなところを僕の思い人に聞かれた一巻の終わりだ。

 学校を出て、僕たちは動物がいそうな場所を散策することにした。彼女のペニスへの興味は哺乳類に限ったことではなく、およそ地球の生命体すべてに及ぶらしかった。よく考えたら、ペニスを持っている生き物というのはどのあたりまでなんだろう? 爬虫類や両生類、魚類までぐらいだろうか。植物にも生殖的な機能をもった部位があるとは思うけど。

 その道すがら、僕は学校での栗生の塩対応ぶりについて質問してみた。こうやって話しているときとあまりにもテンションが違いすぎるし、本人はつらくないのだろうか。すると栗生は草場をかきわけ生物を探しながら、

「うまく言えないけど、私みたいな人間は素の自分をさらけだしちゃいけないの。存在そのものがナイフみたいなものだからね。自分では気づかないうちに色々な人を切り刻んで、最後は自分の心まで切ってしまう。だから鋭利な心はできるだけしまっておく。それが人生のたしなみ? よくわからないけど。にはは」

 栗生は最後の「にはは」だけ取ってつけたように言った。羞恥と含羞と自尊心がないまぜになった彼女の言葉に、僕は凡庸に返事を返す。

「それだとストレスたまらない? 」

「そのぶん絵で発散するから、いいの。私は別にそれほど友だちがほしいわけじゃないし、できるだけ自分の世界を壊したくない。他人なんてすぐ私の薄い殻を割ろうとしてくる。感受性を守るのも結構たいへんなの。わかってくれるかな」

 僕は彼女の言葉をすべて受け止めることができなかった。理解したなんていえば嘘になるし、理解できないなんて突き放せもしない。ただほんの数ミリだけ栗生に親しみがわいたことだけは確かだ。

「あっ、トカゲがいる。長野君、ほらほら見て」

 でもそのトカゲはメスだ。僕たちはさらに草をかきわけて生物を探す。九月ともなるとだんだん日が落ちるのが早くなってきている。今日は収穫なしか、と思った瞬間、オスのトカゲを見つけた。

「栗生さん、ほらオスのトカゲだよ」

 ニホントカゲのオスはメスに比べて全体的に茶色っぽく、顔のあたりが角ばっている。メスは全体的に黒い。昔近所のおじさんにトカゲのオスとメスの違いを聞いたことがあって、まさかこんなところでそれが役立つとは思わなかった。

 栗生は興奮した様子で僕のところに走り寄って来て、強引にトカゲを掴むと、岩場でそのトカゲをひっくり返した。

「長野君、このトカゲ、ペニスがない」

 栗生がそう言うから僕もトカゲを凝視して男性器を見つけようとしたけど、どこにもそれらしきものは見当たらない。爬虫類は交尾によって子孫を増やすものだと思っていたから、生殖器がないのは不思議だ。(後で家で調べてみたんだけど、トカゲはもちろん交尾をする。でも生殖器は交尾のとき以外は見えないところにしまっておくのだそうだ)。

 トカゲの男性器が見られないことに栗生は大層悔しがり、その場で地団駄を踏んだ。土ぼこりが舞い上がったせいで僕は何度か咳をしてしまった。今日はこれで終わりかなと思っていたら、栗生は僕の方をじっと見て何か言いたそうにしている。嫌な予感がした。そして僕に下向きの指さしをして、

「長野君、私すっごくつらい。このまま家に帰ったら悶々として眠れないかもしれない。だから……お願い、ズボンを脱いで」

 トカゲの代替物として僕が生贄に指名されたようだ。でも僕は冷静に、

「まあまあ、日曜日まで待とうじゃないか。そうすればいろんな動物が見られるぞ。ゾウもパンダもミーアキャットも」

 栗生はごくりと唾を呑み込み、僕の話を受けいれてくれたようだ。意外と彼女の操作方法は単純なのかもしれない。

 その日はそのまま別れた。家に帰ってからも彼女からたくさんのメッセージが来たようだけど、未読のまま朝まで放置してしまった。

 日曜日僕たちは動物園にいた。デートかと思って僕はそれなりにおしゃれをしていったけど、栗生には毛頭そんな気持ちはなくTシャツ短パン姿だった。大きめの鞄からはスケッチブックが見え隠れしている。

 動物園を散策、といっても普通に園内を回るようなことはないだろうと覚悟していた。僕は理想の散策コースを栗生に提案してみる。やはりパンダやオカピなど、ここでしか見られない動物は外せないと思うのだ。僕のプランに彼女はじっと耳を傾けていたが、気に入らなかったのか「却下! 」とだけ言ってすたすたと歩いていってしまった。

 どこに行くのか僕は彼女の後ろをついていく。そしてまず彼女が向かった先はポニー乗り場だった。僕は彼女の目的を失念していて、ポニーに乗るんだなと微笑ましく彼女を見ていた。初めて見るポニーは思っていたよりずっと小さくて可愛らしい。ポニーは静かに草を食んでいた。小さな鼻先がひくひくと動き、つぶらな瞳が僕たちを見つめる。その目には、純粋で穏やかな世界が映し出されているようだった。にんじんを差し出すとトコトコと近づいてきてつぶらな瞳で僕に感謝の気持ちを伝える。まったく微笑ましい動物とのふれあいだ。

 でも栗生の目的はあくまでも生殖器だ。馬の男性器はよく見える位置にだらんとぶらさがっていて、僕は見てはいけないものを見たような気になり思わず目をそらした。まじまじとペニスを眺めるなんて恥ずかしい。

 一方の栗生は興味津々でポニーの足元にしゃがみこみ、垂れさがったペニスをじっくりと観察している。そして興奮してきたのか、心なしか鼻息が荒い。栗生はかばんからスケッチブックを取り出し、熱心にラフスケッチをし始めた。そうすると彼女の手は止まらなくなり、僕が声をかけても全然反応しなくなってしまった。

 周りの親子連れが怪訝そうにこちらを見ていた。スタッフが眉間にしわを寄せて近づいてくる。「何をしているんですか?」という声が、緊張感を伴って僕たちを包み込む。

 動物園のスタッフも初めは優しく注意するだけだったが、だんだん怒り口調になってきて、そろそろここにいるのも危険だと判断した僕は、夢中に絵を描く彼女を地面から引っぺがしてその場をあとにした。

「ちょっと長野君何をするの? せっかくいいところだったのに」

「これ以上はまずいよ。……それで、いい絵が描けそう? 」

「うん、馬のあそこって思った以上に黒くて逞しいんだね。惚れ惚れしちゃう……」

 スケッチブックにはラフながらもしっかりとポニーの肢体が描かれていて、彼女の絵に対する情熱と愛が伝わってきた。傍目から見れば異常行動に見えるけど、彼女の中ではいい絵が描きたいとう一貫した信念に基づいているのだ。僕は自分が許容できる範囲で栗生の気持ちに向き合えればいいと思った。

 その後僕たちは様々な動物を見た。でも檻に入っている動物は栗生のお眼鏡にかなったモノが見られず、彼女は少し不満そうだった。そんな時、栗生を大歓喜させる情報を僕たちは耳にした。それは午後一時から行われるゾウのパレード。園内をゾウ使いのネパール人が練り歩くイベントで、軽快な音楽に合わせたダンスなども披露されるらしい。その話を聞いた栗生は舞い上がり、早くも心はゾウ一色になっていた。

 昼食のあいだ、栗生はスケッチの続きを描いていて、あまり食事には興味がないようだった。ベンチに座り買ってきたサンドイッチとおにぎりを味わう暇もなく食べている。

 そして場内に一時を告げるベルが鳴り響く。そして明るいアナウンスが、パレードの開始を告げた。沿道にはすでにたくさんのお客さんがゾウの登場を今か今かと待ちわびている。僕たちも一番前の空いているところに席をとり、おとなしく座ってゾウを待った。

 ファンファーレの音とともに軽快な音楽が場内に響き渡る。歓声と拍手が起こる。大きいゾウがやってきた。僕らも前のめりになる。ゾウ使いは、ゾウの上で倒立をしたりブリッジをしたりしている。すごい。ゾウもさすがに心得ているのか、サービス精神が旺盛で、何度も鼻を客席のほうに向けたり、スキップするような足取りで歩いたりしていた。

「私、行くね!」

 突然栗生が叫んだと思ったら、ゾウの真ん中に飛び出していった。あまりに突然の出来事に僕は彼女を止めることができない。あっというまに沿道に出て、ゾウの真下にもぐり込もうとした。栗生はゾウのペニスを確かめに行ったのだ。

 予想外の事態に場内が静まり返る。いちばん驚いたのはゾウだ。目をぱちくりさせて予想外の事態を呑み込もうとしていた。しかし栗生が近づこうとしたとき、ゾウはパニックに襲われ、大きな叫び声を上げた。

「栗生さん、危ない!」

 ゾウはその大きい足で地面を何度も踏みつけ、ゾウ使いはそんなゾウをなんとかコントロールしようとした。動物園のスタッフが四方から現れ、ゾウをなだめようとする。栗生はスタッフに羽交い絞めにされ、「こっちに来なさい」とどこかへ連れられて行く。僕は慌てて彼女の後を追う。

 後ろを振り返るとゾウは飼育員の懸命な対応によって落ち着きを取り戻したようで、その穏やかな瞳に涙をため、心の傷を癒していた。


 僕たちは動物園事務所に連れていかれ、厳しいお叱りの言葉をもらった。安全を無視してゾウに飛び込んで行ったのだから当然のことだ。でも栗生は馬の耳になんとやらで、職員の話をちゃんと聞いているようには見えなかった。職員がトイレに行って僕ら二人になったときに、

「長野君、ゾウのペニスをしっかり見られたよ。素敵だったなあ。聞いた話によると1メーター近くあるらしいよ、アレ。太くて大きくて、まさに生命の躍動って感じがしたよ。あー早く家に帰って絵を描きたい。きっと素晴らしい絵が描けると思う」

 と瞳をきらきらと輝かせてそう言った。自分がしでかしたことの重大さに気づいていない。危うい子だ。才能となんとかは紙一重というけれど、栗生はまさにそれなのだ。いつかその身を危険にさらすことがあるのではないかと、暗い気持ちになった。その時に僕が彼女の近くにいるかはわからないし、いない可能性の方が高い。

 職員が戻ってきたときも栗生は絵の世界に行ってしまっていたから、そんな様子を見て「もういいよ、帰ってくれないか」と職員は諦めたように言った。

「それと、この動物園には二度と足を踏み入れないでくれ」

 僕たちは動物園に出入り禁止になってしまった。

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