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5 王命

 『異界の乙女』が降臨して、五年の月日が流れた。


 彼女が現れたその日、この国を蝕んでいた瘴気は一気に浄化され、人々は歓喜の声をあげた。


 これでこの国は安泰だ。もう魔物や瘴気に恐れを抱くことはない。

 喜びの声をあげる誰もがそう思っていた。


 だが、瘴気は今も完全に晴れることはなく、ジワジワとこの国を蝕み続けている。



   ♢♦♢♦♢♦



「この五年間で瘴気の勢いは増し、ココネが現れる前と同等かそれ以上の被害が出ている」


 リヴィアの目の前に座るリオネスは淡々とした声で告げる。リヴィアは分厚いベールを被った頭を俯かせ、ギュッと白いドレスの裾を握り締めた。


 『異界の乙女』ココネが現れ、リヴィアが『役立たずの巫女姫』と噂されるようになって五年。噂ばかりが一人歩きし、本当のリヴィアのことなど誰もが忘れ去っただろうと思われたころ、リヴィアのもとに兄リオネスからの呼び出しがかかった。


 リヴィアがリオネスと顔を合わせたのは、誰も彼もが彼女を見下し、軽蔑の目を向けたあの日が最後。彼からの手紙を受け取っただけで、リヴィアの手はあの日を思い出し震えた。


 だが、王が下した命令は絶対。たとえ無視したとしても騎士が部屋に乗り込んできて、リヴィアを無理やりにでも王の前に引きずっていくだろう。それがわかっているのだから、兄の不興を買わないためにも大人しく従った方がいい。

 リヴィアは震える手を握り締め、竦む足を叱咤しながら兄の呼び出しに応じた。


 幸いだったのは、呼び出された場所にいたのがリオネスとその護衛騎士だけだったこと。あの日みたいに多くの人間の目の前で辱められないことだけが唯一の安心材料だった。


 小さなテーブルとその両サイドに置かれたソファ。リヴィアは中にいた騎士に促されるまま、兄の向かいのソファに座る。


「『浄化の乙女』の力が弱まってきている」


 リヴィアが席に着くなり、リオネスは労いの挨拶もなく唐突に話を始めた。

 余計な世間話はリヴィアにとっても必要ない。けれどリオネスが発した言葉に、リヴィアは目を見張った。


 驚きで言葉が出ないリヴィアをおいて、リオネスは淡々と続ける。


「この五年間で瘴気の勢いは増し、ココネが現れる前と同等かそれ以上の被害が出ている」


 どうしてそんなことが、とリヴィアは口を開きかけ、兄の冷たい視線を感じて押し黙った。手の震えを抑えるように握りしめて、リヴィアは顔を俯かせる。


「お前のせいだろう」


 冷淡な兄の言葉がリヴィアの体に突き刺さる。顔からサッと血の気が引いていくのに対し、胸の奥で心臓がドクドクと鳴る。


 人があまりいないから大丈夫だと思っていた。あの日から五年も経っているから大丈夫だと思っていた。

 けれど、リヴィアの体はあの日の恐怖をずっと覚えていた。


「本来なら、お前が『異界の乙女』の補佐を完璧に努めなければならなかった。お前が役立たずだったばかりにココネに全ての負担がかかり、瘴気が以前の状態に戻ってしまったと司祭たちは見ている」


 兄の声から感じる怒りはリヴィアの体を萎縮させる。カタカタと手は震え、呼吸は浅くなる。

 だが、兄の怒りを何とかする力はリヴィアにはない。兄やココネに対して意見をするだけしておいて、リヴィアは何の役にも立てなかったのだから。


 リオネスの怒りはリヴィアにとっては嵐のようなものだった。ただじっと息をひそめて通り過ぎるのを待つしかない。たとえそれでどれだけの被害を受けたとしても、リヴィアに文句を言う資格などないのだ。


 この五年間、リヴィアが兄から罰を受けたことはなかった。記憶にある最後の罰は三日間聖堂に閉じ込められた時のもの。また、あの時と同じようなことをされるのだろうか。それとも、さらに酷いものが待ち受けているのだろうか。


 ギュッと手を握りしめるリヴィアにリオネスは言った。


「だから、役立たずのお前にはロブストフェルスに行ってもらう」

「……え?」


 この場で初めて出した声は思ったよりも掠れていた。パッと顔を上げたリヴィアの困惑を意に介さず、リオネスは話を続ける。


「ロブストフェルス。この国で最も瘴気が濃く、多くの被害が出ている土地だ。そこを防衛している者が『異界の乙女』を派遣してほしいと要請を出してきた。これ以上は保たない、『異界の乙女』の浄化の力が必要だ、と」


 リオネスは呆れたようにため息をつく。


「だが、そんな危険な土地へココネをやるわけにはいかない。だから、ココネの身代わりとしてお前が行け」


 兄の言葉にリヴィアの頭の中は真っ白になった。

 自分が、ココネの代わりに、瘴気の溢れる場所に行く?

 今説明されたこの国の状況と、兄の命令が少しも繋がらない。


「……どうして、ですか? 瘴気の濃い土地に、私なんかが行っても……」

「役に立つわけがない」


 震えるリヴィアの声を断ち切るように、兄リオネスは言い切る。

 ナイフのような冷たい言葉にリヴィアは再び黙り込んだ。


「勘違いするな。俺はお前にココネの代わりを求めたんじゃない。ロブストフェルスの者たちに『巫女姫』を代わりに差し出すから黙っていろと言ったんだ」

「そんな! それでは、あまりにも……!」

「あまりにも?」


 分厚いベール越しにもわかる、兄の冷たい視線。リヴィアは何度もそれを受けて口を噤んだが、こればかりは黙っているわけにはいかない。


「……あ、あまりにも、ロブストフェルスで戦う者たちが不憫です」


 怖い。手の震えが止まらない。

 兄に進言するときはいつもこうだ。怖くて怖くて仕方なくて、けれども言わずにはいられない。


 震える声でリヴィアは自分の意見を告げた。だが、それを言い終えたあとで、冷静な自分の声が頭の中で響く。

 自分の進言に対して兄が何と答えるかわかっているだろう、と。


 兄はリヴィアの言葉に興味なさげに目を伏せた。


「知らん。お前の意見などどうでもいい」


 体の底から冷え込むような冷たさ。あっさりと、淡々と、事も無げに放たれたその言葉は、こうも簡単にリヴィアの心を抉る。

 どうして。なぜ。幾度も聞いてきた問いに、答えてもらったことはない。


「これは王命だ。役立たずはとっとと出ていけ」


 どこまでも淡々とした兄の声。

 リヴィアはベールを被った顔を俯かせ、ギュッと手を握り締めた。



   ♢♦♢♦♢♦



 雪の降る道を馬車が行く。初めて乗った馬車の乗り心地はあまり良くなく、ガタガタと振動が体に伝わり、隙間風が馬車の中の温度をどんどん下げていった。


「お嬢様、寒くはありませんか? もしもお体がしんどいのであれば、すぐに馬車を止めて宿を取りますからね」

「うん、平気。大丈夫。温石(おんじゃく)もあるし、寒くないよ」


 マーサの気遣いに笑って答えながら、リヴィアは馬車の窓の外を見た。


 ガラスの向こうでは雪が降っていて、荒野に枯れ木がポツポツと立っている。

 ここはロブストフェルスへと向かう街道。季節は冬。リヴィアがこれから向かう土地はこの国の最北端にあり、この時期は特に雪と寒さがひどいらしい。


「それにしても兄王様はお嬢様を何だとお思いなんでしょうね!? 唐突にお嬢様にこの城から出ていけと言うなんて! いつも思っていましたが、お嬢様に対する扱いが酷すぎます!」

「……、そうだね」


 マーサの言葉に、リヴィアはどこか放心した様子で答えた。

 ぶつくさと文句を言いながらも、マーサは素早く手を動かして白いマフラーを編んでいく。温かい城から出たことのないリヴィアのために、マフラーやセーター、他にもいろいろな小物を作ってくれているらしい。


 マーサのその様子を見て、リヴィアは少しだけほっとした。マーサはいつもと変わらない。あの城にいたころから、リヴィアが『役立たずの巫女姫』と呼ばれた後でも、いつもお嬢様と呼んでリヴィアの世話を焼いてくれる。

 そのことに少しだけ救われながらも、リヴィアの心には暗い影が落ちたままだった。


 マーサはこの馬車の中を寒いというが、リヴィアにとって、あの城よりも寒々しい場所はない。特に、兄と対面した時などは全てが冷え切っていて何かが凍りついてしまいそうだった。

 そこと比べれば、この馬車の寒さなど足元にも及ばない。手がキチンと動いて、体を温める物があればこの寒さをしのぐことができるのだから。


 だけど、とリヴィアは目を伏せた。

 これから向かう土地、ロブストフェルスはこの国で最も瘴気の濃い場所だ。五年前にリヴィアが初めて触れた瘴気。それが大量に湧き出ている場所。

 そこにリヴィアが行って、一体何ができる?


 あの土地にいる者たちが望んでいるのは瘴気を払う力を持つ『異界の乙女』だ。決して『役立たずの巫女姫』なんかではない。彼らはココネの代わりにあてがわれたリヴィアを見て、一体何を思うだろう。


「お嬢様、やはり馬車を止めましょうか? お顔が真っ青ですよ」


 マーサの言葉に、リヴィアははっと顔を上げる。心配そうなマーサの顔を見て、リヴィアはふるふると顔を横に振った。


「平気。大丈夫」

「……本当にお体の調子が悪いのであれば、すぐに婆やにおっしゃってくださいね」

「うん」


 馬車の中に隙間風が入り込んできて、それが体温を奪っていく。せっかく温めた手も、その風のせいか、すぐに冷たくなってしまった。


 だが、リヴィアはこの場所よりも冷たい場所を知っている。

 そして、これから向かう先もそんな場所になるかもしれない。


 お腹の辺りに入れた温石は暖かいが、それよりも冷たい何かが体の内側に溜まっていった。



   ♢♦♢♦♢♦



 街道を進んでいた馬車はとある小さな町に入り、やがてそこも通り抜け、深い森の中へと向かう。

 森の中は枝葉が生い茂っていて、昼間なのになんとなく薄暗い。さきほどまで降っていた雪はとうに止んでいるのに、分厚い雲が空を覆っていて、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。


「さて。もうすぐロブストフェルス領の館に着くわけですが、お嬢様はキチンとベールを被らなくてはいけませんよ。たとえ城から出たとしても、お嬢様が巫女姫であることに変わりはないんですからね」

「うん」


 マーサから言われるままに、リヴィアは分厚いベールを頭に被った。

 白いベール、白いドレス、白い外套。どれも巫女姫の神秘性を表すためのもの。無垢で、純粋で、瘴気の穢れなどには決して染まらない。兄はリヴィアの存在にそんな意図を持たせたかったらしい。


 リヴィアは分厚いベールの下で、顔を俯かせた。

 こんなものに一体何の意味がある? どれだけ身なりを整えていてもそれに付随するものが無ければ何の意味もない。


 もう、清らかな巫女姫は存在しない。『役立たずの巫女姫』は強欲で、傲慢で、ワガママなお姫様だ。そんな人間が純白の衣装で必死に取り繕ったって、恥知らずだと笑われるだけだ。


 本当のリヴィアを見てもらえれば、何かが変わるかもしれない。けれど、瘴気を浄化できない役立たずなのもまた事実。結局はあの城にいたときと何も変わらない。


 リヴィアは震える手をギュッと握り締めた。


 兄が決めた服装の中で、ベールだけは感謝している。リヴィアを軽蔑する誰かの顔を見ることも、リヴィアの青ざめた顔を誰かに見せることもないのだから。

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