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10 サロンにて

「ヒュ~ロ~ットォ~?」

「ごめんごめん。口が滑った」


 怒気を含んだエレナの声。それを軽くいなすヒューロットの謝罪。エレナは怒りながらヒューロットに掴みかかるが、そこに乱暴なものはなく、どちらかと言えばじゃれ合いに近い。

 にもかかわらず、リヴィアにはそれを見ることが出来なかった。


 ギュッと無意識に自分の髪を掴む。正確に言えば、いつも被っていた白いベールがあった場所を。

 ベールを被っていたあの頃は、それが全てを覆い隠してくれた。怖いものも、見たくないものも、全部。壁のように、殻のように、リヴィアの心を守ってくれていた。


 でも、今はベールがない。何もリヴィアの心を守ってくれるものがない。

 その事実が恐ろしくて、リヴィアはギュッと目をつぶった。


 そんなリヴィアの様子を慮ったのか、エレナはヒューロットを掴んでいた手を離した。


「ほら、巫女姫様に謝って!」

「えぇー。ゴメン」


 怒られたというのに、あっさりとした態度。きっと彼にとっては何のことはない軽口だったのだとわかる。

 それなのに、リヴィアの心臓はドクドクと脈打ち、呼吸が浅くなる。


 だが、この場で何も言わないわけにはいかない。気を失って倒れるわけにもいかない。

 ただの軽口であるのなら、それを大げさに受け取って傷つくことの方がおかしいのだ。


 リヴィアは落ち着いて息を吸って吐き、それを何度か繰り返してから、ようやく二人に向けて口を開いた。


「あ、の……、大丈夫、です」

「本当ですか? 顔が真っ青ですけど」

「だ、大丈夫。……本当に大丈夫なので」


 心配そうに見てくるエレナに対し、リヴィアはまだギュッと髪を掴んだまま、大丈夫だと繰り返した。

 そんなリヴィアを、感情の見えない目でヒューロットはじっと見つめていた。


「……ま、今言う事じゃないか」


 ヒューロットはそうぼそっと呟くと、エレナとリヴィアの向かいにあるソファに座った。


「で、何してたの?」


 さきほどの事があったのに、あまりにも平然とした態度でヒューロットは尋ねてきた。これにはリヴィアも一瞬恐怖を忘れて、呆気にとられる。

 それはリヴィアだけではなかったようで、エレナは半ばキレ気味にリヴィアに尋ねた。


「巫女姫様。コイツ、追い出しましょうか?」

「え、えっと……」

「えー、オレ、話があるんだけど」

「えっ? ……えっと、えっと……」


 相反する二人の言葉に、リヴィアは戸惑ってばかり。だが、この場でどちらの提案を聞くかを決めるのはリヴィアだ。

 リヴィアはおろおろと二人の間で目線を彷徨わせた後、おずおずとヒューロットの顔を見た。


「じゃあ、……ヒューロットさんの、話を聞きます」


 エレナはその言葉にどこかム、としたようだが、それでもリヴィアの決定を尊重してくれた。


「わかりました。……でも、巫女姫様にまた失礼な態度を取ったらすぐにコイツを追い出しますから」


 エレナがジトッとヒューロットを睨みつけても、彼はなんでもないことのように受け流す。それどころか、ヒューロットは机の上に並べられたサンドイッチを指差して言った。


「それ、朝ご飯? オレも貰っていい?」

「やっぱり追い出しましょう」

「え、えと……。でも、話すって決めたから……」

「話したいことが朝ご飯のことなら追い出した方がいいですって」

「誰もそんなこと言ってないじゃん。話すこととは別に、朝ご飯も食べたいの」

「あ、あの、あの、私、そんなに食べないから、ヒューロットさんにあげてもいいかなって、思ってて……」


 バチバチと喧嘩するように話す二人をリヴィアは必死で宥める。

 リヴィアがすっとヒューロットに差し出したサンドイッチの皿を見て、エレナは不安そうな顔をリヴィアに向けた。


「いいんですか? ヒューロットのせいで食欲が無くなってるとかじゃありません?」

「うん、大丈夫。もともとそんなに食べないから……」


 そう遠慮がちに言うリヴィアと、一切の遠慮もなくさっさとリヴィアのサンドイッチを頬張るヒューロット。

 じ、とエレナはヒューロットに圧をかけるように見たが、やがて諦めたように目を逸らした。


「まあ、巫女姫様がそう言うならいいですけど。……ちゃんと倒れない程度に食べてくださいね。巫女姫様が食べたいって言うなら私のサンドイッチあげますから」

「うん。ありがとう。……でも本当にそんなに食べないから」


 押し問答をするような二人の会話を聞きながら、ヒューロットはごくんと口の中にあったサンドイッチを飲み込んだ。


「もう話していい?」

「先にお礼でしょうが!」

「ありがとうございました」

「え、あ、はい」


 エレナに促されて、ヒューロットは深々と頭を下げた。そこからパッと顔を上げた彼は、先程の寝ぼけた雰囲気とはまた別の空気を纏っていた。


「で、話なんだけど。オレはヒューロット・メロウ。顔合わせのときにも紹介されたけど、一応ここの専属魔導士。よろしく」

「あ、……よろしくお願いします」

「んじゃあ、本題。アンタ、魔法をどのくらい使えるの?」


 急に差し込まれた話題に、空気がピリ、と張りつめた。何と答えるべきか、リヴィアが迷っているうちに、ヒューロットは次々に言葉を続ける。


「オレの他にも魔導士はいるし、騎士の中にも魔法を使える奴がいる。治療師も何人か抱えてるし、うちは魔法防御性は結構高い方だよ。でも、瘴気の浄化は出来ない。あれは『浄化の乙女』にしか出来ないものだから」


 ヒューロットの金色の瞳がまっすぐにリヴィアを見た。


「その上で質問。アンタって役立たずって呼ばれてるんでしょ? 瘴気を浄化出来ないんだったらとっとと帰ったほうがよくない?」


 バッサリと言い切るヒューロットに、リヴィアは言葉を失くす。


「ちょっと、ヒューロット!」

「なんで? 本当の事じゃん。足手まといのお荷物連れて毎回無事で帰ってこれるほど、ここは甘くないでしょ。それとも魔法でドーンッと魔物の群れを薙ぎ払ってくれんの? それくらいしてくれるんならオレも文句はないけど」

「……えと、……私は」


 言葉が出ない。何も言い返せない。ヒューロットの言っていることは全て事実だから。


 リヴィアは魔物を見たことがない。城から出たことも、瘴気に触れたことも、たったの一度だけ。頭の中にある知識は全て本の中の文字に起こされたものだけで、実際の魔物がどれだけ恐ろしいのかは経験したこともない。


 『浄化の乙女』が戦場に出るとき、多くの騎士が彼女たちを守ってくれる。だがそれは彼女たちが瘴気を浄化するという役目を果たしているからだ。役立たずであるリヴィアにそんなことをしてもらう権利はない。

 ヒューロットの懸念は正しい。


 リヴィアは何も言うことができず、ただ俯く。


「ま、無理だと思うなら早めに言いなよ。今日の午後、隊長が見回りに出るし、多分そこで一回アンタを連れて行くつもりなんじゃないかな。だから、できないことはできないって早めに言った方がいいよ」


 それだけ言い残して、ヒューロットは立ち上がった。バサバサとローブを振って、軽くしわを払う。


「じゃ、話は終わり。サンドイッチ、ごちそうさまでした」


 ヒューロットは言うだけ言って、リヴィアの答えを聞かずにサロンから出て行く。

 後に残されたのは、彼の背を見送るリヴィアとエレナだけ。


「み、巫女姫様。アイツの言う事なんて気にしなくていいですよ」

「……うん」


 エレナが慌てて励ましてくれたが、リヴィアは生半可な返事を彼女に返した。


 全て彼の言う通り。間違ったことなんて何もない。

 瘴気の浄化をリヴィアはしたことがない。だから、邪魔だからとっとと帰れ、と彼が言いたくなるのもわかる。


 でも、帰る場所なんて、リヴィアにはないのだ。あの城はリヴィアにとって帰る場所ではない。


「巫女姫様?」

「あ、うん。朝ご飯食べちゃわないと……」


 黙り込んだリヴィアに声をかけるエレナ。そんな彼女に心配をかけないように、リヴィアは朝ご飯を食べようと促した。


 冷めきったスープと紅茶。ほのかに甘いアップルパイも、今のリヴィアを元気づけてくれることはなかった。



   ♢♦♢♦♢♦



「ヒュ~ロ~ットォ~!」

「痛い痛い、痛いって! 何も締め上げなくてもいいじゃん!」


 ウォルターが自分の執務室に戻ってまず最初に見たのは、怒りを顕にしているエレナとギリギリと背後から締め上げられているヒューロットだった。


 エレナにはリヴィアについての報告を頼んでいるし、ヒューロットにはこの館の魔法防御を一任しているので、二人が執務室にいることは別におかしくはない。おかしくはないのだが、なぜこんなことになっているのかはウォルターにはわからなかった。


「待て待て待て。お前ら二人とも何してる? エレナ、魔導師に体力勝負を仕掛けるのを止めろ」

「ですが、コイツが!」

「わかってる。ヒューロットが何かやらかしたんだろう? わかってるから、一旦その手を離せ」


 どうどうとエレナを宥めながら、ウォルターは二人を引き剥がす。エレナは釈然としない、といった顔をしていたが、何故かヒューロットもエレナと同じ顔をしていた。


「オレが一体何したっていうのさ?」

「したじゃない! 巫女姫様に!」

「別に良くない? 親切心だよ?」

「だからって、言っていいことと悪いことがあるでしょう!?」

「待て、頼む。順番に話してくれ」


 再び喧嘩になりそうなところを窘めて、ウォルターはエレナに話すよう促した。エレナはヒューロットが謝らなかったことに対して不満そうな顔をしながらも今朝の出来事を話した。


「……あのあと、巫女姫様はずっと上の空だったんだよ!? デザートのアップルパイですら、少ししか食べなかったし」

「それは別にオレのせいじゃなくない? あの子だって人形じゃないんだから、食べたかったら食べるし食べたくなかったら食べないでしょ」

「だーかーら! アンタに言われたことに気を病んで食べなかったかもしれない、っていう話をしてるの! アンタに罪悪感はないの!?」

「エレナ、一旦落ち着け。それで、彼女は何か言っていたか?」


 上司にたしなめられたことで、エレナは振り上げた拳を下ろし、複雑そうな顔をして言った。


「……行く、と言っていました」

「午後の見回りにか?」

「はい」


 その答えを聞いて、ウォルターもヒューロットも難しい顔をする。そんな顔をする理由は誰もがわかっているのだ。


「一応、防御魔法と回復魔法は使えると言っていました。実戦で試したことはないけれど、ある程度なら自分で対処できる、と」

「……難しいな」

「ですよねぇー」


 ウォルターの判断を聞いて、エレナは天を仰いだ。


 練習と実戦は違う。練習で出来たからといって、実戦で使い物になるかどうかはまた別の話だ。だからこそ、自分で対処できる、という言葉は信用ならない。


「一応王族だし、魔力量は多かったよ。攻撃魔法を覚えてたら、本気で魔物の群れを薙ぎ払えてたかも」


 専属魔導士であるヒューロットはいつの間にか彼女の魔力量を見抜いていたらしい。

 もったいない、と人知れず呟いたヒューロットは、何かを伺うようにウォルターとエレナの二人に視線を向ける。


「で、実際にあの子は瘴気を浄化出来んの? 役立たずって呼ばれてるの、それが原因なんでしょ?」


 ヒューロットの問いに、ウォルターとエレナは互いに顔を見合わせた。リヴィアが瘴気を浄化できるかどうか。それを見たことがある者はここにはいない。


「巫女姫様は出来るとも出来ないとも言ってませんでした」

「王城の噂だと、彼女は瘴気を浄化することができない、という意見が一般的だな。だが、城から一歩も出たことがない、という噂もあったから、どこまで信用していいのかはわからん」

「ふーん」


 自分でした質問なのに、ヒューロットは興味なさげに相槌を打った。


 ほとんど外に出たことがないのに、一体どうやって瘴気を浄化するのか。いや、だからこそ、役立たずと呼ばれ始めたのではないか。


 様々な疑問が頭を飛び交うが、全ては憶測でしかない。


「で、どうすんの? 見周りに連れて行くの? 行かないの?」


 ヒューロットとエレナがウォルターを見る。ウォルターは一瞬悩んで、諦めたように溜息をついた。


「本人が行きたいと言っているんだから、連れて行くしかないだろう。ヒューロットは巫女姫の防具の準備、エレナは巫女姫にこのことを伝えた後、他の騎士に今日の巡回ルートの打ち合わせをすると伝えてきてくれ」

「はい」

「ま、あんまり危なそうなところにはいけないよねぇ」


 エレナはすぐに書斎を出て行き、ヒューロットも軽口を叩きながら出て行った。


 一抹の不安の残る、巫女姫同伴の騎士の見回り。

 書斎に一人残ったウォルターは、溜息をつきながらロブストフェルスの地図を開いた。

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