9 朝食のお誘い
「巫女姫様! おはようございます!」
「……あ、えと、……おはよう、ございます」
王都からロブストフェルスまで長旅をした。少しの間、人と話した。
たったそれだけでリヴィアの体はクタクタに疲れてしまったようで、昨日、部屋に戻ってからすぐにベッドの上で寝込み、気づいたら朝になっていた。
朝食はいつも通りマーサが準備してくれるのかと思いきや、護衛のエレナが食事を誘いにきていると聞かされたのがついさきほどのこと。
リヴィアは少し悩んだあと、すぐに支度をすることに決めた。
正直に言って、なぜ、エレナがそこまでリヴィアのことを気にかけてくれるのかはわからない。昨日も道中よく話しかけてくれたし、リヴィアの歩幅に合わせて歩いてくれた。他の騎士とすれ違う時は、前に立って視線を遮ってくれたりもした。
こうやって食事にも誘ってくれるし、これで気を遣われていないなんてありえない。
だが、だからこそ余計に思うのだ。なぜ、と。
なぜ、こんなにも『役立たずの巫女姫』を気にかけてくれるのだろうか、と。
それを知りたくてリヴィアはエレナの顔をチラリと見たが、彼女はニコニコと笑みを浮かべるばかりで、真意は少しも汲み取れない。
もしかして彼女はリヴィアの噂を知らないのだろうか。『役立たずの巫女姫』と呼ばれ、傲慢でワガママなお姫様だと言われていることを知らないのだろうか。だとすれば、リヴィアが噂通りの人物であることを知ったら、このエレナの笑顔はどうなるだろう。
不安に駆られるリヴィアの内心とは裏腹に、エレナは笑みを深くした。
「じゃあ、朝ご飯、どこで食べましょうか? 今の時間だったら食堂も空いてるんですけどやっぱり何人か人がいるし、静かな場所がいいんだったらサロンとかに食事を運んでもいいかなって思ってて。巫女姫様はどっちがいいですか?」
「えっ、……えと、あの、……できれば、人が少ない方で」
「じゃあ、サロンですね。食堂のおばちゃんにサンドイッチとかスープとかデザートとか作ってもらってるんで、それ貰ってサロンで食べちゃいましょう!」
さくさくと話を進めるエレナに、リヴィアは一瞬呆気にとられた。その間にもう、こっちですよー、と言って、エレナは歩き出している。
リヴィアが小さいことで悩んでいる間に、エレナはさっさと次のことを決めてしまう。一つのことに気を取られていれば、彼女に置いて行かれてしまうだろう。
せめて、足を引っ張るような真似はしたくない。リヴィアはすぐに前を歩くエレナの背を追った。
♢♦♢♦♢♦
「……で、今は戦いの前線基地みたいに使われてますけど、この館は元はとある貴族のお屋敷だったんですよ。なので、大広間とか応接間とかサロンとかが残ってるってわけです。ただ、うちの騎士って庶民派で大雑把な人が多いんで、サロンとかあっても誰も使わないんですよねぇ」
食堂のおばちゃんという人から朝食の入ったバスケットを貰い、エレナとリヴィアはサロンへと移動する。途中、リヴィアはエレナからこの館の歴史や部屋について軽く説明を受けていた。
「巫女姫様はどこか興味のある場所とかってありますか? 危険な場所ならともかく、皆が行くような場所なら案内できますよ」
そう言って、エレナは話題を振ってくれるが、リヴィアはあまり答えを返せそうにない。なぜなら、サロンも大広間も応接間も、王城の自分の部屋に引きこもっていたリヴィアにとっては無縁の場所だったから。
「あ、えっと……、とくには」
「そうですかぁ。……あ、そう言えば。巫女姫様って食堂のおばちゃんとは普通に話せてましたよね。皆とはほとんど目も顔も合わせないのに、おばちゃんとは少しだけ話してたの聞きましたよ。何か、好物の話でもしてたんですか?」
「え、えっと、そういうのではないんですが……」
いたずらっぽく笑うエレナから、少しだけ目線を逸らしてリヴィアは答える。
「あの、……少しだけ、マーサに似てて。それで話しやすかったんだと思います」
「マーサさん?」
「あ、えと、私の乳母です。マーサって言う名前で、幼い頃から私の面倒を見てくれてて……、その、今も一緒についてきてくれている……」
「ああ、あの人!」
エレナはピンと来たように大きな声をあげた。それを見て、リヴィアははっと気づく。エレナも顔合わせの時にいたのだと。
「あっ! えっと、あの、ごめんなさい。もしかしたら、マーサが何回か迷惑をかけたかもしれなくて。無理を言ったり、失礼なことを言ったんじゃないかと……」
「えっ? なんで巫女姫様が謝るんですか? 誰も迷惑もかけられてないし、大丈夫ですよ。それにマーサさんの指摘は間違ってなかったですし、巫女姫様が気にするようなことじゃないですって」
「あ……。えと、その、……ごめんなさい」
リヴィアの謝罪に、エレナは平然とした様子で返す。エレナとの間に感じたその温度差に、リヴィアは身を縮こまらせた。
顔合わせのとき、マーサはウォルターやエレナ、そしてもう一人の魔導士の前で声を荒げた。マーサがどんなことを言ったのかはあまりよく覚えていないが、明らかにこちらに非がある状態で声をあげたのだけは覚えている。
それ以外にも無茶を言ったり、何か彼らに酷いことを言ってしまったのではないかと思えるような発言をマーサはしていた。そもそも彼女はあまりロブストフェルスが好きではないようで、その不機嫌な態度が表に出てしまっているのだ。
それがエレナたちを傷つけてしまってはいないか。そう思っての謝罪だったのだが、彼女たちはあまり気にしていないらしい。
下手に早とちりして、大げさに騒いでしまった。羞恥からか、エレナに気遣いをさせてしまった後ろめたさからか、リヴィアは顔を俯かせた。
それを見てリヴィアが何を考えていたのかを感じ取ったのか、エレナは慌てて両手を振って誤魔化す。
「あっ、大丈夫ですよ! 気にかけてくださってありがとうございます。でも、本当に皆気にしてないんで!」
「……本当、ですか? その、ウォルター、様、とか、マーサに色々言われたんじゃないかなって……」
「ウォルター『様』?」
「え?」
ポカンと呆気にとられたようなエレナの顔を見て、どこかで似たような会話をしたな、とリヴィアはボンヤリと思った。
エレナは、はっと気を取り戻した後、いやいやいや、と否定するように手を振った。
「多分、巫女姫様にそう呼ばれるの、隊長は嫌がりますよ。いくら巫女姫様を部下として扱うって言ってたって、もともとの身分のことも隊長はちゃんと考えてますから。むしろ、ドーンと呼び捨てにした方が隊長もやりやすいんじゃないですかね?」
「え、えと……」
まさか、彼を呼び捨てにしろ、とマーサとエレナの両方から言われるとは思ってもみなかった。とはいえ、実際にそうする勇気はリヴィアにはない。
ウォルターとは昨日会ったが、会話らしい会話は一つもできていないし、いくら五年前に会っていたとはいえ、そこまで親しげにはできない。レイ、と普通に呼びかけることができたあの頃とは、二人の関係性も、リヴィアの心持ちも違う。
と、そこでふと、エレナが何かを期待するような目でリヴィアを見つめていることに気づいた。リヴィアは少し怯えながら、エレナに尋ねる。
「……え、えと、どうかされましたか?」
「巫女姫様。私のこと、エレナって呼び捨てにしてみませんか?」
突然の提案に、リヴィアは驚いて足を止めた。
「ほら、隊長をいきなり呼び捨てにするのって難しいじゃないですか。だから、私で練習してみるのはどうかなーって。私も巫女姫様のこと、名前で呼べたらいいなって思いますから」
そう言って、エレナは朗らかに笑う。金色の髪に金色の瞳。太陽の光を集めたみたいなパッとした笑顔。
暖かくて、眩しい。昔、城下町で触れあった人たちみたいに。
甘えてもいいのだろうか。仲良くしてほしいと言ってもいいのだろうか。
「え、えと……。エ……」
リヴィアが恐る恐る彼女の名前を呼ぼうとした瞬間、心の奥から何かが引きずり出された。
『私に馴れ馴れしくしないで』
頭に響いた声に、ギュッと息が詰まった。リヴィアの脳裏に浮かぶのは、『異界の乙女』であるココネや、リヴィアの姉妹たちの顔。誰も彼もがリヴィアを見ては、顔を逸らし、時には蔑みの目を向けて、リヴィアから離れていく。
彼女たちとエレナは違う。お互いに名前で呼び合えたらいいとエレナ自身が言っている。それがわかっているのに、リヴィアの口から続きがでることはなかった。
「……あ、……。えと、あの……、その……、ごめんなさい」
「あ、ああー。大丈夫です。すみません、突然こんなこと言っちゃって。でも、呼びたくなったらいつでも呼んでもらっていいですからね!」
「……ごめんなさい」
「大丈夫ですって。ほら、もうすぐサロンですよ。美味しいご飯食べたら、すぐに元気出ますよ!」
エレナはそう言って、リヴィアを気にかけながら前に進む。エレナの足音を聞いて、リヴィアも一瞬遅れて歩き出した。
せめて足を引っ張らないように、置いて行かれないように。そう思ってここまで来たのだ。
たとえ、どれだけ足取りが重くなろうとも、前に進むしかない。
♢♦♢♦♢♦
「ここがサロンです。あんまり人が来ないんで、静かなんですよねぇ」
ガチャン、とエレナがサロンの扉を開く。中は彼女が言った通り、静かで、少し薄暗く、それでも居心地のよさそうな場所だった。
エレナがシャッとカーテンを開ければ、窓の外にはロブストフェルスに広がる森が見える。黒い幹に、白い雪、針葉樹の葉の濃い緑がどこか不思議なコントラストを作り出していた。
「あんまり使わないって話ですけど、清掃はちゃんと入ってるので清潔ですよ。机の上には埃一つないですし、ほら、ソファもふかふか」
エレナがぼふっとソファに座るので、リヴィアもおずおずとエレナの隣に座る。軽く沈み込んでしまいそうなソファの柔らかさに、リヴィアは少し驚いた。
今までこんなソファに座ったことはあっただろうか。頑張って思い出そうとしてみるが、ソファに座るときは大抵緊張していたためか、あまり記憶にない。
ぼふぼふとソファを軽く叩いて柔らかさを堪能しているリヴィアを見て、エレナは微笑ましそうにニコリと笑った。
「ここのソファって結構いいのを使ってるらしいんですよ。あんまり知ってる人はいないんで、巫女姫様も秘密にしといてくださいね」
「あ、……はい」
エレナの子供を見るような目つきに、リヴィアは少し恥ずかしくなる。ぱっとソファを触る手を止めれば、エレナはカラカラと笑った。
「もー、巫女姫様ったら、そんなに真剣に受け取らなくても大丈夫ですって。教えたい人がいたら教えてもいいんですから。それより、ご飯食べましょう。お腹空いたでしょう?」
エレナは机にバスケットを置き、中から次々に物を取り出した。たくさんの種類のサンドイッチ、スープが入っている水筒と紅茶が入っている水筒、デザートのアップルパイ。
一つ、二つ、三つ、四つ、と、ひょいひょいとエレナは取り出して、これが巫女姫様の分、とリヴィアの目の前に朝食を並べた。どさどさと並べられたそれを見て、リヴィアは何と言うべきか少し戸惑った。
「ん? どうかしましたか、巫女姫様? 何か嫌いな食べ物でもありました?」
「あっ、えっと……、そういうわけじゃないんですけど……。えっと……」
「あんたたち、何してんの?」
言い淀んでいたリヴィアの耳に、突然少年の声が飛び込んできた。バッと声がした方を振り向けば、エレナとリヴィアの後ろで赤い髪の少年が二人の様子を伺っている。
驚きで声も出ないリヴィアの代わりに、エレナが彼の名前を叫んだ。
「ヒューロット!? アンタこそなんでここにいるのよ?」
「昼寝?」
「今は朝よ」
ヒューロットと呼ばれた少年は、エレナの指摘によくわからないというように首を傾げた。シパシパと眠たそうに目を瞬かせ、寝ぐせのついた姿を一目見れば、確かに彼の言う通り、ここで寝てたのだろうということは簡単にわかる。
赤色の髪に金色の瞳。どこかで見たような、とリヴィアが記憶を探っていけば、一つ心当たりが思い浮かんだ。
顔合わせの時、リヴィアのベールを魔法で奪った魔導士だ、と。
ビク、とリヴィアが怯えたのに気付いたのかどうか。ヒューロットがリヴィアに目を向ける。
「あ、役立たずの人だ」
声変わり前の少年の声は、無邪気に、純粋に、リヴィアの心を抉った。




