4話 帰り道
「ねぇ、ぼやっとして、どうしたの?」
肩を並べて歩く彼女から話しかけられて、やっと、自分が己の世界に思考を埋めている事に気付かされた。それも無理はないだろう。先程、転校生からあんな超常現象的な説明をされたんだ。即刻、今生きている世界を疑えなどと言われても、出来やしない。
”出来るだけ、自然に行動しろ”
だが、彼の忠告を思い出して怪しまれないようにと、すぐに思考を切り替えて、返答に応じる。
「あ、いや、何でもない」
「ふーん」
どうやら俺の返答に不満だったらしく、顔を膨らます。
でも数秒後に、いつもの彼女に戻った。そして僕たちは歩き出す。
「今日もいつもの場所にいこ」
「ああ」
帰り道。
今日の放課後も、いつも通りに彼女と帰ることになった。肩を並べながら、同じ道を通って。
夕刻を迎えているので、街には既に夕日が投げ込まれている。学校から北上するこの道は大通りであり、いつも人通りが絶えない。
「今日の転校生、何か変だったね」
なんて言われようだ。可哀想なので、章を擁護しようとしたのだが、そうしたら怪しまれるので、とくに当たり障りない返答を心掛ける。
「緊張してたんだよ」
「そうかな」
彼女はこちらをじろりと舐め回すように見入る。
もしかしたら、既に感づかれているという可能性が脳裏に過ぎったが、それもきっと気のせいだろうと心中に念じる。そんな事をしても自己満足にしかならないのだが。
「どうして、君の事、あんなに気軽に接してたのかな」
「そりゃまあ、俺以外に誰も男子生徒がいないからな。やっぱり同性だと、話しかけやすいんだろう」
適当に言い繕って説明する。まあ、あながち間違っていない。誰にもであるような話である。もっともこの場合に限ってはその例に当てはまる事はないのだが。
さらに歩き続ける。
ここで少しだけ地理の説明。
高校の門から北上すると、まず交差点を通って大通りに突入する。そしてしばらくすると商店街、それを超えると中学校、さらに小学校、幼稚園となって駅に到着するという感じになっている。
だからこの大通りを通っていけば、ある程度の店に突き当たる。なぜなら、サラリーマンや学生が多く通る道でもあるのだ。
「ねえ、今日、私の家に寄っていかない?」
「え?」
突然の提案に、俺は足を止めて、唖然とした。
というのも、俺たちは未だにただの友達であり、彼女とかそういう関係にも至っていないのだ。もっとも俺は現在の関係をさらに飛躍させたいと願っているのが、タイミングが把握できずに、ただ機会を待っていた。
「いや、今日は飯食うだけで」
「そう」
ああ。俺っていつもなんてこう消極的なんだ。
それから俺たちはファストフード店に向った。
駅前のファストフード店は人気があるので、いつも混んでいる。何とか行列に並んでから、数分で注文。いつものメニューを受け取って、二階のテラス席に移動。
「やっぱり、ハンバーガーが最高だよね」
「だよね」
と彼女ががぶりとハンバーガーに齧り付いたので、俺もそれに倣ってがぶり。だが俺の頭の中には色んな疑問が渦巻いていた為、あまり味覚を味わう事は出来なかった。
この世界が偽物であると宣告されてから、早数時間ぐらいか。
もし本当に彼の言葉が事実だったら。
そんな仮説を立てる。
そうならば、どれくらいまで世界が精緻に構成されているのだろうか。
試しに、俺はテーブルの表面に右手の人差し指を押し当てた。木製のテーブルの質感、ホコリ、など、細部にまで世界が構築されている。
まさか。ここまでリアルな虚構を創り上げて、そして自分自身を監禁させるなど、そんな事。
「まさかな」
ポツリと呟いてから、窓の外に視線を移動させる。
夕方の時刻なので、通りには多くの人々で賑わっている。帰宅中のサラリーマン、学生、ママチャリに乗る主婦の姿。
もしこれらが全て偽物だったとしたら。
あり得ない。あまりにも突飛過ぎる。
なんて考えていると、
「また、ぼーっとしてる」
呆然としている俺の頬に付着したケチャップを指先ですくいあげると、それを舐めながら、彼女は再びハンバーガーにがぶり。そして特大サイズのハンバーガーは一気に消滅してしまった。
「あ、いや」
しまった。また彼女に違和感を抱かせてしまった。
「君、変わったね」
ずずずーと、キャラメルドリンクを啜りながら、彼女が怪訝な表情を浮かべ、
「変わった?まさか」
図星だった。でも内心の動揺を悟らせる訳にはいかない。毅然とした表情を崩さずに、俺はごちそうさまを告げる。
「今日は少しだけ、体調が悪いかも。先に帰るよ」
普段ならこの後もずっと遊んで帰るのだが、今日はお暇させてもらった。そしてそのまま席から立ち上がると、彼女から手首を掴まれる。
「待って」
「え?」
ドキッとした。それは恋愛的な感情だったか、それとも恐怖的な感情だったか、よくわからない程にまでないまぜになった何かだった。だが次の彼女の台詞で、その双方の感情は、跡形もなく霧散していったのだ。
「ハンバーガー残すなら、私が食べる」
「あ、そ」
”この世界の真実を見たいなら、深夜に部屋のカーテンを開いて、自宅周辺を見てみろ”
章からの忠言が、ただ脳内で反芻していた。
時刻は11時を大きく超過して、既に世界は夜闇に同化していた。自宅周辺はただの住宅街だから、特に騒音なども沸き立っていないし、閑静である。
「まさかね」
そう呟きながら、俺はベッドから起き上がる。フローリングに足を落として、俺は部屋を横切る。向かう先は窓際である。部屋は既に照明が落とされて、暗い。
壁際まで到着すると、俺はゆっくりとカーテンを開いた。
出来るだけ体を晒さないようにと、壁から覗き込むような体勢で、俺は夜闇の世界に視線を照射させる。
夜の住宅街が映し出された。ただひたすら均一的な一軒家が地平線の彼方まで連なっていく現代日本の平凡な一風景である事は、例えこの世界が虚構であっても変わることのない事実なのは、百も承知だった。
が、否。
幸運だったのか、それとも、不運だったのか。
「う、うそだろ」
今宵は月明かりが異常に輝っていた。だからそのせいで、見えてはいけないものが視界に入ってきてしまったのだ。自宅周辺、つまり自宅の玄関から近い場所に、人影のように、黒く蠢くものを捉えた。それは明らかに、人だった。それもただの人ではなく、学生、いやや、もっと正確には描写すれば、同級生だ。彼女たちは自転車にも乗っているのだ。理由はわからない。夜にサイクリングにでも行くってのだろうか?まあ、それでもどうして俺の自宅周辺がゴール地点になっているのだろうという、不可思議な点については、どれだけ思考を巡らせても、解決の糸口を見つけるのは不可能だというのは明らかである。
俺はカーテンをゆっくりと閉じて、ベッドにダイブした。ここの中なら、安心だ。誰もいないし、それに、誰にも干渉されない。だがしかし、一つの思想が胸を毒す。
でももしこの世界が虚構ならば。
という疑念がただ心中に渦巻き、俺はあまり眠ることは出来なかった。