13 転換
パチ、パチ、と火が燃える。燃やしているのは動物の死体。それらは残しておけばいずれ魔物になるため、必ず片付けておかねばならない。
わかっているし、理解はした。けれども、その事実がこうもリヴィアの心に重くのしかかるのは何故だろう。
それはなんとなくわかっている。リヴィアが役立たずである結果がこうして現れているからだ。
リヴィアが瘴気を払えていれば、もっとみんな楽に戦えたかもしれない。リヴィアが瘴気を払えていれば、狼は狂暴にならずに済んだかもしれない。リヴィアが瘴気を払えていれば、魔物になるからといって、死体を燃やさずに済んだかもしれない。
全部、リヴィアが瘴気を払えていないから。
パチ、パチ、と炎が燃える前で、リヴィアはそう思った。
馬は全部無事。帰る足はある。騎士の何人かが怪我をしたらしいが、もう治療は済んだと聞いている。
今は燃やし忘れた死体がないか、騎士があちこち確認して回っている。
けれど、狼の総数は把握できていない。もしかしたら、途中何匹か逃がしてしまったかもしれないと小耳にはさんだ。
もし、怪我をした個体がいて、その怪我が原因でどこかで死んでいたら。それは魔物になって再び襲ってくる。だから、傷を負わせた獣はちゃんと倒さないといけない。だが、濃い瘴気が視界を塞いで、逃げた獣を追う事もままならない。
本当に、ただ前に進むことすらもままならない。
リヴィアは小屋のすぐそばに置いてあった木箱に座って、ただパチパチと燃える炎を眺め続けていた。
「巫女姫様。さすがにお疲れですか?」
リヴィアの後ろに立っていたエレナが声をかけてくる。エレナの問いかけに、リヴィアはこくりと頷いた。
エレナはリヴィアを気遣うように笑って、リヴィアのすぐ近くにしゃがみこんだ。
「そうですよね。獣に襲われたのもきっと初めてだろうし。でも、悲鳴を上げてパニックにならなかったのは偉かったですよ。それで巫女姫様に狙いが向いたら、みんな大変でした」
「でも、私は何の役にも立てなかった」
自分で言った言葉が自分の心に深く突き刺さる。役に立てないどころか、これは全部自分のせいだ。全部、リヴィアがちゃんとできていないからこんなことが起こるのだ。
どんよりと落ち込むリヴィアに、エレナは優しく声をかけてくれる。
「大丈夫ですよ。うちの連中は誰も気にしてません。今回巫女姫様が松明に火をつけてくれたんでしょう? あれでだいぶ助かってますから」
「でも、それだけだった」
「それだけでも十分ですって」
エレナの言葉に、リヴィアは不思議そうに彼女を見た。
エレナはいつもそうだ。いつも大丈夫と言ってくれる。リヴィアのことを気遣ってくれる。リヴィアが嫌だと思うこと、怖いと思うこと、そういうことからリヴィアを遠ざけてくれる。
役に立てないリヴィアのことを励ましてくれる。
「……どうして?」
「うん? 何がですか?」
「どうして、私に優しくしてくれるの?」
リヴィアの心の底からの疑問。いつも怖くて仕方がない。誰かから優しくされることも、誰かから冷たくされることも、リヴィアにとってはどちらも等しく恐ろしい。
いずれ裏切られるだろうから。どちらもリヴィアの心を傷つけるから。暖かい目が失望の色に染まってしまうのが、何よりも恐ろしいから。
だから、いずれリヴィアに向ける目が変わってしまうのなら、さっさと切り捨ててもらいたい。
それがリヴィアの願いだった。
濃い瘴気の中でも変わらない、炎の灯りを写した金色の瞳がリヴィアを見る。炎がチラチラと瞳の中が揺れる、暖かい太陽みたいな目。
こんな目をリヴィアは知っている。優しくて暖かい、あの時の彼みたいな目。
そんな彼が、今、どんな目でリヴィアを見ているのか。確認するのが恐ろしくて、とても目を合わせることができない。
パチ、パチ、とエレナが数度瞬きをする。やがて、エレナは言葉の意味を理解したように、にぱっと笑った。
「そんなの当たり前じゃないですか。巫女姫様に優しくするのは当然ですよ」
「どうして? だって、私は『役立たずの巫女姫』だよ?」
公然の呼び名で自分のことを呼べば、エレナの笑みは少しだけ憂いを帯びた。
「私が優しくしたいのは、巫女姫様じゃなくてリヴィア様ですよ」
次に瞬きをしたのはリヴィアの方だった。エレナの言葉は理解するが難しい。いや、難しいのではなくて、リヴィアが理解したくないのかもしれない。
そんなリヴィアを差し置いて、エレナはまだ言葉を続ける。
「リヴィア様って可愛いじゃないですか。それに、他の噂みたいに悪い方ではないし。初めて会った時から、この方はどんな方なんだろうって思ってました。今、私は、リヴィア様が笑ってるところを見てみたいですし、どんなものが好きかも知りたいです。どんなものを貰って喜ぶのか、どんなことをして楽しいと思うのか。私はそれが知りたいんです。もちろん、リヴィア様の無理のない範囲で」
理解できない。
初対面で、役立たずと呼ばれていて、他者に迷惑をかける人間に優しくしてくれる人の考えなんて、全く理解ができない。
そう言って、エレナのことを突き放してしまえればいいのに、どうしてだか、彼の顔が頭に浮かぶ。
初対面で、リヴィアがたくさん迷惑をかけて、困らせてしまった人。
きっと大変な思いをさせてしまったのに、リヴィアの手を引いて、俺も楽しかったと言ってくれた人。
エレナが彼と同じ考えをしているならよくわかる。
わかってしまう。彼の言葉なら、あの時素直に聞けたから。今でもずっと、覚えているから。
「……エレナ」
「……! はい、何でしょう!?」
「ありがとう」
ちら、とエレナの顔を見れば、彼女の顔は今まで見てきた中で一番の笑顔になった。
「どういたしまして!」
そんな彼女の勢いにつられて、リヴィアもぎこちなく笑みを返した。
胸が痛い。役に立てないことが、何も返せないことがこんなにも苦しい。
あの時と同じように、何かを渡せて返せたら。
そう思うのに、何も返せないことを自分でもわかっている。
してもらったことへの対価。ここで渡すのに何が相応しいか、自分でもよくわかっている。
全部わかっているのに何も返せないのは、リヴィアが『役立たずの巫女姫』だからだ。
♦♢♦♢♦♢
「狼の死体はこれで全部か?」
「はい。戦闘が行われた場所を全て確認しましたが、死体はもうありません。ただ、逃げた狼が数匹いるのと、何故ここまでの群れが襲ってきたのか、その原因は不明です」
「そうか……」
部下からの報告を受け、ウォルターは静かに呟いた。
狼がここまで群れることは、瘴気が濃いこの地ではありえない。確かにここ数日、見回りに来ることが出来なかったとは言え、ここまで大量に狼が出たことは今までなかった。
瘴気が濃くなりすぎたせいか、それとも何かほかに原因があるのか。ウォルターは考え込みながらも、焚火のそばに座るリヴィアを振り返った。
彼女はエレナと何か話し込んでいるようだった。王城からあまり出たことがなく、何かに襲われたことは今回が初めてだっただろうが、その事実に反して、彼女がひどく怯えている様子はない。
「……巫女姫、ですか? 彼女が瘴気を浄化してくれるなら、確かに戦闘は楽になるでしょうね」
ウォルターの視線を追って、部下もまた、リヴィアを見た。
彼が言った言葉はこの場にいる誰もが思っていることだ。巫女姫が、『浄化の乙女』が、瘴気を浄化してくれれば全て解決するのに、と。
それがそう簡単な話ではないことは、今までの経験でわかっている。
一度だけ。このロブストフェルスの瘴気が一気に浄化されたのは、『異界の乙女』が現れたときだけだった。
だからこそ、ウォルター達は望んだのだ。巫女姫ではなく、『異界の乙女』を。この地の瘴気を晴らし、希望を与えた乙女を。
けれどもその願いは叶えられなかった。ウォルター達に与えられたのは『役立たずの巫女姫』と揶揄されているリヴィアだけ。
瘴気を浄化できない彼女は、自身の呼び名も、自分の無力さも全部知っていてここにいる。それを嘆きながらも、何か自分にできることはないかとあえて危険な場所にいる。
「せめて、安全な場所でじっとしてくれればいいのにな」
「それって、あの子のこと?」
ウォルターの呟きを誰かが拾った。その声の主を見れば、いつの間にかヒューロットがウォルターの傍に来ていた。
ウォルターはヒューロットを一瞬だけ見て、それからすぐにリヴィアの方に目線を戻す。
「そうだな。何もできないというのなら、わざわざこんな場所に来ることはなかったのに、と、そう思っただけだ」
「別に何もできないわけじゃなくない? 一応魔法は使えるし、何かできるようになりたくてここに来てるのはわかるし。……確かに、あの子はここにいるのが向いてる子じゃないけどさ」
「だろう? だから、城に帰そうと思う」
ずっと巫女姫リヴィアの意思を尊重してきたウォルターが、初めて彼女の意思を伺わずにそう言った。それに驚きつつも、ヒューロットはそれに伴う問題を口にする。
「それ、あの子は納得すんの? それにあの子を城に返したら、うちに『浄化の乙女』が一人もいなくなるんだけど。他の乙女は派遣してもらえなかったじゃん」
「納得してもらう。彼女はここにいるべきじゃない。『浄化の乙女』の事は、まあ、なんとかするしかないだろう」
ウォルターにしてはいつになく強い言葉。それを聞くのは、ヒューロットと彼の傍にいた部下のみ。
『浄化の乙女』は瘴気の出る地域では心の支えとなる存在だ。彼女たちがいるだけで、どこか安心感がある。たとえ、浄化が進まなくとも、彼女たちが頑張っているだけでこの地域は見捨てられていないのだ、と思うことができるのだ。
それを強制的に帰すなど、大っぴらに言えることではない。
「館に戻ったら、彼女と二人で話をする。前みたいに強制するのではなく、ちゃんと説得したうえでな。……今度は邪魔するなよ」
ベールの件をあてこするように言われて、ヒューロットは渋い顔をした。
「別にする気はないけどさぁ。……ホントに説得できんの?」
「できる。彼女は人の話を聞けないような子じゃない」
確信めいた言い方に、ヒューロットはふーん、と生返事をした。
一体、今の彼女を見てどこからそんな確信が抱けるのか。ヒューロットが口を開こうとした。
ちょうど、その時だった。別の騎士がウォルターのところに駆けてきたのは。
「隊長! 大変です!」
「どうした?」
ヒューロットとの会話を打ち切って、ウォルターはその騎士の方に顔を向けた。彼は肩で息をしながら、必死で報告する。
「堀の向こう側に調査に出ていた部隊と連絡がつかなくなりました。おそらく、何かしらの異常があったのではないかと……」
それを聞いて、ウォルターはすぐにもう一人の部下に指示をだす。
「今すぐ騎士全員を集めろ。一部隊は巫女姫を連れて館に戻れ。他の部隊は行方不明の部隊を見つけ次第、対処にかかれ!」
了解、と騎士二名が返事をし、他の騎士に通達を届けにかかる。ヒューロットはそれを見て、ウォルターに問いかけた。
「オレはどうする? 残る? 巫女姫についてく?」
いつも軽口をたたくヒューロットだが、自分の立場と役割はちゃんとわかっているようで安心する。ウォルターはヒューロットの問いに答えた。
「巫女姫についていけ。彼女にケガをさせるな」
「了解」
そう言って、ヒューロットは他の騎士から説明を受けているエレナと巫女姫のところに向かった。
堀の向こう側で起こった異常。それは十中八九、魔物が出たということ。狂った狼の群れは、おそらくその魔物から逃げてきたのだろう。
ウォルターは困惑している様子のリヴィアから目を逸らし、自分のところに集まってきた騎士たちにこの異常について話し始めた。
巫女姫リヴィアはこの危険から遠ざけるべきだ。




