第一話 恋人
中三の夏休みは灰色になる。まあそれは仕方のないことだ。
俺、中津川哲也も当然中三らしい夏休みを過ごした。うだるような暑さの中、塾に行って夕方まで勉強、帰ってきてからは筋トレとランニング。野球部は引退していたけど、体を動かさないと気持ち悪い。
そんな生活を四十日間。よくぞ耐えきったと自分を褒めたい。
その糞暑い灰色の夏休みが終わって、二学期の始業式。
アパートの三階から勢いよく階段を駆け下りる。
アパートの階段の下には幼馴染の史奈――桑名史奈が待っている。暑い中待たせてたら熱中症でぶっ倒れるかもしれない。だから階段を飛び降りるように駆け下りた。
「危ないよてっちゃん!」
そんな俺を見て注意してくる史奈。
「ヘーキヘーキ、大丈夫だって。さ、行こうぜ」
学校まで徒歩で十分、他愛のない話をしながら通学する。
「受験勉強どう?」
「俺はまあまあだな。史奈は?」
「私も、まあまあ」
二人してため息。灰色の青春ってやつだ。
「ね、朝、天気予報見た?」
史奈に言われてうなづく。
「せっかく新学期になったってのに、週末台風らしいよな。夏台風みたいなものだから迷走して終わりかもしれないけど、嫌なものは嫌だな」
史奈がうつむいて立ち止まる。なんだ?
「ね、てっちゃん」
史奈は顔を上げて俺を見る。
「ん?」
「週末、もしも台風がそれたら、遊びに行かない?」
赤い顔をしていたのは暑いから、じゃないよな。
「お、おう、いいな、それ」
「約束だよっ!」
両手で俺の右手を包み込んで振り回す史奈。俺も顔が火照ってきているのがわかる。
「うふふふ」
このときが、史奈を妹としてではなく一人の女性として見た初めての日、だった。
台風は高気圧に押されて未だ太平洋をウロウロしている。ってことで週末は少し風は強いものの快晴だった。ただ残暑というより酷暑な気温。
徐々に夏が長くなっていっていると天気予報でも言っていた。暑い。
カットソーの上にオリーブグリーンの開襟シャツ、黒スキニーって姿で降りる。持っている服の中での精一杯のおしゃれなんだけど、おかしくない、よな?
史奈の家はこのアパートの隣の一軒家なんで迎えに行くつもりで早めに出た。
呼び鈴を押すと同時にドアが開く。
「おぅあ!」
ニコニコ笑顔の史奈が立っていた。白いノースリーブのワンピース、髪をポニーテールにまとめている。
「なあにてっちゃん、ひどいじゃない」
「いや、普通呼び鈴鳴ったらまずは返事だろ?」
ニコニコしている史奈を見て、気恥ずかしくなって空を見る。
「じゃ、行くか」
振り返って史奈を見る。
「うん、連れてってねてっちゃん」
「……お前が誘ったからどこか行きたいところがあるかと思ったのに」
「えー、デートだもん、エスコートしてよー」
ため息をつく。ない頭を絞る。
「わかった。行くぞ」
バスに乗って駅へ。そこから電車。新しい都市の象徴となったタワーに併設されている都市型水族館へ来た。
生徒手帳を出して入場券を買う。中学生なら二千円。ちょっとキツいけど、史奈の分も出してやる。
「え、え、え?」
戸惑っている史奈の手を取ってゲートへ向かう。
入ってすぐエスカレーターがあり、上へ。徐々に照明は抑えられて薄暗くなっていく。
登りきった先に輝く水槽が見える。中にはふわふわとクラゲが漂っている。
空調の効いた館内は快適で、そこそこ混雑している。史奈の手を少し強めに握ると、史奈も握り返してきた。
クラゲの水槽を見ている史奈の横顔を見る。水槽の照明に照らされた彼女の横顔。見慣れたはずの顔なのにドキドキする。
「ね、てっちゃん、あのクラゲ、かわいい」
史奈の指差す先には大きな丸い頭に揃えられた短い足。傘をぽふぽふと膨らませながら泳ぐカラージェリーフィッシュがいた。愛嬌のある動きでかわいいというのは理解できる。
ただ、俺はクラゲをみている史奈を見て、綺麗だな、と思っていた。
次のセクションはサンゴ礁に生きる魚たち。チンアナゴの群れを見て史奈が笑う。
砂地からひょろひょろと生えている細長い生き物たち。左右に揺れて遊んでいるかのよう。
隣の水槽にはでかいコブを持つメガネノモチウオ。覗き込む史奈を面白そうに眺めるタラコクチビルの大物。
「ね、てっちゃん、この子、数学の高澤先生にそっくり」
「……さらっとすごいこと言うな」
確かに似ているとは思ったが、口に出すか普通。
「えー、似てるよ―」
少しふくれる。
「お、ふぐなになった」
「もう!」
史奈にぽかぽか叩かれた。
「いていて、やめろ」
すきを突いて抱きしめる。
「怒るぞコラ」
俺の腕の中で小さくなる史奈。気恥ずかしくなってすぐ解放した。柔らかかった。ふんわりと甘い香りがした。ドキドキした。
「びっくりしたよ……」
小さく言う史奈の手を取る。
「ごめん。嫌だったか?」
「ううん」
俺をまっすぐ見てから首を振る史奈。顔が赤い。俺も多分赤い。
「行こっか」
史奈にそう告げて、次のエリアへ向かう。
長い緩やかな下り坂の通路が続く。下のフロアへ降りるその通路の下にはペンギン水槽がある。ペンギン水槽を超えてから折り返し、下のフロアへ到着。
下のフロアから見ると目線より上にペンギン水槽の水面がある。その水面にゆらゆらと浮いているペンギンたち。時折中へ潜り、水を切って飛んでいく。そう、彼らは空を飛べないが、水の中を自在に飛ぶ。
「すごいねー、君たちは海を飛ぶんだねー」
史奈も同じ感想で、嬉しくなった。
ぐるりと回りながらペンギンたちを見ていく。案内板があって、そこにはいろんな解説が書かれていた。
フリッパーと呼ばれる腕の部分にはそれぞれ異なる腕輪がつけられていて、個体を識別できるのだそうだ。
そしてその識別用の腕輪の説明とともに彼、彼女たちの関係図が書かれていた。
オス同士やメス同士でくっついていたり、二股とか当たり前だったり、くっついたり別れたり……見た目が可愛らしいからもっとこうなんというか……。
「ね、てっちゃん、あっち行こ」
関係図を熱心に見ていたら史奈に引っ張られた。
「あ、おい」
結構強く引っ張られたので無抵抗でついていく。
「もう、てっちゃんたら!」
「なぜ怒られるのかわからん……」
睨まれた。怖い。
引っ張られていった先は金魚の水槽だった。大きな水槽の中を泳ぐ金魚たち。いかにも金魚、ってやつから出目金、丸っこいやつ、色も赤や白や黒など様々。
「かわいー」
史奈のテンションが上がる。良かった。機嫌が治ったようだ。
水面の乱反射に照らされた史奈は輝いて見える。しばらく史奈を見ていた。
「ね、てっちゃん」
「ん?」
「ありがと」
微笑まれたので、大仰に胸に手を当ててお辞儀を返す。
「喜んでいただけたようで何よりでございます」
「なあに、それ」
史奈はクスクスと笑う。その史奈の手を取って指を絡めて手を繋ぐ。
「あ……」
小さな声。その後、開いていた史奈の指が閉じられた。
「そろそろ、帰るか」
「……うん」
俺の肩に史奈の頭がこつん、と載った。少し固いようなそんな感触が腕に少し。たぶん、これは……。喉から心臓が飛び出すかと思った。
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