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11 見回り

 ロブストフェルスの瘴気は少しずつ土地を蝕んでいっている。常人にも見える黒い靄のような瘴気は土地や水、空気を穢し、人体にも影響を与える。

 穢れた土地で育った植物は色彩を失って灰色に枯れ、時に魔物化して人を襲う。

 動物の死体もそうだ。瘴気で穢れた地に現れる魔物の多くは、動物の死体に瘴気が憑りつくことで生み出される。


 そんな瘴気を打ち払えるのが『浄化の乙女』。何故彼女たちが瘴気を払えるのか、どうして女性だけなのか、どのようにして払っているのか。

 その方法は全て、彼女たちの姿と同じように分厚いベールに包まれている。


 だから、リヴィアにだって知る由もないのだ。どうやって払うのか、何故そんなことができるのか。誰からも教えてもらったことはない。


 見たことがあるのは一度だけ。『異界の乙女』であるココネがリヴィアの目の前で瘴気を払った。魔力を使うときに出る、パチッとした特有の音と白い閃光。だから、魔力を使って浄化しているのだけはわかる。


 わかるのは、ただそれだけ。


 それから何度か魔力をコントロールして、いろいろ試してみたことはあった。けれど、リヴィアはあれ以来瘴気に触ったことがないので、実際に浄化できるかどうかはわからない。


 誰か、教えてくれる人でもいれば。言葉で説明できなくても、感覚だけでも教えてくれる人がいれば。


 リヴィアがそれを願い始めたのはいつだったか、リヴィア自身ですらよく覚えていない。覚えているのは、外に出ることも、他者と関わる事も、どちらも兄から禁じられていたことだけ。


 知りたい。聞きたい。やりたい。出来るようになりたい。

 そう思う気持ちはまだあるのに、誰かと話そうとするたびに体はまだ震える。ベールを被って、逃げ出して、引きこもりたくなる。


 誰とも会いたくなかった。自分のことを見つめる冷たい瞳を見たくなかった。



   ♢♦♢♦♢♦



「……巫女姫様、大丈夫ですか?」


 エレナの呼びかけに、リヴィアははっとした。


 今はロブストフェルスの郊外へ向かう途中。エレナと一緒に馬に乗り、他の騎士たちと共に見回りに出ている最中だった。今回見回りに出ているのは十人ほど。本来の見回りはもっと人数が少ないと聞いているので、リヴィアが同行したことにより、少し人数が増えたことになる。


「とは言っても、『浄化の乙女』が同行するときは大体こんな感じですけどね。巫女姫様が気にすることじゃありませんよ」


 エレナはそう言ってくれたが、やはり気を遣われているというのはわかる。何せ、今回の見回りにはエレナの他にウォルターとヒューロットもついてきているのだ。


 ウォルターがたまに見回りに出ることは聞いていたが、ヒューロットが魔物の討伐以外で館の外に出ることはほとんどないと聞いた。


 滅多に見回りに出ないヒューロットと、自分が見回りに出るタイミングでリヴィアを誘ったウォルター。他の『浄化の乙女』がどのような対応をされているかわからないが、彼ら二人にも、そして今回同行してくれた他の騎士たちにも、自分が注目されていることがリヴィアにはわかっていた。


 それはきっと自分が『役立たずの巫女姫』だから。役立たずが瘴気を浄化できるかどうか、皆見定めようとしているのだ。


 自分に注がれる多くの視線を思い出し、リヴィアの背筋に震えが走る。

 注目されることは苦手だ。あの時のことを思い出すから。誰も彼もがリヴィアに失望したあの時のことを思い出すから。


 カタ、と身震いをしたリヴィアをどう思ったのか、エレナが再び声をかけてくる。


「もしかして寒いですか? あ、だったら、もっと私にくっつきます?」

「あ、うん。……大丈夫、です。そういうのでは、ないので」

「そういうのではないってことは……。ああ、魔物に関しては心配しなくてもいいですよ。今日は本当に見回りだけですし、魔物が出ても巫女姫様をつれてすぐに逃げますから」

「……うん」


 エレナはそう言ってリヴィアを明るく励ましてくれた。


 リヴィアが震えている理由を、エレナは魔物が出るからだと思ったようだ。だが、本当にリヴィアが恐れているのはそんなものではない。手足や体が震える理由はそれではないのだ。


 ある程度の速度で馬を走らせてしばらく。森の中の雪は少しずつ深さを増していき、視界も少しずつ暗くなっていく。底冷えのするような寒さと、まるでどこかに落ちるような、もしくは奥へ奥へと吸い込まれていくような不思議な感覚に襲われて、リヴィアは後ろにいるエレナを見た。


「……あの、どこまで行くの?」

「そうですねぇ。そろそろ人に影響を及ぼし始める濃さの瘴気のところまで来たので、あとはこのままぐるーっと回って町の方まで、ですかね。魔物がこちらまで来てないかとか、町の人が森に入り込んでないかとかを確認する感じです」


 エレナはリヴィアの方を一切見ずに答える。遠くを見つめる目は何かを警戒しているようだ。

 だが、のんびりと答えてくれる口調にはどこか余裕がある。おそらくまだ質問しても彼女は困らないだろう。


「普段だったら、どこまで……?」

「普段はもっと奥まで行って堀があるところまでですね。たまに魔物が落ちてたりするのでそれを処理したり、動物の死体があったら片付けたり。でも、今日は行かないですよ」

「どうして?」


 リヴィアの問いに、遠くを見るエレナの目が少しだけ細まった。


「瘴気が濃いからです。二、三年くらい前まではこの辺りもこんなに暗くなかったし、堀のあたりが今のここと同じくらいか、少し明るいくらいだったんですけど、だんだん瘴気が浸食してきちゃってて。今ではパッと行ってパッと帰ってくる、って感じになってるんですよ。魔物が出たら、その分時間との勝負になっちゃいますし、巫女姫様を連れていける場所じゃないですね」


 リヴィアを連れていける場所ではない。それはリヴィアが戦えないから。リヴィアを守るために多くの騎士が大変な思いをするから。


 足手まとい。あの日、サロンでヒューロットに言われた言葉を思い出す。


「……ごめんなさい」


 落ち込むリヴィアに失言したと思ったのか、エレナが慌ててフォローを入れる。


「あっ! 別に巫女姫様が足手まといとか言ってるわけじゃないですよ。いきなり魔物に相対しろ、なんて誰も言わないですし。今日は少し様子見~、くらいの気持ちでいいんじゃないですか?」


 エレナは明るく言うが、リヴィアはそんな気持ちにはなれない。瘴気がどういうものなのか、今日初めて知った。

 リヴィアがあの時触れた瘴気は本当の本当に全体の一部だったわけで、実際はかなり広い範囲の土地を浄化しなければならないのだ。


 リヴィアはぐるりと周囲を見渡す。どこか薄暗く感じていたのは瘴気の影響だったようで、ここに見える全てに瘴気が渦巻いている。

 あのときの瘴気よりも濃くはない。けれども、圧倒的に範囲が広い。リヴィアに任せられたのは、これを浄化する仕事。


 本当に、自分にそんなことができるだろうか。

 城の中にいたときには想像すらできなかった『浄化の乙女』の仕事。彼女たちがこんなことをしてたのならば、リヴィアが役立たずと罵られても当たり前だ。


 リヴィアが顔を俯かせた瞬間、リヴィアとエレナを乗せた馬が止まった。そのことにリヴィアは一瞬困惑したが、どうやら先頭を走っていたウォルターが停止の合図を出したらしい。


 何が起きたかよくわかっていない様子でリヴィアがエレナを振り向くと、彼女はリヴィアを安心させるように笑った。


「今まで集団で来ましたけど、ここから少し散らばって動くんです。瘴気のせいで視界が悪いし、遠くまで確認できませんから」


 そう言って、エレナは馬から降りる。リヴィアもエレナに手を貸してもらって馬から降りた。

 ここで下馬したのは、エレナとリヴィア、ウォルターと他二名の騎士。ヒューロットは馬から降りずに一人のんびりとしていて、残りの騎士はパッとバラバラの方向に散っていった。

 リヴィアはそんな彼らの後ろ姿を目で追いながら、エレナに尋ねた。


「……あの、あっちに行った方たちは大丈夫なんですか?」

「大丈夫です! あれでも精鋭揃いですし、魔物が出たとしても魔道具で情報を共有できますから」


 エレナがリヴィアの目の前に掲げて見せたのは、ペンダントのように首から下げた通信魔道具。これを使えば、ある程度の範囲内で同じものを持っている他の人間と通信できるらしい。


 リヴィアも出発前にヒューロットから渡されたが、ほとんどエレナとともに行動しているから使う機会はおそらく来ない。


 リヴィアは騎士が去って行った方向から目を逸らし、自分の足元に視線を落とす。

 エレナがそう言うならあの騎士たちは大丈夫なのだろう。リヴィアと違って、彼らはこの場所に慣れている。見回りもいつものことだと聞いているし、リヴィアが心配したところで何も変わらない。


 だから、心配するならまず自分の方だ。

 リヴィアは何故自分がこんなところで馬から下ろされたのか、よくわかっていた。


「ここなら出来そうか?」


 突然話しかけてきた声に、リヴィアはビクリと肩をすくめた。

 怖くないのに、怖い声。今までに聞いてきた誰よりも優しい声音。

 それなのに、彼に問いかけられることがこんなにも恐ろしい。


 ウォルターの問いかけに動けなくなってしまったリヴィアを、エレナが背中で覆い隠した。ウォルターの視線が遮られ、そのことに安堵すると同時に情けなさがリヴィアを襲う。


 そんなリヴィアをどう思ったのか。ウォルターはリヴィアにそれ以上特に声をかけてくることはせず、エレナにあとは任せた、と告げて、少し離れた場所に去っていった。


 くるり、とエレナがリヴィアの方へ振り向く。彼女はにぱっと笑うとリヴィアの背中を押して、ウォルターたちから少し離れる。


「『浄化の乙女』は瘴気を浄化するのに集中が必要だって聞きました。巫女姫様もちょっと一人になった方がいいんじゃないですか?」


 そうしてエレナは少し離れて後ろを向いて周囲を警戒し、リヴィア一人の空間を作ってくれた。


 リヴィアの目に映るのは瘴気に塗れた森の中。他に人の姿はなく、誰の視線も感じない。


 ゆっくり深呼吸をして、リヴィアはしゃがんで地面に両手を付けた。地面は軽く湿っていて、雪の影響かやけに冷たく感じる。ピリピリとした痛みを感じるような冷たさにリヴィアは一瞬怖気づいたが、地面に付けた両手を離すことはしなかった。


 子供のころからずっと望んでいた。外に出て、他の乙女たちと同じように瘴気を浄化する仕事をしたい、と。

 やり方はわからない。集中したあと、どうすればいいのかもわからない。けれど、やるしかないのだ。


 リヴィアはここに『浄化の乙女』としてやってきたのだから。


 これだけ気を遣われて、何もできないなんて嫌だ。


 リヴィアは目を閉じて、かつてたった一度だけ見た、ココネが瘴気を浄化する姿を脳内にイメージした。じっと集中して、手のひらに魔力を込める。


 パチッと、魔力を使うとき特有の音がリヴィアの手のひらから鳴った。



   ♢♦♢♦♢♦



「それで、リヴィアの様子はどうだった?」

「やっぱり、まだ落ち込んでるみたいです」


 ウォルターの問いにエレナがそう答えた。


 巫女姫を伴った初の見回り。その結果はあまりいいものではなかった。

 ぐるりと森の中を回ってみた結果、魔物の気配は特になし。獣の死体もなく、町の住人も森に入ってはいない。普段の見回りであれば、最良の結果。


 けれど、リヴィアが瘴気を浄化することはなかった。


 彼女が何とか瘴気を浄化しようと頑張っていたことはわかる。パチッと魔力を使う時の音が何度かウォルターのところまで聞こえてきたから。

 だが、頑張れば結果が伴うというわけではない。瘴気を浄化したという成果が伴わなければ、巫女姫を連れていった意味がないのだ。


「あの子、どうすんの? やっぱ、帰ってもらった方がいいんじゃない?」


 書斎に置いてあった焼き菓子を食べながらヒューロットが言う。あまりに自由気ままな彼の様子を見て、ウォルターはどこか羨むような顔をして溜息をつく。それから少し難しい顔をして言った。


「王命だから、すぐには帰せない。が、今日のようなことが続くなら、それも検討することになるだろうな。……まあ、それもこれも、彼女の次の意思を聞いてからだが」


 ウォルターはそう言いつつも頭を悩ます。巫女姫がやりたいと言ったとしても、叶えられないものはある。ロブストフェルスを預かる者としても、騎士としても、彼女の身の安全は一番に考えなければならない。


 と、そこまで考えたところで、ふと思いついたようにウォルターはヒューロットを見た。


「ところで、お前、浄化の方法について何か知らないのか? 今までにも『浄化の乙女』が力を使うところを何度か見たことがあるだろう? 彼女たちとリヴィアは何が違う?」


 もぐ、と口いっぱいにマフィンを詰め込んでいたヒューロットはぱちくりと瞬きをした。それから何かを考え込むかのようにもぐもぐと口を動かしたあと、ゴクン、とマフィンを飲み込んでから口を開いた。


「さあ? よくわかんない」

「ここまで溜め込んでおいて、そんな答えをするのか……」

「だって、わかんないんだもん。同じと言われれば同じかもしれないし、違うと言われれば違うような気もする。何がどう違う、って聞かれてもよくわかんない」


 あっけらかんと言うヒューロットに対し、ウォルターは訝しんだ目を彼に向ける。


「本当だって。そもそも『浄化の乙女』がどうやって瘴気を浄化してるのかがわかるんなら、オレが浄化してるもん。大体アイツら、基本的に話しかけても無視するし、オレがキチンと話したのはあの子が初めてだよ? 明確な違いなんてわかるわけないじゃん」


 そう言われて、ウォルターはここを訪れた『浄化の乙女』たちのどこか排他的な雰囲気を思い出した。


 あまり自分たちに関与されることを厭うような、指図を嫌うような、そんな雰囲気。

 リヴィアのように、呼び出しには素直に応じ、エレナの誘いは受け入れ、ヒューロットと会話をする『浄化の乙女』はそうそういなかった気がする。


「なら、あまり関わらない方がいいのか……?」

「えっ!」


 ウォルターの呟きに、エレナがショックを受けたような声をあげた。その顔は目に見えてガッカリしている。

 エレナはおそらく、巫女姫とより深く関わることを望んでいる。それがいきなり、巫女姫と関わるな、という命令に変わりそうで焦っているのだろう。


 ウォルターは、ヤダヤダヤダヤダ、と目で訴えかけてくるエレナから目を逸らして少し悩んだ。

 そもそもエレナをリヴィアに付けたのは、護衛の仕事もだが、リヴィアの暴走を押さえるためだ。リヴィアがヴィーであると知ってから、彼女がどこかに逃げ出してしまう可能性も見えている。


 それがわかっていて、リヴィアからエレナを離してもいいものなのだろうか?


 ウォルターはしばらく考えこんで、ようやく口を開いた。


「ひとまず、エレナには引き続き巫女姫についていてもらう。彼女をちゃんと見張っておくように」

「っ、はい!」


 引き続きリヴィア付きになると知り、エレナはパッと目を輝かせた。


「それから、他の騎士にはあまりリヴィアに関わらないように通達を出す。ヒューロットも自分からはあまり彼女に接触しないように」

「えー」

「彼女から話しかけてきた場合は好きにするといい」

「うーん。なら、まあいっか」


 どこか釈然としない様子で、ヒューロットは返事をした。


 出来る限り他の『浄化の乙女』と同じような対応にして、果たしてうまくいくのだろうか。

 正解のない答えを模索するような感覚を抱えながら、ウォルターは全騎士に通達するための書類を用意し始めた。

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