8 二回目の初めまして
きっと恨まれている。
きっと疎まれている。
だから、表の世界には出たくない。外の世界の人に会いたくない。
城の中に引きこもって、誰も彼もから忘れられてしまえば、きっと皆が幸せになれる。
リヴィアはずっとそう思ってきた。
でも、それは自分の責任から逃げ続けているだけなのかもしれない。
だからこうして、逃げ続けた責任に捕まったときにどうしようもない罪をつきつけられる。
彼の顔についた傷のように。
♢♦♢♦♢♦
「エレナ。悪いが席を外してくれないか?」
ウォルターの言葉にリヴィアはビクリと肩を振るわせた。ドクドクと心臓が嫌な感じで脈打ち始め、それを抑えるようにリヴィアは胸の前でギュッと手を組む。
ウォルターが今どんな顔をしているのかわからない。リヴィアをどう思っているのかわからない。
そんな状況で彼と二人っきりになるのが怖かった。
だが、リヴィアにそれを拒否する権利はない。もちろん、リヴィアのことを心配そうに見ているエレナにも。
エレナはウォルターとリヴィアを交互に見渡して、どこか不安そうな顔をしながらも失礼します、と言って部屋から出ていった。
パタン、と扉が閉まってしまえば、ここにはウォルターとリヴィアの二人だけ。しん、と沈黙が降りたこの部屋で、コツ、とウォルターがリヴィアに向かって一歩踏み出した。
俯いた視界に入った彼の黒い靴。それを見て、リヴィアの体は無意識に一歩後退る。
彼は一体どんな目でリヴィアの事を見るだろう?
彼は『役立たずの巫女姫』をどう思っているだろう?
彼は私をどういう風に扱うだろう?
静かな場所で二人っきりになってしまえば、リヴィアの頭の中に悪い考えばかりが浮かぶ。
彼の目の上にある傷は、きっと魔物と戦った時についたものだ。ロブストフェルスは瘴気が濃い地で、その分、現れる魔物も強い。ここの瘴気が濃いままなのは『浄化の乙女』が浄化しきれていないからで、『浄化の乙女』の力が弱くなったのは、——私のせい。
「……ご、ごめんなさい!」
相手の顔も見ずにリヴィアは大きく頭を下げた。
ただただ怖かった。自分が役立たずであることを知られたのが。
「ごめんなさい、ごめんなさい! ごめんなさい!」
相手の顔を見ずに、リヴィアはひたすら謝罪する。ウォルターはそれをどう思ったのか、リヴィアの謝罪の合間にポツリと呟いた。
「そんなに俺が怖いか?」
ビク、とリヴィアの肩が震えた。あれほど謝罪の言葉を口にしていたのに、一瞬で何も言えなくなる。何か答えなければ、と口を開くが、震える息が零れるだけで何の音にもならない。
何もしゃべれない。顔も上げられない。体は震えるだけで、指先一つ動かせない。そのくせ目頭は熱くなって、ジワと視界が歪む。
「……いや、いい。いくつか言いたいことがあっただけだから、無理に話さなくてもいい」
何も答えられなかったリヴィアに、ウォルターはそう言った。
ウォルターはリヴィアをどう思ったのだろうか。先程の問いに答えもできないリヴィアをどう思っただろうか。
本当に役立たずだ。口も目も体も、何の役にも立たない。
「まずは謝罪を。先程は俺の部下が大変失礼なことをした。長旅の疲れもあっただろうに、気も遣えず、高圧的な態度を取ったことをお詫びする」
バサ、と布が揺れる音がする。リヴィアが少し顔を上げて彼の姿を視界に入れれば、彼は大きく体を折り曲げてリヴィアに頭を下げていた。
真摯に相手に向きあったウォルターの謝罪は、ただひたすら謝り続けるだけのリヴィアのものとは大違いだ。
ギュ、と胸が締め付けられる。自然と目線は伏せられる。こんなところでも自分がどうしようもない人間であることを知らしめられる。
あなたが謝る必要は何もない。そう言葉に出せればいいのに、唇は震えるばかりで何の言葉も出てこない。
「それと、……ヴィー」
ウォルターにあの頃の名前を呼ばれた瞬間、リヴィアは反射的に顔を上げた。が、ウォルターの傷跡を見て、すぐさま目を逸らす。
それでも、リヴィアがヴィーであるという確信を持つには十分すぎる反応だったようで、ウォルターはそのまま話を続けた。
「やっぱり、ヴィーなんだろう? 俺のことを覚えてないか? 五年前に一度だけ、城下町に一緒に遊びに行った——」
よく覚えている。忘れたことなんてない。
そう言えればいいのに、やっぱり言葉は出ない。唇をギュッと引き絞って、涙が溢れないように堪えているだけだ。
だんまりを決め込むリヴィアに対し、やがて諦めたようにウォルターは昔の話をするのを止めた。
「あ、いや……、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……、昔のことは秘密にしておこう、と。レイのことも、ヴィーのことも。あの頃のことは誰にも話さずに、ウォルターとリヴィアは今回初めて出会った。そうしないか、と言いたかったんだ」
あの頃と変わらない、優しい声音。その声に甘えるように、初めてリヴィアはこくりと頷いた。
ウォルターの問いには何も答えることができなかったくせに、あの頃の事を忘れようという提案にだけは頷く事ができる。どれだけ自分はダメな人間なんだろう。
そんな自己嫌悪を抱くリヴィアとは裏腹に、ウォルターは安堵したように肩の力を抜いた。
「なら、俺の話は終わりだ。いきなり呼び出してすまなかった。とりあえず今日は体を休めてくれ」
そう言ってウォルターは部屋の外で待機していたエレナを呼び戻した。話は終わった、と二人は会話を交わしているが、リヴィアはそれどころではない。
話がある、とウォルターに呼び出されたときから恐れていた。目の傷について責められることを。リヴィアがヴィーであることを問い詰められることを。ウォルターに失望されることを。
ウォルターは、話は終わった、と言っていたが、始まるのはこれからだ。リヴィアがどんな人間であるかはこれから露呈していく。
今のウォルターは昔のレイのように優しいが、リヴィアに何の力もないことがわかれば、彼は一体どのようにリヴィアを扱うだろう。
初めて皆の前で瘴気を払うことになったあの日。リヴィアが役立たずだとわかった瞬間、皆はすぐにリヴィアを軽蔑した。
あの時を思い出すとまだ体が震える。それがこの場所でも、ウォルターですらも、あんな目でリヴィアを見てきたら——。
考えるだけでぞっとする。嫌な想像が止まらない。
「……ヴィア。リヴィア」
名前を呼ばれていると気づいて、リヴィアはハッとした。ウォルターとエレナの会話はいつのまにか終わっていたらしい。
二人の目線が自分に向いていると気づいて、リヴィアはすぐに顔を俯かせる。
「今日はもう部屋に戻るといい。……エレナ、あとは頼む」
「はい」
気を遣ったウォルターの声と、それに応えるエレナ。リヴィアはエレナに促されるようにして部屋を出た。
「ごめんなさい」
もう自分でも誰に言っているかわからない謝罪がリヴィアの口から零れ出た。何に対しての謝罪なのか、誰に向かって言っているのか、説明しろと言われてもきっとできない。
リヴィアはエレナに案内されるがまま、ロブストフェルスの館内を歩く。恐ろしさが勝って、誰の顔も見ることができない。
ウォルターやエレナがどんな顔をしているのか、リヴィアは知ろうとすることもできなかった。
♢♦♢♦♢♦
「隊長、巫女姫様を自室まで送ってきました」
エレナがリヴィアの部屋から戻ってきたのは、それからすぐのことだった。エレナにはできるだけリヴィアのことを気にかけてやってくれ、と頼んだのだが、すぐに帰ってきたということは部屋に着くなり追い返されたのだろう。
「道中、何か話は出来たか?」
「いえ、こちらが話題を振っても押し黙るばかりで。部屋に着いたら、今日は疲れたからもう休む、と、乳母の方が……」
普段から快活な性格をしているエレナにしては珍しく歯切れの悪い言葉で彼女は答えた。その答えにウォルターもまた顔を曇らせる。
確かに休むように言ったのはこちらだが、こうも取り付く島もないとロブストフェルスの防衛にも大きく影響が出る。
どうしたものか、と色々と策を巡らせるウォルターに、エレナがスパッと切りこんだ。
「あの、隊長と巫女姫様って、顔見知りだったりとかします?」
「……どうしてそう思う?」
この執務室は防音の設備がなされている。だから、先程のウォルターとリヴィアの会話が聞かれているはずはない。
先程、リヴィアと秘密にしておこうと話した事実を問われて、ウォルターは内心の動揺を隠しながらエレナに聞き返した。
「だって、初めに巫女姫様が倒れられたとき、すごく動揺してたじゃないですか。戦場だと常に冷静で、何が起きてもすぐに対処するのに、あのときはすぐに動けてなかったですし。それに巫女姫様に対しては、なんか、声? 雰囲気? が優しい気がして、最初に話してたときとは大違いっていうか……」
うーん、と悩みながら、自分の考えを言葉にするエレナ。
そんなにも扱いが違っただろうか、と自分の行動を省みながら、ウォルターはそっけない態度で返す。
「それは当然だろう。顔を合わせた瞬間に向こうが倒れたんだから、対応も甘くなる。下手に高圧的な態度を取ってまた倒れられたら困るからな」
「うーん、それはそうですけど……」
「それに、知り合いだったら向こうがあんなに怯えるわけがないだろう。俺が普通に話せていれば、お前に仲良くなるよう頼む必要もない」
「隊長、怯えられたんですか?」
「怯えられた」
「あら」
自分の上司が女性に怯えられたと話しているのに、エレナは慰める様子もなく口に手を当てた。
「それは、それは。でも、怯えられてるのは隊長だけじゃないかもしれないですよ。私もあんまり会話できなかったですし」
「それでも同性の方が話しやすいだろう」
「それはそうですけど……。そもそも巫女姫様が人嫌いの可能性もあるじゃないですか。私、じゃれあうのは好きですけど、相手を怖がらせるのは嫌いなんですよ。巫女姫様は私のことも怖がってる気がして、あんまりグイグイ行くと可哀想かなって……」
そう言ってエレナは肩を落とす。
基本的に明るいエレナは誰とでも上手くやれる。だからこそ、ウォルターは彼女を巫女姫の護衛として選んだのだが、今回はその明るさが裏目に出たようだ。
護衛につけるならもっと落ち着いた性格の騎士の方が良かっただろうか。
ウォルターは他の騎士の顔を何人か頭に思い浮かべた。だが、他のどの騎士も、ある程度のやり取りはできたとしても、心理的な距離を詰めることは難しいだろう。
「……彼女には『浄化の乙女』としての仕事を果たしてもらわなければならない。こちらの言い分を聞いてもらうのは当然だが、彼女が思っていることを聞き出すことも大事だ。それが、仕事に差し支えるようなことなら尚更」
「そうですよねぇ。疲れたなら疲れたって言ってもらわないと、今日みたいに倒れちゃいますもんね。……って、考えてみると、確かに何かを要求してくるのは巫女姫様じゃなくて乳母の方ですね。ワガママなのは、巫女姫様じゃなくて乳母の方……?」
そう言ってエレナはコテリと首を傾げる。その疑問に、確かにあれだけ見ればそう思うだろうな、とウォルターは思った。
顔合わせの時も、その後の対応も、基本は乳母任せでリヴィアが何かしているわけではない。
だが、ウォルターは知っている。リヴィアは案外強情で、その上でキチンと物事を考えて動けることを。それと、時折自分の感情のままにとんでもないことをしでかすことを。
五年前の脱走のようなことをここでやられるわけにはいかない。ここには、王城や城下町とはまた違った危険があるのだから。
「ともかく、お前は巫女姫との心理的距離をできるだけ詰めてくれ。少なくとも、彼女が一人で行動することのないように、何かあれば相談されるくらいにはなってくれないか?」
「はい。とにかくなんとかやってみます」
エレナはそう明るく返事をして、失礼します、と言って部屋を出ていった。
部屋に残ったウォルターは認めていた書類を机に置いて、一人頭を悩ませる。
人嫌い。
エレナがリヴィアをそう評したのを聞いて、ウォルターは、そんなはずはない、と言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ。
そう、そんなはずはないのだ。五年前、レイが出会ったヴィーという少女は、確かに内気ではあったが、あそこまで他人を怖がる少女ではなかった。
あの頃はむしろ積極的に人と関わろうとしていた。
それがなぜ、あんなに他者に怯えるようになってしまったのか。
ウォルターは先ほどのリヴィアの様子を思い返す。
ただひたすらに俯いた顔。血の気の引いた青白い肌。陰鬱な雰囲気。
五年前のリヴィアにもそんなところがあったが、大きく違うところが一つ。
目がほとんど合わない。
ウォルターは五年前のヴィーのことを思い出す。あの静かで柔らかな青い瞳は、世界をできるだけ映し続けようと常に忙しなく動いていた。目に映るもの全てに興味を持ち、心惹かれるままに足を動かす。そして、そこで出会ったものに目を輝かすのだ。
あの頃の彼女は世界に触れることに大きな喜びを感じているように見えた。
だが、今は違う。リヴィアはできる限り世界から目を閉ざし、何かから必死で逃げているようにも見える。
さり、とウォルターは右目の傷痕を撫でた。
「この五年の間に、一体何があった……?」
答えの返ってくるはずのない問いに、ウォルターは深くため息をついた。




