12 森の奥へ
リヴィアがこの館に来て一週間ほどが過ぎた。その間にも、リヴィアは見回りに同行したり、エレナと食事を共にしたり、館内を散策し図書館で本を借りたり、と様々な時間を過ごした。
けれども、成果は何も出ていない。瘴気が浄化出来ていなければ、その方法の手がかりを得ることすらもできていない。
「巫女姫様、今日はどうします?」
「あ……、えぇと、……その、ごめんなさい。今日は、借りてきた本を読むから」
エレナの誘いを断ることも増えた。とにかく出来ることを、やれることを増やしたかった。瘴気と『浄化の乙女』にまつわる数少ない本を読んで、少しでも知識を身に着ける。
それでも、リヴィアはもう知ってしまっている。知識と経験は違うのだと。
借りてきた本を開いてパラパラとページをめくる。けれども、視線は文字の上を滑るばかりで、何も頭に入ってこない。
これでは意味がないのだ。ただ、知識を取り入れても、使えなければ意味がない。
リヴィアは倒れこむように机に突っ伏した。
あとどれだけ他者に迷惑をかければ、自分は役に立てるようになるのだろう。
♦♢♦♢♦♢
「おああぁぁ~~……。また断られたぁ~……」
そう言って、金色の髪を投げ出してエレナは机に突っ伏した。
深く沈み込んだエレナを見て、ウォルターも深々と溜息をつく。
リヴィアの調子は芳しくはない。これまでに何度か見周りに連れて行ったが、瘴気を浄化できた様子はなく、ただ無為に魔力を消費しているだけ。
彼女を連れてあまり危険な場所に行けるわけもなく、見回りは本当にただぐるりと森の中を回って見てくるだけになっている。
だが、さすがにそろそろ堀の方まで見に行ってみないとまずい。現れる魔物は少しずつ適度に倒しておかないと、いずれ群れとなって一斉に襲い掛かってくる。
もしもそこに行くとなったら、リヴィアはついて行きたいと言うだろう。
最近の彼女は特にそうだ。まるで功を焦る新米騎士のように、がむしゃらに前へ前へと進もうとしている。それがどれだけ危険なことかも知らずに。
「あの子のこと、どうすんの? てか、本当に帰した方がよくない?」
リヴィアのことを慮っているのか、それとも、ロブストフェルスのことを考えているのか。どちらとも取れない言葉でヒューロットが言った。
「帰せるならそうする。彼女が帰りたいと言うならな」
そう言って、ウォルターは届いた書状を開き、その内容を見て不機嫌そうに眉をひそめた。
「どうしたの?」
「聖教団からの手紙の返事だ。他の『浄化の乙女』を派遣してくれるように頼んだが、そちらには巫女姫がいるのだから、と言って断られた」
「はあ? マジで?」
ヒューロットはウォルターが差し出した書状をひったくると、すぐにその文面に目を通す。そこにはウォルターが言った通りのことが書いてあった。
彼女は今まで王城で守られてきたが、我々が認めた巫女姫だ。本人のやる気もあり、特別な『浄化の乙女』なのだから、普通の乙女を派遣したところで何もできることはないだろう、と。
それを読んでヒューロットは顔をしかめた。
「マジで何言ってんの、こいつら。自分たちがあの子のこと役立たずって呼んでるの、忘れてんの?」
ヒューロットが同意を求めるようにウォルターを見れば、彼もまた困り果てた顔をしている。
「彼らが何を考えてるかは俺もわからん。ただ、今回の返事と王に当てた前回の嘆願書を考えると、ロブストフェルスはほぼ見捨てられたに等しいだろうな」
ウォルターは両手を顔の前に組み、ゴツ、と額を押し当てた。
魔物が出る頻度は年々増え、瘴気も徐々に町に近づいていっている。
五年前、瘴気が大幅に晴れたとき、町の住民には笑顔が戻った。これでもう大丈夫だと。家を捨てて、行く当てもなく瘴気から逃げる必要は無くなるのだと。
だが、今では昔に逆戻りだ。瘴気は前よりもひどくなっている。このまま誰も瘴気を浄化できないのであれば、ロブストフェルスの住民たちは住み慣れた土地を捨てなければならないだろう。
「今ここにいる『浄化の乙女』はリヴィア一人、か……」
ぼそっと呟いた言葉に、エレナもヒューロットも顔を上げる。
「どうすんの? もうそろそろ堀まで見周りに行かなきゃいけないんでしょ? 連れてくの?」
ヒューロットの言葉にウォルターは少しの間悩んだが、答えは一つしかなかった。
「連れて行く」
♦♢♦♢♦♢
その日の見回りは事前にエレナから聞いていた通り、いつもと大きく異なっていた。
まず、騎士の人数が違う。いつもリヴィアが出るときの見回りは十人ほどだったが、今はざっと見て二十人はいる。それから同行している魔導士の人数。リヴィアはヒューロットとしか話したことはないが、彼と同じローブを着た人が追加で三名ほど共に見回りに来ていた。
リヴィアの装備も若干違う。普段は防御に特化したものを渡されていたが、今回は治療に使う魔道具も持たされている。エレナからは出発する前に通信魔道具の使い方について復習するように言われた。
厳重な警備体制と追加装備。魔物というのはそれほどに危険なものなのだ。いつもは軽口を叩いてリヴィアを気遣ってくれるエレナも、今日はどこか緊張した面持ちを見せている。
ピリピリとした空気は寒さからくるものなのか、それとも緊張感からくるものなのか。どちらかわからないまま、リヴィアはエレナが走らせる馬に乗っていた。
辺りはどんどんと薄暗くなっていく。前に見回りに来たときも感じた、落ちるような、吸い込まれるような感覚。緊張感とこの場特有の空気に飲み込まれそうになりながらも、リヴィアは自分の目的について思い出していた。
今日、瘴気を浄化する時間をもらえるかはわからない。堀まで行くと決まったときに、確実にその時間を与えられるかどうかはわからないと聞いた。
だから、今回のリヴィアは瘴気に慣れるだけ。いつもの見回りでは触れないような濃い瘴気に触れて、浄化の糸口をつかむのが目的だ。
それで本当に浄化が出来るようになるのだろうか。
ふと嫌な疑問がリヴィアの頭の中をよぎる。
不安になるのはそれだけが理由ではない。普段よりも人数が多いことによる心理的な圧迫感と、この場にいる全員がリヴィアに向けてくる視線。それがリヴィアの重圧になっている。
いや、そんなはずはない。エレナでさえリヴィアのことを気にかけれていないのだから、他の騎士がリヴィアを見ているわけがない。
頭の中ではそうわかっているのに、心にはそれが重くのしかかる。
周囲には濃く瘴気が立ち込め、視界は悪くなる一方。エレナはリヴィアの前に手を伸ばして、馬に着けられたランプに灯りを灯した。気づけば他の騎士たちも、ランプの灯りを灯し始めている。彼らの灯りは仄かなオレンジ色なのに、リヴィアの乗っている馬だけは灯りの色が真っ白だ。
目立つから嫌だな、と思っても、これはリヴィアのためなのだから仕方ない。ここに護衛対象がいるとわからなければダメなのだ。
馬は夜道のような道を駆ける。前を走る馬が雪と泥を蹴り上げているのがランプの灯りに照らされてうっすらとわかる。少し離れれば、誰がどこにいるのかさえわからない。彼らはこんなところで魔物と戦わなければならないのだ。
ダカッ、ダカッ、と馬を走らせてしばらく。堀の近くに建てられた小屋の灯りがようやく見えてきた。
今日の見回りはあそこに一旦馬を止めて、近くに魔物がいた痕跡がないか確認する。堀とそこを囲う柵を確認して、何の異常もなければすぐに帰るらしい。
何もなければ。リヴィアがそう思った瞬間、バウ! と獣が吠える声が聞こえた。
ビク、とリヴィアがそちらを向くのと同時に、乗っている馬の速度が上がった。
「しっかりつかまっててください。速度をあげます!」
耳元でエレナの声が聞こえ、グン、とリヴィアの体が後ろに倒れこむ。エレナはそれをもろともせず、ただ馬を走らせた。
気づけば周囲の騎士も同じように馬の速度を上げている。そして、それを追うように、バウ、バウ、と後ろから複数の獣の声が聞こえた。
アオオォーン、と獣の遠吠えが聞こえる。もしかしたら仲間を呼んでいるのかもしれない。
どれだけの数がこちらに向かっているのかわからないが、これからさらに増えるかもしれないという事実にリヴィアは震えた。
堀の近くにある小屋の側になだれ込むように騎士は馬を止める。魔導士が馬を囲むように障壁を張り、その間に騎士は馬から降り、剣を抜いた。
「巫女姫様は小屋の中に」
「う、うん」
騎士が獣の方へ立ち向かう間に、リヴィアも馬から降りて、エレナに腕を引かれるまま小屋の中に向かう。
半ばエレナに押し込まれるようにして、リヴィアは小屋の中に入った。
「アンタ、手ェ空いてるんだったらこっち手伝って!」
小屋の中ではヒューロットが薪を抱えて立っていた。
「これに火をつけて。騎士の視界を確保するから」
ヒューロットはガラガラと薪を床に置くと、油を染み込ませた布を薪の先端に巻き、それに火をつける。ボッ、と点いた松明をヒューロットから受け取ると、エレナはそれを持って小屋の外に出て行った。
エレナについて行った方がいいのか、それともヒューロットの手伝いをすればいいのか。一瞬戸惑ったリヴィアに、ヒューロットの叱責が飛ぶ。
「だから、火つけてって言ってるじゃん。オレ一人だと大変なんだけど」
「あ、う、うん」
次の松明を作るヒューロットの手元を見て、リヴィアも見様見真似で薪に布を巻く。上に掲げた瞬間、ずるりと布が下がったリヴィアの松明を見て、ヒューロットは溜息をついた。
「だから、ギュッ、て縛るの、ギュッ、て! めっちゃ強く!」
「あ、えと、ごめんなさい……」
「今、そういうのいいから」
ヒューロットの指導を受けている最中、外の騎士に松明を渡してきたエレナが戻ってきた。
「他の松明は?」
「エレナが縛って」
「はいはい」
ぱっと見て状況を理解したのか、エレナはリヴィアの松明を受け取って手慣れたように薪に布を巻きつけていく。唖然としながらそれを見ているリヴィアに、エレナは安心させるように笑いかけながら出来た松明を手渡す。
「はい、どうぞ。布は私が巻いていきますから、巫女姫様は火をつけてください。私に魔力はありませんから」
「あ、う、うん」
エレナがあっさりと作った松明を受け取り、リヴィアは油がしみ込んだ布の部分に手を掲げ、静かに集中する。パチッと音がして、ボッ、と勢いよく火が灯る。強い光と炎の熱にリヴィアは一瞬ひるんだが、それを落とすことはしなかった。
これを持っていって、あとは外の人間に渡せばいい。エレナは両手に松明を持っていっていたが、リヴィアには一本持つのが精いっぱいだ。
松明を持って小屋の外に出ると、そこには何やら嫌な臭いが漂っていた。焦げ臭いような、鉄の匂いのような、焼かれた肉のような、それを何十倍も凝縮したような匂い。
辺りは暗く、松明が照らす範囲しかリヴィアには見えない。だから、奥で何が起こっているのか、リヴィアにはさっぱりわからない。
松明を持っていたからか、外に出たリヴィアが呆然と突っ立っていると、すぐに近くにいた人が気づいてくれた。
「預かろう。まだ焼かなければならないものが——」
松明の明かりが薄暗い瘴気を照らし、彼の右目についた傷跡を浮かび上がらせる。炎に照らされた黒い髪と黒い瞳。彼も松明を持っていたのがリヴィアだと気づいたのか、すぐに押し黙った。
ウォルターはリヴィアから松明を預かると、リヴィアを小屋の中に押しやった。リヴィアは何かを伺うようにウォルターを見たが、彼はそれを意に介さず、中にいたエレナとヒューロットに声をかけた。
「もうじき戦闘が終わる。もう何本か作ったら、外に出てきてくれ」
了解、と二人が言うのを聞いて、ウォルターはすぐに外に戻る。
リヴィアは二人の側に座って、彼らの作る松明に二本、三本と火をつけながらぽつりと質問をこぼした。
「……外にいたのは、魔物?」
「いや、普通の狼。瘴気のせいで狂暴になったり、ちょっとおかしくなっちゃってるんだよね。でも、それくらいで隊長たちが負けるわけないから」
ヒューロットは次の松明に火を灯すと、エレナに手渡した。エレナは火のついた松明を持って、小屋の外に渡しに行く。
「……動物の死体は片付けるって聞いた」
「そうだよ。だから燃やすんじゃん。いくら普通って言ったって、あんなのが町に出たら危ないし、死体をほっといたら魔物になる。魔物になったらもっと厄介だよ。あんな群れで来られたらオレたちでも全滅するかも」
淡々と答えるヒューロットにリヴィアは深く考え込む。
あれが普通。リヴィアがちょっとだけ知ったような気になっていた外の世界は、本当はもっと厳しかった。ウォルターもそれを見せたくなかったから、リヴィアをすぐに小屋の中に戻したのだろう。
そんな中でリヴィアが出来たのは松明に火を灯すことだけ。それ以外は何の役にも立っていない。
「ま、今回アンタが出来ることはほぼないんだから、エレナの近くで隠れてればいいんじゃない?」
ヒューロットはそう言って、最後の松明に火をつけ、小屋の外に出て行った。




